第九話 天からの施し
雨堂橋で酷い状態の遺体が発見されたと聞いた時、ぞわり、と全身が粟立つような感覚に襲われました。
雨堂橋と言えば、つい先週、あの馬鹿な女と口論になった場所です。
――水瀬やよい。英二を誑かした女の一人。
相場よりも少々高い慰謝料を支払わせ、接近禁止の誓約書まで書かせたというのに、彼女は凝りもせず、英二と連絡を取り合っていたようでした。
どうしてこんなに話が通じない人なのでしょう。
私には全く理解ができません。
髪を掴んで、川の水に頭を沈めても、彼女はキーキーと煩く騒ぐのを止めません。
本当に、本当に煩い人でした。
ここまでされても尚、英二に近付こうとする執念は、とても恐ろしく感じました。
彼女は濡れた髪を振り乱しながら、自分が如何に英二に愛されているのかを、彼の妻である私に語り出しました。
気持ちが悪い。
そう思った私は、騒ぐ彼女を突き飛ばし、帰路につきました。
英二が愛しているのは私だけ。
何故、それが彼女には伝わらないのでしょうか。
英二は私だけのもの。
何故、それが彼女には伝わらないのでしょうか。
何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故――何故?
気が付けば、部屋の中はぐちゃぐちゃになっていました。
興信所から受け取った封筒が床に落ちて、中の書類や写真が絨毯の上に散らばって――。
私はその中から、一枚の写真を手に取りました。
英二と歩く水瀬やよいの写真でした。
彼女の顔を見ていると、嫌な感情が心の中にじわりとシミを作っていきます。
私は机の上に置いてあったボールペンを手に取って、写真の――水瀬やよいに突き立てました。
何度も、何度も何度も、何度も、何度も何度も何度も。
そうすることで、私の中の嫌な感情が、幾分か小さくなっていくのを感じました。
そんな先週の鬱々とした記憶を思い出していると、家のインターホンが鳴りました。
慌てて確認すると、警察と名乗る男の人が三人、玄関の前に立っていました。
――ドキリ、と心臓が脈打つのを感じました。
警察は、雨堂橋で見つかった遺体――水瀬やよいを殺した犯人を捜しているようでした。
あの事件の被害者が水瀬やよいであると知って、私は呼吸を忘れてしまう程に驚きました。
そして、私に彼女殺害の疑いをかけていることにも動揺して、最初は上手く言葉が出てきませんでした。
そんな私を見て、疑わし気に片眉を上げた警察の顔は、今でも脳裏に焼き付いています。
幸いなことに、彼女が亡くなったとされる日は、友人と食事に出掛けていた日でしたので、私への疑いはあっという間に晴れたようです。
ほっとしました。
勿論、私は彼女を殺したりなどしていませんが、疑いを掛けられるのは心地の良いものではありません。
警察が帰った後、ふと、机の上の封筒に目が吸い寄せられました。
例の――興信所からの調査報告が入った封筒です。
中には水瀬やよい以外にも、英二を誑かした女の情報が丁寧にまとめられた書類が入っています。
――不二見茜。
私は封筒から彼女の写真を取り出して眺めます。
ホテル街を歩く不二見茜の姿。
やはり頭の悪い女の顔を見ていると、不快感が足元から這い上がってくるようでした。
私はボールペンを手に取って、彼女の体目掛けて突き刺しました。何度も、何度も。
水瀬やよいの時もそうでしたが、こうして写真に感情をぶつける行為は、褒められたものではないのでしょう。けれど、私の心に広がる淀みの吐き出し口は、写真しかありませんでした。
突き立てる度に、お腹が痛みます。けれど、そんな痛みは、私にとってどうでもいいものでした。
――この人も、早く死んでしまえば善いのに。
そんな私の願いは、暫くして現実となって返ってきます。
不二見茜の遺体が発見されたのです。
正直、驚きました。
私の願いを誰かが叶えてくれたのでしょうか――そう、夢想する程に。
私はボールペンを手に取って、封筒から女の写真を取り出しました。
その写真に写るのは、英二と同じ会社に勤める憎々しい女。
――北潟幸恵。
もしも、神様が居て――哀れな私の願いを叶えてくれているのなら――。
そう願いを込めて、彼女の写真にボールペンの先を叩きつけました。
また、お腹が痛みます。
――ああ、神様。神様。この女を殺してくださいな。
<叶エヨウ、叶エヨウ。オマエノ願イヲ、叶エヨウ>




