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異相の理  作者: 赤鰯 はこぼれ
第三章 わが身ひとつの 心にも
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第八話 条件

 俺たちが会議室に入ってくるなり、植木さんは資料の束を差し出してきた。


「張り込みの件で、動きがありまして」


 そう前置きしてから、植木さんは淡々と続ける。


「久我昭子を張っていた刑事からの報告です。昨日、昭子が見知らぬ女性と接触していたそうでして」

「見知らぬ?」

「調べたところ、どうやらこれまで名前が出ていなかった英二の浮気相手だそうで……」


 俺と御子神さんは同時にメモへ視線を落とす。


 新橋杏南(にいばしあんな)

 年齢は二十代後半。

 久我英二とは、職場関係を通じて知り合った可能性が高い――。


 浮気相手はこれで四人目。久我英二は一体何人と関係を持っているんだ。


「接触の内容は?」

「人目を避けるような形で、短時間。口論をしているようにも見えたそうです。他の浮気相手の時と同じですね」

「そりゃ浮気相手を目の前にして、穏便に済むわけがないよねえ。言いたいことの一つや二つあるだろうよ」


 御子神さんはそう鼻で笑った。

 資料によると、久我昭子は浮気相手の女性に対して必要以上に何度も接触し、執拗に恨み言を吐いていたという。水瀬やよい、不二見茜、北潟幸恵――例外なく。

 昭子が契約していた弁護士にも、その言動は何度か注意をされていたようだ。


「昭子は終始、その様子をスマートフォンで録画しているようでして。新橋杏南は逃げるようにしてその場を去ったみたいです」

「ネットで晒す気ですかね」

「だとしたら、陰湿だなあ。新橋杏南の方にも刑事はついてるの?」

「はい。念のため、何人か刑事をつけてます」


 久我英二と関係を持った女性が被害に遭っている以上、次は北潟幸恵か新橋杏南が被害に遭う可能性は捨てきれない。


「で、今のところ、そっちに変化はなし?」

「特にこれと言った報告は上がってないですね。今朝も普通に会社へ出勤していたそうですよ」

「了解。動きがあったら、直ぐに共有して」

「ああ、そうそう。共有と言えば――」


 植木さんが手元のファイルから更に資料を取り出す。


「不二見茜についてですが、自宅から奇妙なものが出てきまして」

「奇妙なもの?」


 資料を受け取りつつ視線を落とすと、そこには不二見茜の自宅で撮られたであろう写真がプリントされていた。


「自宅に置いてあった封筒から、久我英二との浮気現場の写真が見付かったんですけど、写真に写った不二見茜の部分に、意図的に穴が開けられていたんです。恐らく、送り付けたのは久我昭子じゃないかと」

「うっわ、怖」


 資料を見ながら御子神さんが大袈裟に反応する。

 植木さんの言う通り、久我英二に寄り添うようにして歩く不二見茜の写真には、無数の穴が開けられていた。衝動的というより、何度も繰り返し同じ箇所を狙ったような執拗さが感じられ、資料越しでも少しぞっとする。


「やっぱり、犯行は昭子によるものだと思うんですけどね。何とか証拠がでればいいんですけども」


 植木さんは疲れたように苦笑いした。

 確固たる証拠が得られないと二の足を踏むことになるのは、警察の歯痒いところだ。


「決めつけると、視野が狭くなるよ」

「そう言いながら、御子神さんだって昭子の線だと思ってるでしょう」

「どうだろうねえ……。栗花落君はどう思う?」

「可能性は高いでしょうけど、やはり現時点では決定打には欠けるかと」

「超模範的な回答。ま、こっちはこっちで引き続き捜査するんで、刑事課の方もよろしくー」

「……はい。何かあったらご連絡お願いしますね」


 一通りの報告を受けて会議室を出ると、御子神さんが顎に手を当ててぽつりと呟いた。


「――写真には魂が写る」

「え?」


 聞き返した俺を尻目に、彼は足を止めずに続ける。


「そういう話が昔あったなあってさ」

「――確か、明治初期頃でしたっけ。写真を撮られると、魂を抜かれる――みたいな」

「そうそう。ちゃんと勉強してるじゃん」


「偉い、偉い」なんてふざけた口調で言いながら頭を撫でてきたので、俺はその手を払い退ける。

 御子神さんのこういう無駄なスキンシップは、正直苦手である。


「それがどうかしたんですか」

「写真に魂を閉じ込めるみたいな意味合いがあったりなかったり――民俗学的には霊魂観と結びつくなんて言われることもあるよね」

「そんなことを言っている民俗学者もいますね」


 御子神さんから読むようにと薦められた本の数々の中でも、そういったものがいくつかあったことを思い出す。

 思い出しながら、俺ははっとして御子神さんを凝視した。


「……あの写真、ただの嫌がらせじゃないってことですか」

「断定はしないよ? でも、呪いの媒体としては、十分条件を満たしてそうじゃない?」


 あり得ない話ではない。

 写真に縫い留められた魂を傷付ける――もし、この行為が呪いとして成立するなら……。

 背筋に冷たいものが走った。


「仮に写真を傷付ける行為が呪いになるなら、北潟幸恵も新橋杏南も危険じゃないですか!?」

「それだけが条件じゃないと思いたいけどね」


 御子神さんは深い溜息を吐いた。


「呪いにはそれ相応の代償が必要。人を殺すほどの呪いなら尚更。手軽にできるものでもない」

「これからどうしましょう……」


 仮に久我昭子が浮気相手たちを呪っているのだとして、それを合法的に止める方法がない。

 それでも何とかしなければという思いだけが先走る。

 そんな俺を宥めるかのように、御子神さんは笑ってみせた。


「呪いってのは、条件が成立しなければ成就しないものって話したでしょ」

「……はい」

「つまり、途中で破綻させればいいってことだ」

「どうやって……」

「それは、これからのお楽しみというわけで。じゃ、北潟幸恵の張り込みに行くよ」

「ええ?」

「ほら、早く準備して。(ふつ)と”覚悟も”ちゃんと忘れずに」

「急すぎませんか」

「何もなければいいけど、今動かないで何かあったら困るでしょ?」


 そんな軽い調子の御子神さんに、俺の余計な思考は霧散して消えていった。


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