第四話 悍ましいもの
「俺たちは視えるものとして扱っているから、こういうの、気が付き難いんだよね」
執務室に戻るや否や、御子神さんは資料を叩きながら呟く。
<何だ。また事件か>
棚の上から颯爽と降りてくる玄に、御子神さんの顔が引き攣るのが見えた。
今日は珍しく、執務室に甘崎さんと玄がいる。
「刑事課の方から相談を受けまして」
<ほう? どのような事件なのだ>
御子神さんが口を挟む余地を与えずに、俺は玄を抱き上げてデスクに腰を下ろす。
「雨堂橋で刺殺体が発見された事件で、今回また同様の刺殺体が見付かったんですが、犯人の特定に難儀されているらしいです。これがその資料」
植木さんから貰った資料をデスクに広げると、玄はそれを眺めながら尻尾をパタパタと揺らした。
<痴情の縺れというやつか。人というものは悍ましいな>
「刑事課は被害者二人と関係がある久我夫妻を疑っているらしいですが、どちらも確固たるアリバイがあるようで、うちに相談に来たというのが経緯です」
<それだけ聞いていると、面倒事を押し付けられただけに聞こえるが……>
玄が怪訝そうに目を細めた。
「怪異関与の可能性はあるのか? 確か、刑事課案件の色が濃かった事件だと記憶しているが」
甘崎さんが湯呑に口を付けながら、こちらに視線を寄越す。
「栗花落君のお陰で、可能性が出てきましてね」
「と言うと?」
「被害者の手首に縛られた様な痕があるんですが――」
そう言いながら、御子神さんは資料を甘崎さんに差し出した。
「刑事課の植木に確認したところ、彼にはこれが視えていないことが分かりました」
「これは……」
甘崎さんがみるみる険しい表情に変わる。
その様子から、何か良からぬものだということは、直ぐに察しがついた。
「御子神」
「はい。お察しの通り、おそらく呪いの類かと」
「呪いですか……?」
「そう、呪い。呪術とかって聞いたことあるでしょ? 知り得る限りではあるけど、呪いを受けた人間には、こういった縄のような痕が体のどこかに現れるんだ。水瀬やよいの遺体にも同じ痕があったかもしれない」
「水瀬やよいの方は、確認はできなかったのか?」
「あっちは遺体の損傷が酷くて、資料だけじゃ確認できなかったですね」
「……そうか」
甘崎さんは眉間の皺を指で伸ばしながら溜息を吐いた。
<お主たちの話はどうでもよい。新入り、儂にも写真を視せろ>
「……はいはい」
俺の腕から抜け出した玄は、デスクの上に乗るとまじまじと被害者の写真を眺めだす。
<ふむ。これは――>
玄が神妙な面持ちで呟く。
古くから生きる怪異故、この呪いについて何か知っているのか。
この場の全員が玄の言葉を静かに待った。
<――うむ。よく分からんなぁ>
「分かんないのかよ!」
予想外の言葉に、御子神さんが勢いよく声を上げる。俺も喉元まで同じ言葉が出かかっていた。
甘崎さんですらやれやれと苦笑いする始末だ。
<む。儂は分かるなど一言も言っておらぬぞ>
「雰囲気がそうだっただろうが!」
<知らぬわ、そんなこと!>
「まあまあ……」
御子神さんと玄を制して、俺は再び話を元に戻した。
「という次第でして、本件については俺らも捜査を行おうかと思っています。問題ないでしょうか?」
「ああ。刑事課の方には私から話を通しておく」
「ありがとうございます」
<おい、新入り>
玄が琥珀色の瞳で俺を見上げる。
<呪いというものは厄介な代物だ。くれぐれも用心することだ>
「そうなんですか?」
呪いについて、俺は無知に等しい。
勿論、その言葉からして善いものではないことは分かるが……。
「栗花落君、呪いに関わるのは初めてだもんね」
「知識としては知ってますが、実際にどのようなものかは……」
「――呪いって言うのは、成功条件も呪いの効力も――呪いをかける人間によって様々、と言われているんだ。それを引き当てるのは本当に稀。ほら、丑の刻参りをした全員が呪いを成就させられたわけじゃないでしょ? 中には偶々、それが呪いの成功条件と合致した人がいたかもしれないけど」
「……そういうものなんですね」
無条件で人を呪うことができるならば、今頃至る所で呪いの被害者が出ている。
それがないということは、それだけ条件を満たすのは難しいものなのだろう。
「今回の件が呪いの場合、二度も人を呪い殺していることになる。犯人は呪いの条件を把握している可能性が高い。派手に動いて俺らまで呪い殺されたら困るから、いつも以上に慎重に動かないとダメって話。お分かり?」
「……分かりましたけど、それっていつでも簡単に人を殺せる人間が存在するってことですよね。早く犯人を取り押さえないと……」
<そう焦る必要もなかろう。呪いというものには、必ず代償が必要になるのだ。易々と人を殺せるものではない。人を呪わば穴二つと言うだろう>
人を呪わば穴二つ。
その言葉が、静かに胸の奥に沈んだ。
<今まで見聞きした限り、呪いに手を出した人間が無事で済んだ例を、儂は知らぬ。呪いとはそれ程までに、悍ましいものなのだ>
「とはいえ、早い対処は必要ではあるよね」
御子神さんが小さく息を吐いた。
「まずは事件前の被害者の行動について、もう一度洗ってみようかね」
「そうですね」




