第五話
王宮への照会に対する回答は、予想どおり拒絶だった。
王家の私的な記録を他国の貴族へ公開する義務はなく、王朝交代の経緯についても正史に記された以上の説明は必要ないという。
アーヴィンは返書を読み終えると、王国の貴族評議会へ提出するための資料を整えるよう、書記官に命じた。
国王が記録の開示を拒んだこと自体は驚くに値しなかったが、国王とローランが公務を欠席し続けている現状では、王家の秘密に関する疑惑を単なる古い歴史の問題として退けることは難しいはずだった。
コレットはその間、祖母の遺言に基づく財産返還の手続きを進めていた。
王宮の財務官による調査では、オディールの褒章から購入された土地の一部が、バルタザールによって無断で担保に入れられていたことが確認された。さらに、コレット自身の褒章についても、本人の署名がないまま家の事業へ資金が移されており、その一部はロザムンドの宝飾品や屋敷の改装費用に充てられていたという。 代理人から報告を受けたコレットは、証書と帳簿の写しを確認し、返還請求を正式に進めるよう指示した。
バルタザールは財務官からの通知を受けると、すぐに異議を申し立てた。
聖女の褒章は家族の生活を支えるためのものであり、長年にわたって王家もその使途を問題にしてこなかったのだから、今さら不正だと言われても納得できないという。しかし、王家が褒章を支払っていたことと、管理者が自由に処分できることは別だった。
しかも、オディールが正式な遺言を残していた以上、相続権のある財産を息子が勝手に処分した責任は免れない。財務官は支出の証拠を提出するよう求め、説明がつかないものについては返還の対象になると告げた。
ロザムンドは夫から事情を聞いても、当初は大した問題ではないと考えていた。
王太子妃の実家となるヴァルディス家に対して、王家が厳しい処分を下すはずはないと信じていたからである。ところが、王宮では国王とローランの病状についての噂が広がり、フィオナとの婚姻も予定どおり進むのか分からなくなっていた。
これまで王家との結びつきを重視していた商人たちは融資の条件を見直し、追加の担保を求めるようになった。バルタザールが新たな事業へ投じた資金はすぐには回収できず、借入金の返済も難しくなり始めていた。
その頃、王国の貴族評議会では、国王とローランが長く公務を欠席していることについて、正式な説明を求める声が高まっていた。
国王の裁可を必要とする案件が積み重なり、王太子による代行も行われず、各地の領主からは王宮の判断を求める書簡が相次いでいる。
国王が療養中であるなら摂政を置くべきだという意見も出たが、王宮は病状について詳しい説明を拒み、従来どおり国王の命令に従うよう求めるばかりだった。
評議会の代表者たちは王宮へ赴き、国王の執務能力を確認するため、直接の謁見を要求した。
国王は病を理由に拒もうとしたが、国政に重大な影響が出ている以上、王家の私事として済ませることはできない。 しかも、隣国から王朝交代に関する記録の照会が届いている最中に、国王と王太子が揃って姿を隠していることは、貴族たちの疑念を深めるばかりだった。
国王は評議会の要求を退けるよう命じたが、侍従長は、重臣たちの協力を失えば政務の執行そのものが難しくなると進言した。
王太子も公務を代行できない以上、国王が謁見を拒み続ければ、評議会は独自に政務を進めるほかないという。
国王は激怒したものの、すでに主要な案件は重臣たちの代行によって辛うじて処理されており、これ以上の対立は避けざるを得なかった。
結局、国王は評議会の代表者三名に限って謁見を許すことにした。
病状を理由に寝台から起き上がることはできず、室内も薄暗く保たれていたため、代表者たちは最初、国王の顔をはっきり見ることができなかった。
異変に気づいたのは、国王が差し出された書類を受け取ろうとしたときだった。寝具の下から現れた手には黒い鱗が浮かび、指の関節は異様に太く変形していた。
代表者の一人が侍医へ説明を求めると、老医師は答えられずに俯いた。
国王は単なる皮膚病だと言い張ったが、声は以前よりも低く濁り、口元にも不自然な変化が見られた。さらに、王太子にも同じ症状が現れているのではないかと問われると、国王は激しく取り乱し、代表者たちを退室させようとした。
翌日、評議会は王家の病状と地下記録庫の調査を正式に決議した。
国王は最後まで拒絶したものの、王太子も公務を果たせず、王妃も療養を理由に姿を見せない状況では、王家の判断だけに国政を委ね続けることはできない。
評議会は王宮の衛兵長と侍従長の協力を得て記録庫の保全を命じ、国王が文書を移動させたり処分したりすることを禁じた。
地下記録庫が開かれたのは、それから二日後のことだった。
立ち会ったのは評議会の代表者と王宮の記録官、神殿の長、それに文書の真正を確認するために招かれた学者たちである。
国王は記録庫への立ち入りを認めたものの、王家の私的な記録を外部へ持ち出すことだけは許さないと主張した。
しかし、契約書の原本が見つかり、隣国の修道院に残されていた写しと一致することが確認されると、その主張も意味を失った。
契約書には、王位を奪った始祖が魔物と交わした契約と、その代償として王家の血筋に宿る呪いについて記されていた。
さらに、歴代聖女がその呪いを引き受けることで、王族が人の姿を保ってきたことも明らかになった。王国の正史では、聖女は国全体の災厄を引き受ける存在だと教えられてきたが、実際には王家のために苦痛を背負わされていたのである。
評議会は国王へ説明を求めたが、彼は始祖の契約については先王から受け継いだものであり、自分が作り出した制度ではないと弁明した。
歴代聖女には十分な褒章を与え、王族との婚姻によって高い地位も保証してきたのだから、王家が一方的に利益を得ていたわけではないという。
しかし、聖女本人に真実を知らせず、国のためだと信じ込ませて苦痛を引き受けさせていたことについては、何の説明にもなっていなかった。
その報告が隣国へ届いたとき、コレットはアーヴィンの書斎で財産調査の書類を確認していた。
王宮の契約書が修道院の写しと一致したことで、王家の秘密についての調査は大きく進むことになった。
アーヴィンは評議会から正式な照会を受け、先王朝の血筋に関する記録を提出する準備を始めていた。
彼が長年探していたのは、先王朝の最後の王子から続く直系の子孫だった。アーヴィン自身も先王朝の血を引いていたが、王位継承の本流から外れた傍系であり、王位を求めているわけではなかった。
彼の家には王朝交代の際に国外へ逃れた者たちの記録が残されており、修道院で見つかった名簿と照合することで、王子を保護した侍従の家族がその後移り住んだ土地を特定できたという。
アーヴィンはその土地へ使者を送り、古い出生記録と婚姻記録を調べさせていた。
数百年を経ているため、途中で記録が途切れている部分もあったが、修道院に残された証書と照らし合わせることで、先王朝の血筋が現在まで続いている可能性が高まっていた。
「もし正統な継承者が見つかったとして、その方が王位を望まなければどうなさるのですか」
コレットが尋ねると、アーヴィンは少し考えてから答えた。
「その場合は、本人の意思を尊重するしかありません。ただ、少なくとも先王朝がどのように滅ぼされたのか、その真実を伝えることはできるでしょう」
コレットは頷いた。
王位を求めるかどうかは、その血筋を引く者自身が決めることだという考えには、彼女も異存がなかった。
祖母が自分の意思を尊重してほしいと願っていたことを思えば、誰かの人生を他人が勝手に決めるべきではないということは、よく分かっていたからである。
一方、ヴァルディス家では財務官による調査が進み、バルタザールが管理してきた褒章のうち、多額の資金が本来の用途とは異なる支出に使われていたことが正式に認定された。
オディールの遺言に従ってコレットへ返還すべき財産も確定し、バルタザールには返還命令が下された。
彼は最後まで、家族のために使った金なのだから不正ではないと主張したが、聖女個人の財産を管理者が自由に処分することは認められていなかった。
しかも、相続財産を無断で担保に入れ、その資金を新たな事業へ投じていたことも明らかになり、財務官は爵位についても処分を検討するよう評議会へ報告した。
バルタザールは王家へ助けを求めたが、国王自身が調査を受けている状況では、聖女の褒章を不正に使った貴族を庇う余裕などなかった。
王太子との婚姻によって家の地位をさらに高めるはずだったフィオナも、今では神殿での祈祷に耐えられず、寝台から起き上がれない日が増えていた。
ロザムンドは娘を見舞うたびに、何とか別の適性者を探してほしいと神官へ訴えたが、継承の条件は変わらなかった。
フィオナ自身も、姉を呼び戻せばよいと繰り返していたものの、コレットが二度と聖女になれないことは、すでに神殿から正式に説明されていた。
その頃、王宮では国王とローランの身体の変貌がさらに進み、もはや人前へ姿を見せることが難しくなっていた。
王妃は夫の病状について詳しい説明を求めていたが、国王は最後まで見せようとしなかった。
しかし、ある夜、国王の寝室から激しい物音が聞こえ、侍医が呼ばれたと知った王妃は、制止する侍従を押しのけて部屋へ入った。
寝台の上には、見慣れた夫の姿がなかった。
正確には、衣服と声によって国王だと分かったものの、顔の半分は黒い鱗に覆われ、口元には人間のものとは思えない歯が覗いていた。
王妃は悲鳴を上げ、後ずさった拍子に床へ倒れ込んだ。恐怖のあまり衣服を濡らしてしまったことにも気づかず、侍女たちに抱えられて私室へ運ばれたが、それ以来、夫の姿を思い出すたびに震えが止まらず、まともに言葉を発することもできなくなった。
王妃が公の場へ姿を見せなくなったことで、王宮の混乱はさらに深まった。
国王も王太子も公務を果たせず、王妃まで療養を理由に姿を隠している以上、評議会は王家の統治権を一時停止することを決議した。
国王はその決定を拒み、評議会の者たちを反逆者として処罰するよう命じたが、衛兵たちは動かなかった。
王宮の私室へ戻された国王は、侍従長へ何度も命令を下した。
しかし、返ってくるのは評議会の決定に従うという答えばかりだった。
王位を失うことも、臣下から命令を拒まれることも、国王には耐え難い屈辱だったが、身体の変貌はさらに進み、もはや以前のように人前へ姿を現すこともできなかった。
その知らせを受けたアーヴィンは、先王朝の直系の子孫を探す調査を急がせた。
王家の統治権が停止された今、正統な継承者が見つかれば、王位の返還を正式に求めることができる。コレットも祖母の手帳と自身の記録を整理し、評議会へ提出するための資料をまとめていた。
数日後、アーヴィンのもとへ、使者から一通の報告が届いた。先王朝の最後の王子から続く家系について、途切れていた記録をつなぐ証書が見つかったという。
さらに、その家系の末裔が現在も隣国で暮らしていることが確認され、本人との面会も可能になったと記されていた。
アーヴィンは報告書を読み終えると、コレットへ見せた。
「ようやく、見つかったようです」
コレットはその言葉を聞き、報告書へ目を落とした。
長い間、王国の歴史から消されていた先王朝の血筋が、今も続いているという。これまで修道院の記録や祖母の手帳を調べてきたことが、ようやく一つの結論へ近づき始めていた。
アーヴィンはすぐに使者へ返書を書き、本人の意思を確認した上で、正式な調査に協力してもらえるか尋ねるよう命じた。
王位を求めるかどうかは本人が決めることだが、少なくとも先王朝の血筋が途絶えていなかったことを証明できれば、現在の王家が伝えてきた歴史を覆すことができる。
コレットは祖母の手帳を閉じ、窓の外へ目を向けた。伯爵家の庭には春の花が咲き始めており、穏やかな風が木々の枝を揺らしていた。
祖母が何を知り、何を恐れていたのか、今となっては確かめることができない。しかし、オディールが長年引き受けてきた苦痛の理由を明らかにするために始めた調査は、王国の歴史そのものを変えようとしていた。
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