第四話
ローゼンベルク伯爵邸へ戻った翌々日、王宮からの使節が到着した。
使節を率いていたのは国王の側近を務める伯爵で、先代聖女への正式な協力要請を携えていた。
コレットはアーヴィンの同席を求め、応接室で使節を迎えた。王国の貴族が隣国の伯爵邸で彼女に頭を下げるという光景は、数か月前であれば考えられなかっただろう。
もっとも、使節の態度は丁重だったものの、話の内容はこれまでと大して変わらなかった。
国王は新聖女フィオナの体調を案じており、五年間務めを果たしたコレットの経験を必要としている。帰国して妹を指導するのであれば、先代聖女としての待遇を回復し、相応の褒章を与える用意があるという。
使節はそこまで説明すると、当然承諾するものと思っていたのか、帰国の日程について話し始めた。
コレットはその言葉を遮らずに聞いていたが、説明が終わると、国王とローランの健康状態について尋ねた。
使節は一瞬だけ表情を変えたものの、王族の健康については問題ないと答えた。そこでコレットは、祖母の手帳から書き写した一枚の記録を机へ置いた。
「祖母が聖女だった頃、先王陛下が病に伏せられた年には、特別な祈祷が命じられております。私が務めていた間にも、同じようなことがございました。妹の指導が必要だというのであれば、何を改善すべきなのか、もう少し詳しくお聞かせいただけませんか」
使節は記録に目を落としたが、何と答えるべきか迷っているようだった。
彼自身、国王とローランの病状について詳しく知らされているわけではないのだろう。しばらくして、新聖女が十分な修練を積んでいないことが問題なのだと説明したが、コレットはそれ以上問い詰めなかった。
「でしたら、神殿に残る記録をご確認ください。歴代聖女の務めについては、そちらに詳しく記されているはずです」
「しかし、陛下はあなたの帰国を強く望んでおられます。先代聖女として、王国への責任をお感じになりませんか」
コレットは使節の顔を見た。王宮にいた頃、何度も聞かされた言葉だった。聖女なのだから、王国のために尽くすべきだ。王家から十分な待遇を受けているのだから、多少の苦痛は我慢するべきだ。そう言われるたびに、彼女は頭を下げ、翌日も祭壇へ立っていた。
「私の役目は、正式に終わっております。王国への責任をお求めになるのであれば、今の聖女であるフィオナへお伝えください」
使節は不快そうに眉を寄せたが、アーヴィンが国王の親書には帰国を強制する権限について何も記されていないと指摘すると、それ以上強く出ることはできなかった。コレットは、具体的な質問があるのであれば書面で回答する用意はあるが、帰国して妹の務めを肩代わりするつもりはないと伝えた。
使節が帰った後、アーヴィンは王家が再び要求を重ねてくる可能性について尋ねた。コレットはそれを承知していたが、今後は代理人を通じて対応すればよいと答えた。彼女には、王宮とのやり取りに時間を費やすよりも、進めなければならないことがあった。
その日の午後、コレットが依頼していた財産調査について、代理人から最初の報告が届いた。
オディールの遺言は正式なものであり、相続財産の一部がバルタザールによって無断で処分されていたことが確認されたという。さらに、コレット自身が聖女として受け取った褒章についても、本人の承諾を得ずに家の事業へ流用された記録が見つかっていた。
代理人は、王国の財務官へ正式な調査を求めることを勧めた。聖女への褒章は王家から支払われるものであり、その管理に不正があった場合には王宮の財務官が調査を行う権限を持っている。コレットは報告書を確認し、必要な手続きを進めるよう指示した。
アーヴィンは、父親との関係がさらに悪化することになることを心配ではないかと尋ねたが、コレットは首を横に振った。
「祖母が亡くなったとき、父は葬儀の費用を惜しみました。あの人にとって母親が聖女であることは、褒章が支払われるという意味でしかなかったのでしょう。私についても同じです。今さら家族としての関係を守る理由はありません」
アーヴィンはそれ以上何も言わなかった。
コレットが感情に任せて父を責めているのではなく、長い時間をかけて決めたことなのだと理解したからである。
***
一方、王宮では使節からの報告を受けた国王が激怒していた。
コレットが帰国を拒み、王族の健康状態についてまで質問してきたことが気に入らなかったのである。国王は、先代聖女として王家の保護を受けてきた娘が、役目を終えた途端に恩を忘れたのかと怒鳴った。
しかし、使節はコレットが正式に離籍し、王太子との婚約も解消されていることを説明し、帰国を強制する根拠がないと報告するほかなかった。
国王は、コレットの父バルタザールを呼び出し、娘を説得するよう命じたが、バルタザールもすでにコレットから帰国の意思はないと告げられていた。
しかも、彼女は今後の連絡を代理人を通じて行うと通知しており、父親として命令することもできない。
国王は不満を募らせたものの、これ以上コレットとの交渉を続けても成果が得られるとは限らない。
そこで神殿の長へ、フィオナの修練をさらに厳しくするよう命じた。
フィオナはその頃、神殿での祈祷を終えるたびに寝台へ運ばれるようになっていた。
以前なら一晩眠れば回復した疲労が何日経っても抜けず、治癒魔法を使おうとすると身体の奥から激しい痛みが広がる。
神官たちは休息を勧めたが、国王からの命令によって祈祷の回数は減らされず、フィオナは泣きながら務めを続けるしかなかった。
ローランもまた、以前のように彼女を慰めることはなくなっていた。
左手に現れた黒い鱗が手首まで広がり、首元にも同じ異変が現れ始めていたため、自分の身体のことで精いっぱいだったのである。
フィオナが見舞いを求めても、体調が悪いことを理由に断るようになり、ようやく顔を合わせたときには、聖女としての責務を果たすよう厳しく言い渡した。
「お前が望んで継承したのだろう。コレットよりも優れた魔力を持っているというから認めたのに、これでは話が違う」
フィオナはその言葉に傷ついたが、反論することはできなかった。
継承を望んだのは自分であり、神官からの説明も受けている。姉が何度も苦痛について警告していたことも覚えていたが、当時は地位を譲りたくないための嫌がらせだと考えていたのである。
その日の夜、フィオナは母ロザムンドへ手紙を書いた。
聖女の役目を続けることができないので、何とかしてほしいという内容だった。母はすぐに王宮へ駆けつけたが、娘の身体に現れた黒い紋様を見ると、以前のコレットと同じようになってしまうのではないかと恐れた。
ロザムンドは神殿の長へ、別の適性者を探して継承させるよう求めた。
しかし、聖女の適性を持つ者は稀であり、見つかったとしても本人が同意しなければ継承は成立しない。
しかも、継承の際に苦痛について正しく説明すれば、引き受けようとする者が現れるかどうかも分からなかった。
母はその説明を聞き、コレットが五年間も務めていたのだから、フィオナにもできるはずだと考えていた自分の見通しが甘かったことを、ようやく理解し始めた。
しかし、それでも娘を助ける方法がないことには納得できず、バルタザールへ再び相談した。
その頃、バルタザールのもとには王宮の財務官から正式な照会が届いていた。オディールとコレットの褒章について、過去の管理記録と支出の証拠を提出するよう求める内容だった。彼は最初、単なる事務手続きだと考えていたが、照会書には祖母の遺言に基づく相続財産の確認も含まれており、娘が正式な調査を申し立てたことを知った。
バルタザールは慌てて書斎の引き出しを開き、古い証書を探し始めた。
オディールが生前に保管していた帳簿の多くはコレットが引き取っており、彼の手元には支出を正当化できるだけの記録が残されていなかった。
屋敷の増築費用やロザムンドの宝飾品、事業への出資金について、どのような説明をすればよいのか、すぐには思いつかなかった。
さらに悪いことに、フィオナが聖女となり、王太子妃になることを見込んで進めていた新しい事業は、まだ利益を生んでいなかった。
王家との結びつきを重視して資金を貸し付けていた商人たちも、フィオナの体調が悪化しているという噂を聞き、追加の担保を求めるようになっていた。
バルタザールはロザムンドに、当面は宝飾品や衣装の購入を控えるよう告げた。
しかし、妻は娘が王太子妃になるのだから、今こそ社交界での体面を保つ必要があると反論した。
長年、聖女の褒章によって贅沢な暮らしを続けてきたロザムンドには、収入が途絶えることの意味が理解できなかったのである。
その夜、バルタザールはコレットへ手紙を書いた。祖母の財産について誤解があるようだから、一度帰国して話し合いたいという内容だった。家族の間で財産の返還を求めるなど、外聞が悪いことも書き添えたが、コレットがすでに離籍していることについては、今回も触れなかった。
数日後、届いた返事には、財産に関する問題は代理人を通じて対応すること、必要な説明は王宮の財務官へ提出してほしいことだけが記されていた。
バルタザールはその文面を読み、怒りに任せて手紙を握りつぶした。
娘が父親の命令に従わないばかりか、家の財産について正式な調査まで求めている。
これまで従順だったコレットが、なぜ突然このような態度を取るようになったのか、彼には理解できなかった。
***
一方、アーヴィンの邸では、修道院から持ち帰った契約書の写しについて、古い言語に詳しい研究者から最初の報告が届いていた。
傷んでいた部分の一部が解読され、王位を奪った始祖が交わした契約には、王位の正統性に関する条件が含まれていることが分かったという。
アーヴィンは報告書をコレットへ見せ、先王朝の最後の王子について、さらに調査を進める必要があると告げた。王子が生き延びていたことを証明できれば、現在の王家が伝える歴史に重大な疑義が生じることになる。
しかし、数百年前の出来事を明らかにするには、修道院の記録だけでは十分ではなく、王宮が保管している文書との照合も必要だった。
コレットは報告書を読み、祖母の手帳に挟まれていた古い紋章の写しを取り出した。
修道院で見つかった先王朝の印章と似ているものの、細部が異なる図柄だったが、アーヴィンはその違いについて、以前よりも具体的な説明ができるようになっていた。
「これは本家の紋章ではなく、王位継承者の身を守るために使われた別の印ではないかと考えています。まだ確証はありませんが、修道院の記録に似た図柄が残されていました」
コレットはその説明を聞き、祖母がなぜその紋章を手帳に描き残したのか考えた。
オディールは長く聖女として王宮に仕えていたが、先王朝の歴史について詳しく語ったことはなかった。何かを知っていたとしても、それを孫娘へ伝えなかった理由があったのだろう。
アーヴィンは、王宮の記録を正式に開示させるためには、現在の王家が何を隠しているのかについて、さらに具体的な証拠が必要だと説明した。
コレットは祖母の手帳と自身の聖女としての記録を整理し、王族の身体に異変が現れた時期と、神殿から特別な祈祷を命じられた時期を一覧にまとめることにした。
二人はその後も調査を続け、王家の秘密と先王朝の血筋について、少しずつ証拠を揃えていった。
その頃、王宮では国王の身体の変貌がさらに進み、もはや人前に姿を見せることが難しくなっていた。左手だけでなく首元にも黒い鱗が広がり、夜になると骨の形が変わるような痛みに襲われる。
侍医は治療の方法を見つけられず、神殿の長もフィオナの力では呪いを十分に抑えられないことを認めざるを得なかった。
国王は王宮の地下記録庫から古い契約書を取り出し、神殿の長へ見せた。そこには、王家の始祖が交わした契約と、歴代聖女がその代償を引き受けてきた経緯が記されていた。
神殿の長は契約書を読み終えると、しばらく言葉を失った。
王家が聖女を必要としてきた理由については一部を知っていたものの、契約のすべてを確認するのは初めてだったからである。
国王は、聖女の力を取り戻す方法がないのかと問い詰めた。
しかし、神殿の長は、コレットが再び聖女になることは不可能であり、フィオナが役目を果たせないのであれば、新たな適性者を探すほかないと答えた。
国王はその説明に激怒したが、もはや怒鳴ったところで状況が変わるわけではなかった。
ローランも同じように身体の変貌が進み、王妃は夫と息子の病状について詳しい説明を求め始めていた。
その日の夜、国王は鏡の前に立ち、自分の顔を確かめた。頬の一部には黒い鱗が浮かび、口元の骨格も以前とは違って見える。
長年、王家の血筋は美しく気高いものだと称えられてきたが、今ではその面影が少しずつ失われていた。
国王は鏡を覆うよう命じ、侍従たちを下がらせた。
王宮の外では、国王と王太子が長く公務を欠席していることについて、貴族たちの間で不満が高まり始めていた。国政に関わる決裁が滞り、王太子も代行できないとなれば、王家の私事として済ませられる問題ではない。
そして、アーヴィンから王宮の記録について正式な照会が届いたことで、貴族たちの疑念はさらに深まることになった。
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