第七章 ふたたび学校へ
タイムペッパーを破るたびに、自分の残された退路がどんどん狭まっていく。
正直に言って、今回破った後も、ほんの少し後悔の念が湧いていた。
だって、これからまたあの苦しい思い出の数々に直面し、顔も名前も分からないクラスメイトたちと向き合い、どう転ぶか分からないランダム性に振り回されなければならないのだから。
時間を遡れば遡るほど、未来の変異性は大きくなっていく。
目を開けると、僕は教室の中にいた。パーカーのフードを深く被り、机に突っ伏して眠っていたらしい。
教壇に立つ先生は何かホームルームの連絡事項を話しているようだ。今回は一体いつの時代に跳ね返されてしまったのだろう。
「そこの君、授業中に寝ない! 隣の生徒、こいつを起こしなさい」
「ほら、起きてって。先生が呼んでるよ……」
おっと、どうやら僕のことらしい。
僕はどんよりと淀んだ表情で起き上がり、頭を軽く振ってから、生気のない死んだ魚のような目で先生を見据えた。
そして、自分でも予想していなかった言葉が口をついて出た。
「なんだよ」
まるで先生に喧嘩を売っているかのような態度だ。今の荒んだ僕ならいざ知らず、高校2年生の頃の僕がこんな口を利くはずがない。
短期間に何度もタイムペッパーでジャンプを繰り返したせいで、すっかり精神がすり減り、本性が剥き出しになってしまっているらしい。
「君、次の自己紹介の番だよ。それと、授業中の居眠りはやめなさい」
どうやら、お互いのことをまだろくに知らない、ちょうどいい初期状態(スタート地点)に舞い戻ってきたようだ。
僕は立ち上がり、教室全体を見回した。先ほど(前の周)のループでようやく顔を覚えたばかりの面々が、そこには再び座っていた。
「こんにちは。施懷華です。授業中によく寝落ちするので、起こさないでください。よろしくお願いします」
「だから授業中に寝るなって言ってるだろ! いい大学に合格したいと思わないのか? 大学に入ってからなら、いくらでも好きなだけ寝ていいんだからな!」
キタキタ、これぞ高校の教師が口を揃えて吐くお決まりの嘘「大学に入れば楽になる」。けれど僕は知っている。大学生活なんて微塵も楽になんてならないし、むしろ高校時代よりも圧倒的に過酷だということを。
「僕、すでに大学を経験してきましたから、先生。大学なんて高校よりずっとキツいですよ。そんなお世辞はよしてください。先生だって大学を出てるんだから、分かってるでしょうに」
もういいや、どうにでもなれ。これ以上「優等生」の仮面を被り続ける気力なんて一ミリも残っていない。連続3回の時空跳躍で、僕の精神力は完全に枯れ果てていた。
「なんだと? 大学を経験しただと? 先生に向かってそんな口の利き方をしていいと思っているのか?」
「良くないのは分かってますよ。でも事実を言ったまでです。大学なんてクソみたいな場所ですよ。僕は未来からタイムスリップしてきたんだから、あんな地獄はもう一通り味わってきたんです」
「施懷華、座りなさい。親御さんに連絡させてもらうからね」
「勘弁してくださいよ、先生。もういい歳して、親を呼び出すなんてどうかしてますよ。自分のケツくらい自分で拭けますって」
「いいや、君が未来から来ただろうとなんだろうと関係ない。保護者に学校へ来てもらって、今の君の様子を見てもらう。……君は、病んでいる」
「その通りですよ、病んでますよ。だから親御さんへの連絡、よろしくお願いしますね」
どうせ放課後になったら父さんに頼んで病院に連れていってもらうつもりだったから、むしろ親を呼んでもらえるならその手間が省けて好都合だった。
ホームルームは途中で教師が放棄するように部屋を出て行ってしまい、教室には生徒たちのざわめきだけが残された。
隣の席の女子生徒が、面白そうに僕に話しかけてきた。
「ねえ、本当に未来から来たの?」
「僕が『そうだ』って言ったら、信じるかい?」
「次のロト(宝くじ)の当選番号教えてくれたら信じる」
「そんなの覚えてるやつがいるかよ。たとえ覚えてたって意味ないさ。過去に戻るってことは、すべてがランダムに変わるんだから。……お前、今の総統の名前を知ってるか?」
「今? 確か、謝長廷じゃない?」
「僕がいた世界線の総統は馬英九だった。ほら見ろ、トップの人間ですら違うだろ。宝くじの番号なんて当てにならないってことさ」
「じゃあ、なんでこんな時代に戻ってきたわけ? またゼロから勉強し直して、試験受けて、学校に通い直すなんて面倒くさくない?」
「ちょっとした『理由』があってね……」今になって振り返ってみると、本当に「ほんの些細などうでもいい理由」でしかなかった。ただ陳逸樺を振り向かせたいという一心だけで、他のあらゆる重大な問題に比べれば、あまりにもちっぽけな動機だった。
「それに、先生に平然と逆らうなんて、あんた只者じゃないね」
「ただ疲れて、良い子を演じるのにも、学生のふりをするのにも飽き飽きしただけさ。僕は頭の悪い人間でね。底辺の大学に入って、卒業と同時に無職になって、何年もニートとして底這いずり回ってきたんだから」
「それも逆にすごいけど……あ、そういえばまだ自己紹介の順番回ってきてなかった。私、楊曉郁。小玉って呼んでね」彼女は僕の漂わせる陰鬱な空気とは裏腹に、どこか明るい陽の光のような雰囲気を纏った女の子だった。
「先生、このあとどう処理するつもりだと思う? どうなるかな」
「うーん、間違いなくこの後すぐ実家に送り返されるに一票……」
彼女の予言は的中した。そう時間を置くこともなく、担任教師がやってきて僕を廊下へ呼び出し、「保護者が迎えに来るまで自習するように」と告げると、僕を連れて校門の外へと立たされた。
「施懷華、さっきの態度は本当に良くなかった。いくら未来から来たという設定(冗談)だとしても、今の君の身分はただの高校2年生なんだ。自分の本分をわきまえなさい」
「先生、すみません。短期間に時空跳躍を何度も繰り返しすぎて頭がパンクしそうなんです。つい、元の世界線での本性がポロっと出てしまって。今日は家に帰ってしっかり休んで、ついでに精神科を受診してきますよ」
「どこでそんな歪んだひねくれ方をしてきちゃったのかね……あ、私は君が未来から来たなんて一言も信じてないからね」
「どうでもいいですよ、信じようが信じまいが。僕がこじれたのは大学に入ってからなんですから。だから大学生活なんて大嫌いなんです。あの空間は本当に最低最悪の糞溜めですよ」
「だから、先生に向かってそんな汚い言葉を使わない! それに、普通は大学生活があそこまでひどいものだなんて思わないはずだけどね」
「違いますね、先生。僕の大学生活は完全なクソゲーでした。何一つ手に入らなかったし、持っていたものも全部すり減って消えていきましたよ」
「それは君が授業中にいつも居眠りばかりしていたからじゃないのかね?」
「あれっ? 先生、どうしてそれを?」
「さっき教室でも居眠りしようとしていただろ。だから、きっと大学でもずっと寝て過ごしていたに違いないと思ってね」
「ご明察の通りだ!」
「日本語はやめなさい。高校1年の時に選択授業で日本語をとっていたのは知っているけど、私には分からない言葉で喋らない!」
「おっしゃる通りでございます!」
「施懷華、説教くさくなって悪いけど、君は本当に授業中寝てばかりいる癖を直すべきだ。大学生活が楽じゃないのは私も知っているけれど、うまく渡り歩きたいなら、少なくとも講義中に居眠りなんかしていたらおしまいだ」
「あれっ? じゃあこの世界線には、第二外国語として日本語を選択する授業はないんですか?」
「ないよ、あるのは英語だけだ。それに、私は君の英語の担当教師だからね」
「おや……僕の記憶では、僕の時の担任は国語(国文)の先生だったはずなんだけどな」
「ふん、まあ今の話で分かっただろ。しっかりこの時代で地に足をつけて生きるんだね」
先生とそんな雑談をしていると、父さんの運転する車が校門の前に滑り込んできた。
担任教師は余計な詮索をせず、ただ「生徒が少し体調を崩しているようなので、一度精神科で見てもらった方がいいかもしれません」とだけ父さんに伝えた。
「精神科に行くのか?」
「うん、そうだね。身心科で診てもらった方がいいみたい、懷華の精神状態がちょっと不安定だからさ」
「父さん、先生の言う通りだよ。僕を精神科に連れていってくれ」
この時点の僕には、まだあの「パーカーのフード引き剥がし事件」も起きていないし、陳逸樺が1組に転籍してくることもまだない。すべての可能性がまだここにある。先生の言う通り、この世界線でしっかりと踏ん張って生きていかなきゃいけないんだ。
「この近所で精神科がある病院なんてあったかな……」
「馬偕だ。馬偕記念病院に行けばあるよ。そこへ連れていってよ」
結果として、あの『勉強開始だ!』の章と同じ展開を辿ることになった。またしても心理カウンセラーには感謝しなければならない。なぜ担当のカウンセラーが別の人物に変わっていたのかは分からないけれど、その人も僕の「タイムペッパーの言い分」をすんなり信じてくれたのだった。
それにしても我ながら不思議でならない。どうして高校の時の記憶はあんなに曖昧なのに、精神科の薬の名前の数々だけは、こんなにも鮮明に脳裏に焼き付いているんだろうか。




