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第二十二章 テストだけに向き合えたなら

月曜日。すっかり寝坊してしまい、危うく遅刻しかけた。慌てて教室に飛び込むと、クラスの空気がなんとなくざわついている。


後ろの席に座る陳逸樺に、僕は小声で尋ねた。


「どうしたんだ、みんな騒がしいけど」


「私もよく分からない。小玉に聞いたんだけど、彼女も知らないって」


朝の自習時間は、英語の小テストに充てられていた。


担任が教室に入ってきたことで、クラスのざわつきはようやく静まり返った。


小テストの答案用紙が配り終えられると、担任はそのまま僕の席へと歩いてきた。


僕は「何だよ」と言いたげな表情で、見開いた目を先生に向けた。


「お前たち二人、テストが終わったら担任室まで来い」


前を向いて陳逸樺を見ると、彼女もこちらと目を合わせ、それから二人揃って先生の方を見た。三人が三者三様に面食らう。


「早くテストを書きなさい」


昨日の今日で彼女から教わっていたおかげで、今回の答案用紙はいつもよりスラスラと解けた。


それから十分ほど経った頃、後ろからトントンと肩をつつかれ、小さな声が飛んできた。


「もう書き終わった?」


「もう少し待って」


さらに五分後、ようやく最後の問題を解き終えた僕は、後ろを向いて軽くうなずいた。彼女も僕の意図を察したらしく、僕たちは連れ立って担任室へと向かった。


「六組の担任から聞いたんだが……お前たち、今付き合ってるのか?」


「「付き合っていません」」


二人の声が見事にハモった。


「先生、そんなこと聞いてどうするんですか?」


彼女が不審そうに問い返すと、僕もまったく同感だと言いたげに頷いた。


「お前たちが二人きりで密室にこもっていたという目撃情報が入ってきてな。一応釘を刺しておこうと思ってね。交際するにしても節度は守りなさい。高校生の間は、特に一線を越えるような真似は絶対に許されないぞ。どうやら高二のフロア全体でその噂が持ちきりらしいから、自分の行動には十分気を付けろ」


「ちょっと待ってください先生、だから付き合ってないって言ってるじゃないですか」


「そうですよ、僕たちはただの友達です」


「それなら、二人で直接その噂を否定して回るしかなさそうだな。まあ、私に言えるのは、その噂の出所が六組だということくらいだ。誰が言い出したのかまでは把握していないがね」


「分かりました。先生が信じてくれるなら、それで十分です」


「お前たちは私の生徒だ。多少素行の怪しい奴はいるが、担任としてはな、自分の生徒を信じないわけにはいかないだろう。よし、もう戻っていいぞ。私もあとで教室に行くからな」


先生の言葉の端々に、なんとなく僕をディスるようなニュアンスが混ざっていた気がしたが、あえてツッコミは入れまい。先生が信じてくれるなら、それが一番だ。


それにしても、この噂を流したのは一体誰なのだろう。まさか、僕が昨日一人で陳逸樺の家に入っていくところを目撃した奴がいるのか? 彼女の家に誰もいないことまで知っていたのか?


そんな気味の悪いストーカーじみた真似をする人間なんて、一人しか思い浮かばない。


「ねえ、オタク華、どうしてこんなことに……」


「はぁ、犯人の見当はだいたいついたよ」


「まさか……」


彼女は両手で口を覆い、息を呑んだ。


「君も同じ奴を想像してるだろ? まさかこんな手を使ってくるとはね」


この時代にはまだ「ストーカー規制法」なんて法律はない。だから、つけ回された被害者は泣き寝入りするしかないのだろうか。


休み時間になるやいなや、燕子、芊涵、小可愛の三人がわらわらと取り囲んできた。


「ねえ、本当に付き合ってないわけ?」


「その噂って本当なの? それともデマ?」


「私たちは信じてるけどさ」


「おいおい、君たちも知ってる通り、僕は嘘をつくのが一番下手くそなんだ。知りたいなら後ろの席の本人に聞きなよ」


僕は振り返るのも面倒くさくなり、後ろを親指で指し示した。


「KIKI、いないじゃん?」


「もしかして六組に行ったんじゃない?」


なんだって? 正気かよ?

こんなタイミングで六組に乗り込むなんて、自ら虎の口に飛び込むようなものじゃないか。もしかして彼女、一人で真相を確かめに行くつもりか?


「先に言っておくけど、その噂はまったくの無根拠ってわけじゃない。でも、君たちが想像しているようなドロドロした関係でもないんだ。ただ彼女の家で勉強していただけだ。お互いに苦手な教科を教え合っていただけで、それ以外のいかがわしいことは一切ない。これから先、君たちとも同じように四人で集まって勉強することだってあるかもしれない。ただそれだけの話なんだ。いったいどんな風に噂が誇張されて伝わってるのか、教えてもらえるか?」


「えっとね、あんたが彼女の家に入り浸って、二人きりでいかがわしいことをしてたって話になってるよ」


さすが小可愛、相変わらず耳が早い。


「ファック……っと、つい汚い言葉が出ちゃったな。僕、普段はそんな言葉遣いしない人間なんだけど」


「うん、知ってるよ」芊涵が相槌を打つ。


「じゃあ、ちょっと六組に行って……」


僕が席から立ち上がろうとした瞬間、燕子が両手で僕の肩を押さえつけて座らせた。


「まずは落ち着いて。もうすぐ授業が始まるでしょ。お昼休みなら時間もあるんだから、それまで我慢しなさい」


僕は頭に血が上りかけた感情を深呼吸で鎮めた。今すぐ乗り込むのは確かに軽率すぎただろう。まずはこの状況をどう切り抜けるか冷静に考えなくては。少なくとも、この一班の教室は僕たちの陣地だ。ここだけはしっかりと守り抜かないと。


「サンキュー、燕子。少し頭を冷やすよ」


そんなやり取りをしていると、ちょうどチャイムが鳴り響くタイミングで、陳逸樺がどこか沈んだ顔つきで教室に戻ってきた。


「六組に行ってきたのか? 様子は大丈夫だったか?」


彼女の行動を責める気にはなれなかった。彼女だって僕たちのために動いてくれたのだから。


「うん、想像してたよりはマチマチって感じだったけど……私の友達はちゃんと信じてくれた。それに、やっぱり噂をばらまいたのはあの鍾軒祐だったよ」


さすが執念深いストーカーだ。人の家の場所まで調べていたとは、その執着心には呆れるほかない。


……って、なんで僕が奴のストーカー能力を褒めてんだよ!


脳裏の片隅で「いっそこのまま噂通りに付き合っちゃうか?」なんて不謹慎な考えがよぎりかけた自分に対して、今すぐ天罰が下るべきだと思った。


この騒動は僕にとっては大したダメージにならなくても、陳逸樺にとっては間違いなく大きな傷になっている。


この事実が存在する以上、あいつのことは絶対に許せない。


頭の中がその怒りで一杯になり、午前の授業はほとんど耳に入ってこなかった。


そもそも、最初から彼女の家に誘われても断るべきだったんじゃないか? 下半身の衝動に負けたせいで、上半身がまともに働かなくなっていたんだ。


三十六歳の魂を持つ大人の自分が「僕には何のエラーもない」と囁きかけてくる一方で、心のどこかでは「やっぱり自分の油断だったのでは」と自責の念が湧いてくる。どうしてこうやって自分を責めてしまうんだろう。悪いのは僕じゃない。こんなデマを撒き散らして、ストーカー行為まで働いたあのロン毛の野郎が一番悪いんだ。


それに、あいつは彼女のことが好きだったはずなのに、どうしてこんな風に深く傷つける真似ができるのか、僕には到底理解できなかった。「愛が深ければ深いほど、憎しみも深まる」ってやつなのか? それなら今の僕だって立派な修羅じゃないか。胸の内で煮えくり返るこの怒りなら、今すぐあいつを地獄の底まで引きずり下ろす鬼神にでも化けられそうだった。


ようやく待ちに待った昼休みがやってきた。当番が給食の入った食缶を運び出す。担任はこの時間は教室にいないはずだ。


僕は決意を固め、教壇の上に歩み出ると、机を「パンッ」と強く叩いてクラスメートたちの視線を引きつけた。


「みんな、今朝からの噂はもう耳に入っていることと思う。僕が陳逸樺と二人きりで部屋にいたことは否定しない。だけど、僕たちはただ机を並べて勉強していただけだ。友達の家に遊びに行って一緒に勉強するなんて、どこにでもある普通の光景だろ? それに、そもそもこの話が変な形で外部に漏れていること自体がおかしいと思わないか? 犯人は、彼女に好意を寄せているストーカーだ。彼女の後をつけ回して自宅まで特定し、勝手に押しかけてきたそいつの行動のほうがよっぽど異常で、卑劣だとは思わないのか!」


教室のあちこちで、ざわめきがさざ波のように広がった。


「『瓜田に履を納れず』って言うし、僕たちの学校での噂が元々多かったんだから、わざわざ彼女の家に行くなよって思う奴もいるかもしれない。……これを見てくれ!」


僕は今朝返却されたばかりの英語の小テストの答案用紙を取り出し、みんなに見せつけるように掲げた。


「見たか! こんな僕が、今回のテストで七十点を取ったんだ! 点数自体はそこまですごくないかもしれないけど、僕の普段の成績を知ってるみんななら、僕が自力でこんな点数を取れるわけがないって分かるだろ! これが僕たちの勉強の成果なんだ。時の流れの中で綺麗さっぱり忘れ去りかけていた英文法を、一から根気強く教えてくれた陳逸樺には、感謝してもしきれないんだよ」


クラスの空気は少しずつ納得の方向へと傾き始めた。拍手をしてくれる者や、「お前も頑張ったんだな」と声をかけてくれる者もいた。


「だからみんなにお願いがある。他のクラスメイトを見かけたら、この噂がデタラメのガセネタだって伝えてやってほしい。そして、こんな陰湿なデマを流しやがった主犯格の野郎とは、僕が直接、一言二言お話をつけてくるつもりだ。……まさに今からな!」


言い終えると、僕は答案用紙を二つに折りたたんでポケットにしまい、そのまま一歩を踏み出して教室を飛び出した。向かうは六組だ。


六組の教室に足を踏み入れると、あいにくあそこの担任が教壇の近くで生徒と一緒に弁当を食べているところだった。この状況で突撃するのは少し気まずい。


僕は戸口をトントンとノックして、まずは六組の担任にこちらの存在を気づかせた。当然、その音につられて教室中の視線が一斉にこちらに集まった。


「すみません先生、数分だけ、このクラスの時間を少しだけ借りてもいいですか?」


「どうしたんだね、例の噂のことか?」


「ええ、どうしても自分でハッキリさせておきたくて」


こんな目立つ真似は本来の僕の性格に全くそぐわないが、守るべきものを守ると決めた以上、もう引っ込みはつかない。


「ああ、いいとも。好きにしなさい、私は口出ししないからね」


僕はそのまま六組の教壇へと上がり込み、黒板の脇を手のひらでパーンと叩いた。本当はそこまでしなくても全員の注目を集めていたはずだが、気合を入れる意味も含めて大きな音を立てたものだから、教室内は一瞬で水を打ったように静まり返った。


「皆さんこんにちは。一班の変わり者、名高い未来人の施懷華(シ・ホワイホア)です」


「僕が陳逸樺と二人きりで部屋にこもり、何かやましいことをしていたっていう噂が流れているらしいけど、実際はそんなんじゃない! 僕たちはただ真面目に勉強していただけだ!」


「そんなの、どうやって証明すんだよ?」


教室の隅から野次が飛んできた。


学年中で僕の英語の成績がどれだけ悲惨かは有名だったので、さっきのテスト用紙の作戦はもうこのクラスには通用しない。何か別の、一発で納得させられる証拠を出さなければ。


「I can't prove it, but just being able to say this sentence is already my limit.」


(証明なんてできないさ。ただ、今この場でこの英文をスラスラと言い切れること、それが今の僕の精一杯の限界だ)


「僕の英語がどれほど絶望的だったか、知ってる奴は知ってるだろ。でも、このステージの上でこんな文章をサラリと言い放てる高校生が、このクラスに何人いるかな?」


「それよりさ、みんな疑問に思わないのか? 僕たちが二人きりで過ごしていたなんて情報を、一体どうやって外の人間が知り得たんだ? そんなの、影でこっそり後ををつけていたストーカー野郎以外にいるわけないだろ!」


教室の空気が再びざわめき始める。


「ストーカーご本人は、今すぐ自分で立って出てきたほうが身のためだぞ。僕に指名される前に自分で名乗り出なよ。さもないと、本当に警察を呼んで!」


「おいおい施くん、そこまで大ごとにしなくても……」


六組の担任が苦笑しながら制止しようとした。


「すみません先生、今は僕のターンなんでね。口出ししないってさっき約束しましたよね?」


教室の真ん中あたりから、一人の男子生徒が観念したようにのろのろと立ち上がった。だが、口は固く結んだまま何も喋ろうとしない。


「僕が個人的に侮辱される分にはいくらでも我慢してやるさ。でも、陳逸樺を侮辱するのだけは絶対に許さない! 僕が一番許せないのは、僕の大切な友達を貶めることだ! 特に、都合のいいように話をねじ曲げ、実在しない妄想をさも事実であるかのように吹っ回すような真似はな!」


……もっとも、二人が二人きりで部屋にいたという前半部分だけは事実だったわけだが、後半の尾ひれは完全にそいつの妄想の産物だった。


「だ、だったらなんでお前ら二人だけで部屋にこもってんだよ? しかも、二人きりだったのは今回が初めてじゃないんだろ? そこまで仲がいいなら、お互い素直に告白し合えばいいじゃないか。なのにいつまでも『友達』なんていう生殺しな関係を続けて、周りに変な期待を持たせた挙句、結局は誰も結ばれない地獄に突き落とすなんて、残酷すぎんだろ!」


「それがどうしたっていうんだ? 僕たちの間柄に、外野のお前がとやかく口を挟む筋合いなんてないんだよ、このストーカー野郎」


「俺は彼女を守りたくて後ろを尾をつけていただけだ! まさかお前が彼女の家に入っていくところを目撃するなんて思わなかったし、それに游園地(劍湖山)の件だってまだ終わっちゃいないんだ! お前らが本当にシロだと言うなら、それを俺たちに証明してみせろよ!」


そんなの証明できるわけがない。僕たちが放課後の教室で二人きりで残っていたところを目撃した連中はすでに山ほどいるし、今度は彼女の自宅のプライベートな空間にまで踏み込んでいるところを押さえられたのだから、今の状況じゃ黄河の水に飛び込んでも潔白を証明しきれないだろう。


「鍾軒祐、いい加減にしなさいよ! 言っとくけど、あたしにはもう好きな人がいるの。周任(シュウ・ニン)っていう名前よ!」


その時、陳逸樺が六組の教室へと入ってきた。僕のように担任の許可をいちいち仰ぐような真似はせず、そのまま堂々と教壇へと上がってくる。


「誰も知らないような名前を適当にでっち上げて、言い逃れの盾にでもしてるだけだろ!」


「僕も知ってるよ」


僕は嘘をついた。本当は周任のことなんてこれっぽっちも知らない。ただその名前を知っているだけだ。本来の未来では、陳逸樺は彼を僕に紹介してくれたことすら一度もなかった。そう思い至ると、なんだか無性に胸が切なくなってきた。


「お前ら二人で口裏を合わせてるだけだろ! どっちの言うことが本当かなんて分かりっこないね!」


「たとえ嘘だったとしても、あたしがあんたを好きになることは絶対にないから!」


陳逸樺のその一言は、彼に相当な衝撃を与えたらしく、彼はぐうの音も出ない様子で言葉を詰まらせた。


「それにさ、オタク華は名前の通りオタクだし、私のタイプとは全然違うのよ。私とあいつはただの長い腐れ縁ってだけだから」


ううっ、その言葉は地味に心が痛むけれど、彼女の言う通りだ。僕はたしかに彼女が恋愛対象にするようなタイプじゃない。


「僕たちに証明しろって言うなら、彼女は今まさに君の前で証明してみせたはずだ。彼女が僕を好きになることなんて絶対にないってね」


「周りのみんなも目を覚ましなよ。鍾軒祐みたいなストーカーの戯言にこれ以上付き合う必要はないから。……もし今度またあたしをストーカーしたら、迷わず警察に通報するからね。行くわよ、オタク華」


彼女はそう言い捨てると、僕の手を引っ張ってそのまま一班へと連れ戻した。かなりの早歩きだったことから、彼女の胸の中に渦巻く不滿と怒りがひしひしと伝わってきた。僕も下手に口を開くことができず、彼女に握られた手をそっとほどいてから、二人で黙々と教室へ戻った。


さっきのは、奴にとって十分すぎるほどの厳重な警告になっただろう。まさか僕の真似をして「警察を呼ぶ」なんて言い出すとは思わなかったが……彼女は一体いつ六組に来たのだろう。僕が教室を出た直後から、ずっと後ろをついてきていたのだろうか。


テストのことだけに向き合っていられたら、どんなによかっただろう。


学測を目前に控えた修学旅行の騒動が、まさかここまで尾を引くとは思ってもみなかった。どうかここからは、順風満帆に学測の準備へ集中できますように。

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