第十九章 修学旅行二日目
正直に言えば、こんな展開は全く予期していなかった。
前に話した通り、僕の執筆スタイルは登場人物たちの動きに合わせて筆を進めていく「ドキュメンタリー」のようなものだ。あらかじめストーリーの骨組みをガチガチに組み立てて書いているわけではない。だからこそ、これは僕自身の生々しい足跡を書き留めた小説なのだ。
大型バスのエンジンが重低音を響かせて始動した。ドスドスという振動がシートの背もたれを通じて僕の心臓へと直接伝わり、胸の奥が不穏にざわついた。
今日の目的地は「剣湖山ハイランド」だ。
車で一時間もかからない移動距離だというのに、僕はこれを「人生で最も長い乗車時間」に感じていた。本来ならお菓子の匂いとクラスメイトの賑やかな笑い声で満ち溢れているはずの車内が、今の僕にとっては苦痛でしかない。僕と温嘉鴻の二人を、後部座席の狭苦しいペアシートに閉じ込める「監獄」そのものだった。
「あのさ、オタク華、漫画でも読む?」
温嘉鴻が差し出してきた一冊の漫画本。彼の表情は、昨夜の告白の時よりもずっと穏やかで落ち着いていた。
だが、僕の方は到底落ち着くことなんてできなかった。昨夜彼が口にした「お前のことが好きなんだ」という言葉と表情が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。僕なんかが誰かに愛される資格なんて、ハナから存在しないはずなのに。
三十五歳の魂が、僕の精神の内で猛烈に怒号を上げていた。
施懷華、お前は何のためにソーシャルワークを学んだんだ! クライアントの心の傷を癒やして立ち直らせた結果、自分に惚れさせるなんて、プロフェッショナルな倫理において絶対に冒してはならないタブー中のタブーだぞ!
だが、今の僕はソーシャルワーカーではない(元の世界線んでもソーシャルワーカーになれたわけではないのだが)。制服に身を包み、身体をカチコチに強張らせた一人の高校二年生に過ぎないのだ。
「……ううん、大丈夫。昨夜あんまり眠れなかったから、少し目を閉じさせて」
僕はギコチなく断りを入れた。愛用のヘッドホンを装着し、アニメソングを再生させた。だが曲の旋律は耳を通り抜けるだけで、一向に脳には届かない。周囲の喧噪を遮断し、一人静かに思考の渦に潜るための「壁」として音楽を利用しているだけだった。
ランダム性なんて、クソくらえだ。
ランダム性なんて、クソくらえだ。
ランダム性なんて、クソくらえだ。
心の中で三度激しく呪詛を吐き捨てなければ、正気を保っていられそう didn't。
◇
ようやく剣湖山ハイランドに到着した。
先生たちの誘導に従い、クラスごとにぞろぞろと改札口を通り抜けて園内へと足を踏み入れ、そこからは自由行動となった。
外の新鮮な空気を吸い込むと、バスの中の居心地の悪さはいくぶん和らいだ。絶叫系のハードなアトラクションなんて、僕の性格上とてもじゃないが乗る気になれなかった。特に三十五歳の内なる魂が「心身を消耗させるような危険な乗り物には近づくな」と必死に警告を発していた。
……けれど今の僕は、喉がちぎれるほどの大声で叫びたかったのだ。
「燕子、G5に乗りに行かないか?」
僕は自ら声をかけた。
「小可愛と芊涵は? あと温嘉鴻は……あれ、KIKIはどこ行った?」
「「たぶん六組だろ。」」
僕と小可愛のハモった声が重なった。
どうやらこの点に関しては、班のメンバー全員に暗黙の了解が出来上がっているようだった。
「じゃあ、みんなでG5乗る?」
燕子が全員を見回した。
「無理無理! あんなの刺激が強すぎて私と芊涵は絶対無理!」
小可愛がぶんぶんと首を振る。
「僕も無理だな……見た目からして怖すぎるよ」
温嘉鴻も青ざめた顔で辞退した。
なら決まりだ。僕と燕子の二人だけで並んで乗ることになった。
「どうしたんだよ? なんか今日のお前、すごく元気なさそうに見えるけど」
そういえば、温嘉鴻を僕たちの班に引き入れたのは僕自身だった。自分で掘った穴に自分で落ちるとは、まさにこのことだ。
「なんでもないよ。ちょっと枕が変わると眠れないタイプだからさ、昨夜はよく眠れなかっただけ」
「へえ……それにしても、お前がこんな絶叫マシンに乗るなんて意外だな。心臓麻痺でも起こすんじゃないか?」
「めちゃくちゃ怖いよ! 僕の内なる心が『絶対にやめろ』って悲鳴を上げてるもん。でもさ、たまには限界に挑んでみたくなるんだよ。若いんだから、多少の無茶と衝動はつきものだろ?」
今の僕は、息を吐くように適当な嘘を吐けるようになっていた。
前のグループが降車し、僕たちの番が刻一刻と近づいてくる。垂直に切り立つコースターの傾斜を目にして、燕子の顔が引きつり始めていた。
「うわ、あの角度見たら急に怖くなってきた……って、お前なんでそんなにガタガタ震えてんだよ!?」
「僕、僕、僕、僕……」
声が上手く喉を通らない。
「おいおいおい、そこまで怯えんなって! お前がそんなに震えてたら、僕まで怖くなってくるだろ!」
燕子が僕の手をパシッと握り締め、震えを止めようとしてきた。だが僕は拒絶反応で、思わず彼の手を振り払ってしまった。
「あ……ごめん、反射的に」
「おう……少しは落ち着いたか? なあ、本当は何かあっただろ?」
くそ、このガキ、無駄に鋭いな。勘の鋭いガキほど鬱陶しいものはいない。
「ないって。別に、何もないよ」
本当のことなんて言えるはずがなかった。言わない方が吉なのだ。僕と陳逸樺の関係と同じで、余計な摩擦を避けるための教訓なのだから。
「絶対何かあった顔だろ! あの日の放課後、二人で何話してたんだよ?」
「だから、うちの班に入るかどうか聞いたんだよ。あとは、彼女が六組へ遊びに行くタイミングの話とかさ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
「青春っぽい甘酸っぱい話は一切なしか?」
「僕にとって今君とG5に乗ること自体、十分に青春っぽい大事件だけどね」
誰かから告白されることだって青春の一ページには違いないのだろう。だが、昨夜のあの告白を僕の「青春の思い出リスト」に加える気にはどうしてもなれなかった。あまりにも想定外すぎる出来事だったからだ。
「勘弁してくれよ! そんなホモっぽいこと言わないでくれ!」
「君だってさっき、いきなり僕の手を握ってきたじゃないか!」
「クソっ、それはお前の震えを止めてやろうとしたからだろ!」
男子高校生特有のしょうもない雑言を言い合っているうちに、G5に対する恐怖心が不思議と和らいでいった。
僕たちの順番がやってきた。一番前の席に乗る勇気なんて逆立ちしてもなかった。先頭に座るやつらは全員勇者か何かだろう。
「勇者ヒンメルなら、迷わず最前列を選んでいただろうね」
僕は迷わず最後尾のシートへと滑り込んだ。
「は? 何言ってんだお前?」
燕子が首を傾げるのも無理はない。この時代にはまだ『葬送のフリーレン』なんて作品は存在しないのだから。
その時、ふと周囲を見渡すと、他校の制服を着た生徒たちの姿が目に入った。修学旅行の時期が重なること自体は珍しくない。……だが、もしこれが例の「キープ扱い事件」の引き金なのだとしたら、非常にマズい。
しかし、ジェットコースターはすでにゆっくりと動き出し始めていた。今から陳逸樺に連絡を取る術はない。この十分間ほどの間、彼女が例の件に巻き込まれないことを祈るしかなかった。
コースターがカタカタと音を立てながら垂直に近い傾斜を登っていく。心の準備が整いきっていないこの上昇時間こそが、ある意味で最も恐ろしい時間だった。高所へと登れば登るほど、胸の鼓動が高鳴っていく。
ようやく頂点へと到達した。一瞬の停止時間が、永遠のようにも感じられた。
「「ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!」」
車内全体を包み込む悲鳴の中でも、僕と燕子の叫び声は間違いなくトップクラスだったはずだ。
だが今の僕には、この絶叫が必要だった。G5に対する恐怖だけでなく、昨夜温嘉鴻から告白された時のあの何とも言えない不快感や動揺を、大声とともに吐き出したかったのだ。
コースターが停止し、安全バーが上がると、僕はポケットから携帯電話を取り出し、急いで陳逸樺へメールを送信した。
「気をつけて。今日、剣湖山に他校の生徒たちが来ている。もし新竹から来ている学校なら、警戒を強めるか、僕たちと合流して行動した方がいい」
しばらくして、彼女から返信が届いた。
「あんたたち、今どこにいるの?」
「君が来るならG5の前で待ってる。みんなにも話して一緒に待ってもらうから、来ないなら教えて」
「わかった、すぐ行く」
携帯をポケットにしまい、急ぎ足で他のメンバーの元へと向かった。
「陳逸樺がすぐここに来るって言ってるんだけど、みんなで待つ? それとも僕一人で待ってようか?」
残りの四人は顔を見合わせ、何かを納得したように頷き合った。
「私たちは邪魔しないでおくよ。あんたはここでKIKIを待ってなよ」
小可愛が言った。
「だから誤解だって言ってるだろ! ああもう、嫌だな! 何度も否定してるのに、そんな温かい目で見ないでくれよ! 僕たちは付き合ってないし、僕はフラれてもないんだから!」
「はいはい、行こう行こう〜」
「くそっ、絶対に信じてないな……」
まあいい、彼らには彼らの時間を楽しんでもらおう。一人の方が僕としても動きやすい。
その時、遠くの方で陳逸樺が誰かと話している姿が目に入った。相手は「ロン毛」ではない。だが僕の知らない男子生徒だった。六組の生徒だろうか?
僕の足は自然と小走りになり、彼らに近づいていった。
「やあ陳逸樺、また六組に行ってきたのかい? 隣にいるのは六組のクラスメイト?」
「ううん、中学の時の同級生だよ。私、中学はあんたと違う学校だったでしょ」
「初めまして」
僕はひとまず礼儀正しく挨拶を交わした。
「あ、徐威宸、こっちは私の小学校と高校の同級生」
「すみません、陳逸樺を少しお借りしてもいいですか? 彼女に聞きたいことがあるんです」
陳逸樺は不可解そうな表情を浮かべていた。
「あ、うん、いいよ。ただこんな場所で中学の同級生にばったり会うなんて奇遇だなと思ってさ」
相手の男子が言った。
「ありがとうございます」
僕は先を歩き、その徐威宸という男子から十メートルほど離れた場所で足を止めた。
「僕が話したこと、覚えてるか? もし彼じゃないなら、僕のお節介ってことで済む話だけど」
「あ、覚えてるよ。でも私の世界線ではこんなこと起きなかったから、相手が誰なのか分からなくて……まさか彼なのかな?」
「君は彼のことが好きだったのかい?」
「ううん、全然」
「なら第一前提はクリアだね。でも油断は禁物だよ。忘れないで、僕の世界線での君の旦那さんの名前は周任なんだからさ」
僕はまるで進路指導の教師のように、彼女に注意を促した。
「でもこの世界線んでも周任と結婚するとは限らないでしょ? 今のところ、そんな名前の男子に出会ったこともないし」
「元々そんなに早く出会うわけじゃないんだから。焦らずに気長に待ちみなよ。昔から『数を揃えるより質が大事』って言うだろ? 変な男に引っかかりたくないならさ」
「でも彼、そんな変な下心があるようには見えないけどな……あんたの考えすぎじゃない?」
「なら僕のお節介だったよ。気にしないで。燕子たちのところへ戻るよ」
携帯を取り出して燕子に連絡を取ろうとしたその時、彼女が突如として僕の手を握りしめてきた。
「ねえ、一つ方法があるんだけど。あんた、私に協力して」
「え?」
「いいからついて来て!」
彼女は僕の手を引いたまま、あの徐威宸の元へと歩み寄った。徐威宸は狐につままれたような顔で僕たちを見つめていた。人間の目というのは現金な器官だ。視線が向く方向へ、頭部も自然と回転してしまう。彼が陳逸樺に握られた僕の手を凝視しているのがハッキリと分かった。
「話終わったよ、何でもないの」
彼女は突然手を離すと、僕の頭をぽんぽんと優しく撫でて見せた。
「え?」
……まさか、彼の前でわざと親密なフリをして見せたのか?
「燕子たちのところに行っていいよ。私はもうちょっと彼と昔話をしてから行くね。また後で!」
「あ、うん……」
僕は呆然と二人の去り際を見送るしかなかった。胸の奥がモヤモヤと疼く。これは僕の独占欲なのだろうか? 彼女の隣に立つ男子が、突然彼女に告白するのではないかと怯えていた。昨夜、僕自身が突然告白されたように、こうした事故は未然に防ぐことが極めて困難なのだ。相手だって振られるリスクを承知の上で、後悔しないために勇気を振り絞って告白してくるのだから。
――そして今の僕は、自分自身に嘘をつき、後悔を重ねていた。
僕のこの感情は、恋心なのか、友情なのか、それとも単なる同情なのか。一度破り捨てたはずの恋の欠片が、少しずつ僕の中で再構築され始めていた。
だが、この感情を再び燃え上がらせてしまえば、彼女を困惑させるだけに決まっている。抑え込まなければならない。僕はふたたびその恋心を破り捨て、胸の奥底へと埋め殺した。
燕子に電話をかけ、居場所を尋ねた。彼らはメリーゴーラウンドに乗っているところだった。
「ねえ、馬の胴体を金属の棒が貫通してるなんて、よく考えたら猟奇的なデザインだと思わないか?」
温嘉鴻が言った。
「うわ、最悪! もう馬じゃなくて馬車のベンチにしか座れなくなるじゃん!」
「余計なこと言わないでよ! 馬の顔見づらくなっちゃったじゃない!」
「次はあのクークー列車に乗ろうよ!」
「……了解」
混雑していなければ、園内のアトラクションを全制覇していたかもしれない。三十五歳の魂が、十七歳の肉体の素晴らしさを改めて噛み締めていた。かつての高校生活で味わえなかった「青春」を、いま一気に取り戻しているような爽快感があった。
午後三時半、集合時間の五時が刻一刻と近づく中、僕たちは最後のアトラクションとしてバイキング(海賊船)へと乗り込んだ。
船体が大きく揺れ動くたびに、あちこちから悲鳴が上がる。安全第一の僕は当然中央の座席に座っていた。両端の絶叫シートに座る勇気など微塵もない。
乗り終えたら集合場所へ向かおう――そう思っていた矢先、携帯に一通のメールが届いた。
「オタク華、大観覧車のところまで来てくれない?」
「わかった、すぐ行く」
僕は四人に向かって、小さく嘘をついた。
「ごめん、アイス買って食べたいから、みんなは先に集合場所に行ってて」
アイスの売店は観覧車に向かう途中にあったため、ルートとしては不自然ではなかった。観覧車の足元に辿り着くと、彼女の姿があった。
「どうしたの?」
「あんたと観覧車に乗りたいの」
「え? 急にどうしたんだよ?」
「乗ってから話す」
集合時間が近いため、観覧車の列はほとんど途切れていた。僕たちはすぐにゴンドラへと案内された。
「さて、話してくれるかい?」
僕はいつだって聞き手だ。過去であれ未来であれ、それが僕の選んだ生き方なのだから。
「さっき……あの中学の同級生から告白されたの」
「へえ、なかなかの勇者だな」
あんなに親密なスキンシップを見せつけられた後で告白してくるとは、その度胸には敬意を表したいレベルだった。
「……でも、断った」
陳逸樺は俯き、辛そうな表情を浮かべていた。
「なんでそんな顔してるの?」
「私、本当はあの人のこと……ほんの少しだけ好きだったのかもしれない。自分でも気づいてなかっただけで」
彼女の言葉遣いは重く、名残惜しそうだった。
「私、彼の心を傷つけちゃった。なんだか人として失敗な気がする……」
「告白なんて成功するか失敗するかの二つに一つだろ。振る側も振られる側も覚覚悟が必要なんだ。傷つくのは避けられないんだから、自分を責める必要はないよ」
「断る時、『私にはもう好きな人がいるの』って言っちゃったんだ……」
「相手はなんて?」
「『もしかして、さっきの男が好きなのか?』って」
「まさか『そうだ』なんて答えてないよね?」
「ううん、違うって答えた。そしたら彼、信じられないって顔をして、もう一度告白してきたの。その時……なんだか胸がときめいちゃってさ。断りきれずに承諾しそうになっちゃった……」
「でも、最終的には断ったんだろ?」
「うん……だって、あんたが言ってたキープ扱いの話が頭をよぎったから。私、そんなポジションになりたくなかった。彼が彼女と別れた直後だからって、私を穴埋めに使おうとするのが許せなかったの。そんなの、私自身が最低な女みたいじゃん……」
「待った、言い過ぎだよ! 君はちゃんと断ったんだから最低な女なんかじゃない。自分を卑下しないで。誰かから好かれるってことは素晴らしいことなんだから、誇りに思っていいんだよ」
「でも……告白されて『嬉しい』って思っちゃった自分が許せないの! 嬉しいって感じて、彼に惹かれてたなら、なんで付き合わなかったんだろう? 承諾してれば、幸せになれたかもしれないのに……!」
ぽろぽろと、彼女の目から涙が溢れ出した。観覧車はまだ四分の一程度しか回っていない。涙を拭う時間は十分に集められた。
「誰かから告白されて嬉しいと感じるのは当然のことだよ。もし僕が告白されたとしたら、相手が好きな人じゃなかったとしても素直に嬉しいと思うよ」
僕は嘘をついた。昨夜、温嘉鴻から告白された時、僕の心にあったのは「嬉しさ」などではなく、泥のように重苦しい不快感だけだったのだから。
「ありがとう……でもやっぱり『嬉しい』と思ってしまった自分を許せないよ……」
「涙は真珠なんだから、泣かないの」
「真珠だったら、今頃私は大金持ちね……さっきまで優しかったのに、意地悪……」
ようやく彼女の涙が収まった。
……
……
……
「あ、見て! 嘉南平原だよ!」
窓から見下ろすと、一面に緑の田園風景が広がり、視界がぱっと開けたような爽快感があった。
「本当だね。まさかこんな場所で授業を受けることになるとはね」
……
……
……
僕たちは静かに観覧車が一周するのを待った。
突然、一人の男子生徒が猛然と飛び出してきた。
「お前、さっき彼女に何をした!? なんで目がそんなに赤く腫れているんだ! 泣かせたのか! 彼女を泣かせたのお前か!」
僕が一喝する。
「退くわけねえだろ! 陳逸樺がなんで泣いてるのか説明しろ!」
「その前に聞きたいんだが、なんで君がここにいる? 彼女をストーキングしていたのか?」
「関係ねえだろ! お前一体何様だよ!?」
「一班の未来人だよ。聞いたことないかい?」
「あ? あの変人かよ! お前と彼女はどういう関係なんだ!?」
「『友達』だよ。君たちは友達にすらなれていないだろ? これ以上彼女に関わらないでくれ」
「誰が友達じゃないって言った!?」
「鍾軒祐、いい加減にして! 私は彼に泣かされたんじゃない! 彼は私の友達だから、あなたには関係ないでしょ!」
陳逸樺が僕の背中に隠れながら、相手を強く一蹴した。
「お、俺は心配したんだよ! こいつみたいな奴に何かされたんじゃないかって……!」
「『何かされた』? 言ってみなよ、僕が彼女に何をするっていうんだ?」
僕は苛立ちを隠さなかった。
「お前が彼女を弄んで泣かせたんだろ! 現にまた泣きそうになってるじゃねえか!」
「本人が否定してるだろ。君は彼女の言葉すら信用できないのか? 彼女を侮辱するつもりかい?」
「侮辱するわけねえだろ! 俺は彼女が好きなんだよ! だからここにいるんだ! お前みたいな畜生に手出しさせないために!」
「僕を罵るのは構わない。だが、これ以上彼女を追い詰めて泣かせるなら、僕も容赦しないぞ。忠告はしたからな」
「お前みたいなヒョロい奴が怒ったところで何ができる職ってんだ? 地面でのたうち回って泣くのがオチだろ!」
現在の僕の肉体が貧弱で無力なのは事実だった。僕は相手にするのをやめ、背後の陳逸樺に向き直った。
「聞かない、泣かない、怒らない。こんな奴放っておいて、集合場所へ行こう。目が腫れたままクラスに戻ったら、余計な誤解を生むからね」
自分勝手な理由かもしれないが、今の状況で最善の選択だと信じて声をかけた。
「お前が納得のいく説明をするまで、絶対に通さねえからな!」
「鍾軒祐、いい加減に――」
僕が陳逸樺の言葉を遮った。
「君はもう喋らなくていい。今日は十分疲れただろ? こいつの相手は僕がやるから」
僕は目の前のロン毛を冷たく見據えた。
「僕が君に与える最高の答えは一つだけだ。僕は彼女の最も大切な友達、Friend、仲間だ。そして君は……何者でもない。だから僕が君に説明する義務なんて最初から存在しない」
「英語と日本語交えてカッコつけてんじゃねえよ! 観覧車に乗る前は泣いてなかったのに、降りてきたら目が真っ赤になってんだぞ! お前以外に犯人がいるわけねえだろ!」
「往生際が悪いな。ストーカー行為を認めてさっさと退かないなら、今すぐ先生を呼ぶぞ」
僕はポケットからガラケーを取り出し、パカッと開いて通話ボタンに指をかけた。
「……チッ、今日はこのくらいにしてやる。だが、彼女を泣かせた貸しは、いつか必ず払わせてやるからな!」
捨て台詞を残し、ロン毛は忌々しそうに去っていった。
「ふぅ……もう背中に隠れなくていいよ。君らしくないじゃないか。さっきみたいに堂々と言い返してくれれば、僕としても頼もしいんだけどね」
「はぁ……からかわないでよ。今日はいろいろありすぎて、本当に疲れた……」
彼女は僕の背中にぐったりと寄りかかってきた。身体から力が抜けているようだった。
「行こう、集合時間だ。トイレで顔を洗っておいでよ。外で待ってるから」
「……あんたの言う通りにしておけば良かった。六組に頻繁に行かなきゃ、こんなトラブルに巻き込まれずに済んだのに……」
「友達に会いに行くことがトラブルなわけないだろ。君の好きにすればいいんだよ。『起こるかもしれない未来』の物語で君を縛りつけようとした、僕の落ち度なんだからさ」
しばらくして、彼女の気持ちが落ち着き、自力で歩けるようになったのを確認してから歩き出した。
トイレで冷水で顔を洗わせ、僕たちはクラスの集合場所へと戻っていった。
明日は修学旅行の最終日、三日目だ。苗栗の客家文化館を見学し、午後に学校へ戻って解散となる。
どうかこれ以上、余計なトラブルが起きませんように――僕はただ、そう祈るばかりだった。




