第十四章 新学期の新しい生活
元の世界線とは違い、この世界線での僕は夜もちゃんと寝るようになり、夜中にこっそりパソコンで遊ぶこともやめた。授業中もできる限り集中して話を聞くようにしている。たまに居眠りしてしまうこともあるけれど、「微笑みの仮面」を被りながら、少しずつクラスの輪へと溶け込んでいった。気づけば自分なりのグループができていた。特に親しい友達は、古文彥(燕子:ヤンジ=ツバメ)、黃芊涵(芊涵:チエンハン)、そして史羽若(小可愛:シャオクーアイ=プリティ)の三人だ。
(燕子、ごめん。前の世界線では君のことすっかり忘れていたよ。僕たち、本当は親友だったんだね)
仮面を被っているとはいえ、ふと気づくとクラスでメガネをかけていないのは僕くらいのものだった。メガネをかけることこそが、勉強を頑張っている証拠なのだろうか。
「よお、オタク華。席替えしたのに、また私の隣かよ」
くじ引きの結果、彼女は僕の右隣から左隣の席へと移動した。
小玉もようやく僕を「未来人」と呼ぶのをやめ、「オタク華」と呼んでくれるようになった。地味にめちゃくちゃ感動している。
そしてクラスにはもう一人、新しく転入してきた生徒がいた。僕のすぐ後ろの席に座っている、陳逸樺だ。
なんだかんだで、クラスの何人かとはすっかり打ち解けているようだった。
ただ、彼女が一組に転入してきてからは、休み時間になるたび頻繁に元の六組へ遊びに行ってしまう。前の学期とは完全に立場が逆転していた。
胸の中は、実に複雑な感情(五味雜陳)でいっぱいだった。
僕は思わず「はぁ……」と溜息をついた。
「どうしたの、オタク華。急に溜息なんてついてさ」
隣にいた軍神……古玉祺が声をかけてきた。なんで彼が「軍神」なんて大層な二つ名で呼ばれているのか、僕にもさっぱり分からない。高一の時点でついた綽名らしいが、名前の響きは威風堂々として強そうなのに、本人はガリガリで小柄な体格をしている。そんな軍神が僕を気遣ってくれたのだった。
「いや、何でもないよ。ちょっと感慨に浸ってただけ」
その時、僕はふと思い出した。陳逸樺には高校時代、質の悪い男(爛桃花)がついてまとっていた時期があったのだ。付き合って別れた後も、ストーカーのように彼女を尾行し続けていた奴だ。名前までは思い出せないが、特徴だけはかなり強烈に覚えている。彼女があんなに六組へ頻繁に顔を出していて大丈夫なのだろうか。戻ってきたら少し話を聞いてみよう。
「未来のことかい?」
「ううん、後ろの席に転入してきた新しいクラスメイトのこと」
「もうすっかり仲良さそうに見えるけど? なんで今更『新しいクラスメイト』扱いなんだよ」
「仲が良いからこそ悩んでるんだよ、はぁ……」
言いながら、また溜息をついてしまった。ただし、さっきとは理由が違う。
そういえば、この世界線に戻ってきてから、「ランダム性なんてくそくらえ」という口癖を一度も口にしていない気がする。どうか、そんなセリフを吐きたくなるような不条理な突発イベントが起きませんように。
その時、燕子と芊涵、そして小可愛がぞろぞろと集まってきた。
「ねえねえ、オタク華! ホントに彼女と付き合ってないの? 今や前後の席じゃん」
「そうだよー。一学期から二人でいちゃついて見せつけちゃってさ、眩しすぎてサングラスかけなきゃいけないレベルだったんだから」
「告白してないの?」
「してないしてない! 絶対にしてない! お前たちが見たのは全部幻覚! 業障(悪業)が深すぎるんだよ、目が腐ってる!」
「海濤法師の真似してんじゃねーよ、何が業障だ!」
燕子がすかさず突っ込んできた。
告白したかどうかという質問については、聞こえなかったフリ(耳不聞為淨)でスルーすることにした。
「孔子様もおっしゃっているだろ。『非礼勿視、非礼勿聽、非礼勿言、非礼勿動(礼に非ざれば視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、動くなかれ)』ってね。いくら問いただされたって絶対に話さないぞ。ベランダから飛び降りることになろうとも、口が裂けても言わないからな!」
「『四勿』の使い方、絶対間違ってるから!」小可愛が呆れ顔で突っ込む。
「知るかよ! とにかく僕と彼女はただの友達! それ以上でも以下でもないの!」
「ふーん。要するに『お友達宣言』されちゃったわけね」芊涵が追い打ちをかけるように言った。
お前ら三人、一体どうしちゃったんだよ。一学期はそこまで突っ込んでこなかったのに、彼女が転科してきた途端、急にいじり倒しやがって。
「違うって、そうじゃないんだよ……はぁ、だから言ってるだろ、僕たちは昔からのただの幼馴染みたいなもんなんだって」
「信じなーい。私、直接KIKIに聞いてくる!」
KIKIというのは陳逸樺のニックネームだ。なんで彼女がKIKIと呼ばれているのか、実は僕も一度も聞いたことがなかった。興味がないわけではないが、聞いたところでどうなるものでもないし、僕はやっぱり彼女を「陳逸樺」と呼ぶ方がしっくりきていた。
「聞きに行ったって同じ答えが返ってくるだけだって。時間の無駄だから、大人しく勉強しなよ」
「あんたくらいの成績のやつに『勉強しろ』なんて言われたくないんだけど」
うぐっ。確かに授業は真面目に聞くようにしているけれど、成績は相変わらず中間層(中段班)を維持するのが精一杯だ。僕より成績の良いやつらに説教できる立場じゃないのは百も承知だった。
そういえば、アニメ『抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすればいいですか?』の中に、クリエイターの心を抉るような強烈なセリフがあった。
「社会性も協調性も無く そもそも労働に向かない無能を『クリエイター適正がある』とか言ったりするなぁ」
クリエイターの心を抉る言葉だとは思うけれど、僕自身、まさにそういったタイプの人間なのかもしれなかった。だからこそ僕は今、社会性と協調性をイチから鍛え直し、ちゃんと労働に耐えうる「社畜」になろうと必死なのだ。……本当なら、陳逸樺のいたあの時代へ跳んで、映画の脚本家(編劇)になりたかった。ソーシャルワーカーになれないよりは、そっちの方がずっとマシだったはずだ。
チャイムが鳴り響き、ようやく次の授業が始まった。
新学期が始まって二週間目。学力測験(学測/大学学科能力測験)の日が刻一刻と近づいている。陳逸樺に台中の大学を受けてもらうだけでなく、僕自身も死に物狂いで台中の学校に合格しなければならない。最低ラインは静宜大学(Providence University)だ。かつての自分は「大学生活なんてゴミみたいだった」と吐き捨てていたけれど、それでも僕は静宜大学のことが大好きだった。あそこで多くを学んだし、「自分がソーシャルワーカーに向いていない」という事実を知れたことも含めて、大切な場所だったのだ。
陳逸樺が席に戻ってきたので、僕は振り返って彼女に言った。
「ねえ、次の休み時間、すぐに六組へ行かないで待っててくれないか? 聞きたいことがあるんだ」
「どうしたの急に? そんな重苦しい顔して」
「君に関することなんだ」
「ふーん、わかった。じゃあ後で話を聞くね」
「うん」
もし僕と陳逸樺がこの世界線における「定錨」なのだとしたら、彼女が元の世界線で経験したあの「質の悪い男(爛桃花)」の存在も、この世界線で引き寄せられて再現される可能性が極めて高い。
とにかく、今は授業に集中しよう。この時間は英語だ。英語教師でもある担任の先生は、もう僕を目の敵にしてマークしてくることはなくなった。それだけで肩の荷が下りる思いだった。幸いにも、元の世界線で大量の英語映画を観ていたおかげで、ある程度の語学センス(語感)は残っている。そのおかげで、英語の授業でのスピーキングやライティングは何とかこなせていた。
今日の授業は長文読解で、テーマは人工知能(AI)についてだった。この時代にはまだ発達したAI産業なんて存在せず、ほんの過渡期のプロトタイプに過ぎなかった。2026年のAI技術には遠く及ばないものの、教材としては十分だった。少なくとも今の僕は、「運命」を「旨い(うまい)」なんてスペルミス(勘違い)することはない。
ようやく授業が終わった。次は体育の授業だ。みんな慌ただしく体育館へと向かっていく。僕はあえて教室に残り、僕が動かないのを見た陳逸樺も、その場にとどまった。教室の中に僕たち二人だけになるのを待って、僕は切り出した。
「訊きたいんだけどさ。君、元の世界線の高校時代、質の悪い元カレ(爛男友)とかいなかった?」
「んー、ちょっと考えてみる……ううん、いなかったと思うけど?」
「まずいな……僕のいた世界線の君には、そういう奴がいたんだ。だから、この世界線で君がそいつに捕まる確率は50%ってところか。決して高い数字じゃないけれど、低いとは言えない。……僕たちの周りに、この世界線の時間軸を強烈に引き寄せるような『定錨者』が他に存在しない限りはね。ちなみに『定錨者』っていうのは、時間軸を自分の方へ強く引き寄せる存在のこと。この世界線に僕と君という二人のタイムトラベラーが至近距離で存在しているだけで奇跡なのに、三人目が近くにいるなんて宝くじに当たるより難しい確率だ」
「ねえ、質の悪いって……どれくらい酷いの?」
「君のために、せっかく伸ばしていた長髪をバッサリ切ってイメージチェンジまでしてアピールしてくるんだ。でも、付き合ってみたら性格が合わなくて君から振る。そうしたら、振られた後もずっと君の後をつけ回して、ストーカー行為をして恐怖に陥れるような奴だよ」
「……待って。その特徴、一人だけ心当たりがある人がいるんだけど……嘘でしょ、嫌だなぁ……」
「名前は忘れたけれど、とにかく気をつけて。努力家で一途な姿勢を見せられたからって、バカ正直にコロッと騙されちゃダメだよ」
「う、うん、わかった。気をつけるね」
「よし、体育館に行こうか」
「うん! ありがとう、行こっか」
今の僕の立場の肩書きは、あくまで「友達」だ。
だったら僕は、彼女が本当に心から愛せる、そして彼女を心から大切にしてくれる未来の「旦那さん」に出会うその日まで——何が何でも、こうした質の悪い男どもを全部排除して、彼女を守り抜いて見せる。




