第十三章 大変な学校生活
彼女は僕を抱きしめるのが適切な選択ではないと気づいたのか、すぐに僕から体を離した。
僕は彼女の頭を優しく撫でながら言った。
「安心してよ。君にはもう二度と告白しないし、傷痕を抉るような真似もしない。僕自身の答えを探すために君を傷つけることも二度としないから。その代わりだけどさ、大学は台中にある学校を受けてよね。そうすれば、僕が近くで君を守ってあげられるからさ」
「ありがとう、オタク華。あの時空のあなたって、なんだかすごく頼もしいね。変だな、私、なんだか泣きそうになってきちゃった」
「よしよし、泣かないの。涙は真珠なんだからさ」
「じゃあ、泣いて真珠でも吐き出せたら、その方が儲かっていいんじゃない?」
僕が笑うと、彼女も涙を拭って笑顔を見せた。
僕たちは図書館の外へ出て互いに別れを告げた。だが、振り返った瞬間、僕の微笑んでいた顔は一気に暗く沈み込んだ。
僕はあの「愛情」を粉々に破り捨て、「友情」を最優先の座へと繰り上げさせたのだった。胸の奥底深くへと恋愛感情を埋めて封印し、二度と掘り起こさないと心に決めた。そうすることが、彼女にとっても僕にとっても、きっと一番いいのだから。
家へ帰っても、まだ誰も戻っていなかった。僕はベッドに横たわり、枕に顔を埋めた。泣きたいのに、どうしても涙が出てこなかった。
脳が「強くあれ」と命じる一方で、胸の奥は「少しは泣いた方が楽になれる」と訴えかけ、互いに争っていた。
けれど、「彼女の友達として、彼女をちゃんと守る」と決めた以上、僕は強く振る舞い、気持ちをシャキッとさせなければならない。彼女を守る前に、自分自身が押し潰されてしまっては元も子もないのだから。
僕は書斎の机に向かい、国語の教科書を開いた。うん、これは復習の必要はないな。自分の感覚だけで突っ切ればいい。
続いて英語の教科書を開く。うん、こっちはしっかり復習と予習をしておかないと、テストで悲惨な目に遭うぞ。
正直なところ、高校で何を習っていたかなんて、まったく覚えていなかった。
ただ覚えているのは、昔先生に読むよう買わされた『空中英語教室』という雑誌が、この世界線では『地下英語教室』という名称に変わっていることくらいだ。あまりに違いすぎないか。何か公にできないような怪しい雑誌にでもなったのか、それとも禁書扱いなのだろうか。
とりあえず雑誌の記事に目を通してみよう。どうやら関税引き上げの影響についての記事らしい。
一時間ほど格闘して、ようやく意味が理解でき、読み終えることができた。三十五歳の魂でこの手の文章を読むのが、これほど骨の折れる作業になるとは思いもしなかった。
いや、待てよ。以前の僕なら、この手の文章を開いた瞬間に意識が飛んで記憶が欠落(断片化)していたはずだ。
そう考えれば、今の僕は進化していると言える。よし、じゃあ次の記事を……
◇
僕は夢の中にいた。自分が夢を見ているのだと分かっていた。
なぜなら、僕は再び台中の上空を飛び、解体作業が進む「中央市場」を見下ろしていたからだ。一人で空を飛ぶ感覚はとても奇妙だった。これまでずっと一人で飛んできたはずなのに、一度だけ陳逸樺と一緒に飛んだ経験があった。あの体験があまりに美しすぎたからこそ、忘れようにも忘れられず、だからこそ今、強烈な孤独感を覚えているのだろう。
今回は、陳逸樺が暴行を受けるような悪夢のフラッシュバックは見なかった。代わりに、中央市場の近くにある「民徳堂」という寺廟の中へと飛んでいき、本堂の中でゆっくりと着地した。
僕は両手を合わせ、自分も陳逸樺も台中の学校に合格できるよう祈り、そして彼女が二度と酷い男に引っかからないよう祈りを捧げた。
寺廟の外へと飛び去っていくと、かすかな声が聞こえてきた……
「華……阿華、阿華!」母さんの声が聞こえる。
ああ、僕、寝ちゃっていたのか。
「ちょっと、どんな寝相してるのよ。よだれで本が濡れてるじゃない。早く拭き取りなさい」
……どうやらこの世界線でも、僕の脳は英語の文章にぶつかると意識が飛んでしまうらしい。僕は大慌てでティッシュを数枚引き抜き、『地下英語教室』に付いたよだれを綺麗に拭き取ったが、紙面はすでにしわしわになってしまっていた。
こうして、過酷な学校生活が本格的にスタートした。
一学期はあっという間に過ぎ去っていった。陳逸樺は相変わらず背後から僕に抱きついて突撃してきたが、そんな光景にもクラスメイトたちはすっかり見慣れてしまったようだった。
僕のテストの成績は、学年最下位の常連から中間層へと一気に跳ね上がり、自分でもかなり嬉しかった。家族も僕の成績の飛躍的な伸び(?)を見て、僕が飲んでいる精神科の薬についてあれこれ文句を言わなくなった。
席替えがあって周りの席のメンツが一新されたが、今ではクラス全員の名前と顔をほぼ記憶できた。
小玉だけはいまだに僕を「未来人」と呼ぶが、他の連中は陳逸樺にならって僕を「オタク華」と呼ぶようになっていた。
「ねえ小玉、僕のこと『オタク華』って呼んでくれないかな。その方がしっくりくるんだけど」
「やーだね。あなたはやっぱり『未来人』だよ。それに、あなた全然オタクっぽくないじゃん」
「なわけあるか! 僕めちゃくちゃオタクだからな? ほら見ろよ、MP5の中にアニメがぎっしり入ってるだろ」
「オタクなのは認めるけど、私が『未来人』って呼ぶことと何も矛盾しないでしょ?」
「うぐっ……確かに言われてみればそうだけどさ。でも僕、この世界線にもうすっかり定住しちゃった気がしてさ、自分があんまり未来人って感じがしないんだよね」
正直な話、僕が知っていたあの「未来」は、この世界線ではもう通用しないのだろう。半年近くが経過し、僕の知る未来とのズレはどんどん広がっていた。
僕は家族をうまく説得し、自宅のパソコンにブロードバンド回線を引いてもらうことに成功した。表向きは「勉強のため」と言っておいたが、実際はもちろんアニメをダウンロードして『アニメを見る』するためだ。
この時代にはまだ便利な動画配信サービスなんて存在しなかったから、海賊版をダウンロードして見るしかなかった。
本当にごめんなさい。ここで深々と謝罪いたします。どうか日本の皆様、過去の僕をお許しください!
本当に申し訳ありませんでした! この場をお借りして、日々アニメ制作に奮闘されている日本の制作現場の皆様に心よりお詫び申し上げます。本当にごめんなさい!
それにしても、この学校生活は本当にハードだった。他のやつらに追いつくために、僕は高校一年生の教科書まで引っ張り出して復習しなければならなかった。
幸いだったのは、僕が文系を選択していたことだ。日本史や世界史、歴史全般はどちらかと言えば得意科目だった。元の世界線にいた頃、僕は台湾の歴史に関する映画をよく観ていたし、ネット上で台湾史の史例や理論について人々と激しい議論を交わしていたからだ。論破するために必死で資料を調べ上げた経験が、この世界線で大いに役立ってくれた。
公民(現代社會與公民)に関しては、意外と覚えることが多かったものの、これまたネットで毎日のようにレスバ(不毛な議論)を繰り広げていた分野だったから、順風満帆にいくだろう……そう高を括っていた。だが、まさかこの世界線が元の世界線とこれほど大きく異なっているとは思いもしなかった。たとえば、考試院や監察院がすでに廃止されているなんて、本当に驚きだった。
国語(現代文・古典)に至っては、もともと僕の得意分野だ。そうでなければ、こうして小説なんて書いているはずがない。
ただ、暗唱や暗記が必要な部分は丸暗記するしかなく、それだけは避けて通れなかった。丸暗記ではなく、本当は体系的に理解して習得したかったのだけれど。
そしていよいよ、二学期(下半期)が始まろうとしていた。陳逸樺は文系に転科してくると言っていたが、どのクラスに配給されるかは分からなかった。けれど、この世界線に僕たち二人の「タイムトラベラー」という錨が存在する以上、彼女が僕と同じ一組に転入してくる可能性は極めて高いはずだ。
不安でもあり、楽しみでもあった。
——だって、傷つくことになるのは、僕自身なのだから。




