5話:旅立ち
家の前で待っていた母を見て、私はまた、涙を堪えられなくなっていた。
母が冷たいふりを続けていたら、悲しみに圧し潰されていたと思う。
そう思っていたのに、帰りを待っていた母。
「なんで……」
近づくと、優しく抱きしめてくれた。
「おかえりなさい。それと、ごめんなさい」
そうして、お互いに向き合った時、母の頬が、赤く腫れていることに気づいた。
「なにがあったの!?」
思わず、剣に手を掛ける。そんな私を見て、母が焦っている。
「ナテアに怒られてね。それよりも、ご飯出来てるから」
母はそう言って扉を開け、案内してくれる。
この後ろ姿を、最後に見たのは、いつだっただろうか。
「まずは、ご飯を食べて」
並べられた食事。それは、いつもと変わらないものだったけど、目の前には母がいる。
「恥ずかしいから見ないでよ」
そう言いながら、話している今が、信じられなかった。
もう二度とないと思っていた。だから、少しだけ喉を通らない。
「正直、緊張してる」
母は、スプーンを置き、まっすぐにこちらを見てきた。
「私は、リズウェル、あなたまで失うことが怖い。でも、守れずに失う怖さを、分かってあげられなかった。ごめんなさい」
お互いが望むことは、平行線でしかなくて、話し合うべきだった。
譲れないものを、理解するべきだったと思う。
「私は、母さんを納得させられるだけの言葉が浮かばなくて、逃げてたんだと思う。だから、母さん。ごめんなさい。ありがとう」
こうして一緒に食事をするのも、言葉を交わすのも、何年ぶりだろうか。
この温かさに触れるのも……。
「絶対に帰ってきなさいね」
そう言い、母は首飾りを差し出してきた。
それは、母がずっと身に着けていたもので、青い宝石が装飾されている。
「お守りだと思って、持って行って」
受け取るために差し出した手を、握るように包む母の手は、温かかった。
「髪、少し切りましょうか」
母は、そう言った。
「え?」
「旅に出るなら、長いままだと邪魔になるでしょう」
そう言って、母は私の後ろに立つ。
櫛が髪を通る感触が、少しくすぐったかった。
鏡の中の母は、いつもより静かな顔をしていた。
怒っているわけでも、泣いているわけでもない。
ただ、何かを堪えるように、私の髪を丁寧に整えている。
「……本当は、行ってほしくない」
小さく落ちた声に、胸が詰まる。
「でも、あなたが選んだなら、私は止めない」
はさみの音が、静かな部屋に響いた。
切られた髪が、少しずつ床に落ちていく。
それを見て、ようやく思う。
私は、本当にこの村を出るのだと。
「リズウェル……」
母が、私の髪をそっと撫でる。
「ちゃんと、帰ってきて」
その言葉に、私は頷いた。
「……うん。帰ってくる」
翌朝、スッキリとした目覚めを迎えたのはいつぶりだろうか。
昨日までは部屋から出ることも、少しだけ憂鬱だった。でも、今日は違う。
「おはよう」
顔を合わせてあいさつしてくれる母に、また涙が溢れそうになる。
「早く食べて、支度しなさい」
そう言って、そばに立つ母は、少しだけ震えていた。
「大丈夫。絶対に帰ってくるから」
そっと母の手を掴み、胸に当てる。私が感じた温かさを、母へ。
支度を済ませ、部屋の扉を閉める。
「行きましょうか」
部屋の前で、母が待っていた。そして、一緒に玄関へと向かう。
扉を開ける前に、足を止めて振り返る。私が育った家を、目に焼き付けるために。
「父さん、いってきます」
父は許してくれるのだろうか。
でも、きっと、人を守ることの大切さを、知っているはずだから。
どうか、応援してください。
馬車が待つ、村の入口へと向かう。母と並んで歩く、最後の時間。
一歩一歩が、重く、でも、先へと進む一歩。
広場には、ナテア、師匠も来てくれている。
「おめでとう。いってらっしゃい」
そう言い、私たち母娘の前に立つナテア。その後ろから、師匠が見守ってくれている。
感謝の気持ちを伝え、そして、旅立ちの時間が来てしまう。
「リズウェル・ハークロンドさんですね?」
馬車の前に立つ、騎士団の女性が聞いてきた。
これが私の最初の一歩。人々を守るという私の夢のために、師匠が繋げてくれた道。人々を守る騎士団への道。
「リズウェルです。よろしくお願いします」
見送りにきてくれた人たちに、一言ずつ別れの挨拶をする。
そして荷物を載せ、出発の時がきた。
「いってきます!」
私の言葉を待っていたのか、合わせて動き出す馬車。
「お前の娘は強い。だからちゃんと見送ってやれ」
「いってらっしゃい!」
母と師匠が並んでいるのを見たのは、いつぶりだろうか。
今は寂しいけど。
それでも、絶対に強くなって帰ってくるから。
だから待っていて。




