4話:旅立ち④
同じ朝、メルザは自室の中で悩んでいた。
扉の向こう、廊下から音が聞こえた。
少しだけ急ぐように、小刻みな足音が遠くなっていくのがわかる。
逃げるようにも、避けるようにも聞こえる、その音に、思わず苦笑いする。
「私もそうだ。家を飛び出して、この村に来たんだから」
私も両親に言えないままだったのに、娘の気持ちを理解してあげようとできなかった。
「私が家を出たことに、家族は悲しみを覚えたのだろうか……」
朝食の時もそうだ。
あの子の表情は、きっと昔の私と同じなのに。
「同じ……」
私の家族は、どんな気持ちで見ていたのだろう。
ティナは、きっと気づいていたんだ。
「私は最低な母親だ」
逃げて、避けているのは私も同じなんだ。
だから、娘が旅立とうとしているのは、私にも責任があることなのに。
「アルディス……あなたなら、なんて声をかけてあげる?」
私は、ベッドの横にある箪笥、その上に置いておいた首飾りへと手を伸ばす。
アルディスから贈られた、私にとっての形見。蒼い宝石が埋められたもの。
いつものように、それを首元へと身につける。
台所へ向かうと、食器は、きちんと洗われ、片付けられていた。
その日常は、たまに私を辛くさせる。
無邪気な娘と、愛する人が生きていた、あの頃との違いが、そこにあるから。
「リズウェル……ごめんなさい」
そう言うことしかできない。
私には、お互いに納得のいく未来が見えないから。
どうしても、娘を失う可能性のある場所へと向かわせるなんて、できない。
これは私のわがままだ。
嫌われたっていい。
ただ、リズウェルが生きていてくれれば、それだけでいい。
きっと、あの子は剣を学んだ先に、人のために立つことを決めるから。
気がつくと、手に力がこもっていた。
どうしても変えられないことを、わかっているから。
それでも、このままでいいなんて思うことはないだろう。
私は一通りの家事を終えると、外套を手にしてから、羽織る。
そして家を出ようと、扉に手をかける。
「アルディス……」
棚の上に置かれた写真へと目線を送る。
それでも、あの日のままのアルディスの笑顔に、苦しくなる。
震える手は、扉を開くことを拒んでしまう。
「今日が最後なのにね」
メルザの頬に、一筋の涙が流れた。
ようやく開いた扉の先にある、いつもの道。
私が毎日、墓参りに向かう変わらない道。
それなのに、少しずつ、歩幅は小さくなっていく。
そんな時だった。
「メルザさん!」
急に呼び止めてきた声に、足が止まってしまう。
その聞き慣れた声に、思わず振り向いた時だった。
ナテアの表情がいつもと違っていた。
「ナテア……どうしたの?リズウェルと何かあったの?」
少しの間の後、ナテアは言う。
「本当に、このままでいいんですか?」
厳しく睨みつけるナテア。
その視線に、私は何も言えなくなってしまう。
「リズは泣いていました。なんでお互いに悲しませたくないって、避けてるんですか!?」
ナテアの手が、強く握りしめられるのが見えた。
「リズが言うことを聞いて、村に残ったらそれでいいの?それはリズのためなの?」
「ちが……」
私の言葉を遮るように、ナテアは続ける。
「もし、また何かあったら、リズに黙って受け入れろって言うの?死ねって言うの!?」
ナテアの言葉に、あの日のことを思い出す。
それと同時に、自分の感情が複雑に混ざり込んでいた。
わかっているつもりだった。
だから、止められないと、冷たくする選択をした。
それ以上に、娘を危険な場所には行かせたくない、失いたくない、ただそれだけなのに。
私は現状に立ち止まる選択をした。
でも、娘は――リズウェルは進む選択をしたんだ。
リズウェルは、もう誰も失いたくないから剣を握った。
それなのに、私が引き止めれば、その覚悟を削いでしまう。
家族を失いたくない気持ちは、同じなのに……。
「私だって、リズがいなくなるのは辛い……でも、リズは立ち向かうことを選んだのに!」
目の前のナテアは、ただ下を向き、地面には涙が落ちていく。
その姿を見て、突き放せば寄り添ってくれるとも思っていた自分が恥ずかしくなる。
リズウェルの為だと思っていたことも、足枷になってしまう、そんなこともわからないなんて。
「ナテア……ごめんね。私が子供だったね」
私はそっと、ナテアを抱きしめてから、続けて言う。
「あなたにまで悩ませたね……ちゃんと話すから、ありがとうね」
「……はい」
ふたりは別れ、それぞれの道へと進んでいく。
一方、その頃のリズウェルは、帰り道、来た時とは違う道を歩いていた。
少しだけ横道に逸れていく先は、木々に囲まれ、中央には陽が射しているのが見える。
そんな道の途中で、足を止めると、大きく息を吸ってから、前を見つめる。
「今日話すんだ。父さん、勇気をください」
そう言い、歩み始めるリズウェル。
進んだ先には、いくつもの墓石が静かに陽を浴びている。
リズウェルが立ち寄ったのは、村の墓地だった。
いくつも並ぶ墓石の奥にある、そのひとつの前で、リズウェルはしゃがみ込む。
「まだ、母さんは来てないんだ」
そう言うと、ゆっくりと手を合わせてから、墓石を見つめる。
そんな墓石の前には、一枝の白く淡い花が供えられていた。
花弁は少し色褪せ、風に揺れている。
「父さんは、反対だった?」
私の知る、父さんの姿を思い浮かべる。
それでも、答えが返ってこないことは、わかっている。
その一言が聞けるのなら、また違った選択もあったのかもしれない。
「どうか、私を叱ってください。どうか、応援してください」
その時だった。
後ろから聞こえた足音に、思わず振り向くと、そこには母さんが立っていた。
不意に目が合ってしまう。
すぐ目を逸らされることはわかっている。
だから、私は何も言えなくなる。
いつものことだ。
「……リズウェル」
母さんはそう言って、目を逸らすことなく、ただ真っ直ぐにこちらを見ている。
そのまま、一歩、また一歩と近づいてくる母に、なんて言葉を返せばいいか浮かばない。
「ごめんね」
すれ違いざまに母さんは言うと、そっと石碑に供えられた花を交換する。
手を合わせると、そのまま祈り続けている。
その背中から、目を離すことができないでいると、続けて母さんが言う。
「今日の夜、いいかしら?」
自分の頬に、涙が流れたことに、気づかなかった。
「うん」
これが、私が返せる、精一杯の言葉だった。




