3話:旅立ち③
リズウェルとナテア、ふたりは別れると、それぞれの道へと歩き出す。
何度も足を止めては、下を向くナテア。
振り向きかけては、思い直したように前を向くと、少しずつ歩幅は小さくなっていく。
「……」
リズウェルは歩きながら、そっと手を握る。
迷いが消えたわけではない。
けれど、立ち止まってはいけないと、前を見続ける。
それでも、自分の勘違いじゃないのかと、それを考えるのが怖かった。
怖い。
だからって、逃げていいわけじゃないんだ。
村の外れにある、小さな広場へ向かう途中だった。
薪を割る音が聞こえてくる。
村の男たちが集まり、一斉に薪割りをするのは、この村では見慣れた光景だ。
それを横目に見ながら歩いていると、ひとりの男が手を止める。
「おーい、リズウェル!ティグレナさんが待ってるぞ!」
「はーい!」
予定の時間より、まだ早いはずなのに、本当に気まぐれな人だ。
そう思いながら、私は少しだけ走って、広場へ向かう。
見えてきた広場の奥、大きな岩の上に、ひとつの人影が見えてくる。
私が近づくと、その人物はゆっくりと降りてくる。
明るい茶色の髪から覗く、特徴的な獣耳は、ぴこぴこと動いている。
金色の瞳が、こちらを見下ろす背後では、橙と黒の縞模様の尻尾がゆっくり揺れている。
猫のように可愛い。
……はずなのに、鋭すぎる眼光に大きな身体が、可愛いと言わせてはくれない。
なにより、肩に担いだ三日月形の刃を持つ大斧が、威圧感を増やしているとも言える。
彼女の名前はティグレナ・ラグナール。
私に剣の基礎を叩き込み、何度も向き合ってくれた師匠だ。
「師匠!待たせて、ごめんなさい」
「気にすんな。俺が時間に適当なのは知ってるだろ」
適当とは言っても、早く来ることはあっても、遅れてくることはない。
だからと、待たせてしまったことは事実なのにと、そう思ってしまう。
「……帰ったら話すのか?」
「はい」
私が師匠の目を見ると、大斧が地面へと降ろされる。
どん、と重い音が響くと、周りの木々のひとつから、鳥が飛び立つのが見えた。
「俺からしたら、お前はまだ子供だ。悩んで決めたことを、後悔しないように努力しろ」
そう言って、私の頭を撫でてくる。
その力強い手のひらは、不思議と説得力があるように感じる。
「誰かの言う通りにしたって、責任は自分が背負うことになるからな。だから自分で決めるんだ」
迷うなら迷え。それでも最後に一歩を踏み出すのは自分だ。
言われなくてもわかる、それが師匠の教えだ。
「俺からの最後の手向けだ。いつもみたいに本気でやれ」
空気が一気に変わる。
本気で殺しにくるんじゃないだろうか、そう思わされるほどの気迫は、今でも怖い。
でも、私が向かう先は、きっと、そういう場所なんだ。
私は息を吐き、剣を抜く。
右足を前にして、身体を斜めにしてから、剣先を低く落とす。
「いきます」
私が牽制の一歩を踏み出すと、師匠は大斧を大きく引く。
そして、一気に振り抜いてくる。
豪快なのに速い一撃。
まともに受ければ身体を浮かされるなんて優しいものじゃない。
簡単に剣ごとやられてしまうのは、すぐに想像ができる。
だから、受けようとしてはいけない。
剣で止めるんじゃない。
軌道をずらしてできる、その隙間へ身体を逃すんだ。
そのまま繰り出される二発目――縦の攻撃。
後ろに退がるな、横へ避けろ。
振り下ろされた大斧が、そのまま止まるなんて思うな。
下から掬い上げられる前に、軌道の外へ出るんだ。
速く、少しでも遠くへ。
振り下ろされた大斧が、地面を叩く。
舞い上がる砂埃の影で、師匠の右手が大きく、後ろへ引かれたのが見えた。
左手が斧の刃に近い柄へと、滑った瞬間だった。
横から迫ってきたのは、柄だった。
下からの攻撃を避けるためだったのに、横へ避けた私へと迫ってくる。
受け流せない。
受けるしかない。
跳んで受けろ。
少しでも距離を稼ぐんだ。
絶対に、詰めてくる。
その一撃は、片手で放たれた柄での攻撃なのに重い。
受けた手が痺れる。
地に着いた足が、その勢いで持っていかれそうになる。
それでも、師匠から目を逸らすな。
そんな隙なんて、作ったら終わってしまう。
――速い。
師匠はもう、次の攻撃へと入ろうとしていた。
「はぁ……はぁ……」
息が浅くなる。
それでも、師匠が手を抜くなんて、絶対にない。
ここぞとばかりに、手数を増やした連続攻撃で、追い詰めてくる。
大斧の一撃を逸らし続けるにも、限界がある。
どれだけ耐えても、師匠の隙は見えてこない。
だから、隙を作りにいく。今回のためだけに仕込んだ一撃。
攻撃を避けた瞬間、私の左手が身体の陰に隠れる。
その一瞬を狙って、腰に隠していたナイフへと手を伸ばす。
最初から使ってはいけない手段だ。
私に状況を変える手段はないと、そう思わせるために、ここまで隠してきた。
今だと思った瞬間に、気づかれるより速く。
「はぁ……はぁ……は……」
そう考えていたのに、目の前には笑みを浮かべる師匠がいた。
「焦ったな」
気づかれたとわかった時、手にしたナイフを抜くことすらできなかった。
動揺してしまった。隙を作るための攻撃は、私自身の隙になる。
勢いよく振り下ろされた大斧から、目を離すことができなかった。
振り下ろされた大斧が、目の前で止まる。
これが稽古だからであり、ここが戦場であれば、私は確実に殺されていた。
「新しいことに挑戦するのも悪くはない。でも、自分に合っているかも大切だ」
師匠は、そう言ってから、大斧の先を地面へと下ろすと、私を見つめたまま言う。
「まだ時間はあるが、続けるか?」
「お願いします」
私は言葉を返すと、師匠と距離を取る。
「いつでも来い」
師匠は言うと、大斧を低く構える。
その間合いと、掬い上げができる体勢を相手に、踏み込むのが苦手だ。
師匠の隙を見つけることは、今でもできない。
お互いに動かないまま、少しだけ時間が過ぎた時だった。
「慎重だな」
師匠は言うと、膝を曲げ、少しだけ姿勢を低くする。
ただ、こちらを見ているだけなのに、感じる威圧感。
それを感じた時、大斧の先端を、その場に残すように、一歩を踏み出す。
そして、次の一歩を踏み出すと同時に、大斧を引き戻すように、掬い上げる。
私は、斜めに半歩だけ身体を逸らし、避ける。
いつもの私なら、きっと退がる。
でも、今日は進まないといけないんだ。
退がらずに一歩を踏み出し、懐へと入り込もうとした時だった。
師匠は、大斧を振り抜いた姿勢から、大きく一歩を踏み込み、背中をぶつけてくる。
その衝突は、私の体勢を、簡単に崩してしまう。
簡単に予測できたことなのに、気づけなかった。
冷静に見ることができず、焦っている自分がいる。
師匠が、視界の端へと消えていく。
地面にぶつかる衝撃で、すぐに身体が動かせない。
そして、静かに大斧の先が、地面へと置かれた。
その大斧の先で、師匠は静かにこちらを見つめていた。
何も言わない、その視線が遠く感じる。
私は弟子にしてもらって数年、一度も攻撃を通せたことはなかった。
ずっと教えてくれた師匠に、少しでも成長を見てほしくて、最後に焦ったことを後悔してしまう。
「悔しくても泣くんじゃねぇよ。お前と俺じゃ、潜った死線が違うんだ」
目の前に広がる青空が揺れていることに、言われて気づく。
「それでも、最後くらい……」
「何が最後だ。帰ってくれば、いつでも相手してやる」
ティグレナはそう言って、私の手を掴むと、身体を引っ張り起こす。
「師匠。ありがとうございました」
「村のことは守るからよ。安心して行ってこい」
「お母さんのことも、お願いします」
私が深く頭を下げると、ティグレナは笑いながら言う。
「任せとけ」
こうして、広場を後にしたのだった。




