2話:旅立ち②
道の真ん中で、泣き続けることしかできなかった。
どれくらいの時間、泣いていたのか、わからない。
それでも、気持ちが落ち着くことはなく、動けないままでいる自分が嫌になる。
見上げた先、木々の向こうに、薄い空が見える。
風が吹くたびに、草木が揺れる音がする。
いつもと変わらない景色に、自分も変われていないと言われているように思えてしまう。
重く感じる足元へと、自然と目線が下がっていく。
近づいてくる足音が聞こえる。
大きく息を吸い、吐き出した時、足音が止まる。
顔を上げると、見慣れた明るい栗色の髪が揺れていた。
「遅い!なにしてたの?」
目の前に立っていたのは、幼馴染のナテア・マリスタンだった。
「……ごめん」
今、顔を見られるのは恥ずかしいと、顔を横に向ける。
でもナテアは、それを許してくれないように、回り込んでから、私の顔を覗き込んでくる。
茶色の瞳が、逃がさないように私を見つめてくる。
「ちゃんと話し合うって言ってたのに、できなかったんだね?」
何も言葉を返せないことが、悔しい。
ずっと逃げている自分を、情けないとわかっているのに。
父さんを失ったことを理由に、剣を取ることはできたのに、母さんと向き合うことはできなかった。
私が選んだ道を、黙って受け入れてほしいと、押し付けていると、わかっているのに。
「今日が最後なんだからね」
そう言い、ナテアは、こちらへと手を伸ばしてくる。
伸ばされた手が、私の頬に触れると、ナテアは、まっすぐこちらを見てきた。
その目の中の光が、かすかに揺れていることに気づく。
ナテアは隠すように、目線を逸らしてから言う。
「早く行きましょ」
ナテアが私の腕を掴むと、少しだけ震えているのがわかった。
「……うん」
私が短く返すと、ナテアの手に力がこもっていることに気づく。
我慢しているのだとわかると、精一杯の強がりにも見えてしまう。
ナテアは、私を引っ張るように歩き出す。
これから向かうのは、村を一望できる丘の上。
そこは、小さな頃に、よく遊んでいた場所だった。
雑に組まれた木組みの階段は、古びて崩れかけていたり、真新しかったりと、まちまちだ。
走って上ったり、勢いよく転んで怪我をしたことを、今でも覚えている。
だからなのか、しばらく見られないと思うと、少しだけ意識してしまう。
きっと、それはナテアも同じように感じているのかもしれない。
「なんか、少しだけ変わって感じるね」
そう言ったナテアは、ただ前だけを見つめている。
でも、今日は、ゆっくりと、一歩ずつ踏み締めるように歩いている。
この時間が、終わりに近づくことを、嫌がるように。
「競争して、怪我して、泣いて……それでも、思い出だね」
ナテアの言葉に、小さい頃の記憶を、つい最近のことのように思い出す。
無邪気に遊んでいた、あの頃を、とても懐かしく感じてしまう。
「リズが下まで転がって行った時は、本当に焦ったんだからね?」
「そんなこともあったね……」
村中で大騒ぎになるくらい、全身真っ赤になった私の隣で、ナテアが泣き続けていたことがあった。
意外と平気だった私より、ナテアを泣き止ませる方が、大変だった気もする。
「……着いちゃったね」
長い階段を上りきった先にある、小さな広場。
村を見渡せる柵の遠く向こう、王都の方角には、巨大樹が見える。
そして、ひっそりと置かれた慰霊碑には、父さんの名前が刻まれている。
アルディス・ハークロンド 523年―554年
ナテアは、慰霊碑の前に立ってから、こちらを向く。
「リズのお父さんが死んで、誰かとのお別れは、いつかくるものだとわかったよ。
だから、今日もそうなんだと思ってる」
肩を震わせるナテアの頬に、一筋の光が見えた。
「もしもだよ。リズが村を出た後に、私は病気で死んじゃうかもしれないし、お母さんもそうかもしれない。
リズが死んじゃうかもしれない」
真っ直ぐに、こちらを鋭く見てきたナテアの目は、睨んでいるように見える。
「だから、私は今のまま、村を出て行ってほしくない……
リズの悩みが、私にとっても苦しいの……このままだと、私にも後悔が残る!」
ナテアが声を荒げてまで本音を言ってくれたのは、きっと初めてだ。
今まで、悩みが解決できたらいいね、と差し出された手に甘えていただけだと痛感する。
自分の悩みを理由に、ナテアにも苦しさを押し付けてきただけなのに、誰かを守るなんて、よく言えたものだと思う。
「ナテア……ごめん」
「謝るくらいなら、明日の朝。旅立つ前に答えを見せて!」
そう言って、ナテアは泣き崩れてしまう。
私は駆け寄り、彼女を抱きしめた。
「ごめん。ごめんね……」
謝り続けることしかできなかった。
私は自分のことしか考えていなかったと思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
気づけば、涙が溢れていた。
少しすると、ナテアが言う。
「リズ、ごめんね。私まで困らせたね」
違う。ナテアが謝ることじゃない。
私がちゃんと、母さんと向き合えていたらよかっただけなんだ。
「ナテア。私が、ちゃんと決められなかったからだよね」
ナテアも、母さんも優しいから、私のために我慢していたことが辛い。
だから、答えを出さないと、ふたりに失礼なんだ。
「待って!責めるつもりなんてない!リズが苦しいのもわかるから!」
「まだ時間はあるからって、今日まで逃げてきたのは私だから……」
明日、このまま旅立つことはできる。
結果がどうであっても、話し合って旅立つこともできる。
失敗が怖くて、結果を見ないようにしていただけなのに、別れは変わらない。
最初に反対されたからと、説得できないと決めつけていた。
だからって、本音を伝えなかった私は大馬鹿者だ。
「どんな結果でも、今日、必ず母さんと話すから」
私は、そう言ってからナテアの目を見る。
「うん。きっとうまくいくって信じてるから」
私たちは慰霊碑に向かって、合わせて頭を下げる。
それから、お互いに顔を合わせると、ナテアが言う。
「リズが、進もうとしてる道に、必死なのもわかるよ。
でも、前だけ見てたら、置いていかれる人もいるってことは、覚えていてね」
「うん」
こうして私たちは、丘の上を後にする。
それでも、ナテアの足取りは重く、私の足も自然と遅くなる。
その時だった。ナテアが、急に私の腕を掴んだと思うと、走り出す。
無邪気に走り回っていた、あの頃のように。
きっと、これは、私たちが踏み出す、明日への一歩だと思えた。




