5話 優しい世界に
神器の色が変わった。大聖堂に来てほしい。
そう招請を受けたとき、アクトがいなくなってから二ヶ月が経っていた。
大聖堂に駆けつけるとユウトが待っていて、ラルクを見て小さく笑顔を見せる。
「まもなく陛下もいらっしゃるはずだ」
「なにか聞いているか?」
「……アクトのことはなにも」
あのあと、お互い相手のことを考える余裕がなくほとんど話はできていない。
素直に名を呼んだことがあの日からの変化を感じさせる。ノエルとは似つかない女神像を仰ぎみて、一つ息を吐いた。
「お待たせしました」
ロイは二ヶ月前と同じ、正装で神器を手に持った姿。しかし、バラは鮮やかな青色の花を咲かせていた。
「青色……」
「成功を意味している色だ。祝福の信託を受けるため、神降ろしの儀を行う」
「成功って、アクトはどうなって……」
ハルマのつぶやきに、ロイは首を横に振る。
「聞くことができればいいんだが」
そっと花弁に触れ、眩い光と共に現れたノエルはあのときと変わらず柔らかい笑みを浮かべていて、一人一人に目を合わせてから口を開く。
「人類は見事試練を乗り越えました。祝福を与えましょう。望みはありますか」
問いかけたノエルに、意を決してロイが一歩ノエルに近づいた。
「望む祝福は……神の試練の廃止です」
想定していなかったのか、目を見開く。
「世界は停滞してこれ以上の大きな発展はなく、衰退するのかもしれません。しかし、これ以上試練を乗り越えることに多くの命が賭されるほうが望ましくないのです」
「具体的な望みがない場合は私から施しを与えることもできるのですよ」
記録に残る試練を乗り越えたあとの祝福はどれも今の生活に根ざしたもの。
さらなる施しを不要と割り切り、ここで進化をやめようという選択は果たして今後どのような結果をもたらすのか。
「神の祝福を放棄すると神器の力は失われ、試練に関わらず今後の天災にも神託を与えることはできなくなります」
「……構いません」
人を導く者として、未来を捨てるような発言。イシュルとミレント両国の行政者が集まり話し合いが続き、多くの反発もあった。しかし、魔物侵攻の後の賠償の一つとしてミレントは今回の試練において、イシュルに全ての最終決定権を与えると声明を出している。
とはいえロイの独断だけでは通るわけがない。
「我々人類は、既に充分すぎるほどの施しを受けております」
今の世界にこれ以上の神の手はいらないのではないか。その見解が、最終的にこの答えに至る決定打となった。
ロイの覚悟を受けたノエルはわかりましたと微笑み、手を差し出してくる。
「それでは、最後に一つだけ報酬を」
「え?」
暖かな光。その中からアクトが現れ、ゆっくり横たえられる。
「アクト……!」
三人が慌ててアクトの傍に近寄り、呼吸を確認してラルクがよかったと泣き崩れた。
「……少しすれば目を覚ますはずよ。神器を貸していただけますか」
神器を祈るように掲げてバラに息を吹きかける。その姿がどこか浮世離れしているように見えて、彼女が特異な存在であると示しているように見えた。
「これをアクトに。神器が力を抑制してくれます。今封印は一層のみですが、これ以上魔力の暴走に困ることはないでしょう」
ラルクに返されて、わかったと大事に受け取る。
「ノエル……アクトに、なにか伝えることはないのか」
その問いに、ノエルは首を横に振った。
「大丈夫。もうこの子とは……充分お話できているわ。ユウト。特にユウトには、本当にひどいことをしてしまったわね」
唐突に話しかけられて、ユウトが鋭く息を吸い込む。
「……いいのよ、まだアクトのことを許せなくても。長く抱えてきたその気持ちをすぐに精算するのは難しいでしょう。でも、お母さんはユウトもアクトも等しく心から大事に思っているから」
「そんなこと、今さら……」
顔を歪めて声を絞り出すユウトにごめんなさいと優しく微笑んで、ラルクに目を向ける。
「ユウトとアクトのこと、よろしくね。あなたになら、私の子どもを任せられると思ったの」
「……あぁ、任せて」
涙で赤くなっている目にノエルが愛しげに笑う。一度目を閉じて息を吐き、ロイへと向き直ったときには再び神としての顔へと戻っていた。
「イシュルの王よ」
「はい」
「今後、この世界は神の手から離れます。それでも私はこの世界を最後まで見守っています。人が創る世をどうか豊かにしてください」
心の底からの慈愛に満ちていて、深くうなずく。この決断をしたからには、頼らないことを決めたからには。
「どうか、この世界が長く繁栄しますように」
そう言い残して、ノエルは光に包まれ姿を消してしまった。
長い沈黙が大聖堂を包む。しばらくして、硬直が解けたラルクが静かに眠り続けるアクトを撫でた。
「アクト、アクト」
何度目かの呼びかけで目が開く。しばらくぼうっとしていたが、ラルクを視界に捉えて勢いよく起き上がった。
「おい、いきなり動くな」
ユウトが倒れないよう背中に手を回したが、体は問題ないらしく座ったまま呆然と周囲を見渡す。
「俺、戻って……」
それを確かめるように自らの体を見下ろして手で触るアクトに、ラルクがうなずく。
「おかえり、アクト。待たせてる人、沢山いるぞ」
ラルクの言葉をゆっくりと理解してから、息を詰まらせながらうん、と笑顔を見せた。
「――ただいま」




