空の雷
「────」
ニョロは凍り付いた死縛獣を見上げ口を開いた。
どれだけ耳をすませたとしても上唇と下唇が触れあう音しか聞こえず、ニョロがどんな言葉をその口から零したのか受け取れたものは誰もいない。
「────」
誰にも届かない声は空を舞う雪のように儚く、言葉としての意味も果たせないまま消えていく。
だがそれでも…何の意味もない行為ではなかったのだろう。
あるいは偶然だったのかもしれない。
ただ現実として凍り付いていた死縛獣がニョロの言葉に反応するようにして目覚めた。
悍ましく、殴りつけるような重たい咆哮をあげながら、身体に突き刺さった氷の杭を砕き、全身を覆う氷を無理やりに引き剥がしながら地上に降り立った。
「────」
向かい合うニョロと死縛獣。
再会を果たした姉妹。
だが交わらない。
声を届かせることができず、何も伝えることのできない姉。
自我を失くし、死を振りまく獣と化してしまった妹。
それを再会と呼べるのだろうか?
少なくとも姉には呼べなかった。
だからニョロは妹だった怪物に静かに両手を伸ばして──
「危ねぇ!ないやってるっすかお前!」
「────」
滑り込んできたくもたろうが背中の蜘蛛の脚でニョロを掴み上げ、その場から脱出する。
それを見た死縛獣は咆哮と共に巨大な腕を振り上げた。
距離を取ったと言っても相手は全身を見渡すことすら難しいほどの巨体であり、決して安全とは言えない。
「ネム―!おっけーっす!」
「了解ー!」
くもたろうの呼びかけに答え、死縛獣の影から滲むようにして現れたネムが漆黒のオーラを纏った剣を振り下ろされた腕に向かって振りぬく。
ぶつかり合った攻撃は衝撃の反発を起こし、周囲を吹き飛ばしながらネムと死縛獣、両方の身体を弾き飛ばす。
「くっ…!」
「どうっすかネム!いけそうっすかー!?」
「ぜんぜん無理―!正面からじゃ力負けするし、私の能力も多分効いてない!」
触れるだけで発狂するレベルの痛みを伝えるネムの刃。
ただの人間が相手ならば一振りですべてが終わるほどの力を持つそれだが、それを受けたはずの死縛獣は痛痒を感じている様子は見受けられず、物理的にも傷を負っていない。
刃が通らない硬い表皮に能力すら通用していないとなるとネムでは攻略する手段がない相手だった。
「じゃあやっぱダメそうっすね…!銀龍様よろしくお願いしまーーーーっす!」
更なるくもたろうの呼びかけに、空を舞う雪が鋭い氷柱へと姿を変えて死縛獣に襲い掛かる。
氷の棘が今度は地面にその巨体を縫い留めるようにして全身に突き刺さっていく。
死縛獣は苦悶の泣き声をあげ、全身から血を噴き出しながら苦しんでいるようではあるが、その周囲を渦巻く力は陰らないどころかさらに勢いを増しているように見える。
「────!」
「ニョロ!大人しくするっす!気持ちは分かるっすけど今はどうしようもないってくらいわかるでっしょ!今は一旦逃げるっす。そして改めて何かいい方法が無いか考えるっすよ!黒神領まで戻れば聖龍様たちにも相談ができるっす!ここにいても全滅するだけっすよ!」
「…」
その時、悍ましい叫びをあげながら死縛獣は氷柱の攻撃を振り切るようにしてくもたろうの方に走り、その口から大量の黒く濁った水を吐き出した。
その性質を考えるのならばその水は…。
「こっちに来るっす!やべぇ…!」
「くもたろうくん!」
なんとか逃れようとくもたろうは動くが、速度で上回っていたとしても身体のサイズが違いすぎて逃れられない。
水の範囲も広く、回避が間に合わないと絶望しかけたが地面から現れた巨大な氷の壁がくもたろうを迫りくる水から守った。
「あ、ありがとうございまっす!銀龍様ー!」
「くもたろうくん、早く逃げて!」
叫ぶようなネムの声とほぼ同時に氷の壁を溶かして水があふれ出す。
「いい!?やっぱり毒…というか強酸的なあれすか…!ちくしょー!っす!!」
「くもたろうくんこっちこっちー!」
「あぁああああああ!!!」
絶叫しながらも命からがらネムと合流し、とにかく距離を取るべく逃げる。
死縛獣はそれを追うが銀龍からの妨害により、思ったようには動けていない。
だがそれも時間の問題のように見えた。
「もういっそのことくもたろうくんも元の姿に戻って戦ってみれば!あっちのほうが断然強いんでしょ」
「戦うならそれしかねぇ気もしまっすけど、ウチもなんか討伐対象の魔物みたいに誤解されねぇっすかね!?」
「されると思う!」
「じゃあいやっす!」
「…やめたほうが、いい…」
「「!?」」
ヌルッと合流し、さらにはなんと声までかけてきた銀龍にくもたろうとネムは危機的状況も忘れ驚きに足を止める。
「…大きな身体は…それだけ的に…なる…まだ小さいほうが…逃げられる…」
「そ、そうっすよね…ご忠告ありがとうございまっす…」
「でもこのままじゃいつかは追いつかれるよ!こんな状況じゃあメア様も探せないし…どうしようか!?」
「どうしよって言われてもウチにもわかんねぇっすよー!」
打開策も思いつかないまま、ついにくもたろうたちは死縛獣に追いつかれ、その巨体が産み出す陰に覆われる。
その身体からは夥しいほどの毒が滲みだしており、近づかれただけで身体が蝕まれていくのがわかる。
銀龍が再び氷で拘束しようとするも、すでに学習されてしまったのか迫りくる氷を全て砕かれてしまう。
「ぐっ…ちくしょうっす…」
「ここまでなの…」
「…」
迫りくる死縛獣に精神が限界を迎え、くもたろうの腹の底から何かがあふれ出す。
それは叫びだ。
「うぐぐぐぐ…お嬢様ぁあああああああああ!!!」
くもたろうはこの瞬間、助けを呼ぼうとしたわけではない。
ただどこにいるかもわからない主を最期の瞬間に叫んでしまっただけだ。
しかしその叫びは…雷を呼んだ。
「はい、どーーーーーーん!!!」
そらから現れた一筋の閃光が死縛獣の顔を斜め上から打ち抜いた。
死縛獣は周囲の建物を盛大に巻き込みながら吹き飛ばされ、べちゃべちゃとした肉片をまき散らしながら地に沈む。
「あれは…まさか…!」
雷が落ちた空。
そこに長い黒髪をなびかせながら、漆黒の翼で空に浮かぶ少女の姿があった。
「お嬢様!」
「メア様!」
「…───」
身体が大きくなって成長しているが見間違えるはずがない。
それはくもたろうたちが何よりも信頼している主の姿だった。
「じゃあ今のは…お嬢様の2409ある必殺技の一つ。【ドラゴン・イナズマ・ブレイク】!」
「何を言ってるの!今のはメア様の92245ある必殺技の一つの【ドラゴン・サンダー・シフト】だよ!」
「ああん?」
「なにかな?」
ピリッとした空気を纏いはじめたくもたろうとネム。
そこに上空から緊張感を感じさせない声が割り込む。
「おーいみんな~ぶじー?」
くもたろうとネムは声を聴いて確信した。
やはりあれはメアなのだと。
「無事っすー!お嬢様こそ大丈夫っすかー!」
「うん~むしろ絶好調~。あとねー今のは私の185ある必殺技の一つの【ドラゴン・ライトニング・ディストーション】だからね。それはさておき…どうしようねコレ」
空に浮かぶメアの視線の先で周囲をその毒で犯しながら死縛獣が立ち上がった。
そのシルエットは…やはりメアの記憶にある母の姿を連想させ、刺激する。
チクリ…としたものを胸に感じながら、それを面には出さずメアは改めて死縛獣と向き合うのだった。




