一つ上の力
ウツギ・エナノワールはとある場所に向かう時、いつも人知れず緊張する。
勝手知った自身の住む屋敷のはずなのに、一歩ごとに足取りは重くなり、呼吸は乱れていくのが自分でもわかる。
そしてとある部屋の前までたどり着くと、緊張を部屋の主に悟られないために深呼吸を繰り返して表向きだけでも平静を装う。
やがて覚悟を決め、補修に補修を重ね、むしろ新品になっている扉…アザレアの部屋に続くそれをノックした。
「…ん?」
数秒ほど待っても返事は疎か、部屋の中から物音一つしない。
「おかしいな…今日はアイツ部屋に籠ってるとか言ってた気がすんだけど…」
黒神領の地下に関するある秘密を隠蔽するために、ウツギはアザレアのある程度のスケジュールを把握している。
それによれば今日は一日部屋にいることになっており、事前にさっとあたりを見回ったがアザレアの姿は確認できなかった。
なのでほぼ確実に部屋の中にいるはずなのだが、扉の奥は沈黙を保っている。
念のためにもう一度ノックをし、声をかけるがやはり返事はない。
何か不審に思いウツギはドアノブに手を掛ける。
鍵はかかっていないようで、少し力を籠めれば何の抵抗もなく扉は開きそうだ。
「…開けるぞ!いいな!ここはプライベート用の私室じゃねぇから文句言うなよ!」
意を決してウツギは部屋の扉を開き、中に踏み入り、そして…血まみれで床に倒れているアザレアの姿を発見した。
「アザレア!おい!どうしたんだ!?おい!返事をしろアザレア!」
ウツギがアザレアの身体を抱き起すとその手にべったりと生暖かい血が付着した。
まだこの状態になってそう時間は経っていない。
「聞こえてるか!おい!少し調べるぞ!」
なるべく身体に触れすぎないようにウツギはアザレアの身体をざっと調べ、外傷はないことを確認した。
だが今なお口や鼻、目から留めなく血が流れ出している。
「まさか…毒か!?くっ…!センドウのおっさんに連絡を!」
ウツギは小型通信機を取り出したが、その手をガッ!とアザレアの血色の悪い手が力なく掴む。
「っ!気が付いたのか!?おいなにがあった!無事なのか!?」
「…」
ウツギの賢明な声掛けにアザレアはパクパクと口を動かしているが、喉の奥から溢れ出す血が邪魔でうまく喋れないらしい。
「待ってろ!すぐにオッサンを呼んで…」
「ごぼっ…オェ…ガボボボ…ごほっ!…」
アザレアの口から大量の血が一気に流れだし、床を汚す。
だがそれで少し喋れるようになったのかかすれたような声がアザレアの口から発せられる。
「も…」
「も…?なんだ!?何が言いたい!」
「も…も…「もど…して」…がくっ…」
「アザレアー!!!!!」
────────────
「ん?何か聞こえたような?」
雪が降る空の下、明後日の方向に顔を向けて首をひねるメア。
その足元にはストガラグとカルラが転がされてており、前線で戦っていなかったポリアデルスはその異常な戦闘力に思わず息を漏らした。
「恐ろしいものだ…美しい見た目の生物ほどその裏に毒を持っているものだが…これほどの力を持った者が一体どこから湧いてきた…?」
「毒なんて持ってないよ!クリーンなイメージでやってますからね、この私は」
「…キミは何者なのかな。なぜこのタイミングで我々の前に姿を現した?」
「んー…何者…何者かと聞かれたのなら絶好調ドラゴンですとしか答えられないのだけど。あと目的は呪骸ね!さっきも言ったよ!呪骸ちょーだいっ」
ポリアデルスは時間にしてわずか数秒ほどの間に脳をフル回転させ思考した。
この突如現れた以上な存在を相手にどういう対処をするべきなのかと。
(目的が呪骸ならばそれを渡してこの場だけでも凌ぐべきか…いや現状で呪骸を失うのは避けなければならない。ならばそのほかの手段で少ない犠牲ですむ方法を…)
まっすぐとメアを見据え、ポリアデルスは胸を張った。
汗一つかかず、呼吸を乱さずに動揺を見せない。
それが交渉のコツだ。
とにかく自分は大きな存在であると相手に錯覚させたものが舌戦を制するのだから。
「それはできない相談だ。空の上にいるあの怪物の姿が見えるかね?あれに対抗するためにも呪骸の力は必要だ」
「あっても意味ないと思うけどにゃぁ」
「なぜそう思う?」
「なぜって…何か見たらわかるよね?なんとなくわかるよね?こう…あ、効かない。みたいな?」
「…なるほど。つまり確信と確証はないと」
「ありますん!効かぬ!」
「…」
実のところポリアデルスにも呪骸が死縛獣には効かないであろうことは察していた。
しかしそれでも呪骸は枢機卿である彼にとって強力な力であり、武器だ。
民の避難も行わなければならない状況下でやはり手放すことはできない。
そして目の前の存在の正体が不明な現状ではそれらを説明し、情報を与えることは得策ではない。
ならば…。
「もし呪骸を渡せば我々を見逃してくれるのかね?」
「え?うん。見逃すも何もおじさんたちに何かしようとは思ってないですん」
「…わかった。呪骸を渡そう」
「お」
ポリアデルスは袖の下から呪骸を取り出し…それを地面に墜とした。
「おっと…なかなか歳なものでね。見苦しいものを見せてしまった」
その場にしゃがんで呪骸を拾い「それでは渡すとしよう。近づくのは少し恐ろしいので投げ渡させてもらうよ」と手の中の呪骸を空高く投げた。
呪骸は放射線を描きながらメアの元に飛んでいき、それに向かってメアが手を伸ばす。
その背後で音もなくカルラが刀を振りかぶっていた。
完全な不意を突いた一撃。
メアの意識は空の呪骸に向けられており、カルラには気が付いていない。
そしてカルラはその洗礼された動きにより、ここまでの動作で極限まで音を出さず、気配すらも消していた。
そこにポリアデルスが会話と呪骸で注意を引き、この一瞬のチャンスを作り出したのだ。
カルラの刃はメアの首に一直線で吸い込まれるように向かう。
瞬きをするほどの瞬間には首と胴体が切り離された死体が出来上がるだろう。
そう確信して。
だがそうはならなかった。
まるで背後にも目が付いているかのように…その一撃をメアは首を逸らすだけで躱して見せたのだ。
斬る対象を失ったカルラの刃は虚しく風を斬り、ポリアデルスが投げた呪骸…いや、その場に落ちていたただの小石が地面い落ちて小さく音を立てる。
「なっ…!?嘘じゃろ!今の一撃をどう察知したんじゃい!音も気配も、殺気すらも抑えた言うんに!」
「教えてあげませう!」
気が付けばカルラは額に指を置かれていた。
何かを突きつけるように、メアの人差し指がカルラの額の中心にそっと置かれている。
「気が付かなかったでしょ?意識の外から音も殺気も気配も消して不意を突く。うん、いいね!いい戦法だと思うよんでございます。でももう一個足りなかったね。何か分かるかな?実践してあげたけどわかった?」
カルラはその一瞬、何も感じなかった。
目の目に確かにメアの姿を捉えていたのにも関わらず、いつの間にか振り返られていて、いつの間にか指を眉間に突き付けられた。
音も気配も殺気もなかった。
そしてそれ以上に…さらに何かが無かった。
その時、カルラの頬を一筋の風が撫でた。
風にあおられ、雪が舞う。
運ばれてきた冷風がまるで切られたかのように肌に錯覚させる。
「そうか…風か…!」
「正解。こうね、剣を振ろうとした時に風を巻き込んじゃってたよね。それじゃあわかっちゃうよ?もっと慎重に動きましょう!」
「ご高説どうも。これは授業料じゃあ!」
刃を返し、カルラがメアに切りかかる。
何度も何度も鋭く。
だがメアはそのすべてを難なく躱していく。
カルラの経験上、これは躱しようのないだろうと思われる攻撃を繰り出してもやはり当たらない。
刀に意識を向けさせたところで不意に蹴りを放ってみても無駄に終わる。
腕の筋繊維がブチブチと妙な音を立てるのも厭わず、無茶な動きで振るった刃でさえも涼しい顔で難なくいなされる。
そして何よりカルラのプライドを傷つけたのは…メアがその場から移動していないことだ。
どこを狙ってもどういう訳かその場で躱されてしまう。
まるで刃がその身体をすり抜けているかのような錯覚すら覚えてしまうほどだ。
しかもその地面につきそうなほど長い髪の一本すら捉えられない。
衣服に切れ込みの一つすら入れられない。
完全に遊ばれている…そうとしか思えなかった。
「あぁあああああああ!!腹立つな!ボケェー!」
大声を出し激昂しながらカルラが刀を大きく振りかぶる。
だがそれは「フリ」だ。
大声を出し、大ぶりな攻撃動作を見せてキレたフリをした。
メアを挟んで反対側で起き上り、ナイフを突き出そうとしているストガラグの存在に気付かせないために。
「ほぁ~」
一切気の入っていない鳴き声のような声を上げてメアは背後のストガラグを蹴り飛ばし、そのままバク宙でカルラを飛び越えた。
「…ようやく動かせはしたが…勝った気はせんのう。別に動かないという縛りで遊んでたわけでもなく、ただ単にワシの攻撃なぞその場から動かずに捌けただけっちゅう感じじゃ。腹立つのー!」
「あぁ…そしてお前は明確に敗北しているようだなカルラ」
「あん?」
「奴の手を見てみろ」
言われてみてみるとメアは小さな石のようなものを弄んでいた。
それはカルラの持っていたはずの呪骸だった。
「なっ!?いつの間に…いや、さっきの一瞬かぁ…?無茶苦茶やぞアイツ。つーかあれじゃの…ワシ、あいつに会ったことあるかもしれん」
「なに…?それは本当か?」
「おう。多分じゃが前に話したワシと教皇の前に現れた黒髪のガキ…あれじゃあ。なんか見た目が変わっちょるが間違いない。刃を交わした感覚がほぼ同じじゃあ」
「それが本当だとするのなら…やはり普通の人間ではないか。となると龍か…?」
「本人がさっきドラゴン言うとったからの。そういうことちゃうか?」
「おそらくは…」
「いや違う」
カルラとストガラグの言葉をピシャリとポリアデルスが遮る。
「なんだと?どういうことだポリアデルス」
「…断言しよう。アレは…少なくとも龍ではない。間違いなくだ」
三人の間に緊張が走る。
「はっ!?」
そしてメアにも電流が流れ…次の瞬間にメアの腹が大きな音を立てた。
「お腹が…すきました…」
そしてどこから取り出したのか大量のクッキーを緊張する三人をしり目に食べ始めるのだった。




