謁見
金神領はかつてないほどの混乱に包まれていた。
空に悍ましい怪物が現れたかと思えば黒い雨が降り、その雨に打たれた者たちは良くて意識不明。悪ければ…。
そんな状況下で今度は急に雪が降り始め、それと同時に黒い化け物が現れ人を襲いだす。
もはや何が起こっているのかと人と言う生き物が理解できる範疇を越えており、結果としてパニックとなり叫んだり、暴走したりするものが現れだした。
そしてパニックは感染し拡大する。
それがほんの数人から始まったものだとしても、次の瞬間にはその倍。気が付けばさらに倍と拡がっていき、いらぬ被害が生まれていく。
そんな中で真っ先に行動を始めたのは金神教会に所属する執行官たち、そしてスレンだった。
初めは執行官たちの声などに耳を貸さず、恐慌に陥っていた民たちだったが、スレンが魔法で声を拡散させ
「自分は赤神領所属の執行官です!そして赤神領で神父に近い地位を持つ方もこの国にいて既に事態の収拾にあたっています!ですから皆さんはとにかく落ち着いて避難誘導に従ってください!」
と声掛けを行ったことにより、完全にとは言えないかもしれないが、落ち着きを取り戻し、以降は急速に避難がが進んでいった。
「助かりましたスレンさん。我々執行官だけではここまでスムーズに避難を行えたかどうか…」
「いえ、俺は上司の地位を借りただけで何も…それよりここは任せても大丈夫ですか?俺はあの黒い怪物に対処しながら逃げ遅れている人がいないか探しに行きますので!」
「…わかりました。この国の所属ではないあなたに任せてしまうのは心苦しいですが…」
執行官たちはスレンが背負っているつるはしで謎の怪物を一掃する姿を見ていた。
最初はふざけているのかと憤りかけもしたが、その戦闘力に驚嘆し、信頼を寄せた。
「いえ気にしないでください!お互い様ですから!では!」
そして謎の怪物がやってくる方向に駆け出したスレンだったが、数分走ったあたりで足を止めた。
「これは…」
それは絶望的な光景だった。
────まるで黒い津波だ。そうスレンは思ってしまった。
ゆらゆらと…しかし確実に市民が避難をしている場所に向かって歩いていくのは数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の怪物。
先ほどまでにもスレンは決して少なくはない数の怪物を相手にした。
だが、それはたまたま早くスレンたちの元まで辿り着いた先兵でしかなかったのだ。
「っ…やるしかない…俺しかいないんだ…!行くぞ【デスブリンガー零】!」
スレンはつるはしを握り、そして構える。
まだ十全とは言えないが、すでにつるはし…否、デスブリンガー零は手に馴染み、今の自分にどんなことができるのか直感的に理解している。
おそらく全力でデスブリンガー零の力を振るえば全てとはいかなくとも、かなりの数の怪物を始末できるだろう。
だがそこまでの力を引き出せば反動でスレン自身も危ないだろう。
そしてもう一つ。
「敵だけを狙って…なんて器用な真似はできない。それをやれば周辺にも被害が出る…まだ避難していない人がいるかもしれないし、何より市民の皆さんが集まっている場所まで近すぎる。無理はできないか…」
力を使えば周囲に地震を起こす、または地面を砕いたり陥没させたりすることはできる。
だがそれを行えば罪のない人々にも被害が及ぶ危険性がある。
少しでもそうなる可能性があるのなら、実行することなどできるはずがない。
スレンは一度だけ深呼吸をし…覚悟を決めた。
「きっとストガラグさん達なら何とかしてくれる。俺が今できること…やるべきことは…少しでも時間を稼いで一人でも多くの人を助けること!うおぉおおおおおおお!!!」
気合の雄たけびを上げながらデスブリンガー零を手に怪物の群れに突っ込んでいくスレン。
一体一体は決して今のスレンにとって脅威ではなく、デスブリンガー零の一撃を受ければそれだけで霧散して消えていく。
問題は数だ。
どれだけ目の前の怪物を薙ぎ払っても、その奥、上、下、横…ありとあらゆる場所から怪物が湧き出てスレンを攻撃していく。
躱そうにも既に身動きが取れるような隙間が無いほどに怪物の波に捕らわれてしまっている。
「うっ…まだだぁあああああああ!!」
顔を殴られれば前に。
脇腹を抉られれば横に。
足に喰いつかれれば下に。
とにかく痛みを感じた方向に向かってひたすらデスブリンガー零を振るい、突き立てていく。
そうしていればいつかは敵を倒し尽くせるはずだと。
しかし次第に痛みを感じなくなっていく。
感覚が鈍っていき、自身の呼吸が遠くに聞こえる。
まさに多勢に無勢。
どれだけ倒してもきりのない…残機が無限ともいえる相手に、時間と共に傷つき消耗していくスレンとではそもそもの前提が違いすぎる。
彼はあくまでもただの人間…一騎当千の力など持ってはいないのだから。
「くそ…まだ…やれるのに…」
身体に力が入らなくなり、膝をつく。
気力はあるのに、身体が付いてこない。
いや…その気力も実はとっくの昔に尽きているのかもしれない。
そうしてもう何度目になるかもわからない、ある思いがスレンの中に反響する。
(力が欲しい…もし俺に…呪骸の力があれば…この状況を覆せたのだろうか…)
思い出そうとすればいまだに脳裏によぎる呪骸を手にしたときの圧倒的な力の奔流と、そこからくる万能感。
振り切ったつもりでも、心が折れ掛ければまたそちらに流れて行ってしまう自分が情けない。
それでも…考えることをやめられない。求める心を止められない。
あの小さな石がこの手の中にあればと強く手を握りめる。
すると伝わってきたのは…小さな石の痛みではなく、がっしりとした頼もしい鉄の感触。
そう…デスブリンガー零だ。
「…そうだ…穴を…俺は穴を掘ったんだ…」
デスブリンガー零を手にしてからというものスレンは一日たりとも穴掘りをサボらなかった。
穴掘りの神の助言に従い、弱い自分を振り切るようにひたすら土に向かってそれを振り下ろし続けた。
広大で巨大な大地に全力で力を叩きつけているうちに、それまでの自分の小ささを知った。
そんな小ささすら受け入れてくれる大地を心の底から凄いと思った。
そしてスレンは悟ったのだ。
「強大な力なんていらない…大切なのは…穴を掘るという意志…!」
スレンは静かに立ち上がり…目を閉じてデスブリンガー零を振り上げる。
その間にも怪物たちはスレンの身体を食い荒らそうとしてくるが…もはやそれすらもスレンの心を乱すには至らない。
やることは何も変わらない。
何度も何度も愚直に続けてきた動作をするだけ。
まるで澄んだ水のように、ただただ静かだ。
今この瞬間、スレンの意識には何も映っていない。
音すらも消失し、自身と手の中のデスブリンガー零以外なにも。
そしてスレンは…広大な大地に向かってブレのない動きでデスブリンガー零を突き立てた。
変化は劇的に起こった。
ほんの一瞬だけ地面が揺れ…それが収まったかと思えばスレンの周囲の地面から鋭い土の棘が突き出し、怪物たちを突き刺した。
それだけにとどまらず、棘の外から数メートル圏内の地面がひび割れ、空いた大穴に飲み込まれるようにして怪物たちが消えていく。
この一瞬で100体近くの怪物が倒され霧散した。
「はぁ…はぁ…これが…全部…」
そこでスレンの気力が尽きた。
棘も、地面の穴も…初めからなかったように消え失せ、元の形に戻ってしまう。
そして怪物達は…いまだ健在だ。
スレンの周囲から100体ほど消えただけでは何も変わらない。
これが彼の限界だった。
「…やっぱり…弱いなぁ…俺…」
遂に膝が崩れ落ち、立ち上がることすらできない。
迫りくる怪物たちを前に自らの終わりを悟る。
「ストガラグさん…カルラさん…後は頼みます…はぁ…最期にもう一回だけ…神様に会いたかったな…」
怪物の黒い腕がスレンの命に届く…その瞬間だった。
「ひゃーっはぁーーーーーーーー!!!」
この場に似つかわしくない、やけにテンションの高い叫び声が鳴り響く。
それも子供の様に甲高い声でのだ。
最初は遠くから聞こえていたその声は、どんどん近づいてきて…その声に合わせてスレの周囲にいた怪物たちが破裂して消えていく。
そうしてスレンの命を奪おうと正面にいた怪物までもが破裂し…その背後から怪物達よりも黒く…そして深く美しい黒が現れた。
それは…長い髪だ。
風に煽られてばさりと靡く黒い髪。
スレンはその美しい髪をずっと夢にも見ていた。
だってその持ち主は…。
「およ?人間さんじゃぁまいか。危ないとこだった?」
「神様…穴掘りの…」
それはスレンにデスブリンガー零を託した小さな神様だったのだから。
果たして彼はどこに向かっているのか。




