死を招く4
誰かがふと空を見上げた。
何故見上げたのか…それを完全に説明できる者なのなどいない。
視線を感じて背後を振り返るように…ただなんとなく空に向かって顔を上げただけ。
だがこの瞬間…確かにその誰かは何かを感じたのだろう。
あるいはそれこそが人が久しく失ってしまった本能というものなのかもしれない。
────雨が降った。
雲一つない晴れ渡る空なのに、確かにぽつりと一つ…空を見上げた誰かの頬に水が落ちた。
なんとなく拭ってみるとそれは黒く濁った水滴で…「なんだろう?これ」と疑問を覚えた瞬間に、さらにもう一滴。
一滴はやがて二滴…そして四滴。
気が付けば大雨に。
世にも珍しい黒い雨が金神領の地に降り注ぎ…そして一人が急に苦しみだして雨の中に倒れた。
「おい!あんたどうしたんだ!?大丈夫か!…ひっ!?し、死んでる…!?」
倒れた人間は既に息がなく、白目をむきながら絶命していた。
彼は黒い雨が落ちてきたときに、好奇心に駆られてそれをひと舐めしてしまい…そして倒れたのだ。
そこからは早かった。
1人が倒れたのを皮切りに次々と人が倒れていく。
最初の一人と同じように好奇心に負けた者が…そうでなくとも激しくなっていく雨が目や口の粘膜から入り込んでしまった者も同じように何もわからないまま命を落としていく。
今はまだ無事だとしても、無防備に雨に討たれたものの末路もまた同様だろう。
なぜならそれは死の雨だから。
今日この日…金神領はかつての【災害】にも匹敵する被害に直面することになる。
────────────
巨大な異形…かつての黒龍に似た何かは毒から這い出てくると悍ましい雄たけびを上げた。
それは周囲の空気を震わせ、地面を揺らし、その余波だけで周囲を吹き飛ばす。
「なっ…!?まずい!結界が!!」
呪骸の力を利用したポリアデルスの結界はあっさりと破壊されてしまい、その力を失う。
だが完全に無意味だったという訳ではなく、それ以上の被害を抑えることはできた。
ただしそれもこの一瞬だけだ。
周囲には毒の雨が降り注ぎ、遠くから人々の悲鳴が木霊する。
幸いと言っていいのかは分からないが、異形の怪物のほぼ真下には雨が降っておらず、ストガラグ達に被害が無いところだが…それ以外の範囲に及んでいる雨が及ぼしている影響は計り知れない。
それでなくとも次に異形の怪物がまた雄たけびを上げれば…次はどれほどの被害が出るのか考えることすら恐ろしい。
「ポリアデルス!結界の張り直しはできないのか!」
「無理だ…あれには少し準備がいるんだ。こうもあっさりと破られるとは…まさか【死縛獣】までに至るとは…完全に予想外だった。私の見通しが甘すぎた…これは私のミスだ…だがそれでもこれ以上市民にまで被害を広げるわけにはいかん…!」
「死縛獣…?それがあの化け物の名前か?それはいったい…」
「旦那。今はあれの正体うんぬんより、どうするかを考えるべきじゃの。やっこさんの身体から毒が漏れ出しちょる。それに今にもまた叫びだしそうじゃ。このままじゃと冗談抜きでこの国は死の都になるぞい」
「え、あ…!大変じゃないですか…!くっ…!ストガラグさん!カルラさん!俺、市民に皆さんの避難をさせてきます!ストガラグさんの名前と立場、少し借りますね!」
スレンが駆け出し、その場から離脱する。
だがそれは彼が逃げたという意味ではなく、スレンなりに自分が出来ることを模索した結果だ。
ストガラグは自分よりはるかに強く、カルラもまた同様だ。
なら自分が戦闘の場に参加する意義は薄く、それよりは赤神領の執行官と言う他の国にも影響力のある立場を利用して無理やりにでも市民の避難を進めたほうがいい。
その役目は自分が一番適しているはずだと迷うことなくスレンは毒の雨の中を走り出したのだ。
「青年、これを飲んで行きたまえ」
ポリアデルスは走り出したスレンに向かって小瓶を投げわたす。
その中には透明な、しかし水ではない何らかの液体が入っていた。
「解毒剤だよ。おそらくこの雨も性質は金龍のそれとおなじだろう。ならば効果はあるはずだ」
「…!ありがとうございます!」
「解毒剤は持ってきていないと言っておきながら…相変わらず食えない男だ」
しかしその行為にどれほどの意味があるのか…次の瞬間にはすべてが消し飛ばされてしまうかもしれない。
それほどまでに事態はひっ迫している。
「どうするポリアデルス!アレの正体を知っているのはお前だけだ!指示を出せ!どうすればアレを止められる!」
「…無理だ。今の私には手が無い…あんな高度に位置どられては…それに【死縛獣】に生半可な攻撃は通用しない。アレが出現した時点でもはやこの国に未来は…」
ポリアデルスが諦めたようにそう言った時だった。
異形の怪物が大きく息を吸うような動作を見せ、その口に尋常ではないエネルギーが貯まっていくのがわかった。
もう一度あの咆哮を放つつもりだと全員が身構えた。
しかし個人での対処はともかく、それを完全に防ぎきる手段を持つ者など誰もおらず…戦う事すらできずに万事休すか…とポリアデルスが俯きかけたその時だった。
しん…とした空気を身に纏い、銀龍が静かに一歩を踏み出して前に出たのだ。
「銀…?あなた何をするつもり?」
「…」
ヴィオの声にはいつものように反応せず、銀龍は静かに片手をあげ、空に絵を描くように振るう。
「お前…銀の龍…反射を操る銀射龍シルバーオブリフレクト…まさかあの咆哮を反射するつもりか!?まてアレを仮に反射できたとしてもその余波は周囲に拡散してしまう!そうなればここら一帯が消し飛んでもおかしくは…!!」
ストガラグが想像した最悪の事態。
いくらこの場を切り抜けるためだとしても、犠牲があまりにも多すぎる。
止めなければならないが、仮にそれを止めたとしてもその後どうすればいいのかいい考えも浮かばなければ、考えている時間がそもそもない。
しかしストガラグのそれは完全な杞憂に終わることになる。
────毒が渦巻く金神領の地に…白く小さな雪が降りはじめた。
黒い雨に混ざるように…毒に触れてもなお溶けずに主張する小さな粒は儚く空を舞いながらも、確かに地に降り注いでいく。
「これは…銀…あなたいったい…」
「…ナラ──ブ──リ─…ス」
銀龍が小さく何かをつぶやくと地面から無数の氷柱が現れ、異形の怪物を取り囲み貫く。
流れ出ていた毒も白く霜がかかったようになり、次の瞬間には凍り付いてそれ以上は広がらなくなった。
降り注ぐ雨すらも雪の結晶に包まれ、凍り付き、そうして生まれた雪はいつの間にか周囲に降り積もって、やがて異形の怪物までもが凍り付いていいく。
それはまさに…一面の銀世界だった。
「フェンリルアクセル…フルドライブ」
金龍と戦いになった時に必要以上の被害を出さないようにと同行させられた銀龍。
彼女はこの瞬間、与えられた役割を期待以上の形で成し遂げて見せたのだった。




