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29.聖なる大地の意志

(契約が……破られたか)


 『契約の鈴』の力により、ゼロンにも契約が破られた事が伝えられた。


 フュノが聖竜側に寝返って竜の姿へと戻ったか、それともフュノの身に何か起きたのか。胸の奥が騒がしい。


 ゼロンは両手を見つめ、フュノを抱きしめた感触を思い出す。あの愛しい小さな竜は、腕の中で、生きている事を、絶望していた時もあった。

 頭を振って、フュノは聖竜に寝返る事も、自ら鈴を手放す事もないと思い直す。


 竜に戻らざるを得ない状態に陥ってしまったか、聖竜達によって鈴を外されたか。

 いずれにせよ、フュノが危険に晒されているという事は間違いない。


 聖竜姉妹は、フュノの敵だ。



 森の主が、『二人でいる時、フュノはこれまでもう十分生きたと、笑っていた』と悲しそうに言った。

 でも、まだこんなものは、十分生きた内には入らせない。こんな所で終わるのは許さない。

 この先、共に『魔の大地』へ戻る方法を見つけるのだから。


「無事で、いてくれ……」


 ゼロンは空に向かって、そう願った。


 フュノが竜の姿に戻ろうが、既にどうでもいい。契約を破ったとしても、この先フュノを二度と手放すつもりは無い。


 フュノは契約のために、相当苦しんでしまっただろうか。契約を破って、今悲しんでしまっているだろうか。


 早くあの『鈴の契約』を解除してしまえばよかった。

 契約が無くとも、側にいて良いと早く言ってやればよかった。



 不幸中の幸いではあるが、契約が破られたおかげで、ゼロンはフュノの場所を正確に把握できている。


(早く、フュノの所へ……)


 ゼロンは顔を歪めて、鈴の気配がした方角へ大きく旋回した。


◇◇◇


 聖竜なんて、この世から消えてしまえばいい。


 聖竜は醜い。聖竜が嫌い。


 これが聖竜の本性だというのなら、『聖なる力』も、もういらない。


 『聖竜王』なんかに、ならなくていい。



 フュノは心の奥底から、『聖なる力』を拒絶する。

 姉達は攻撃の手を緩めないが、もう痛みも何も感じない。


 ただ、心が苦しいだけだ。


◇◇◇


 ……あの子が苦しんでいる……こんなにも、『聖なる力』を憎んでいる。


 『聖なる大地』は、それを感じ、悲しんでいた。


 大地が愛した、優しい青の竜。

 大地が愛してしまったために、他の聖竜から憎まれた、哀れな竜。



 聖竜の力は、『聖なる大地』が生み出す力、そのもの。

 今、愛しい青の竜を苦しめている力も、また『聖なる大地』の力。



 『聖なる大地』は、聖竜王を通じてのみ、行動を起こせる。

 『聖なる大地』の意志を感じとり、行動に移す存在。それが『聖竜王』という存在。


 だが、聖竜王は『狭間の大地』へ渡る事ができない。



 『大地の意志』は、青の竜を、ただ想う事しかできない。

 あの子を、助けてやることができない。



 だけど、せめて。

 桃の竜が、『聖なる大地』の力を使って、青の竜に深く沈めた呪いは、解きましょう。


 大切な、優しい青い竜。

 どうか、生きて。


 どうか、もう一度、笑って。


◇◇◇


 『パキン』


 何かが、フュノの体の中ではじけ飛んだ。

 それが何なのかは、フュノには分からない。


 全身に複雑に絡みついていた鎖が一瞬ではじけて消える、そんな感覚が電撃のように全身を駆け巡る。


 『聖なる大地』の意志により、コハルに掛けられたフュノの呪いは、今解除された。


《どうか、生きて》


(……誰……?)


 周囲の音は届かず、意識も朦朧としている中、フュノに、誰かの声が聞こえた気がした。

 それが『聖なる大地』の意志だと、フュノが気づく事はない。


 これまで体を縛っていた、見えない鎖が無くなったかのようで、体が軽い――。


 ――と、感じたのも束の間。


「…………っっ!」


 コハルの呪いは『聖なる力を押さえつけ、自由に使わせない』というもの。

 呪いが解除された事で、フュノの体内の、力のバランスが崩壊する。


 長い間、呪いにより頑丈に押さえつけられていた、従来フュノが持つべき『聖なる力』。

 それが一斉に、解放されて体内へ溢れ出す。


◇◇◇


 フュノの『聖なる力』――。


 それは、ただ従順に、呪いにより押さえつけられていただけの存在ではなかった。

 究極までに体内で圧縮された濃厚な力は、無意識ながらにゼロンの魔素をフュノの体内の奥底に絡みつかせていた。


 ゼロンですら異常事態と考えた、フュノの『魔素を浄化する力』。フュノのストーカー魂による執念だと思われていたが。


 例外なく、『聖竜と魔竜』は『水と油』。それを浄化ができるはずもない。

 フュノは、これまでゼロンの魔素を浄化していたわけではない。


 圧縮された『聖なる力』が、大好きなゼロンの魔素を逃すまいと。その魔素に絡み体内の奥底へ留めさせていただけだ。

逆に、これは本当にストーカー魂の執念と言えるのかもしれないけど。



 フュノの知らない所で、ゼロンの魔素を取り込めば取り込むほど、それを絡みつかせておく『聖なる力』の威力も増していた。

 期間をかけて、フュノはかなりの魔素を取り込んだ。呪いにより圧縮されていた『聖なる力』も、異様な量の魔素を抑え込むべく、相当の力に進化していた。


 ただ、コハルの呪いにより、フュノ自身、その力に気付く事も、自由に使う事も叶わなかったが。



 ヒャクマがフュノと対峙した時、力の容量は大きいのに中身はスカスカで歪だと感じていた。あのヒャクマの感覚は、正しかった。


◇◇◇


 フュノに掛けられていた呪いが解除され、『聖なる力』が体に溢れ出るのと同時に……体内の奥底に留められていた魔素も解放され、逆流を始める。


 『聖竜と魔竜』……『聖なる力と魔の力』は、『水と油』。


 聖竜であるフュノの体は、突如噴出した大量の魔素に耐えきれない。

 さらに、その魔素は、『魔の大地』に愛されたゼロンの、どの魔竜よりも強力な魔素。


 残念ではあるが。聖竜の体にとって、やはり魔素は毒でしかなかった。


「っっっ!」


 フュノの体が軋む――このままでは、体が壊れる。フュノは体を貫く痛みに、声にならない悲鳴を上げる。


 ――その時。


 もう一度、あの声が届いた。

 遠い昔、どこかで聞いた。大地から響く優しい声。


《愛しい子……。あなたを、『大地の摂理』から外しましょう。

 ……だから。どうか、生きて》


 『パキン』


「……っ!」


 再び、体から何かが弾け飛ぶ。

 今度は、全身から――魂に絡みついた鎖が消えた。そんな感覚だった。


 同時に、フュノは人の姿を維持できなくなり、自然と、竜の姿へ戻る。


 だが。


 それは以前のように、青空に似た鮮やかな青い竜ではない。

 闇に近い、暗く青い竜だった――。


◇◇◇


「何なの……!?」


 叫んだのは、ナツキだったのか。

 コハルはその場から動けずにいた。ただ、本能がこの場から逃げろと叫んでいる。


「……きゃぁあっ!?」


 コハルが叫んだ、その瞬間。

 辺り一帯、フュノから溢れ出た暗い靄に包まれた。


◇◇◇


 フュノは『聖なる大地』の摂理から外され、『聖竜ではない存在』として再構築される。


 魔素と聖なる力が、フュノの身体で分解され、融合する。

 悲しみと憎しみに満ちた、一つの『新しい力』として。


◇◇◇


 徐々に、辺りの暗い靄が晴れる。


 そこには、一体の竜が居た。


 聖竜とも魔竜とも判断がつかない、暗闇に沈む竜。

 その身体は力を制御できていないのか、全体から力が滲み、陽炎のように歪んでいる。


 目を凝らしてやっと、その竜の色が青いのだと気づく。


「……フュ……ノ……?」


 コハルの、掠れた声が聞こえた。

 それは、これまでフュノだったモノとは思えない程、異常な力を持っている。もはや、聖竜たちでは遠く及ばない。


 光の灯らない瞳で聖竜を一瞥した、暗い竜が、咆哮する。

 その体に刺さっていた、幾本もの聖竜達の槍は、一瞬で消滅した。

読んでいただきましてありがとうございます!

ここにきて、フュノさん大変身です!

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