20. 水と油
ゼロンとフュノを残して、タルマウスとポチは寝室を抜けると、そっと扉を閉めた。
フュノの命は危なかったけど、結果的に二人の仲が進展した様子にポチはどことなく上機嫌だった。
――対極的に、タルマウスの顔は憂鬱そのものだったが……。
タルマウスは、フュノの苦しみも、ゼロンの苦悩も知っている。
このまま二人の仲が進展したとしても、ハッピーエンドにはなる事は、まずありえない。
フュノには、バッドエンドしか選択肢がないのだから。
だからこれまで、タルマウスはゼロンに何度も釘を刺して来たつもりだったけれど。
……あの様子だと、きっと、もう手遅れなのかもしれない。
◇◇◇
ゼロンは、フュノを抱きしめて――改めて、フュノの小ささに不安を感じていた。
人の姿に変化をしている時のサイズは、元の竜の大きさに比例する。空でフュノを追い掛け回した時、小さい竜だとは感じていたが……力も無く、小さな愛しい青竜。
ゼロンが『魔の大地』へ戻った後、『狭間の大地』へ置いて行かれるフュノは、間違いなく死んでしまう。
そんな事、ゼロンは十分理解していた……分かってはいたはずだったのだが。
今回、それが現実味を帯びた事に、ゼロンは『恐怖』を感じてしまった。
ゼロンは最強魔竜であるが故に、これまで恐れや恐怖という負の感情とは無縁に生きてきた。
『契約の鈴』以外、特定の何かに執着した事も無く、何かを失う怖さを知らずにいた。
『フュノを失っていたかもしれない』
それはゼロンにとって、初めての『恐怖』となっていた。
フュノを抱きしめるゼロンの腕に、さらに力が込められる。
「ゼ……ゼロン様……流石に……ぐ、苦しい、です」
その力の強さに、フュノがゼロンの背中をパタパタと叩く。
最初は抱きしめられて、嬉しくて真っ赤になっていたその顔は、もはや息ができずに青褪めている。
ゼロンはフュノを放したくなかったのだが……苦しそうなフュノの声に負けて、渋々とその腕を緩める事にした。
ぷはぁ、とフュノが全力で息をする。
腕の中で必死に深呼吸をするその姿が、妙に愛しい。
ゼロンは、コロコロと表情を変えるフュノに、優しく微笑んだ。
「体の調子は、どうだ?」
「もう、大丈夫ですよ!」
あれから何日寝たのかは分からないが、フュノの体の傷は完全に治っている。
フュノは完全回復をアピールするようにパッと勢いよく立ち上がり、その場でクルリと回って見せた。
「ほら、この通……り……あ……れ」
――が。ぐらり、とフュノの世界が揺れる。
視界が霞み、心臓がギシリと痛む。
バランスを崩して倒れ込むフュノを、ゼロンが慌てて両手で支える。
「フュノ!? どうした!?」
(……何だろう……?)
心臓に、違和感がある。
フュノはゼロンに支えられながらもその場に蹲り、自分の胸元をぐっと握りしめた。
ヒャクマに心臓を握りつぶされそうになったけど、あんな傷はもう完治しているはず。
だけど。
フュノは胸元に触れて、感触をたしかめる。
何かが、心臓に引っ掛かっている気がする。
「あ……何だか、変……です……」
フュノは湧き上がる嫌悪感と吐き気に、口を両手で押さえて必死に堪える。
心臓が、ぐらぐらして、気持ち悪い。
「フュノ……少し触るけど、じっとしていて」
ゼロンはフュノを自分にもたれ掛からせるように座らせると、後ろから手を回して、そっとフュノの違和感が残る胸に触れる。
「ふぉおっ!?ゼ、ゼロン様っ、何事ですかっ!?」
「いいから……動かないで」
心臓の違和感よりも、ゼロンに胸を触られた事に興奮してしまったフュノだったが。あまり騒ぐと、逆にゼロンが困る……という気まずい状態に気づく。
大人しく、ぐったりとゼロンに身を委ねる事にする。
フュノの心臓が違和感関係なく異常にバクバクしてしまっているのは、ゼロンに伝わってしまっているのだろうか。ゼロンも少し、顔が赤い。
しばらくして、ゼロンの手が緩む。
ゼロンが、違和感の正体を見つけた――。
ゼロンの眉間に、深く皺が刻まれる。
フュノの体調を悪くしている理由は分かったが、無性にイラっとする。
「……ヒャクマの魔素が、ここに、残っている」
「うえぇっ」
衝撃の事実とヒャクマの嫌な記憶に、吐き気がこみ上げ……フュノは再び、両手で口を押さえつけた。
ヒャクマに殺されかけた時、確かに、心臓へ直接魔素を流し込まれた。
アレがまだ身体に残っているとは、何と執念深い嫌な竜なのだろう。
「もう何日か経っているから、浄化されていてもいいのに……」
ゼロンの魔素であれば、フュノの身体は数日で完全に浄化して、それを消してしまう。
もしかするとフュノの身体は、大好きなゼロンの魔素は心地よく浄化ができるけど、嫌いなヒャクマの魔素を拒む体質なのかもしれない。
フュノは『我ながら素直な身体だ』と、自分自身に納得しかけたが―ー。
ゼロンは指の感触を頼りに、ヒャクマの魔素を追いながら考え込む。
フュノが言う『魔素の浄化』というものが、ゼロンは以前から気になっていた。
試しに、指先から微量の魔素をフュノの心臓に送り込んでみる。
フュノがくすぐったがって体を捻じっている様子には気づかないふりをして……ゼロンは自分の魔素を、そっと指先で追う。
しばらく追いかけていると、ゼロンの魔素が溶けるように消えた……フュノが言う所の『魔素が浄化』されたのだろう。
それなのに、ヒャクマの魔素は、変わらずその場に残っている。
溶けるように消えるのは、何故かゼロンの魔素だけだ。
「違う……むしろ、ボクの魔素が消える事の方が、不思議だ。
元々、『聖竜と魔竜』は、『水と油』みたいな存在なのだから」
以前、フュノを逃がさないために、大量の魔素を日々流し込んだ事もあった。あの時も、翌日には殆どフュノから魔素が消えていた。
あの時は、ゼロンも聖竜と接する事が初めてだったので、聖竜と魔素は、こういうものだと信じ込んでいた。
だけど、『聖竜と魔竜』が『水と油』のように、交わる事のない存在ならば……やはり、フュノの身体から、ゼロンの魔素が消える事は、異常なのではないか。
むしろ、ヒャクマの魔素のように、消える事もなく、そこに残り続ける方が正しいような気がする。
――だけど、このゼロンの推測が正しいとしたら……この先、フュノの体にはヒャクマの魔素が残り続ける、という事になる。
自分の魔素は跡形もなく消されるのに、ヒャクマの残骸がフュノの心臓に残り続ける、というのは――。
「全く……気に入らない」
無意識に感情を呟いてしまった事に、ゼロンは自分でも驚いた。
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