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落ちる瞬間がやけにゆっくりと感じる。
受け身なんて取れるはずもなく、ただ重力に従って身体は地面に吸い込まれていった。
着地なんて出来ない。このまま行けば地表に叩きつけられる。
来るであろう衝撃に、咄嗟に目を固く閉じた。
「…………」
あれ?
そろそろ衝撃が来ても可笑しく無いのに、何ともないぞ?
確実に落下は終わっているのに、背中には硬い地面の感触はない。代わりに、妙な感触が身体を包み込んでいた。
不思議に思い、ゆっくりと瞼を開いてみる。するとそこには、見しらなぬ男性が呆れたような笑顔を浮かべて、俺を見下ろしていた。
「ったく、オメーは相変わらず世話のやける奴だな」
……誰?
状況が掴めず反応が遅れた俺は、やや間を置いてその人に抱き止められていたのに気付く。
落下地点で受け止めてくれたらしいその人は、俺を膝の上に乗せた状態でしりもちをついていた。
恥ずかしさと焦りでさぞ顔は赤くなったであろう。急いで男性の膝から退いた俺は、急かす気持ちを諌める余裕もなく、慌ただしく頭を下げた。
「す、すみません! あの、どなたかは存じませんが助けて頂きありがとうございます。えっと、お怪我はありませんか......? 大丈夫です?」
「............」
手を差し出し男性を助け起こすと、その人は怪訝な表情をしながら、ズボンの尻ポケットから煙草を取りだし口にくわえた。
フェルターを噛んでぷらぷらと煙草を揺らし、何故か俺の顔をガン見してくる。
な、なんぞ?
「そういや、覚えてねーんだったな......」
「え?」
「いや、何でもねーよ」
……?
男性の不可思議な発言に首を傾げる。
そんな俺の姿を見た男性は、口元を緩めると俺の頭をわしゃわしゃとかきみだしてきた。
「うわわ!? ちょっ!?」
「朝っぱらから心臓に悪い事しやがって、このわんぱくめ。ともかく、オメーは遅刻だ。罰として反省文書いとけよ」
「......へ?」
……え? 罰則の指導をしたと言うことは......。まさか、この人......。
「あの……もしかして、学院の教員……なんですか?」
「あん? あたりめーだろうが。何言ってやがる」
「......いやいやいや……」
俺は男性の姿を改めて確認した。
襟足まで伸びた黒髪はボサボサ。顎には無精髭が生え、来ているワイシャツは清潔感のある白だけど、ヨレヨレでシワがよっている。褪せた黒いズボンは端が解れているし、履き古したような茶色い革靴は見るからにぼろぼろだった。
リストラされて公園のベンチに座る中年サラリーマンを連想させる姿だ。
間違っても、格式高いネフェリ学院の教員とは思えない。
しかし、その男性は俺に構わずマッチで煙草に火を点けると、プカリと吹かして不機嫌そうに言葉を放った。
「なんだぁその態度は? あーあ、門扉越えようとしたの見逃してやろうと思ったのになー。罰追加してやろうかなー」
「えっえっ!? 待って下さい!! すみませんでした! 先生! 俺が悪かったです! 反省してます!!」
ちょおおお!!! 見た目で油断したけどマジで先生だったらやべーじゃん!!!
門扉の件はシャレにならないくらい危ないから、普通の罰則なら反省文では済まないだろうし、この先生が(本物なら)黙っててくれるのに越した事はない。
ここは何としてでも機嫌を取らなくては!!
「どこからどう見ても立派な先生です! 360°パーフェクトティーチャー!! 素敵! 担任になって!」
「あん?」
「御召し物もワイルドでセクシー! 男の色気が半端ない! 男も女も一ころ抱いて欲しい!! 危険な教師ナンバーワン! 今日から貴方は歌舞伎町の夜王!!」
「は?」
「無敵に素敵! 元気に勇気! 生徒は皆貴方の虜! 今日も元気に、ファイトイッパーーーツ!!!」
「喧しいわ」
スパーーーン!!
「痛ってーーーーー!!!」
おだててたら何故か頭をおもっくそ叩かれたでござる。解せぬ。
頭を抱えて男性を仰ぎ見れば、呆れた表情で煙草の煙りを吐き出していた。
「たく、おふざけも大概にしねーとここじゃ目立つぞ? おら、さっさと教室に行った行った」
「え? 行っていいんですか?」
「担任のロフィリアには俺から話しておく。まぁ、門扉の事は黙っておいてやるよ......それでも反省文は書くことになるだろうけどな」
枚数覚悟しとけよ、と男性に額をつつかれる。
まぁ、こればっかは仕方がないよなぁ......。作文とか苦手だから、あんまり沢山書ける気がしない......せめて二枚くらいにしてくれると助かるんですけど。
「ほら、早く行かねーと授業に間に合わねーぞ」
「はい。あの......本当にありがとうございました」
「…………おう」
最後に頭を下げて男性に背を向けた俺は、教室までダッシュで向かった。
......あれ? そういや、あの人にクラスとか教えて無いのにどうして担任がロフィリア先生だって分かったんだろう。
......ますます不思議な人だ。
先生らしからぬ風貌もやけに砕けた態度も、どこか庶民染みていてこの学院では浮いた存在だ。
他の教員だったら、門扉の事は絶対見逃してはくれないだろうしな。
ともあれ、助けてくれたのがあの先生で良かった。
今回の件はしっかり反省して、先生から貰った恩を胸に反省文をしたためよう。
俺がこうして怪我がないのも、先生が受け止めてくれたお陰だしな。しかも門扉の事は黙ってくれるって言うし。いやぁ、世の中には気前の良い先生がいるもんだぜ! 現代日本の先生じゃこうはいなねーもんな。
こうして、難関を突発した俺は浮き足立ちでクラスメイトの集う教室に向かったのだった。
授業が始まる直前に教室に滑り込んだ俺は無事一限目から出席する事が出来た。
なに食わぬ顔で教室に入ってきた俺に対し、クラスメイトは口々に物を言っていたが細かい事を気にしてはやっていけない。罰則はちゃんと受けるつもりだしな。
......ふんす!!
影口を叩かれようとも授業着々と進み、時間は昼休みに差し掛かった。
昼食はシリウスと待ち合わせをしているので、何時もの食堂へ向かおうと席を立った時だった。ロフィリア先生が教室に入って来たかと思うと、真っ直ぐに俺の元に歩み寄り目の前で立ち止まる。
ん? 俺に何かご用ですかな?
「あの......ニベウス君」
「はい」
......なんか、心無しかロフィリア先生の表情が曇ってるんですけど......。
あ、そういや、遅刻したのまだ謝って無かったっけ。
「あの......今朝は遅刻してすみませんでした......先生が言いたいのって、その事ですよね」
「え、ええ......そう、ですけど」
「反省文ですよね? ……何枚、書けば良いんでしょう?」
初犯ですし、なるべく少なくしてくれると助かるんだけどなぁ......。
そんな願いを込めてロフィリア先生を見上げると、難しそうな表情を浮かべたロフィリア先生が、何かを言い淀んでいる素振りを見せていた。
眉ねを寄せ、ハの字にさげた顔つきは頼り無さげで、おろおろしている様子だ。
どうしたんだろう。
「反省文の事でしたら、放課後になったら教務室に来て下さい。原稿用紙を渡しますので......ただ、フェルムット先生からニベウス君に言伝てがありまして......」
「フェルムット先生?」
誰だそれ?
聞き覚えの無い名前に首を傾げる。
「魔術学の先生ですよ......その先生がニベウス君に用事があるみたい何です......昼休み、礼拝室に来るようにと言っていました」
「はぁ......分かりました」
魔術学って......たしか教会の神官になる為の必修科目だよな?
俺、関係なくね?
……よくわかんねーけど、呼ばれてんねら仕方ねーか。
「あの......」
「……?」
行こうとする俺を呼び止めたロフィリア先生は、何かを言いかけて口をつぐむと、辺りを見回して誰も聞いていないのを確認し、俺に耳打ちをした。
「フェルムット先生は、その、少し風変わりな先生です......口調も厳しい所がありますので、気をつけて下さいね」
「はぁ......」
風変わりで、厳しい口調の先生......か。
一癖ありそうだな。何でそんな先生が俺に用があるんだろう。
疑問を持ちつつ、俺は礼拝室に向かった。




