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*とある生徒視点*
ネフェリ学院に入学して一週間はたっただろうか。
Bクラスでは次第に貴族と商人の距離が縮みつつあり、和気あいあい、とまでは行かないが、クラス内の雰囲気はそれなりに友好的な形を作り始めていた。身分の違いを嵩に着た古めかしい者も居ないお陰で、今のところ平穏無事に過ごせている。
そんな俺は貴族でもなければ商人でもない。軍人の子だ。
俺の家は代々軍人を排出している家系で、そこそこ名家として名高い一族だったりする。祖父も父も役職に就いていて、貴族ほどでは無いが金もある。俺みたいに軍属家系な家はこの国には沢山あるから珍しくもないし、今年の新入生にも数人は居るはずだ。
俺もこの学院を卒業したら軍学校に入学して、兄達のように軍に入隊する事になるんだろう。
幼い頃から決まっている将来だ。それに何ら不満は無い。ロッカリア家の男として、シーマ帝国に命を捧げるのは誇りでもある。
しかし、命は捧げられても、心は無理からぬ話し。俺の心は、既にある方に奪われているのだから。
「と、言う訳だ。君の気持ちは受け取れない」
昼休み。
学食を食べる前にとある女子生徒に呼びつけられ、校舎の裏側に来てみれば。
一目惚れしたから付き合って欲しい。
と、告げられた。
所謂告白。
頬を赤く染め、いじらしい仕草でそう告げた彼女の視線は期待と希望で明るんでいた。
相手は大商人の一人娘。
恐らく、今まである程度の事は思い通りにしてきたのだろう。自分が断られるとは考えもしてない顔だった。
そんな彼女の思いを断ると、上品な笑みを浮かべていた顔から表情が消えた。そして、瞬時に顔を茹で蛸のように真っ赤にすると、女子生徒は苛烈な形相で俺に言い募って来る。
「この私をふるつもり!? ふざけないで! 貴方に拒否権はないわ! 黙って私と付き合いなさい!!」
「だからそれは無理だ。君に全く興味が無い」
「なんっ......ですって......!? わ、私の何が不満だと言うの? 見目も財産も、申し分なく揃っているわ!? 他に望む物があれば言って頂戴、すぐに揃えるから!」
二言目には金の話しか。これだから成金は困る。思い通りに行かなければ金に物を言わせるなど、下賤ではないか。
「どんなに金を使っても俺の望む物は君には手に入らないだろう。それに、俺には心に決めた人がいる」
「......っ!!」
諦めきれないのか、それとも意地を張っているのか、なかなか引こうとしない彼女は「それなら!」と、目に涙を溜めて食い下がる。
「その、心に決めた人って誰よ! 一体どんな奴なの!?」
今にもつかみかかりそうな勢いで問いかける彼女に、俺は何と答えた物かと一瞬思案した。
その人の事を俺は良く知らないし、相手も俺の事を知らないだろう。だが、曖昧な説明でこの女子生徒が納得するとは思えない。
悩んだ末、俺は端的、かつ分かりやすい言葉でその方がどんな人なのか伝える事にした。
「君よりも、ずっと美しい方だ」
次の瞬間、左頬に衝撃が走った。
「相変わらず空気読めないと言うか、無神経だよなーお前は」
「......うるさい」
頬に大きな手形を作った俺の顔を眺めながら、事の顛末を物陰で盗み見ていた幼馴染みのルディエルが呆れた表情でそうぼやいた。
件の女子生徒は頭に湯気がたつのではと思うほど怒り心頭になって何処かへ行ってしまった。
分かりやすく伝えようとしたのだが、勘に障ってしまったようだ。何がいけなかったのだろう。
「性格はともかく、顔も可愛いし金持ちなんだから付き合えば良かったじゃん。勿体ねーの」
「好きになれない相手と付き合う事は出来ない。それは不誠実だ」
「真面目だねぇ」
やれやれと首をふったルディエルは、何を思ったのか俺の肩に腕を回すと顔を近づけ、含み笑いを作ると声を潜めた。
「そんなに例の"女神"が忘れられないのか?」
「......悪いか?」
「一途ってのも考えもんだな」
女神。
そう。俺の心を奪ったのは泉の女神だ。
女神と出会ったのは一年前。
ボシュルー村と言う田舎村での事だった。
当時、その村で町から追いやられたゴロツキ共がたむろい悪さをしていると言う噂がたっていた。隣町に住んでいた俺の耳にもその噂は入り、その頃兄達に剣の腕で敵わずバカにされていた俺は、一つそのゴロツキ共を懲らしめて兄達を見返してやろうと一人でボシュルー村へ出かけたのだ。
ゴロツキ達は森で潜んでいると言う噂を頼りに、ひたすら森を散策していた俺だったが、なかなか見付かられず所詮は眉唾な噂かと肩を落として帰路に着こうとしていた。
その時だった。
何処からか水音が聞こえた。
もしかしたら探しているゴロツキ達かもしれないと、音のする方へ慎重に進んでいった俺は、そこで思わず息を飲んだ。
実に、実に美しい人が、水面煌めく泉で水浴びをしていたのである。
木漏れ日を反射する銀髪は柔らかそうで、瞳の色はミステリアスな紫。肩は細く、肌は雪のように白い。魅惑的な唇は桃色で、前髪から垂れる水の雫がそこを濡らした。その姿は扇情的でありながらも、あどけない清楚な少女をも連想させる。表裏一体を体現した奇跡とも言えるその人の姿は、正しく神聖とも言えた。
俺は時が止まったかのようにその場で立ち尽くした。
この世に、こんなにも美しい人がいたのかと、今までに無い胸の高鳴りを覚えた。
女神は不思議にも何度も泉に潜るのを繰り返していたが、深く考える事が出来なくなっていた俺はもっと近くでその人を見たいと思ってしまった。
慎重に動くのを忘れ、我を失った俺は欲望のまま足を動かす。その時、木々を揺らしてしまいその音に気づいたその人は弾かれたように此方に顔を向けた。
しまった。と、何故か俺は自分が罪を犯した気持ちになった。
いても立ってもいられず、一目散に逃げ出した俺は直ぐ様ルディエルにこの事を伝えた。するとルディエルに自分にも会わせろとせがまれ、急いで来た道を引き返したのだが、その美しい人は姿を消していた。
村人に心当たりが無いか聞いてみても、そんな人間は居ないと告げられ俺は化かされた気持ちになった。
ルディエルにも幻を見たのではないかと言われたが、俺はこの目で確かに見たのだ。
だが、この世の者ではないのかもしれないと、何処か納得する自分もいる。
あの人は、もしかしたら泉に住む女神だったのかもしれない。
それなら、あの神秘的な美しさも納得出来る。
そうだ、あの方は女神だったのだ。
俺はその日。叶わぬ恋に堕ちたのだった。
「はいはい、幻想の女神もいいけど現実の女をちゃんと見ろっての。このままじゃその顔がただのお飾りになるぞ?」
「幻想じゃない。女神はあの泉に居るんだ 」
「硬派な男は脳内乙女にでもなるのか? そんな事言って何度も泉に通ったけど一度も見かけなかったじゃん」
今ではすっかり俺の話しを信じてくれなくなったルディエルは、裏校舎から教室までの道すがらこうして俺を女神の夢から覚まそうと最もらしい事を言って来る。
それでも、この一年間ひたむきに思い続けてきた恋心を幻想の一言で片付けたくはない。あの時の胸の高鳴りは、昨日のように鮮明に覚えている。例え変わり者だと指を指されても、俺の気持ちが変わる事は無いだろう。
そんなやりとりをしていると、前方から女神程では無いが美しい女人が歩いて来た。
途端にルディエルが色めきたつ。
「わわ!? あの人は確か、ローズリーナ嬢! 王族の親戚って人だ......どうして一回生のフロアなんかに?」
「入学して一週間しかたってないのに詳しいじゃないか」
「学院の美女は既にマーク済みだぜ」
教員含めてな!
と、ウインクするルディエルに、俺はついため息を吐いた。
この男は女性、特に美人に目がない。
剣術の腕は確かなのだが、いつかその色好みが仇とならないか友人として心配ではある。
そんな幼馴染みに、あの女神を見せる事が出来なかったのを残念に思う反面、余計なライバルを増やさずにすんだのに人知れず胸を撫で下ろすばかりだ。
ああ、いつかまた、あの女神と合間見える日は来るのだろうか。




