8
なるべく足音をたてないよう慎重に一階に降りて、辺りの様子を伺う。
静まり返った屋敷は不気味に物音一つしない。それでも、聞き耳をたてて気配を探ると、屋敷の奥から何かを擦るような音が聞こえて来た。
ガシッガシッガシッ
この音は......風呂場からか?
抜き足差し足で風呂場に向かい、入り口を少しだけ開けて中をこっそり見る。
脱衣場を挟んだ向こう側に曇りガラスで隔たれた浴室には、人影らしき者が一定のリズム感で上下に動いていた。同時に、あの擦るような音も聞こえてくる。
ガシッガシッガシッ
ひっ!?
な、なんなん!?何なのあれ!?
怪しい黒い影はひたすら上下に動くばかりで他の動作をする様子はない。でも、何だこの音......。なんの音だ?足音かなにか?だったらどんな生物だし......。
そもそも、どうして風呂場に......?
......あいつが帰ってくるまで、ここに隔離するか?出てこれないように椅子とか持ってきて閉じ込めるとか......。
異音を発てながら浴室を動き回るそれをみつめながら、この後の対策を考え付く限り考える。しかし、椅子を取りに行っている間にあれが何処にかに行ってしまうんじゃないかと思うと、怖くて身動きが取れなくなってしまった。
だって......あんな訳ワカメなのが屋敷をうろつくだなんて想像すると、......鳩ポッポ肌が止まらない......!ホラーかよってんだ!!
そんな事でぐずぐずしてたのがいけなかったらしい。
怪しい影が、曇りガラスに近づいたかと思うと......扉を開けた。
「ぎゃ、ぎゃああああああああ!!!!」
俺はパニックになり、その場で尻餅をつきながら悲鳴をあげた。
腰が抜けて逃げる事も出来ず、ゆっくりと曇りガラスの扉が開くのを見届ける事しかできない。
ばくばくと脈打つ心臓をBGMに、扉が開くのがやけにスローモーションに見えた。そして、影の正体が露になる。
不気味な音を発てながら浴室を徘徊していた謎の影......その正体は!?
「........................へ?」
その、正体は............
可愛らしい金髪ツインテールのメイドちゃんでした......。
......え?誰この子??
「えーっと......」
つーか、どうやって入って来たんだ......?
そのメイドは俺とあまり歳の変わらない女の子で、そばかすがチャームポイントの素朴な少女だった。くすんだ金髪のツインテールが肩口で揺れ、デッキブラシを持つ右手に僅かに触れている。
足は何も履いておらず、裸足の指先は少し赤くなっていた。
影に気をとられて気が付かなかったけれど、良く見れば脱衣場の隅にメイドの靴が置かれている。
さっきの何かを擦る音......もしかしてこの子、風呂場を洗ってた......のか?
自然と視線がデッキブラシに向く。でも、何で?メイドだから?
......でも、ここには俺とあいつしか住んで居ないはずで......。
「あー! 訳がわかんねー!! ね、ねぇ君......ここで何をしてるの?」
「............」
状況を理解出来ず頭をかきむしり、彼女に問いかけるもツインテメイドは視線の定まらない虚ろな瞳を向けるだけで、何も答えようとはしなかった。
喋れないのか?
表情筋が死んでいるなのように、ピクリとも変化を見せないメイドは言っちゃ悪いが少しだけ気味が悪い。
俺があれだけ大声をあげたら、普通は驚くなりしてそれなりの反応を見せるなのに、彼女は全く微動だにしていなかった。何だこの子は。一体何者なんだ?
「......あ」
均衡状態は突如として崩れた。
デッキブラシを持ったまま風呂場を出た彼女は、靴を履くと何事も無かったかのように俺の前を通りすぎて行った。
迷いのない足取りで廊下を進むと、突き当たりにある扉を開く。
用具倉庫だったらしい、その部屋には数本のホウキやモップ、バケツにかかった雑巾などでごった返してして、そこにブラシを片付けたメイドは扉をしっかり閉めてると折り返して来た。
まだ掃除を続けるようで、手には綺麗な布巾を持っている。
俺はと言うと、未だに廊下で尻餅をついていた。ポカンとアホ面でメイドの様子を眺めていると、彼女は俺をスルリと避けて一瞥もくれずにそのまま歩き去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
そんなスルーしないで!
何がどうなってるのか説明して欲しいんだけど......!
慌てて追いかけてメイドの後ろについていくが、何と問いかければいいのか分からない。
聞きたい事はあるけど、どれから聞けばいいのか分からないし、第一この子が俺の質問に答えてくれるだろうか。
虚ろんだ表情はまるで意思のない人形みたいで、俺の言葉が届いているかのも怪しい。それなのに動作はきびきびしていて、手際よく階段の手すりを磨き始めた。まるで、メイドの姿をしたアンドロイドみたいだ......。
「あのー......」
「............」
「君......どこから来たの? 名前は?」
「............」
..................。
ヘーイ彼女! 言葉のキャッチボールしようぜ!!
頑なにスルーとか寂しすぎるんゴwwww
「て、手伝いましょうか......?」
思わず敬語ですよwwww
しかし、相変わらず彼女は応えてはくれない。
投げ掛けた言葉は受け止めては貰えず、行き場を無くして地に堕ちるばかりだ。
......無視決め込まれてやけくそに厨二っぽい事言ってみたら恥ずかしくなっただけだった。二度とやらない。
俺が密かに闇落ちしそうな厨二キャラ気取っている間に、メイドは手すりにワックスをかけてピカピカにしている最中だった。
この屋敷には俺とあいつしか住んでないから、こんなに綺麗にしなくてもいいのにな。誰かを呼ぶ訳でも無いんだろうし。
「......あ......れ......?」
"俺と......あいつしか、住んでない......?"
そこで俺は初めて、この屋敷に対してある疑問を抱いた。
何故、それにもっと早く気付かなかったのか。
自分の呑気さに、腹がたつ。
「確かあいつ......ここは身体の......ハーグの実家だって......言ってたよな?」
屋敷を慣れた動作で動き回るメイド。
それは、彼女が元々ここのメイドだからなんじゃないのか?
そうだ、ここは異次元に取り残された完全に孤立した屋敷なんだ。
あいつが連れて来るなりしなければ、誰かが勝手に入って来る事なんてできない。それは、"逆もそうだ"。
ハーグの実家。一人で働くメイド。
なら、ハーグの家族はどうした?
ここがハーグの実家なら、ハーグの両親なり親族なり、誰かが住んでなければおかしくないか?それなのに、この屋敷には俺とあいつしかいない。
なら、ここに住んでいたはずの人達は何処に行ったんだ?
背中に、氷水が流されたかのような悪寒が走る。
自然と身体が震え、居ても立っても居られず俺は走り出した。
誰でもいい。
誰か、誰か居ないか。
誰か一人でも、この屋敷の人間は......居ないのか。




