02 救国の騎士と悪女
「本当にいいのかい?ララ……。」
父が困ったように眉を下げる。
「今はどうしてもそういう気になれないのです。
迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。」
「迷惑ではないんだよ。」
ララの謝罪に父はあわあわと否定をする。
「家も大切だけどね、でも1番は娘の幸せだからね。うちのことは気にしなくて良いんだよ。
全然別に本当にお嫁に行く必要なんてないんだよ。」
「本当にごめんなさい。」
もうこのやりとりをするのは何度目になるだろうか。数え切れないほどに行われてきたやり取りの末、今回もまたララは婚姻の申し入れを断った。
ララは今年で17歳だ。
この国の貴族ならば、もうとっくに婚約者がいて当然の年齢。
気にしなくて良いわけがないのに、父はそうやって言ってくれる。
「…………ごめんなさい。」
「まだ学園の卒業まで1年もあるだろう?何か転機が起こるとも限らないし、ゆっくり考えていいんだよ。本当に、ゆっくりゆーーーっくり考えようね。」
謝ることしか出来なくなったララに心なしか嬉しそうな父はそう言った。
本当にどうしてと我ながら呆れてしまう。
世代を経て、転生してすら、未だ恋心が燻っているなんて。
本当に、愚かだ。
あの日、玉を破壊して無になる筈だったティアはどういう理屈か、あれから数百年経った後の世にララ・レオナールとして生を受けた。
何の因果か、かつての直属の子孫に生まれ変わったのだ。さらに幸か不幸か、レオナール家もアフロディという国も、様相は変えたが無くなってはいなかった。
後の世になって知った事だが、あの玉は豊穣の加護と国全土を覆う結界の維持に使われていた。玉の破壊によって、結界が破損、豊穣の加護は一瞬にして失われた。幸い結界はすぐに元に戻されたが、豊穣の加護は完全に失われた。その失態により、レオナール家は糾弾され民衆からの支持を失う事となった。
更に追い打ちをかけるように、ヴィルを慕う騎士団とアインツェル家が徒党を組み謀反を起こした。 レオナール家はそれを受け、抵抗もせずあっさりと王権を手放した。
兄が抵抗をしなかったのは、きっとあの豊穣に思うことがあったからだろう。
それがどんな覚悟だったのかを窺い知る事は出来ないが、それでもここで終わらせる事を選んだのだ。
けれどそれが功を奏したのか、詳しいことは記されていなかったが、レオナール家はお家取り潰しには至らず、王族から下流貴族へと堕ちるだけに留まった。
こうして、アインツェル家が現代に至るまで王権を握る事となったのだ。
その過程によって、ティアは国を貶めた大悪女となり、ヴィルはティアという悪女からこの国を救わんと命を散らした救国の騎士だと語られるようになっていた。
「……まぁ、この国を貶めた事は事実だし間違ってはいないわね。」
歴史には明るみになっていないこともあるが、
全て終わった事をわざわざ掘り返して余計な火種を産む必要なんてないだろうし、ティアが全て悪いという事で丸く収まったのならば、それで良いだろう。そもそも生まれ変わりなんて信じられるとも思わないし、ララ自身もそれを望んでいない。
「何の因果…なのかしらね。」
いまは、それよりも。
もうどこにもいない彼の事を想う。
持っていたって仕方のない恋心なのに。
未だにその恋心を捨てられないでいる事の方が問題だろう。
ティアは生まれ変わって、己が歴史に残る悪女となった事よりも、ヴィルが正当な評価を受けられた事に大喜びした。
時代を経て沢山の脚色も修正もされて事実と異なる部分だっていくつもあったが、それでも。
それでも、救国の騎士ヴィルの物語は彼女の愛すべきお伽噺だった。
彼の事を描く作品は何だって集めた。
絵も、本も、劇も、己が自由に出来る私財の殆どをヴィルの物語に注ぎ込んだ。
「私は思ってたより重い女…でしたのね。」
でも、嬉しくて。
私の騎士が凄いという事を、私の恋した人が素敵な人だったと、皆が認めてくれているようで、それがどうしようもなく嬉しくて、やめれそうには無い。
「ヴィルの悪口はもうどこにも無いの。」
王城にいた時はどこへいても聞こえたその憎悪と恐怖の声が、今はどこにいても聞こえない。
それだけで、充分だった。
父との話を終えたティアは足早に出かける。
王立図書館に赴きヴィルの物語を探すのだ。
新しい本が出ていたら嬉しい、出ていなくても何度だって読み返せば良い。
そんな日々の繰り返し。
……このままで良いはずはないのだが、ヴィルより素敵だと思えるような殿方にはどうも出逢えそうになくて。終わらせらせられなかった恋心を捨てることも出来ずにいる。
これがどうしようもない現実逃避だと理解している。なのに、やめられないのだ。
「そんな男の何が良いんだか。」
そんなララを見て、相変わらずだなと呆れたような馬鹿にしたような声が目の前からして、盛り上がっていた気分がぐっと下降する。
「また、貴方ですの?
誰が誰を好きでいようと勝手でしょう?」
本に視線を落とすララを呆れたように見る男は、予想通りの人物で、少し言葉に棘がついてしまったが仕方ない。
彼はウィル・アインツェル。この国の第3王子であり、ヴィルとは1文字違いのくせに、彼を嫌ってるようで、ヴィルの事が好きなララに、何かと絡んでくるようになった厄介な男だ。
「別に文句もいちゃもんもつけるつもりはねぇよ、
ただ、趣味が悪いって思ってるだけだ。」
「それが余計だと言っているのでしょう!
大体、貴方こそそんな悪女に心奪われて、そちらの方が趣味悪いでしょう!」
「はぁ!?ティア様の事を悪女だなんて言うんじゃねぇ!」
何かと突っかかってくる上にコレだ。
だからこの男が苦手なのだ。
この男はヴィルを嫌い、悪女となったティアを崇拝する趣味の悪い男なのだ。
「歴史が悪と証明してるものを好きなんて、その方がよっぽど悪趣味だと思いますけど?」
「はっ、バカだなお前は。本が好きなのに行間も読めないのかよ。ティア様の行動には隠された意味があるんだよ。」
大真面目に本を開き、1文字も書かれていない描写を語る彼に心底ドン引きする。
「行間という名の妄想で、歴史的事実の改変なんてその優秀な頭脳を何処に置いてきたんですの?」
「「なんだと???」」
口論が、殴り合いの喧嘩へと発展しそうになった瞬間、ダンッッッ!!!!と床を強く踏む音がして、2人の動きがぴたっと止まった。
「こほんっ」
司書さんが図書館の至る所に貼られた張り紙を指し、にこにことコチラを見ている。
『図書館ではお静かに。』
貼り付けた笑顔の先に存在する目は、ぴくりとも笑っていなかった。
「「すいませんでした…………」」
居た堪れなくなって、逃げるように2人は図書館を後にした。
……これもいつものパターンだ。
ばったりと出会ってしまい、口論になり、つい白熱しすぎて、司書さんに追い出される。
2人は知らないが巷では、「また今日もやってるわー」くらいの図書館名物として有名になっている程にそれは繰り返し行われてきた。
「全く、貴方と出会うと碌な事になりませんわ。」
「それはこっちのセリフだ。」
今日はもう図書館には行けない。
仕方ないから、その辺のベンチに腰掛けて持参した本でも読もうと歩き出そうとした時にふと彼に聞かれた。
「なぁ、お前。なんでそんなにヴィルが好きなのに赤い指輪はしないんだ?」
「何でって…。」
この指輪が前世でヴィルから貰ったおもちゃの指輪に似てたから……だけど。
そんなこと、言えるわけがない。
前世の記憶というだけでおかしな人だと思われるのがオチなのに、ましてや自分はティアなのだ。
そんな世迷言を口にすれば、この男の逆鱗に触れるのは想像に容易い。
「…………赤い指輪の乙女はヴィルの最愛の人でしょう?私はファンであって恋人ではないもの、それを付けるわけにはいかないわ。」
「へぇ、そういうところは謙虚なんだな。」
「そりゃあ、ヴィル様は好きですけど
ヴィル様を無理やり手に入れたい訳ではありませんもの。」
だから、もう一つの理由を告げた。
赤い指輪の乙女。
かつてヴィルが市井で最愛の女性に赤く光る宝石がついた指輪を贈ったとされる逸話だ。
革命が起こった後、救国の騎士ヴィルの伝説は国中に広まり、多くの逸話が掘り起こされた。
その中にあった話で、その指輪を送った女性が誰かは未だ分かっていないが、目撃者も多くいたことから史実としても認識されている、彼を語る上では外せない有名なエピソードの一つだ。
この話を聞いた時、ヴィルの愛した人は他にいたのかと悲しくなったけれど、恋心を消すには至らなかった。決して貴方の邪魔はしないから、こっそりと想うことだけはどうか許して欲しい、と。
本当、失恋は目に見えているのに諦められないなんて、なんて馬鹿な話だろうか。
始まってすらない恋心は、最初から終わっていたというのに、生まれ変わっても捨てられないなんて。
「それにこれは大切なものなの。
たまたま運良く好きな人から貰えた物だから。」
だから、外せないでいる。
玩具の指輪ではなく、これは本物の宝石のついたそれなりに値のするものだ。
あの時と同じ物ではないし、勿論彼から貰ったものでもないけれど、それでも。
「……ふぅん、お前ちゃんと好きな人いたんだ。」
そんなララの言葉に、ウィルは少し驚いたように言った。未だ誰とも婚約もせず、ヴィルだけを追い続けている女に想い人がいた事が意外だったのだろう。
……結局、その相手はヴィルなのだが。
「あら、私結構一途よ?
ずっと昔からお慕いしているもの。」
まぁ、失恋してますけれども。
「叶わない恋ってわかっているのよ。
でも告白の返事まだ聞いていないの。
だから、まだ、諦められないの。
馬鹿な女でしょう?」
ヴィルには好きな人が居て。
もうここにもいないのに。
「まぁ、そうだな。
趣味の悪い男にハマっているくらいだしな。」
本音をポツリとこぼしてみたが、
無粋な男はレディの傷心を慰めもせずに、いつもの調子でばっさりと切り捨てた。
「でもまぁ、お前に好意を寄せられて
嫌な奴はそんないないと思うがなぁ。」
ぽつりと呟いたウィルの言葉に、そうだろうかと考えてみるが、ちらつくのはヴィルとの最期の邂逅。
憎悪を孕んだあの瞳を思い出せば、好かれているとはどうしても思えない。
「どうかしらね?
私、嫌われていたみたいだもの。」
「…お前、なんでそんな奴好きになったんだよ。」
うへぇ、と呆れた感情をウィルは隠しもしない。
「相手にどう思われてるかと私がどう思うかは別でしょう?」
「まぁ、そうだがなぁ…。
しんどいだろ、それって。」
「……しんどいからとやめれたら
苦労はしませんわ。」
ララだって理解はしているのだ。
嫌悪を抱く相手に好かれたところで迷惑でしかない事くらい。この恋心がどこまでも不毛なものなのかはわかりきっている。
でも不毛だからやめよう、無駄だからやめよう。
ですぱっと割り切れたなら2度目の人生まで引きずり続けてはいない。
「…まぁ、俺も人の事は言えないか。
でもそんな調子でお前、卒業したらどうするんだ?婚約もしてないんだろ?」
ララの片想いは絶望的だと踏んでそんなことをウィルは問う。
この国の貴族社会では成人となる18歳までには婚約が決まっているのが一般的だ。
学園を卒業する歳と同じ。
そしてここを過ぎると行き遅れる。
あと1年しかないうえにララは一人っ子なのだ。
ララの身の振り方によってはお家断絶もありえる状況だ。
名家であるレオナール故に婚姻の申し入れはひっきりなしに来ているし、婚期が遅れる事自体はあまり問題はないが、家のために相手を選ばなければならない状況にあるのは確かだ。
だけどそれを握り潰し続けている。
自分の人生を棒に振って、レオナール家を危機に瀕して、それでも叶わない恋を続けるのか?
と、彼は言いたいのだろう。
「我儘を言ってるのはわかっているけど、
どうしても終わらせられないんですの。」
いつまでも続けられる我儘ではない。
だけど、自分では終わらせられない。
この未練に生かされているのだから。
だからこそ、現実から目を逸らし続けている。
「でもそれは貴方も同じでしょう?王族のくせに許婚の1人も居ないじゃない。」
それはそれとして貴方こそ、人の心配をしている場合か?と問い返す。
この男もまたララと同じなのだ。
ティアという歴史に散った故人を想い続けているせいか、王族という立場でありながら許嫁もいなれば色のある話の1つも出てきたことがない。
「まぁ、そうだけど所詮第三王子だしなぁ。
仕事さえしてくれるなら、もう諦めるって言われたぜ!」
「あの国王様にその扱いされてるのって、貴方どんだけですの?」
この国の王、つまりウィルの父親は、国のために使えるものはつま先の一片までも余さず利用するような人だ。
王として国のためになるならば家族ですら利用する。愛なき人ではないが、国の指導者としてならばとこまでも冷酷になれる人だった。
そんな人が趣味嗜好以外は優秀な息子を使わずに放置するとは、よっぽどどうしようもなかったという事なのか……。
「うーん、いっそ俺達で婚約するのはどうだ?」
「貴方本当は馬鹿なんです?」
呆れながらウィルのことを見ていたら、そんなことを宣ったものだから思わず暴言が漏れる。
「俺たちで結ばれればお家の面倒ごとから逃れられて、推し活し放題!…悪くないのでは?」
なんて大真面目に言うものだから、頭が痛くなりそうだ。
「そんな簡単な話じゃないでしょう?
大体、偏見は減ったとはいえレオナールの血筋を王家に入れたい者がどこに居ますか。」
「そこまで気にするほどの事か?」
「悪女に傾倒しすぎて感覚もマヒしてしまったのでは?」
確かに、レオナール家の家名は数百年を経て復権した。王族では無くなったが、貴族としての地位は決して低くない。王族に釣り合いが取れるかと言われればまぁ取れるだろう。
ただし、それを国民感情が許すかと言われれば別の話だ。国を傾けた悪名高きレオナールの話は誰もが知っている。
物語として、歴史として、伝聞として、この国では紡がれてきた。
レオナール家を恨むものは少ないが、一度国を滅ぼしかけた血筋をもう一度、王族に加えることを許すのかと言われればそれは難しいのではないか。
過去の罪は過去の罪、今のレオナール家に罪はない。
一線を超えなければ、だけど。
今のレオナール家の立場はそういうものだ。
「そんな難しく考えるか?」
「時間が水に流すなんてことはありませんのよ。
一度ついた悪評は決して消えませんわ。」
たとえそれが何代も後の世で、その件に関わりのある人間がもう誰1人も居ないのだとしても。
その一度の過ちがある限り、レオナール家は国民達にとって不穏分子であることに変わりはない。
誰だって、己が命を預けている王家にそんなものを混ぜたいとは思わないだろう。
「そういうもんなんかねぇ。」
「そういうものですわ。」
「んーじゃあ、もしその憂いが晴れたとしたら
どうなんだ?」
「……そう、ですわね。」
ウィルの血筋は文句のつけようがない。
素の口の悪さはあるが、作法自体は完璧で、晴れの場での立ち振る舞いには一切問題はない。
ブロンドの美しい髪に青空のような澄んだ瞳。
普段の素行に目を瞑れば、誰もが憧れる理想の王子様であることに間違いはない。
ウィルは趣味嗜好以外は、完璧なのだ。
理想の、王子様。
彼にプロポーズされて頷かないレディなんてほぼ居ないだろう。
「お断り、ですわね。」
でも、違うのだ。
ララが好きな男とは、無骨で、愛想が悪くて、とっつきにくくて、家柄だって釣り合ってなくて、貴族階級の作法もあまり得意じゃなかった。
完璧とは程遠い人だった。
ヴィルは、そういう男だった。
「貴方は理想の王子様だと思いますわ。
でも、私の理想は貴方ではないのですから。」
だから、ごめんなさい?
理屈じゃないのだ、この恋は。
理想で完璧だったから好きになったんじゃない。
ヴィルだから、好きになったのだ。
「お前にそこまで言わせて、返事の一つもくれない男の何がいいんだか。」
振られたのに特に堪える様子もなく呆れ口調でウィルはそう言った。
「理屈じゃないって、何度も言ってるでしょう?」
「はいはい、何度も聞いたよ。」
「なら、何度も言わせないでくれます?」
普段とは違う一幕はあっさりと元の調子に戻ってしまうが、それにどこかホッとしている。
向き合わなければいけない現実から、目を逸らせたことに安心している。
「お前、本当不器用だよなぁ。
こんなに都合のいい話もないのに。」
「……貴方は都合が良いで選ばれて、それで幸せなんですの?」
今のララはウィルに対して、腐れ縁くらいの感情しか持たない。
他者を想い続けるのに都合が良いから、なんて不純な理由で選ばれるのはどうなのだろう。
それならば、少なくとも自分に好意を向けてくれるご令嬢の方が良いのではないだろうか?
……彼こそ選ぶほどに相手はいるのだから。
「都合が良い相手でもいいから、選ばれたいって事もあるかもしれないぜ?」
「……冗談もほどほどにしてくださいます?」
貴方の想い人は、”趣味の悪い女”ただ1人でしょうが。
ブロンドの髪にくりくりとした瞳に少々世間知らずの入った可憐なお姫様。
彼の思い描くティアはそんな感じで、対するララは濡羽のような黒髪に、吊り上がった瞳。
色々と経験し、愛らしいとはかけ離れた気の強い性格にもなった。
彼の理想とはかけ離れた存在だ。
そんな相手に選ばれたいなどと口から出まかせもいいところだ。
「……私、心底貴方のことが嫌いかもですわ。」
「ははは、そっかそっか。」
そんな私の本音をあっさりと受け流すものだから、気が抜ける。
やっぱり本気じゃなかったのね。
じゃあ今までの会話は一体何だったのだろう?
……なんだか今日一日を無駄にした気分だった。




