01 プロローグ
『豊穣の国アフロディ王国』世界各地が不作に陥っても変わらぬ実りをもたらす豊かな土壌を持つ事から、そう呼ばれるようになった国。
その国の第一王女としてティア・レオナールは生まれた。
2人の兄と両親に愛されて育った彼女は、密かな恋をしていた。それも、叶わぬ恋を。
彼女は自身の護衛騎士であるヴィル・アインツェルの事が好きだった。
初めは、自身と年齢は2つしか変わらないのにずっと背が高くガタイの良い大男で、その上そっけない態度の彼は、とっつきにくく圧を感じて苦手だった。距離を縮めようと声をかけてみては撃沈する日々で、心の何処かで仲良くはなれないのだろうと半ば諦めているほどだった。
だけど城下の視察に行った日に、襲撃事件が起きた。
ガタガタと震えるだけの自分を庇い、颯爽と敵を斬り伏せていく彼が、あまりにも綺麗で無駄のない剣捌きが、さながら御伽噺に出てくるヒーローのようでキラキラと輝いて見えた。
気がつけば襲撃事件の恐怖も消えていて、只々彼の戦いぶりに魅了されていた。
「もう大丈夫ですよティア王女殿下、お怪我はありませんか?」
うずくまるティアに差し伸べられた手を取った瞬間に、その恋は始まった。
…なんて単純で些細な理由なのだろうか。
彼にとっては仕事でしかなくて、ティアを守るのは当然の事でしかなかったのに。
けれど、末娘で蝶よ花よと育てられたティアにとって、命を救われるという経験は初めての事で、呆気なく恋に堕ちた。
騎士と王族、ヴィルの家、アインツェルはそこまで家格も高くない。身分の差は歴然で叶うことはないと分かっていた。
王族である以上、自由恋愛など到底出来ない事も、ぜんぶ理解していた。
でも、自身が嫁ぐその日まで密かに想うことくらいは許されてもいいだろう。
なんて、言い訳をしてその恋心を育てていた。
叶わず枯れるその時まで、と思っていた。
─────あの時、彼に剣を向けられるまでは。
理由もわからぬまま、首に剣が突きつけられた。
ティアを映す彼の瞳には、憎悪だけが映っていた。
どうして?どうして?どうして!
城内は凄惨だった。
昨日まで楽しく笑い合っていた侍女や騎士たちがそこらじゅうに転がって動かない。
何も分からないまま、彼の狂気に皆が倒れ伏していった。
血に濡れた玉座の前に転がる首は、よく知った家族のものだ。
「……なぜ、こんな事をしたのですか?」
震える体を押さえつけ彼を見据えた。
「何の罪もない人をどうして…?」
彼がどうしてこんなことをしたのかがわからなくて、そう問えば彼の憎悪はさらに深くなった。
「……罪ならばある。」
ただ一言そう言って、ヴィルはティアへと躊躇う事なく剣を振り下ろした。
かつて己を守った剣。
淡い恋の終焉。
初恋は実らないって言うけれど、こんな終わりはないだろう。
「お慕い、しておりました。」
にっこりと精一杯の笑顔で彼を見た。
悔しかった。
このまま死に行くしかない現状が情けなくて、悔しかった。
だから、告げるつもりの無い心を吐いた。
彼にとっては取るに足らない相手...なのだろうけど。何かほんの少しでも、かすり傷でもいいから彼の心に傷が残れば良いと思った。
自分に出来る精一杯の悪あがきだった。
どうせ彼は動揺のひとつもみせないで、剣を振り下ろすのだろうけど。
なんて、そう思っていたのに首を切断するはずの剣は、一瞬だけ動きを止めた。
それは本当に一瞬、瞬きほどの時間だったが、
「今だ、抑えろっ!!!!」
彼にとっては致命傷となった。
その隙を窺っていた衛兵たちが彼を取り押さえたからだ。
それからはあっという間に過ぎていった。
捕えられた彼は、城での暴れっぷりは嘘のように、何一つ抵抗せずに数日後断頭台に立った。
狂気の理由も語らず、罪を否定もせず、全てを黙した上で、無抵抗のまま彼はその命を終わらせた。
「この行いに後悔はない。」
ただ一言、それだけを残して。
こうして狂気の大罪人ヴィル・アインツェルは生まれた。
明確な殺意を向けられて、その手に握られた刃は振り下ろされた。あの一瞬がなければ間違いなく、この首は地面に転がっていただろう。
なのに、なのにどうして?
彼に対する想いは未だ燻り続けている。
「忘れられないの。」
ティアを見る彼の瞳が。
どこか苦しそうに歪められた表情が。
ティアの言葉を聞いた彼が躊躇ったことが。
あの一瞬が無ければ自分は死んでいたけれど、
あの一瞬のせいで彼は死んでしまった。
自分が彼の生を終わらせてしまったという後悔が、いつまでもいつまでも消えてくれない。
彼はティアの死を望んでいたというのに、おかしな話だ。
「どうしたら、良かったのでしょう。」
死にたくはなかったと思う。
あの時、必死だったのも間違いない。
何か傷跡を残したかったのもその通り。
だけど、想い人の致命傷になってしまった事実は、どうしようもなく苦しい現実だった。
「……私が殺した。」
あの時の彼の顔が忘れられない。
憎しみに染まった彼が一瞬驚いた顔をしたのを忘れられない。
………あの時、何も言わなければ。
その方が、きっと楽だった───
なんて、どうしようもないことばかり考えてしまう。
そんな現実から逃れたくてティアは本の世界に没頭した。物語の世界に逃げれば、頭の中を色んなことでいっぱいにすれば、いっときでも彼を忘れられたから。
何もかもを放棄し、一日中書庫に篭って本を読む姿はこの国の王族として正しい姿ではないのだろう。だけど騒動で精神的に参っているのだろうと咎めるものは誰もいなかった。
騒動の際、他国へ行っていた兄がいた事で、末娘である自分が国政に関わる必要がなかったのは有り難かった。
このどうしようもない現実逃避に時間を与えてくれる環境はティアにとって救いだった。
そんな生活が5年ほど続いたある日の事だった。
それは偶然に起きた、出来事。
王家の書庫にある本はあらかた読んでしまってこれからどうしようかとぼんやりしていた時に、何もないところで躓いた。
考え事をしている時にヒールを引っ掛けることなんて珍しくなかったから、普段はあまり気にしないのだが、その時は転んだ先に視線がいった。
その先にあるのは何の変哲もない床のタイルだ。
そのはずだったのに、違和感に気付いた。
自分でもどうして気付いたのか分からないくらいの微妙なくらいだけど、そのタイルは他よりもズレていた。
気になって触れてみれば、パズルのような仕掛けが施されており、それを解けばパカっとタイルが外れた。
隠されていたのは魔法陣。
鍵を解除するためのものだろう。
王城には様々な脱出口や、隠し部屋があるためこれもそのうちの一つなんだろうけど、何かおかしい。
そういった隠し通路の開け方はあらかた教えられているし、この先に進むためにはまだいくつかの手順を踏む必要がありそうで、かなり厳重な作りになっている。
それに、この鍵には認識阻害が施されている。
意図的に探さなければ、違和感に気付くどころか見つける事もできないように隠されている。
多少の綻びがなければ、気付くことなんて絶対になかっただろう。
─────禁書庫。
一体何なのだろうと考えて、ふとその存在を思い出した。あの時父が行っていた解除方法を朧げな記憶の底から引っ張り出してくる。
書庫にある大時計を正面から見て、左から3番目の本棚の2段目の棚の右から3番目の本がある場所の棚の奥に2段目の魔法陣が刻まれている。それに触れながら、呪文を唱えれば、一冊の本が小さく発光した。
その本を開き、光っているページをひらけば、転送用の魔法陣が現れる。その魔法陣に触れ、魔力を流せば、薄暗く不気味な廊下に立たされていた。
書庫に施された大掛かりなギミックは、この本を秘匿するためのものだったというわけだ。
そして、その先にあるのは禁書庫と家族が呼称していた部屋だろう。
偶然見てしまった、父の秘密。
ヴィルと共に書庫へ訪れた時に、父と兄がこの魔法を使っているのを盗み見してしまったもの。
なんとなく話かけてはいけない雰囲気を感じて隠れてしまったのがいけなかった。
伝えられていない秘密は暴くべきではないと、反省して目撃してしまった一部始終は忘れることを徹底した。幸い、認識阻害がかけられていたおかげで忘れることは簡単だったし思い出す事も無かった。
自分の中では決着を付けて、記憶の淵に追いやってしまった出来事だったけれど、もしかしたらヴィルにとっては違ったのかもしれない。
手順はばっちりみてしまっていた。
彼の実力ならば、誰に気付かれる事なくこっそりと忍び込む事なんて容易いだろう。そこには彼の忠義を裏切る何かがあったのかもしれない。
もし、この推理が当たっているのならばそれはきっと、ティアにとっても都合の悪いものだ。
知らないほうが幸せ、なのだろう。
それでも恋した人がどうしてあんな事をしたのか、その真実が知れるのならば構わないと思った。
だから、家族や家臣の目を盗み見て忍び込むことに決めた。
薄暗い廊下は一直線に何処かへと続いている。
ゆらゆらと揺れるランプの灯りと共にゆっくりと進んでいけば、突き当たりにあったのは重い鉄扉だった。おそらくこれが父の言っていた禁書庫で間違いないのだろう。
窓の一つもないため外側から部屋の中を見ることは出来なかったが、幸い、このドアは外側から鍵をかけるタイプのようで、簡単に入る事ができた。
恐る恐る中へと入れば、そこは禁書庫と聞いて想像していた、危ない本がたくさんある図書館のようなモノではなく、小さな空間にぽつりと手のひら大の玉がひとつ、ぷかぷかと浮いているだけの殺風景な部屋だった。
あかいあかい、真紅の玉が部屋の中央で輝いている。その下には、水銀で描かれた魔法陣が玉の光を受けてあかく輝いていた。
「これは……何。」
綺麗なようでいて、不気味。
それはなんらかの力の源であり、この国に恩恵を与えるモノで間違いはなかった。
悪意は感じない。決して悪いものではない。
…ハズなのに、どうしてか不気味で気持ち悪い、と感じた。
本質は悪いものではない、けれど変質してしまっている────?
もしかして。
嫌な事を思いついてしまった。
魔力を受けたものは青を帯び、
生命力を受けたものは赤を帯びる。
そして、生命力と魔力はほぼ同じ性質を持つモノである。
これは、一般常識だ。
魔力が無くなった後に魔法を使う方法として、これが上げられる。
生命力は文字通り命を削る力。
使えば使うほど魂は擦り切れ、使い切れば肉体すら残らない。また、魔力と違って時間経過によって消耗を回復する事の出来ない使い切りのリソース。
生命力はまさに寿命そのもの。
それ故に魔力に換算すれば膨大な魔力リソースになる。10人が魔力を全て使うよりも、1人が生命力を全て消費した方が圧倒的にエネルギー量は多くなる。人を何十年も生かすことのできるエネルギーなのだから、当然と言えば当然だろう。
でも、それは、命をくべるという事で。
─────緊急時以外は、禁じ手なわけで。
勿論、他人に強要すれば重罪になる禁忌だ。
でも、
これは、
どうみても……。
描かれた魔法陣を解析すれば、
それはやはり、強制的に生命力を吸い上げる禁呪のようで。魔法陣に触れた生命は強制的に生命力を奪われ、宙に浮いたエネルギーはあの玉に回収されるのだろう。
「この玉の色は、一朝一夕でなったモノじゃない……。もう、ずっと昔から使われてきたのね。」
ああ、そういえば。この国には国営の孤児院が多かったなと思い出す。孤児の行く先など国が絡めばどうとでもなるだろう。
捕虜、囚人、難民、孤児……。
失われても気付かれないリソースなど、この世界にはごまんとある。
ああ、この国をずっと良い国だと思っていた。
弱者を見捨てない。皆が平等に生きられる国だと。
ずっと、誇りに思っていた。
だけど、それは非人道的な魔力の回収でしかなかった。
思考の穴にピースが埋まっていく感覚。
この国は…この国の絶えることのない豊穣は
誰かの命の上に成り立っていたのだ。
それは、外敵だったのかもしれない。
それは、悲しむ人がいなかったのかもしれない。
それは、罪人だったのかもしれない。
でも、だけど、それでも。
命は他者が勝手に消費して良いものでは無い。
………………知らなければよかった。
いや、違う。
これは、知らなければならなかった。
たとえ明日笑えなくなっても。
この事実を知らないまま生きて良い筈がない。
どう、するべきなのだろう。
この国は、他国と比較して圧倒的に平和だ。
黙認すれば、豊穣は約束されたも同然。
ごくごく1割にも満たない犠牲で9割が救われるならば、それは王族として、この国の繁栄を願うものとして、きっと正しい。
だって、全ての人間を平等に救うなんて事は不可能なのだから。
だから、歴代の王達は、父は、兄達は、この現実を容認した。
生命力を失うという事は、完全なる存在の消滅を意味する。循環する生命の奔流に還ることすら出来なくなる。故に禁忌、なのだ。
死した後すら奪ってしまうのだから。
そんな滞在をこの国のために、レオナール家は背負うと決めたのだ。
真紅に染まった玉を眺める。
元の色は何色だったのだろう。
数多の生命力を吸い取り変わり果てた、なれはてがコレだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいヴィル。」
貴方の義を裏切ったのは確かに、この国でした。
「私は、昔孤児だったのです。
運良く引き取り手が見つかり騎士にまで成ることが出来ましたが、共に過ごした友とはもう連絡も付かず…。彼らもまた良き人生を送っている事を願います。」
「ええ、きっと。
幸せに生きていると思います。」
ヴィルとした会話を思い出す。
かつての友の幸せを心から願った人。
国の安寧を守ればきっと、とそう思っていただろうに。 彼が守りたかった者の犠牲の上で、彼は生きていた。
国に遣えれば、それは果たされるなどと妄信して。
酷い、酷い裏切りだ。
彼の行いを責めることなんてもう出来ない。
何も知らないでのうのうと生きる私たちに怒りを覚えるのも当然だ。
その罪を背負う王族はさぞかし憎い相手だっただろう。
だって彼は消費される側の人間だったのだから。
「私はこの国の王族だもの。この犠牲を受け入れなければいけないのでしょう。」
綺麗事だけでは国は守れない。
だから、レオナールの王達は使い捨てた所でさほど問題の無い命を消費して、大多数の安寧が守られるのならばと、この国を憂う王族として、その手を汚す事に決めたのだろう。
その覚悟も、その苦しみも、痛いほど理解ができる。
─────だけど。
気持ち悪いと思ってしまった、から。
ティアは玉に手を伸ばした。
「この国を終わらせる。」
彼女は躊躇いなく玉に触れた。
玉は恐らく、吸収したエネルギーをさまざまな恩恵に変換してこの国に与えるモノだ。
大きな災害を打ち消したり、枯れた土地を癒したり、病いを根絶する等、玉が根を張る国内全域に作用する万能薬のようなもの。
どうやって生まれたのかは知る由もないが、一度壊して仕舞えば、ぽんぽんと生み出せるものでもない筈だ。
だから、壊そう。
玉の外部には強力な結界が張られていて壊すどころか傷一つ付けることすら出来ない。
だけど、こういったものは大抵、内部からの攻撃には脆いものだ。己が生命力と魔力を限界まで注ぎ、玉の中で暴れさせる。玉内に溜め込まれた力を操り、暴走させる。
自分の命と引き換えな上、成功する保証も無かったが、構わなかった。
やって無理ならば、それまでのこと。
失敗したとてこの国の平和には影響なんて無い。
ただ1人の女が無駄に命を落とした、それだけの話だ。
ぽろぽろと欠けていく身体を気にも止めず、ただひたすらに魔力を操った。
束の間、
ピシリと玉にヒビが入った。
どうやら、目論見は成功したようだ。
これから先、この国はどうなるのだろう。
この行動に後悔はないけれど、少しだけこの国を憂う。
誰かを犠牲にして成り立つ国なんて健全じゃないんだから、滅んだって別にいいじゃない!
とは思ったけれど、でも別に好んで滅んで欲しいわけではないから。
この国が愛しいことには変わりはないから。
だから、どうか叶うのならば、正しくこの国が良くあることを願う。
玉に入った小さな亀裂は徐々に枝分かれして広がっていく。
そして、音を立てて玉は粉々に弾けた。
それと同時に、ティアも床に倒れ込んだ。
もう、体のあちこちはボロボロで、何もかもが空に溶けていくのを感じて、生命力を全て使った事を悟った。
「私ってばとんだ悪女だわ。」
ふふふと笑う。
でも、我慢できなかった。
ヴィルはたまたま貴族の血が流れていたから生かされただけで、この国にとっては取るに足らない存在だった、なんて真実、許せるわけがない。
私の大好きな人を要らないって切り捨てるようなこの国なんて要らない!
そんな我儘で、歴代の王達が悩みぬき背負うと決めた覚悟を踏み躙った。
溶け出した指から指輪が零れ落ちる。
それは、戯れで貰ったおもちゃの指輪。
お忍びで市井に出て、助けた子供にヴィルがお礼として貰った指輪だった。
「男が持っていても仕方ないですね……。」
お姫様に渡すのもどうかと思いますが、と困ったように差し出したヴィルから貰ったもの。
ヴィルからの贈り物なんてこれが唯一だったから、大切に大切に持っていたモノだった。
「叶うならば、お返事聞きたかったなぁ。」
それがたとえ失恋でも。
終わらせることが出来たなら、諦められたのに。
最後までこの恋心は燻り続けていた。




