決意
リリットは森の奥を歩いていた。邪魔な蔓はリリットを邪魔することなく、触れようとした瞬間に吹き飛ばされた。でこぼこした足元は、リリットが踏む度に平らになっていく。
いつもの狩場、いつもの食事。そのために最適化された道。なぜか最近は、ここを歩く度にカトリンの顔がちらつくようになった。
頭のなかのカトリンは、こちらを見てくれなかった。
「はぁ……」
野盗の住処はもうすぐそこだった。もうとっくに制圧を済ませて、生きるも死ぬもリリット次第。もはや牧場のようなものだった。
洞窟が見えてきた。リリットは躊躇なく中へと足を踏み入れた。
「……来たぞ」
低い声で呼びかける。洞窟の壁に力なく寄りかかって頭を猫背に垂れていた男たちが、ゆっくりとリリットをその瞳で捉え始めた。
虚ろな瞳に、怯えが宿る。
「……あ、あっ!」
声が洞窟に反響する。サラがボスを捕まえてから、リリットは散り散りになった野盗たちを一人一人捕まえて回る苦労をかけさせられていた。
これまでは節約しながら食べていた。解体して、乾燥肉にして、ゆっくりゆっくりと。……まだ、カトリンの修行は終わっていないから。
あと十人程度。この野盗団も、あと一ヶ月で全滅するだろう。それはつまり、食糧源が尽きるまであと一ヶ月ということを意味する。
「そろそろ潮時か」
「もうやめてくれよ……! やるならせめて、一息でやってくれ……!」
足に鉄輪をされ、繋がれてる野盗たちは、跪いてリリットに懇願した。
「黙れ」
リリットはぴしゃりと言い伏せながら、懇願してきた男の前にしゃがんだ。
「今日はお前だ。『一息で』やってやる」
「……っ!」
ぶるぶると震えながら、男は青くなって声が出なくなった。
他の男達は、胸に手を当てて拳を握りしめていた。トラス教式の祈り方だっただろうか。今さら信心深くなったところで何も変わらないというのに、死を前にしたらこれほどまでに脆くなるものなのだろうか。
リリットには、何も分からなかった。だから無表情で男たちを見下ろしていた。
「魔王様は、どうだったんだろうな……」
ふと、サラの言葉が脳に再生された。『死ぬ直前に何か考えてるみたいだった』、『わざと殺されたみたいに見えた』。
魔王はその最期に何を思ったのだろうか。なぜ魔王は、最期に瀕死のリリットを守るために、勇者たちの前に立ったのだろうか。
「……魔王様は、私と同じ風に思ってくれていたのだろうか」
ぽつりと言った。だが、聞く者は全て食べ物。食べるために貯蓄してある人間たち。もはや怯えて神にばかり話しかけている。
「……くだらん」
リリットは、手を一閃した。男の首がすっぱりと切れた。血がドバドバと溢れ出る。リリットの手は温い血に濡れていた。
死体の足輪を掴むと、引きずって外に出ていく。リリットの背中には、神への祈りか、仇敵への呪詛か、男たちのつぶやく声が浴びせられ続けていた。
リリットは、あっという間に男の身体をただの食料へ変えてしまった。
・・・・・
「リリットさん、今日は何をするんですか……?」
いつもと違い、小屋の中に招かれたカトリンは、キョロキョロと中を見回していた。ごく僅かな食器類に、硬そうなベッド、小さなテーブルとそれに備えられた二つの椅子。暫く火を起こしていないであろう暖炉は冷たく佇んでいた。
生活感はあっても、長く暮らすような場所ではない。カトリンは少し不安になっていた。
「そこに座れ」
リリットは言葉少なに椅子を指差す。カトリンは居心地悪そうに肩を縮こまらせながら座った。
リリットは手際よくカップを二つ用意してテーブルに置く。リリットが次にテーブルの上に置いたティーポットの中には、すでに茶が満ちていた。
リリットは迷ったように少し手を泳がせてから指を鳴らすと、ティーポットから湯気が立ち始めた。
「あの、リリットさん……これは……?」
リリットは返事をせずに、カトリンのカップに茶を注ぎ始めた。湯気は景気よく天井へ昇っていく。カトリンはそれを目で追った。
「……たまには茶くらい飲んでもいいだろう」
リリットはそれだけ言って自分のカップにも半分ほど注ぎ入れると、カトリンの向かい側に座った。茶の柔らかな香りが部屋に満ちていく。
「飲め」
真っ先に自分が啜った。だが少し眉を顰めると、カップを置く。
「……少し熱くしすぎた。冷めるまで待て」
「あ……はい……」
カトリンにはリリットの意図がよく分からなかった。沈黙が場を支配する。
「……慣れないことをするべきではないな」
ぽつりとリリットは呟いた。
「慣れないことですか……?」
「そうだ。指を鳴らすのを詠唱の代わりにするやり方だ」
「あ……あれは詠唱の代わりなんですね……?」
「そうだ。昔、見た」
「昔……」
カトリンはリリットの、どこか遠くを見るような顔を見つめた。流れていく雲のような、掴みどころのない表情だった。その目隠しの裏は、どんな目をしているのだろう。
「……そうだ。このために茶菓子を用意したんだ」
「……茶菓子ですか?」
「ああ。私はいらない。お前が食べろ」
リリットは立ち上がって棚に置いてあったバスケットを手に取ると、カトリンの目の前に置いた。
「あまり高価なものじゃないが、クッキーだ。あるだけ食べろ」
「あ、ありがとう……ございます……」
「ああ」
リリットは静かにまた座った。カトリンが一つ取って齧るのを、目隠しの奥からじっと見つめていた。
「……カトリン。修行がそろそろ終わるな」
「……! は、はい」
「どうだった。この三年間は」
リリットの声はいつになく優しかった。それがどうしようもなくカトリンの胸の奥をざわめかせる。
「どうだったって……」
「つらかったか?」
静かだった。何の音もしない。だから、カトリンには自分の鼓動が聞こえる。
「それは……つらいときもありましたけど……でも、楽しかったです」
「楽しかったのか?」
リリットの声色は、意外そうだった。
「だって、リリットさんに教わった通りにやって、上手くできたら褒めてくれて……」
カトリンはちらりとリリットの顔を伺うが、目隠しで隠されたその表情を正確に伺い知ることはできなかった。
「怪我したら薬塗ってくれて……上手くできなくても怒らなくて……」
「……」
「……だから、ずっと楽しかったです」
リリットは表情を一切変えないまま、カトリンを見つめていた。カトリンが居心地の悪さに身じろぎをし始めた頃、やっとリリットは首を動かした。カップの中を覗くように、下へ視線を動かした。
「そうか……それは、良かった」
再び沈黙がやってきた。だが、案外早くリリットによって打ち破られる。
「……そろそろ冷めただろう。飲めるぞ」
リリットはカップを傾け、啜った。次は軽く頷いてからカップを置く。
カトリンもカップを持って、慎重に啜った。まだ少し熱かったが、飲むにはちょうどよいくらいだった。食道を通って、じんわりと胸辺りが温かくなる。
「美味しいです……」
「ああ」
カトリンは、リリットの顔を見上げた。いつもは強く華麗なリリットの顔が、どこか憂いを帯びているように見えた。
「リリットさん……」
「なんだ?」
「リリットさんは、私がアルディオスに行った後どうするんですか?」
それはカトリンがずっと気になっていたことだった。自分を送り出すために修行をつけてくれているこの不思議な用心棒が、自分の不在のあとにどうするのか、カトリンには想像がついていなかった。
「……さあ、な」
「ずっとこの村にいてくれますか……?」
「……」
リリットは、時間を稼ぐかのように茶を啜った。だが、カトリンはリリットを見つめ続けた。
「……私には、行くべきところがある。いつ行くかは……まだ決めてないが、遠からず行くことになる」
「……それはどこですか?」
「秘密だ」
リリットはそれ以上の質問を拒絶するような口調で言った。だがカトリンは引かなかった。
「アルディオスから帰ってきたとき、また会えますか?」
次こそリリットは黙ってしまった。沈黙が二人に刺さるようだった。
「……それは、分からん」
誤魔化すような口調だった。カトリンは言葉に詰まりながら必死に紡ぐ。
「……また、会いたいです。何度でも」
「……そうか」
「リリットさんは、どうですか……?」
「私は……私には、そんなことを願う資格など……」
「資格なんかいらないじゃないですか……! 私が会いたいんです……!」
「そう……か……」
リリットは逃げるようにカップを持ち、中身が空になっていることに気付いて諦めてカップを置く。
「……私も、会えるのなら会いたい」
「……! やっぱりそうですよね……!」
カトリンはその日初めて、リリットに笑顔を向けた。リリットは安堵の息を吐いていた。
「お前はその方がいい」
「え?」
「笑っていろ。できるだけな」
「は、はい!」
リリットは頷いてから、わずかに微笑んでみせた。
それから茶のお代わりを淹れてやると、他愛もない雑談をポツリポツリと交わしながら過ごした。いつになく穏やかな時間だった。
夕方頃、赤く染まった空を窓越しに見上げると、リリットは腰を上げてカトリンを見下ろす。
「少し長話をし過ぎてしまったな」
「でも楽しかったです」
「そうか……それなら良かった。気をつけて帰れよ」
「はい! また明日!」
カトリンが扉を開けて出ていくのを見送り、小屋には静寂が戻ってくる。どうしようもなく静かで、居心地が悪い。
リリットは呟く。
「楽しかったな……」
窓の外を眺めた。カトリンが駆けていく背中が小さく見える。
「明日を、最後にしよう」
リリットは自分に向けて囁いた。




