悪魔の修行
「足りん。身体に魔力を纏わせろ」
カトリンはリリットに殴りかかっていた。だが、リリットはカトリンの拳を完璧に躱していく。手で軌道を逸らされ、身体を逸らして避けられ、一度も攻撃が当たる気がしなかった。
「……はぁ……はぁ……なんで……目が見えないのに……」
目が見えていないはずのリリットに攻撃が当たらないことが不思議で仕方なかった。
「……」
膝に手をつくカトリンを、リリットは黙って見下ろしていた。
「……身体に魔力を纏わせる技術は戦場での生死を左右すると思え。例えお前が研究畑に行くとしても、いずれ必要になる。あの女……サラも元は研究者だろう。ああなるかもしれん。覚えておけ」
「は、はい……」
「それができたら、魔法と肉弾戦の融合だ。近付かれたらなすすべもない魔法使いはすぐに死ぬ。近付かれたときでも最低限対処できるようにしなければならん。……さあ、立て。構えろ」
「……うぅ……はい……!」
カトリンは弱々しい目でリリットを見上げながら拳を握った。カトリンには、なぜか目隠しをしているリリットといま目が合っているのだと確信できた。
「……弱そうな目をするのはアリだ。だが本当に弱くてはいかん。弱そうなふりをするのならば強さを隠し持て。お前はまだ弱そうな見た目で弱い人間だ」
「そんなこと言われても……」
「文句を言うな。かかってこい」
「うぅ……」
カトリンはリリットに殴りかかった。
修行を始めてから約一ヶ月。その日も一度たりとも当てられなかった。
・・・・・
「明日も同じだ。いいな?」
「はい……」
カトリンは弱々しく返事をした。
家への帰り道、カトリンはとぼとぼと歩いていた。少し前までは成長を感じられたのに、ここしばらく一つも進んでいる気がしなかった。リリットは本当に自分を強くしてくれているのだろうか? そもそも魔法使いにあんな戦い方は必要なのだろうか?
カトリンの頭の中を疑問がぐるぐると回っていた。
「おいカトリン、久しぶりだな?」
聞き覚えのある声がした。振り返るとそこには、いつもイジメてくる男子が立っていた。周りには取り巻きの男女が混ざっている。
「聞いたぞ。最近用心棒のとこでなんかしてるらしいじゃん。何してんだよ?」
「……なにも」
「気持ち悪い魔法使いモドキが、変人の用心棒に何教えてもらってんだ? もしかして男のひっかけ方とか教わってんじゃねぇの? あの用心棒、目は隠してるけど、男遊びしまくってそうな体してるもんな」
「あ、それお母さんもおんなじこと言ってた〜」
「だろ? やっぱそうなんだよコイツは」
彼らはカトリンに指をさして笑い始める。カトリンはひたすら耐えていた。
「やっぱあの用心棒おかしいと思ってたよ。いっつも目隠しして無愛想で気持ち悪くてよ。しかも、お前みたいな気持ち悪いヤツに手出すんだもんな!」
「……おかしくない」
「あ?」
「リリットさんは、おかしくないもん!」
「……おい、聞いたかよ? 口答えしたぜ、コイツ」
「聞いた聞いた! 気持ち悪いクセに生意気!」
「気持ち悪い奴にはお仕置きしないとなぁ!」
男子は拳を振り上げた。カトリンは目を瞑って身体を強張らせる。
「何してる君たち!」
「あ、やべ」
いじめっ子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。代わりに走り寄ってきたのはフロリアンだった。
「司祭長さま……」
フロリアンはしゃがんでカトリンの肩を掴み、顔を覗き込む。
「大丈夫かい? ケガは?」
「ケガは……してないですけど……」
「どうかしたのかい?」
「リリットさんの……悪口を言われて……」
「……そうか」
カトリンは肩を震わせる。だが、涙を流すのだけは必至で我慢する。まばたきで無理やり涙をため続ける。
「……悔しかったろう。気付かず、すまなかったね」
カトリンは潤んだ目でフロリアンを見上げた。フロリアンは哀れんたようにカトリンを見下ろしていた。
「なんで……こんなことされなきゃいけないんですか……?」
フロリアンは視線を迷わせた。そして苦し紛れに口を開く。
「……彼らには理解できていないのさ。用心棒殿のことも、カトリンのことも。……さぁ、お家へ帰りなさい。お父さんとお母さんが待ってるよ」
「うっ……うん……」
しゃくりあげながらフロリアンに背を向け、家に向かう。
「わ、私……弱いままだ……」
カトリンはそう呟いていた。
・・・・・
翌日、日が昇ってすぐだった。リリットが小屋を出ると、そこにはもうカトリンがいた。リリットは驚いて口を呆然と開けていた。
「……どうした?」
「リリットさん」
カトリンは力強く言った。
「私、もっと強くなりたい」
「……そ……うか」
「だから、もっと修行をつけてください!」
「……」
リリットは何かを思い出すかのように息を呑んだ。
「……? リリットさん……?」
「……何か……あったのか……?」
リリットはやっとの思いでそう聞いた。カトリンは、首を振る。
「強くなりたいと思っただけです」
「……そうか」
リリットは天を仰ぎ見た。雲一つない快晴。涼しい風が吹いている。
「なら、次の段階へ行こう。本格的に戦い方を教える」
「……! ありがとうございます!」
「……お前は水と親和性が高い。水は攻撃性能が低い代わりに、防御に長けた魔法適性だ。戦闘面ではな」
「『戦闘面では』?」
「そうだ。綺麗な水が手に入らない環境でも、水の魔法を使える者がいるだけで問題は解決する。戦えなくてもいるだけで良いとされがちな系統でもある。だが、それはお前の望むところではないだろう?」
「はいっ!」
「……良い返事だ。水の使い手との戦闘において、最も厄介なのは受け流しだ。だからお前にはこれを覚えてもらう。一朝一夕にできるものだとは思うなよ」
「分かりました!」
「……やる気があるのは、良いことだ。さあ、構えろ」
リリットは棒立ちのままだった。だが、カトリンは腰を落として拳を握った。リリットが教えてくれた構え方だった。
「これから私がお前に攻撃する。これまで、身体に魔力を纏わせる練習をしていただろう。敵の攻撃が当たる部分だけを、水で押し流すイメージをしろ。そして詠唱しろ。事前にな。これを魔力強化という。一流の魔法使いは、常に身体を魔力強化している」
「……じゃあ、リリットさんも……?」
「やってみるか? 避けないから殴ってみろ」
リリットはやはり棒立ちのままだった。
「ほんとに……?」
「いいからやれ」
カトリンは躊躇していたが、躊躇したまま殴ればリリットに叱られてしまうだろう。だから、思い切り拳を振り抜いてリリットの腹を打った。
だが、逆にカトリンの腕が痺れるような感覚があった。
「あっ……いった……」
「そうだろう。私は振動を纏っている。触れたものを逆に破壊する魔力強化を身体に施しているんだ。今はかなり弱めたがな」
「し、振動……?」
「細かいことは考えるな。今のが例だ。お前は振動ではなく水を纏え。いいな?」
「……は、はい……! ……えーっと、じゃあ……『水、身体を覆ってください』……!」
イメージする。身体は川、そして身体の表面が池。すべて池。
魔力があっという間に無くなっていくような感覚がある。
「まだ……立てる……!」
「そうだ。お前の魔力量は見違えるほど増えている。まだ立てる。……打つぞ。覚悟しておけ」
リリットはそう宣言すると、拳を握らずに掌底でカトリンを打ち据えた。
すると、リリットの手はカトリンの身体を滑るように流されていった。
「ほう。初めてで出来るか。あの女が見込んだだけはある」
「え……今のって……手加減は……?」
「しているに決まってるだろう。しなければお前はバラバラになる」
「ひっ……」
「……安心しろ。人間の扱いは慣れている。さあ、続けるぞ。それを安定させろ」
カトリンは唾を飲んだ。




