アストリッド王家
アレンがずいっとリアの前に体を出し、守るような体勢をとる。リアはやはり気まずそうにその背中を見ていた。
「俺には事情は分からんが、とにかく嫌がってるだろ? やめてやれよ」
目を細めてアレンを見つめた執事は、しばらくアレンと睨み合う。二人の間に火花でも散っているような光景をカトリンは幻視していた。
ラーニャはあいも変わらず果物を食べ続けている。
「ふぅ……それはできません」
執事がきっぱりと言い切る。
アレンは眉を片方下げて執事を見る。身長差は僅かなはずなのに、二人の体格は全く違った。何も知らずにこの光景を見た者がいれば、アレンが執事を恫喝しているように見えたはずだ。
だがカトリンの目に映る光景は、むしろ逆だった。
「あなたは勇者アレン殿でお間違いないですな?」
「……! それが分かっててこれなのかよ?」
「ええ、あなたが勇者であるからこそ、これなのです」
アレンの圧にさえ執事は一歩も怯まない。
「ちょっと……二人とも落ち着いて……」
カトリンが思わず口を挟む。だが執事はカトリンにも鋭い目を向けた。まるで猛禽のような目だった。
「な、なに……?」
思わず気圧されたカトリンが少しどもりながら聞くと、執事は鼻を鳴らしてアレンへ視線を戻す。
「……勇者殿。良い機会です。聞いておきましょう。あなたは我らが何度も要請しているのに、馳せ参じませんね。何故ですか?」
眉間に深く皺を寄せたアレンは、からかうような声色を含めて鼻で笑った。
「もう貴族の良いように動かされるのはゴメンだ」
「……旦那様が何のために日々働かれているのか、ご存じでそれを仰るのですか?」
「ああ、よく知ってるぜ。あんたらは自分のことしか考えてねぇ」
「違いますね。旦那様も国王陛下も、常に民のことをお考えです。より多くの民を食わせ、冬を越させ、ずっと先まで生きていくために働いています。それで、あなたは何をしているのですか?」
「そんなら俺や俺の村のことも少しは考えてほしいな。俺の母さんが死んだ時、俺が母さんの側にいられなかったのは誰のせいだよ?」
「魔国のせいです。断じて旦那様のせいではありません。あなたは魔国とそれに協力する国々がどれだけ民を虐げたかよくご存じのはず。それでも旦那様のせいだと?」
「……そうは言ってねぇ。お前らはいつもそうだ。誰かを犠牲にして『これは多数のためだ』って言って回る。それに反論すれば『お前は他人のことを考えてないのか』って、まるで人質じゃねぇか」
「ええ。まさにその通りです。良いですか? 政とは常に、全ての国民を人質に取られた上で行わなければならぬものです。人質など前提。たった一人の女が息子に看取られず死んだとて、より多くの国民を救う義務が、旦那様にはある」
「良い度胸だな。俺が帝国側につかないって保証はあんのかよ。あんたらの敵にならないだけで感謝してほしいもんだな!」
声を荒げて怒鳴りつけるアレンの形相は必死だった。カトリンは思わずアレンの肩を叩いていた。
「アレンさん、言い過ぎです……」
だが執事はアレンをじっと見つめている。恐ろしいほどに静かな瞳だった。
「……敵になるのであれば、それなりのお覚悟を。確かに我らはあなた一人にさえ敵わないでしょう。ですが、村人は? 旦那様はやろうと思えばあなたの村への交通を全て遮断できます。商人も来ず、聖職者も来ない。それでも土地は豊かですから食っていくことはできるでしょう。あなたという抑止力があれば大抵の賊は討伐できましょう。ですがあなたの村は全てから遮断され、病が流行れば風に吹かれる塵のごとく消え去り、冬になれば燃料の一つ確保することさえ至難。それで良いのであれば、帝国の側につくとよろしいでしょう」
ゆっくりとした言葉が、その場の全員の――ラーニャ以外の――胸にすとんと落っこちる。太陽はまだ暖かいはずなのに、震えるような心地だ。
「……お前らはやっぱり卑怯者だ」
「何と仰ってくださっても結構。ですがお早めに決めることです。旦那様はあなたの村を、陸の孤島にしようとしています。それだけ旦那様はあなたに憤っています。私も例外ではありません」
「また人質か?」
「ええ。そうでなければ動かない相手を動かすには、それしかありません。旦那様も、本当はそのようなことをしたくはありません。ですがより多くの民を救うためです。このまま帝国に蹂躙されれば、文化も、信仰も、誇りも、命さえも保証はされません。旦那様はそのようなことを民に強制するような残酷なことは致しません。あなたと違って」
「もう人なんか殺したくないって、あんたらの使者には何回も言っただろ? 俺に人殺しを強制させんのは残酷じゃないのか? あんたらが生き残るために、俺に人を殺させんのか」
「違います。生き残るのは『私たち』ではなく、『民』です」
アレンはぐっと言葉に詰まってしまった。
当然だ、と口には出さずにカトリンは思っていた。この執事の口調からして、彼はただの執事ではない。政治にも深く関わっている。官僚のようなものだろうか。
常日頃から言葉を捏ねくり回し、論争のただ中で生きている。アレンが彼に言葉で勝てるはずも無い。
「……アレンさん」
カトリンはアレンの顔を見上げた。歯ぎしりの音がカトリンの耳にまで聞こえるほどだった。
「――もういい」
背中を向けてしまったアレンを追いかけようとして、未だ動けないリアを見る。
「リア、行けそう?」
「……ええ」
救いを求めるような目で見てくるリアの手をがっしりと掴み、執事に軽く頭を下げる。
「ラーニャも。行くよ」
「りょうか〜い!」
彼はカトリンとラーニャのことをただの冒険者だと思っているのだろう。目で礼を返してきた。
「……セシリア様」
背中で彼の声を聞く。
「旦那様は、セシリア様が戻ってくるのをお待ちです。……約束は必ず守っていただきます。セシリア様に見合った嫁ぎ先はすでに確保してありますので」
貴族の結婚。しかもリアは、おそらく何年も帰っていない。
嫁ぎ先からしてみれば純潔さえ怪しい女を、いくら高貴な血筋だからといって迎え入れるものだろうか。
カトリンはちらりとリアの顔を見た。その表情はこれっぽっちも読めなかった。
・・・・・
結局夜になっても、何の情報も得られなかった。
それどころかアレンもリアも黙ってしまって、カトリンが一人で必死に動き回っていた。ラーニャはまるでボディーガードのようにカトリンから離れようとしない。
ラーニャの気楽さがカトリンの救いになっていた。
「ねぇカトリン。今日はどこで寝るの?」
「……う〜ん、そうだねぇ。宿でもとろっか。そんなに高いところは無理だけど」
「ベッドやわらかい?」
「地面よりは柔らかいと思うよ」
「やった〜!」
両手を挙げて跳ね回るラーニャを見ながら、カトリンは力なく微笑んだ。
こんな状況で調査などと言ってはいられない。むしろラーニャと二人きりで行くのがベストな気がしてくる。
アレンはずっと腰に佩いた剣の柄を触っていた。
リアは下を向いたまま、こちらも同じようにレイピアの柄を触っている。
「……剣士って、柄を触りたくなるものなの?」
カトリンは柄にもなく少し茶化すように声をかけてみる。
アレンは疲れたように笑って「そうかもな」と言ってくれたが、リアは暗い顔で黙ったままだった。
「……カトリン」
「はい?」
「すまん。やっぱり俺は考えるのは苦手だ。そういうのはいつもサラやセヴァンに任せきりだったから。でも今度は俺がちゃんとしなきゃダメだな」
「……」
「それに、オッサンがいつまでもクヨクヨしてたら気持ち悪いだろ。……そうだ、カトリン。これからタメ口で話してくれ。そうしたらなんとなく、サラに発破かけられてるような気になるからさ」
「そうですか……?」
「ああ、そうだ。頼む」
「……分かりま――分かった」
また敬語で言いかけて、カトリンは慌てて首を振ってから言い直した。それで何が変わるのかはよく分からなかったが、アレンは安心したような顔になる。
「私は? 私は?」
ラーニャがぴょんぴょんとアレンの前で飛び跳ねると、まるで子供に絡まれたかのように手で払いながら笑った。
「ラーニャはいつもタメ口だろうが」
「たしかに!」
口を押さえて驚いたラーニャに、どこからか苦笑が聞こえた。
リアだった。
「……すみません。私もクヨクヨしてばかりじゃいけませんね。アドラに怒られてしまいます。楽しむって、約束したんです」
柔らかな笑みだった。いつもの張り付けたような笑顔は、今はなかった。
にこりと微笑みを返したカトリンが、三人に背を向ける。
「じゃあ宿に行こっか。また明日から、聞き込みだよ」
「うん!」
元気なラーニャの返事が、薄暗くなった街に木霊する。
その響きがまだ終わっていないのに、後ろから声が聞こえた。
「……すみません」
「は……っ!?」
アレンが飛び退く。
「どうしたんです――どうしたの、アレンさん……?」
「いや……こいつ、気配がなかった……」
剣を抜きそうになっているアレンを制するように手を向けたその影に、カトリンは見覚えがあった。
「もしかして、昼間の……?」
フードからちらりと覗く銀髪が艷やかに揺れている。
「ええ、その節は申し訳ない」
あの時は人混みのなかで声がよく聞こえなかったが、今ならよく聞こえる。透き通るような女の声だ。
「……あなたたちが、イゼンベルを探していると聞いたの」
「どこからそれを……?」
何の目的で接触してきたか見当もつかない。いつの間にかリアはラーニャの後ろに下がっていた。
ラーニャは興味なさそうにしている。この人は強くはないのかもしれないが、アレンが警戒するほどの気配の無さをどう評価したものか、上手く判断できない。
「私の手の者は、この街に根を張っている。この街で分からないことはほとんど無いわ。勇者アレンさんと、セシリア・フォン・アーデルフィアさん。でも、あなたたち二人のことはまだよく分かってないわ。カトリンさんと、ラーニャさん」
名前を言い当てられ、カトリンはぴくりと眉を動かす。
どこまで調べているのだろう。帝国の宮廷魔導師だとバレればマズイかもしれない。
「――私は、エルゼ。エルゼ・カランビス・アキナ・アストリッド。……長いから、エルゼで良いわ」
その名前にカトリンは聞き覚えがあった。正確に言えば、その家名に。
アストリッド家と言えば……。
「カランビス王国の王家……?」
フードの中でエルゼは美しい形の眉を吊り上げる。
「知っているのね。ただの情報通かしら? それとも……」
探るような目がカトリンを撫でる。居心地が悪い。
「……まあ良いわ。先に自己紹介をしておいたほうがいいかしら。……私はカランビス王国アストリッド王家の第一王女エルゼ。そしてアストリッド家ただ一人の生き残り。今はこのヘルメリア王国に亡命しているの。以後よろしく」
「……それで?」
「本題までが早いわね。でも悪いことじゃないと思うわ。単刀直入に言う。イゼンベルまで道案内をしてあげる。その代わり、私を守ってほしい」
「……あんたなら守る必要なんて無いだろ。あんだけ気配が無いんだから」
アレンが口を挟む。その口調には、怪しんでいることを隠す様子もない。
「……あれは私の力じゃないわ。それに、手札はできるだけ隠しておきたいの。だからあなたたちという、目に見えるボディーガードが欲しい」
「へぇ、まだ他にも真のボディーガードがいるってことか?」
「そこは秘密にしておくわ」
「なんでボディーガードが欲しいの……? 危険なの……?」
カトリンは言ってから、敬語を使わなかったことを後悔した。亡命しているとは言え、相手は王女だ。
だが後の祭り。もうこのまま突き通す。
「少し厄介な奴らと会うわ。そいつらのことは信用してない。だからあなたたちが必要なの」
「その『厄介な奴ら』って……?」
「……『眷属』と呼ばれているわ」
その瞬間にリアが目を見開いた。ラーニャを押しのけてエルゼに詰め寄る。ラーニャは「うわっ」と声を漏らしながらたたらを踏んだ。
「『眷属』……っ!? それは本当に……!?」
「ええ、本当よ。セシリアさん」
エルゼはくすりと笑った。




