セシリア
「あ〜……イテェ……」
アレンが顔を歪める。
腕に出来た傷を、カトリンが洗ってあげていた。冷たい水がアレンを濡らしていく。
「動かないでください」
「悪い……」
流れる血はもう止まっていた。
「もう治った?」
ラーニャが覗き込んでくる。
「ラーニャ、私って治癒の奇跡とか使えないんだからね? 治るわけないでしょ?」
「でもカトリンなら出来そうじゃん」
「できないの。傷を綺麗にするくらいしか出来ないんだから、無闇に傷をつくらないでね?」
「は〜い」
気楽に言うラーニャの顔にも擦り傷は沢山あった。
「リア、タオルちょうだい」
「はい」
まるで助手のようにリアがタオルを差し出してくれる。タオルを受取り、水をふき取る。アレンの顔が歪むのを無視して黙々と拭いた。
カトリンは、疲れていた。最近ずっとこうだから。自分の信じているものが全て否定されていくような感覚だ。
「……はぁ……」
深いため息が漏れたことにすら気付かず、タオルを綺麗に畳んだ。
「どうした? そんな深いため息をついて」
「いえ、何でもありません」
アレンが聞いてきたが、話すのも面倒で、畳んだタオルを持って立ち上がる。
疲れてはいても、やりたいことはある。もはや本当にやりたいのか分からなくなっていても、過去の自分に嘘をつけなかった。
「終わりました」
「おう、ありがとな」
「体はもう大丈夫ですか? 大丈夫ならイゼンベルを目指したいんですが」
「ちょっと今日はキツイな。『命陣』を使ったら一日休まないとまともに動けない」
「あの技スゴかった! あれなに?」
「そうですね……あんな魔法は初めて見ました。せいぜい水や炎を飛ばすのは見たことがありますが、光を剣にするなんて……」
ラーニャとリアが畳み掛けるように「命陣」に興味を示す。
カトリンはアルディオスで習った「命陣」の知識をゆっくりと思い出していく。
「あれは『命陣』って言って、体内に貯蔵した魔力の全てを消費する代わりに、本来不可能なはずの出力の魔法でさえ可能にする、その人個人に刻まれた特別な魔法なの。その人の生きた全てを反映し、それを魔法にする、半ば人生の集大成。そして使える人はほとんどいない。私も使えない。あ、そうだ、今の説明は実際には少し間違っていて魔法研究を知らない人向けの説明なんだけど実際にはそれまでの人生の中で魔力が脳に少しずつ魔法式を刻んでいって最終的に魔法陣を構成するようになるっていうのが今の研究者の大方の見方なんだけど実際に脳を解剖して見たわけじゃないから――」
「……あ〜、落ち着け、カトリン」
アレンが呆れた目をしていた。ハッとしてラーニャとリアを見れば、二人はもう全く関係ないところを見ている。
久し振りにこんな話をした気がした。
「す、すみません……」
「気にすんな。魔法が好きなんだろ? 悪いことじゃない。……君はまだ使えないんだな?」
「はい。習得しようと思ったことはありましたが、片鱗も感じられずにやめました」
「そういうもんだ。『命陣』には二つの習得法があるって知ってるだろ?」
「ええ、一つは努力と発見。ひたすら修行した末に発現するやり方ですね。もう一つは……」
「――強い精神的負荷による強制的な発現。こっちはまあ、良くないやつだな。経験に基づかない強さは身を壊す。君にはその心配は無さそうだ。そのうち発現するさ」
別に欲しいわけじゃない。だが、アレンは欲しいことを前提にして喋っていた。
この人は戦いが心底好きなのだ、とカトリンは心の奥底で呆れていた。
「それならいいんですけどね」
適当な返事を返していると、空をぼーっと見上げていたリアが、カトリンに顔を向けた。ラーニャは足元の虫でも見ているのだろうか、しゃがみ込んで熱心に地面を見ていた。
・・・・・
人でごった返していた。商人の声が響き渡り、道行く人がそれぞれで喋り合っている。冒険者らしい武装した者もいれば、袋を片手に提げた女も歩いている。
「……なんでこんなところに……?」
カトリンは一人呟いていた。
「詳細な場所が分からんからな。ここで情報収集だ。デカい街のほうが良いだろ」
アレンが一人頷いていた。
「ここどこなの?」
「ここはアーデルフィア公爵領の城下ですね。この辺りで最も大きな街です。素敵でしょう?」
ラーニャの疑問にリアが即答する。
ラーニャは視線をあちこちへ彷徨わせ、やがて果物屋の方へ走っていった。
「あ、ちょっと待ってよ……!」
慌てて追いかけるカトリンが走り出そうとする。だが、フードを深く被った小柄な人物とぶつかってしまった。
「あ……ごめんなさい」
「……いえ」
ちらりと覗くフードの中には美しい銀髪がはらりと見えた。
「大丈夫……?」
「……先を急ぐので」
さっさと行ってしまうフードの背中を目で追いかけていると、不意にその人の影が蠢いた気がする。
「は?」
驚いてじっと見つめるが、影はもう動こうとしなかった。すぐに人の群れの中に消えてしまう。
「どうかしたか?」
アレンが後ろから話しかけてくる。リアも隣に立っていた。
「いえ……なんでも……」
リアが鋭い目でその人物を見ている気がしたが、カトリンが視線を向けた時にはいつもの柔らかな笑顔に戻っていた。
頭を振って今のことを忘れようとしてからラーニャの方へと向かう。
「……ちょっとラーニャ、勝手に行かないでよ」
「見てカトリン! これ美味しそう!」
ラーニャが手に持っていたのはオレンジ色の丸い果物だった。
「……確かに美味しそう」
「でしょ? ねえおじさん、これちょうだい!」
「はいよ、銅貨で1リナイだよ」
ラーニャが懐から袋を取り出すと、その中から銅貨を数枚取り出して秤の上に乗せる。店主がそれを見て頷いた。
「まいどあり〜」
カトリンはそれを全て黙って見ていた。
「……ラーニャってさ、ちょっと前までお金のやり取りとか出来なかったよね」
「うん、でもカトリンが教えてくれたからできるようになった! お小遣いももらったし!」
「……ふふ、そっか」
何だか嬉しかった。
四人は歩き回り、やがて小さな噴水のある広場にたどり着いた。ラーニャはさっさと座り、果物の皮を剥いて食べ始めた。
「それにしても、イゼンベルって街は何百年も前に滅びてるんだろ? じゃあ情報なんて残ってないんじゃないか?」
アレンが片眉を吊り上げながらつまらなそうに言った。
こんな街の中にいても誰にも「光の勇者」と気付かれないほど、案外アレン自身には影響力が無いらしい。村に引き籠っているから誰も顔を知らないだけかもしらない、とカトリンは思っていた。
「不死の魔女は街の全住民を殺していますから、当時としては大事件だったはずです。何の情報も残っていないなんてことは無いと思うんですけど……リア、ヘルメリア王国の出身なんでしょ? 何か知らない?」
「申し訳ないですが、何も存じ上げません。幼い頃に寝物語で不死の魔女やイゼンベルについて聞いたことはあっても、詳細までは……」
「そっか。ん〜……」
何も思いつかない。大ざっぱな場所は分かっているから、虱潰しに探してもいい。とはいえ数百年前に滅びた街だから、もう草生して見た目では分からない可能性も高い。
想像以上に過酷な作業になるだろう。そもそも今どの程度街の形が残っているのだろうか。
不死の魔女がイゼンベルの住民全員を殺したという事件のインパクトはあれど、その記録は少ない。難しい調査だ。
四人――もといカトリンが唸っていた。
アレンは考えるフリをして空を飛ぶ鳥を見上げていたし、リアは何か別のことを考えているらしかった。ラーニャは果物を食べながら幸せそうな顔をしていた。
その時、不意に遠くからこちらを見ている誰かと目が合った。高級そうな黒い服に、数が減り始めた白い髪の毛を七対三で分けている。どこかの執事だろうか。
執事らしき男はゆっくりと近付いてきた。その口はぽかんと開かれている。
「……誰……?」
カトリンが呟いた時、全員がその男の接近に気付いたらしい。アレンとラーニャがつまらなそうにその男を見ているのに対し、リアは気まずそうに目を閉じる。
「……もしや……」
男はリアの顔を覗き込もうとするが、リアはそれを拒絶するように顔を背けた。だが、逆に男はそれで確信したように唇を歪める。目は喜色に濡れ始めていた。
「……セシリア様……?」
「ん……?」
カトリンは思わず疑問に声を挙げる。
「……やはりセシリア様……! よくぞお元気で……!」
「違う。私は……リア」
いつもは丁寧な言葉遣いが崩れていた。唇はぷるぷると震えている。
「何を仰るのです、セシリア様? ……アドラは? あの馬鹿、セシリア様と一緒に出ていってしまって……」
その瞬間、リアの目は温度を失った。絶対零度の瞳が男を射抜く。
「……な……セ、セシリア様……?」
「……私はリア。とにかく、お願い。……放っておいて」
「……なにを……」
「お願い。私にはやるべきことがあるから」
「そう、ですか……。ですが、旦那様に……」
「ダメ……!」
リアの声が悲痛さを帯びる。
「お父様には言わないで……!」
「……それは出来ません、セシリア様」
「……リア。私はリア」
男は力なくため息をつく。
「……では、リア様。私は旦那様に雇われております。旦那様の利益が絶対でございます。お分かりいただけますか?」
「……」
黙ってしまった。
カトリンたちには、状況が飲み込めていなかった。
リアがどうやら良いところの出身であるのだろうことは分かっていたが、詳しくは全く知らない。この男は、リアの家に仕えている執事と言ったところなのだろうか。
「あの〜」
アレンが口を挟む。
「お宅は誰?」
執事は眉間に皺を寄せながらアレンを見る。侮蔑が顔に現れていた。
「私はアーデルフィア公爵家に仕える執事だ」
公爵家。
つまり、リアはそこの出身ということ。
「ほんと……?」
唖然とするカトリンの肩をラーニャが叩く。
「ねえカトリン。公爵ってなに?」
「……すっごく偉い人ってこと。それで、リアは……」
リアは、唇を噛んで黙っていた。




