ゲーム
フード付きのレインコートが太陽の日の下を歩く。薄灰色の長い裾が地面に着きそうで、すんでのところでたなびいていた。
エルゼの歩く姿は王女に相応しい貫禄を持ちつつ、だが身なりはどちらかと言えば旅の商人に似ている。
「ラーニャさん。あなたはエルフで合ってる?」
静かな五人の足音を断ち切るように、エルゼが聞いた。歩みは止めていなかった。
「そうだよ。あなた、人間?」
カトリンの隣でラーニャが首をかしげる。ラーニャの視線は、エルゼの足元、その影に向いていた。
カトリンの目にはエルゼの影が時折蠢くように見えていた。見間違えと言われればそうかもしれないと納得するしかないほどの、ごくわずかな違和感がずっとエルゼの足元をついていく。
不気味としか言いようがなかった。
「そうね。私は人間よ。……私、エルフって初めて見た。ふふ、案外普通なのね?」
ちらりと振り向いたエルゼの顔にはからかうような色が浮かんでいる。
ラーニャは困ったように眉間に皺を寄せ、カトリンに助けを求める視線を送ってきた。だがカトリンに何かしてあげることは出来ない。せいぜい話題を逸らすくらいだ。
「――エルゼ……様。あなたは何をしに『眷属』と会うの?」
後ろを歩くリアからの視線が鋭くなった気配がする。
エルゼは振り向くと、後ろ歩きをしながらにこりと微笑んだ。
「呼び捨てでいいわ。公的な場所でも無いし。それに、今の私は国も失ってるわ。王女と呼んでいいのかすら怪しいくらいよ」
「……一応、亡命政権ではあるから王女なんじゃ……?」
「あら、細かいことを気にするのね」
エルゼがくすくすと笑う。どう考えても細かいことでは無いので、カトリンは困惑するしか無かった。
「とにかく今は呼び捨てでいいわ。許してあげる。それで、なぜ『眷属』と会うのか、だったかしら?」
こくんと頷くと、エルゼも頷き返してから言葉を続ける。
「……私が国を失っていることはさっき言ったわね? 私は帝国から、祖国を取り戻す。必ず、ね。そのために、どんな汚い力でも利用してみせる。『眷属』はその候補。これから見定めに行くの」
「戦争でもするつもりか?」
アレンが後ろから口を挟んでくる。
その手は油断なく、いつでも剣を抜けるように待機していた。誰よりもエルゼを警戒し続けている。
カトリンは唾をひっそりと飲み込んでいた。
「必要ならね」
エルゼはこともなげにそう言った。
アレンは嫌悪感を隠さない。
「国を取り戻すために民ごと犠牲にするのかよ?」
「ええ。時に必要なことよ」
その即答にアレンは面食らっている。リアも息を呑んでいた。
強い覚悟を滲ませた声に、カトリンは反論しようとは思えなかった。
だがアレンは違ったらしい。手を震わせて少し声を荒げ始める。
「そんなに大切か? 広いお城と付き人が」
「ええ。それも大切よ。もっと大切なものもある。数百年続く血と伝統を、私で絶やすわけにいかない。カランビス王国の文化と信仰を、取り戻さなければいけない」
「そりゃ誰のためだよ?」
「民と、私と、先祖のため」
エルゼの言葉の全てに迷いはなかった。まるで全ての疑問に既に答えを出してあるとでも言うくらいに、淀みも迷いも存在していない。
アレンは小さく舌打ちをしていた。
「……あんた、もう負けたじゃねぇか。あんたの先祖も、他の奴らをぶちのめして国を作ったんだろ? あんたも同じことをやられただけだ」
「そうね。それは正しいかもしれないわ。でも先祖の敵も、最期まで足掻いたはずよ」
エルゼは足を止めてアレンを真っ直ぐ見つめた。
潤いを失うことがない唇が真珠のように光っている。
「……これはボードゲームじゃない。チェックメイトされても、降参してやる義理はない。全滅するまで――私が死ぬまでは、負けてない。分かった? 勇者アレンさん、あなたが好きなのはゲームでしょう? 分かりやすいから私もゲームは好きよ。勝者と敗者がその場で決まって、互いに納得して技を競い合う……美しいわね。でもこれは違うの。相手の駒がいくら残っていても、盤の向こうにいる相手を殺せば勝ち。私も帝国も、やっているのはそういう単純で薄汚い行為よ」
「……何が楽しくてそんなことやるのか、ちっとも理解できねぇな」
「何も楽しくないわ。そうしないと守れないものがあるというだけ。あなたにも、それは分かるでしょう? 魔王を倒した時、あなたはどうやったのかしら?」
「……」
黙りこくったアレンを見て、エルゼは表情を変えずにまた前を向いて足を進める。
しばらく止まっていた影の蠢きが、また見えた。いつからそうだったのかもはや覚えていないほどだったが、いま蠢いたのをカトリンは確実に見た。
・・・・・
小さな森を抜け、開けた草原に出た。
その間ラーニャが気楽そうにカトリンに話しかけてきたものの、カトリンは曖昧な相槌を返すくらいしか出来なかった。気まずい空気の中で明るい会話をする気にはならなかった。ましてや、エルゼの前でそんなことをする気には到底なれない。
ラーニャは少し不貞腐れながら歩いていた。
「……着いたわ。このまま真っすぐ、千歩くらい歩いたところがイゼンベルよ。ここから別れましょう」
「なんで? 私たちは護衛でもあるんでしょ?」
「私の手の者に、先に偵察させたわ。問題なさそうだって」
「え……?」
いつ、どうやって?
カトリンは必死に頭を回転させる。そんな事ができるのなら何のために自分たちを連れてきたのか、分からない。
「……ふふ、混乱させてしまったみたいでごめんね。私の部下が自由に動ける範囲には制限があるのよ。そして、〝彼〟は私の安全が確実でないと私から離れてくれないのよ。だから、私の安全を確保したうえでちょうど良い距離まで近付く必要があった。〝彼〟がいない間の安全確保手段があなたたち。でも『眷属』との約束は、〝彼〟含めて二人で行くことよ。だからあなたたちとはここでお別れ」
「……騙したのですか……?」
リアが静かに問い詰める。だがエルゼは涼やかに微笑んだ。
「いいえ、とんでもない。利害の一致よ。もしあなたたちが『眷属』と関係があった場合のために――そんなことは無いと思っていたんだけど〝彼〟は用心深いのよ――〝彼〟の存在を仄めかして牽制しつつ、私を守ってもらう。ここまでが〝彼〟の策。そしてあなたたちは私からイゼンベルへの案内と、『眷属』の情報を聞ける。ウィンウィンでしょう?」
「エルゼ様は『眷属』の仲間ではないと?」
「ええ。どちらにせよ、仲間になるつもりはないわ。怪しいもの。やるにしても利用するだけよ」
「……そうですか。……まだ『眷属』の情報を聞いていません」
リアはほんの少しだけ態度を和らげながら返す。エルゼは手をポンと打って口を開いた。
「確かに。じゃあ教えてあげるわ。今回のお礼よ。『眷属』は呪術師を探しているわ。でも現代に呪術師なんていう時代遅れの人間は存在しない。だから、彼らは過去の呪術師を追っているわ」
そこで一旦言葉を止め、エルゼはカトリンを捉える。
まさか自分に言葉が向けられるとは思わず、カトリンは一瞬ラーニャを見てからエルゼに視線を戻した。
「……彼らが追っているのは『不死の魔女』」
カトリンは目を見開いた。まさに今自分が追っている不死の魔女を、『眷属』も追っている。そしてリアの目的は『眷属』への復讐。
なんという偶然。カトリンは眉間はいつの間にか深い皺を湛えていた。
エルゼはその薄い唇を三日月型に歪め、カトリンたちへ背中を向けた。あまりにも無警戒な背中だ。
「なるほどね。……じゃあ、またいつか会いましょう」
エルゼはそれだけ言い残してゆっくりと歩いていく。
「……無防備なのに攻撃できないな。やっぱあの影、何かおかしいぞ」
アレンは剣の柄に手を当てながら呟いた。
「いやなんで攻撃しようとしてるの……」
疲れたように呟き返すカトリンは、何の気なくラーニャの頭に手を置いている。ラーニャは無抵抗に受け入れていた。
「どうする? 信用するか?」
「……もうここまで来たら信用するしかないでしょ」
カトリンがそう言うと、アレンもリアも頷く。
「カトリンさん」
「なに、リア?」
短い呼びかけに、カトリンは何か嫌な予感がした。
「……不死の魔女の調査には協力します。ですがアドラの仇がいたときは――」
ぎゅっと閉じていた目を、リアはゆっくりと開く。暗い決意を浮かべた眼は真っすぐとイゼンベルの方向を見ている。
「――私がやります」
腰のレイピアの柄を触る。
そういえばリアがそれを抜いたところはまだ見たことがなかった。リアは自分のことを「弱い」と言っていた。
「……どうやってやる気なの?」
「考えはあります」
きっぱりと言い切るリアに、もはやこれ以上言うことは無かった。
「そっか……」
「ねぇカトリン。不死の魔女をしらべるんでしょ? 敵もいるの?」
「そうだよラーニャ。不死の魔女の調査のためにイゼンベルに行くの。イゼンベルには――エルゼの言うことを信じるなら『眷属』もいる。どう? 分かった?」
「とにかく、カトリンの仕事を手伝う。敵がいたらやっつける。これだけだ。楽だろ?」
アレンが横から口を挟んだ。ラーニャはアレンの言葉を聞くと、ぱっと顔を明るくした。
「わかりやすい! わかった!」
「その意気だ」
楽しそうに笑うアレンは、だが未だに剣の柄から手を離していなかった。
・・・・・
「ここ……?」
足元に落ちる石の欠片を拾いながら、カトリンが呟く。
その石の欠片には明らかに人工的な石切の跡が残っている。崩れた建物の欠片なのだろう。
「そのようですね」
辺りを見回しながらリアが肯定する。建物の基礎らしき石造りの枠が、草だらけの地面に見え隠れしている。
「こんなんじゃあ重要な紙も何も残っちゃねぇんじゃないか?」
呆れたような声を挙げたのはアレンだった。
その言葉通り、辺りに手がかりになりそうな何かは見当たらない。
ラーニャがけんけん跳ね回りながら石の隙間を覗いていく。
「ねぇカトリン! なにもないよ! 虫しかいない!」
ラーニャが摘み上げたのは細長くウネウネと蠢くムカデだった。
「……っ! ラーニャ! それ今すぐ捨てて!」
一歩跳ね退きながらカトリンが叫ぶ。手で目を隠していた。
ラーニャがいたずらっぽく笑う声が聞こえる。
「カトリ〜ン! これ、見て!」
「ムリムリムリムリ! ふざけないでよラーニャ!」
「えっへへ〜」
ラーニャの足音が近付いてくる。カトリンは必死で背中を向けて走った。
「待ってよ〜!」
「待たないっ!」
気付くとカトリンの隣をラーニャが走っている。
こいつ加速魔法を使った、と心のなかで罵倒しつつ、ラーニャの手の中にある細長いものを見てしまう。だがラーニャの手の中には、何もなかった。
カトリンはぽかんと口を開きながら立ち止まると、肩を上下させてラーニャを睨んだ。
「からかわないでよ……!」
「えへへ。じゃ〜ん、見て!」
背中に隠していた手をラーニャがバッと出す。そこではムカデが藻掻いていた。
「ぎゃあっ!」
腰を抜かしたカトリンに、笑い声が響くのが聞こえた。
「なんだカトリン。虫が嫌いなのか?」
アレンだった。尻を地面につけているカトリンを見下ろして笑っていた。
「ほんとにムリ……っ!」
悲痛な声を上げたカトリンの肩を、ラーニャがぽんぽんと叩く。ひっ、と喉を鳴らしながら恐る恐る顔を上げると、ラーニャの手にはもうムカデはいなかった。
「ごめんね、カトリン」
まだ笑っていたが、ラーニャはカトリンの手を掴んで立たせた。
「……もうああいうのはやめて」
「ごめんね〜」
弾んだ声で謝るラーニャを軽く睨んだ後、尻についた土を払い落とす。
「もう……! 調査始めるよ……!」
「は〜い」
ぴょんぴょんとスキップするラーニャがカトリンを追い抜かしていく。
「でもどうするよ? こんな滅びて朽ち果てた街で、何を探すんだ?」
「紙が無くても石に彫られた文章は残るし、文章じゃなくても遺物があればそこから分かることもあるかもしれない。なんでもあるものは調査対象……かな」
「そういうもんなのか?」
「ええ。そういうもの」
カトリンは草に隠れた積まれている石を覗く。やはり何もない。だが調査とはそういうものだ。根気強くやれば何かが見つかるはず。
「――カトリンさん」
不意にリアが声をかけてきた。
「なに?」
「……あれ」
リアはぷるぷると震える指で遠くをさす。カトリンはその指を追う。
遠くに数人の集団が見えた。全員が全く同じ真っ白のローブを着ている。
「あれって……」
リアが唾を飲む音が聞こえた。
「……あれは、『眷属』の衣装です」




