勇気ある者
ほとんど地面と変わらない冷たさの床に座る。木目には染みと虫食いの跡があった。
アレンは「よっこらしょ」と呟きながら汚い座布団に座ると、側にあった他の座布団から埃を払いながら投げる。
座布団は、それぞれの足元で止まった。
「失礼します……」
ラーニャは既に座っていた。カトリンもそれに習っておずおずと座る。
リアだけは、地べたに座るのに慣れていないらしく困惑しながら何度も姿勢を変えていた。やがて正座に辿り着くと、そのまま静かに息を吐いた。普段から椅子にしか座っていないお嬢様仕草が目に見えていた。
「さてと。悪いな、茶も出せなくて。なにせ客なんて珍しくて」
「珍しくはないんじゃないですか……? さっき酒場で色々と聞いてきましたよ」
「あー……なるほどな。あのオッサンから色々聞いてきたわけだ。確かに、珍しくはねぇ。だけどな、茶を出してやりたい客なんてのは滅多に来ないんだ」
アレンは寂しげに笑っていた。
「で、さっきサラから手紙もらってきたって言ってたな?」
「はい……」
リリットの話を聞きたい欲をどうにか抑えながら、カトリンは側に下ろしていたリュックをまさぐる。
「これです」
アレンは無造作に受け取ると、びりびりと破りながら封筒を開き、中の手紙を開いて読み始めた。
「アレンさんは文字が読めるんですね」
リアがぽつりと呟いた。
確かに農民に文字が読める者はほとんどいない。だからと言って、真正面からそれを聞くのはあまりにも失礼だ。
リアは、先ほどからずっとアレンに失望している節がある。
「ああ、読めるぜ。サラとセヴァンから習ったんだ。お陰で魔法も少しなら使える。本当に少しだけな」
幸い、アレンは怒らなかった。密かに胸を撫で下ろしたカトリンは、緊張しながら手紙を読むアレンを見つめていた。
薄汚れた見た目に反して、よく見れば肩の筋肉が盛り上がっている。座っていても背筋が伸びて、体の芯もブレていない。
この人はまだ、剣を振るえる。
カトリンはそう直感していた。
「なるほどな。帝国は大変な状況ってわけか」
「……何が書いてあったんですか?」
「ん? 帝国が大変だって書いてあるんだよ。そのまんまだぜ。お陰で仕事が忙しくて死にそうだってよ。あのサボり魔が真面目に仕事してんのも笑えるよな」
ははは、とアレンは笑った。心底楽しげに。
奇妙な感じだった。物語に聞く英雄が、これほどまでに普通の人間として生きているなんて。もっと英雄然としているものだと思っていた。
「……っ」
突然、鋭く息を吸ったリアが立ち上がった。アレンを小さく睨みつけながら、扉の方へ向かって歩いていく。
「ど、どうしたの、リア……?」
「すみません、どうしても我慢できそうにありません。……『光の勇者』が、こんな男だなんて」
そのまま立ち止まりもせずに扉を開いて消えていく。
カトリンは、それを呆然と見つめていた。
「あーあ……ありゃあ貴族のお姫様か?」
「いや……詳しくは知らなくて……」
「そうか……。まあ、俺は勇者に見えないよな。俺もそう思うぜ」
「……それは否定できませんが……」
「ははっ、そりゃそうだ。『勇者』なんて名前も、貴族が勝手につけた称号だからな」
まるで自虐でもするみたいに、アレンは鼻で笑いながら『勇者』と言った。心底どうでも良さそうに。
「ねぇ〜、つまんない!」
ラーニャが足を伸ばして後ろに手をつくと、天井を見上げながら喚いた。あまりにも空気を読まない一言に唖然とするカトリンをよそに、アレンは声をあげて笑う。
「そうだな、それもそうだ! ラーニャにはつまらん話だよな。……じゃあ、昔話でもしてやろうか? 勇者がどうして勇者と呼ばれるに至ったか。どうだ、面白そうか?」
「……ん〜……わかんない。聞いたげる」
「ラーニャ、なんで上から目線なの……」
英雄たる勇者に、こんな態度は許されるべきなのだろうか。
ふと気づくと、アレンがカトリンをじっと見ていた。
「……君は、話に聞いてたよりもずっと普通の子なんだな」
「え……?」
話に聞いていたとはどういうことだろうか。
カトリンはすぐ、サラからの手紙だと思い当たる。サラがカトリンのことをアレンに話している。
どんな評価で、だろう。
「ど、どんなふうに……?」
「ははっ、そんなにビビらなくていい。真面目でよくできる子だって聞いてたぜ。よく怒られるって嘆いてた。どんなクソ真面目な女子かと思ってたら、案外普通だった。普通に狼狽える普通の女子だ」
「それは……あ、ありがとうございます……?」
「そんな困惑すんなよ。まあ、オッサンの昔話、聞いてってくれよ」
「ねえ早く〜!」
ラーニャが足をバタバタさせて、埃が立つ。この家は掃除をしていないのだろう。
「分かったから……ぶぇっくしょぃ! ……落ち着け……!」
アレンの派手なクシャミに隠れて、カトリンも小さなクシャミをした。ラーニャはそれを聞いて、少し申し訳なさそうに動きを止める。
「……はぁ、悪いな。掃除が面倒で」
「いえ……」
「それで、どこから話そうかな……。そうだな、暗い話は嫌だろ。自慢話でも聞いてくれ」
アレンが上半身をほんの少し乗り出した。
「まずは、俺が御前試合に出場したところからだ」
・・・・・
アレン・ザラストリアスは、幼い頃から剣の腕に優れていた。徴兵されて帰ってこなかった父の唯一の遺品だった、何の変哲もないただの剣を振り回していた。
病弱な母親に褒められるために、畑を荒らす魔物を退治したり、喧嘩の仲裁をした。母親は一人息子を大層心配したものだが、アレンは膝に擦り傷をつける程度で大した怪我をしたことがなかった。
二十四歳になったある日、アレンは御前試合が開催されるという話を聞いた。
その優勝賞金が、農民からすれば破格のものであるということも。
「俺が優勝して、母さんの病気を治してやる」
アレンは母親に高らかに宣言した。
「アレン……そんな危ないこと、しないでおくれよ……」
母親は、困り顔で懇願した。だが、アレンは母親に思い切りの良い笑顔を向ける。
「安心しろよ、母さん。俺の強さは誰よりも知ってるだろ? それに、父さんの剣もついてるんだ」
実のところ、アレンに父親の記憶などはない。生まれた直後に、帰ってこなくなったから。だからアレンは、自ら父親の墓に行くことすら無かった。
だが、母親が父親の墓に行きたいと何度も願うので、母親を背負ってそこまで行ったことは何度もある。
母親の心配顔に背を向け、アレンは村を発った。
数日の旅の末、予選を突破したアレンは、王の前に立つことを許された。そこで戦った相手は、四十を越えたアレンの記憶にも深く残っている。
生まれて初めての強敵。一度剣を振ればそれで終わりだった今までの戦闘とは次元の違う、本当の殺しを経験した者たちの剣。
恐れ。
だが、アレンはずっと笑っていた。楽しかった。剣の道は、命のやりとりは、アレンにとって最高の娯楽だった。
正確無比なレイピアの連撃を繰り出す女、幅広な剣で相手を叩き潰そうとする男。
アレンは、それらを全て捌き切り、彼らの膝を地に付けた。史上初めて、誰も殺さずに御前試合を勝ち残った剣士となった。
たんまりと優勝賞金を勝ち取ったアレンは、士官の話を断って村へと帰った。王は、「母親孝行のため」という理由を聞くと、「素晴らしい男だ」と言って、怒ることなく帰してくれた。
「見てくれよ、母さん。教会の聖職者に来てもらったんだ」
多額のお布施を払った。優勝賞金のほとんどを費やして、この国で最も優秀な治癒の奇跡を使う聖職者を連れてきた。
「あ、あんた……本当に……」
聖職者は穏やかに微笑みながら、驚きに目を見開く母親のもとへ歩み寄ると、その額に手を当てた。
アレンは、母親がまた歩けるようになると思っていた。
だが、次の瞬間に聖職者は、その穏やかな表情を歪める。
「これは……無理です」
「はぁ……? なんでだよ……! か、金が足りなかったのか!? それならまたすぐ払うからさ、頼むよ!」
「違います……これは、魔力への抵抗力が低いのです」
困惑するアレンと彼の母親に、聖職者は切実な顔を作る。
「いいですか? この世界には、魔力が溢れています。空気の中、水の中、土の中……あらゆる物の中に、魔力が溢れているのです。私たちはそれを、呼吸や食事によって体のなかに溜め込みます。そして、魔法使いたちは体内に溜め込んだ魔力を使って魔法を使うのです」
聖職者はそこで息を吸った。アレンは、その先に救いがないと分かっていながら、聖職者の口を止められなかった。
「……魔力を溜められる容量には、個人差があります。ほとんどの人は、一生問題なく過ごせます。ですが稀に、今回のような……生きているだけで命を削る人間は存在してしまうのです」
「そりゃ……運が悪かったってことか……?」
「残念ですが……。ですが、神はいつでも見ていらっしゃいます。今はせめて、祈ることしかできません」
そう言って、聖職者は胸の前で両手を握った。
「ふ……ざけんなぁっ!!」
アレンは、目を血走らせながら怒鳴った。
「これは、神が与え給うた試練なのです。耐えなさい。そして、神を信じなさい。そうすれば、神は救ってくださる」
「……っ! もういい……! 出てってくれ!」
今にも手が出そうだった。母親の前でそんな蛮行を見せるわけにはいかなかった。
「……頼むから……!」
まだ祈ろうとする聖職者に、必死に頼み込んだ。もう懇願していた。
聖職者はアレンの顔を悲しげに見つめると「いつでも声をおかけください。教会の門はいつでも開いています」とだけ言って、外へ出ていった。
「……母さん……」
また昔のように畑仕事をする母親が見れると思っていた。自分の足で、行きたいところへ行ける母親が見れると思った。自分の活躍を、直接見てくれるようになると思った。
「……アレン、聖職者の方に、あんな風に言っちゃいけないよ」
「……ごめん」
アレンは、母親の目を見られなかった。
約一年後、母親はまだ生きていた。アレンはずっと、母親の世話をしながら生きていた。
扉がノックされると、アレンがすぐに扉を開いて来客を見た。そこに立っていた男が差し出したのは、王からの招聘の手紙だった。
「母さん……俺、行かなきゃいけない……」
「……なんで怖気付いてるんだい? さっさと行ってきなさい。私の世話なんかずっとしてても、あんたが腐っていくだけだよ」
「でも……」
「いいから。隣の奥さん、私の幼馴染なの知ってるでしょう。あんたが居なくても、助けてくれる人は大勢いる。だから気にしなくていいんだよ」
母親は、もはやアレンを止めるために懇願することはなかった。むしろ、躊躇するアレンの背中を強く押していた。
アレンは、不安を抱えながら招聘に応える。家を離れる直前、アレンは珍しく父の墓の前にいた。
「父さん……母さんがなんか変なんだ……いつもなら止めてくるはずなのに……。なにか、教えてくれよ……このままじゃ、嫌な予感がするんだ」
妻も子も守らずに、どこかで死んだまま帰ってこなかった男に向ける願いとしては、とんだ的外れかもしれない。だが、アレンはできることを全て尽くしていた。村中に根回しして、母の世話を頼んだのだ。隣の奥さんにかなりの量の金を渡して、母の世話を頼んであった。
あとはもう、死んだ父の墓にぼやくくらいしかやることが無かった。
村を後にして王城に向かったアレンは、身分不相応な歓待を受ける。まるで生贄に捧げる人間のために、最後の晩餐を用意するかのようだった。
謁見の間で王に言われたことを、アレンは昨日のことのように思い出せる。
「……ここへ呼んだのは、魔王を倒してほしいからだ。誰よりも腕の立つお前に、行ってほしい。我が国の民が、奴らに攫われて食われているのだ」
「……魔王って、魔国の王なんじゃないすか? 王様だけ倒しても――」
その場の全員が、アレンを鋭く睨んだ。空気が変わるのが分かる。
嵌められた。
これは、生贄だ。
「……分かりました」
王は、母親のことを知っている。アレンの一番弱いところは、すでに知られてしまっている。
アレンはそう答える以外に出来なかった。
「……勇気ある者よ。感謝するぞ。そなたをこれから『勇者』と呼ぼう。勇者に相応しい者を集めてある。後で会うと良い」
謁見の間から退出した後に案内された部屋には、気だるげに背もたれに寄りかかる女と、熊のようにガタイの良い大男が待っていた。
「……アレン・ザラストリアスだ。よろしく」
「私はサラ・アスピヴァーラ。よろしくねぇ、勇者さまぁ」
絶妙に腹の立つ、間延びした自己紹介だったが、あまりにも自然すぎて苛立ちが起こらなかった。
「俺はガルヴィレーズ・ヌードリアル! 俺は略して呼ばれるのを好まん! 長くともガルヴィレーズと呼べ!」
腹に力の入り過ぎた自己紹介に、こちらまで汗臭くないか気になってしまう。
アレンは、二人を見て大層不安になった。




