勇者アレン
伸びた草々が膝まで飲み込む。地平線の先まで緑色の地面がうねり、体力を奪っていく。
カトリンはふくらはぎのダルさを抱えながらひたすらに歩き続けていた。地味な旅装束を纏い、軽い息切れと共に丘を登りきる。
少し先に丘の頂上に着いて待っていたラーニャはケロッとしている。エルフと人間では体の基礎的なスペックが違うのかもしれない、と密かに考えていたカトリンは、ラーニャは例外だろうとその考えを捨てた。
「はぁ……はぁ……待ってください……二人とも……」
這々の体のリアがカトリンの後ろで手を膝についた。カトリンはくすりと笑う。
「そんなになるほど歩いてなくない?」
呆れたラーニャの声が、青空の下に響いた。それに頷いてから、一つ深めに息をついた。
「ふぅ……リア、もう少し鍛えたほうが良いんじゃない?」
「……これでも……鍛えてる方ですよ……」
恨めしげなリアの顔には汗がびっしりと流れていた。
真っ白なハンカチを取り出したリアは、額を拭く。ハンカチが僅かに薄橙色に染まっていた。
「お化粧なんて大変だね」
「……ええ……これは欠かさないように、と言われているので……」
化粧を欠かさないように言われるなんて、どんな高貴な身分なのだろうか。
カトリンはリアとしばらく一緒に過ごして、このまだ幼さの残る少女のマナーがあまりにも完成されていることに驚いていた。もしかしたら隣にラーニャがいるせいで際立っているだけかもしれないが。
「そうなんだ。ヘルメリアではそういうのが普通なの?」
カトリンは化粧などほとんどしたことが無かった。だが、サラはよく化粧している。宮廷魔導師のトップとして貴族たちと渡り合うなら、有利に働くこともあるのかもしれない。
「いえ……まあ……それは……」
言いにくそうに視線を迷わせながら、リアは誤魔化すように遠くを指さした。
「――あ、あそこです……! あそこが、アンファング村。勇者アレン様が隠遁されている場所ですよ!」
その指を追って顔を動かす。ラーニャも同じようにしていた。
小さな丘を二、三個越えた先に、小さな川が見えた。それに沿うように質素な家が並んでいる。
「すごく典型的な田舎の村ってかんじだね」
思わず素直な感想がカトリンの口から零れ落ちていた。
「あそこにアレンがいるの!? 早く行こ!」
駆け出そうとするラーニャの肩を掴む。加速魔法を使っていないということは、少しくらいカトリンとリアに合わせる気があるということらしい。
「ちょっとラーニャ、落ち着いて。突然行ったら驚かれちゃうでしょ。私たちは旅の冒険者っていう体なんだから」
そう言いながらラーニャを振り向かせると、その胸に輝く金の冒険者バッジが傾いている。カトリンは躊躇なく手を伸ばして直してあげた。
「うん、これで良し。リアも準備は良い?」
「はい! 私はいつでも!」
リアはまた、貼り付けたような笑みを浮かべた。
・・・・・
田舎の村でも酒場だけはある。人はやはりアルコールからは逃れられないのだろう。
粗末な扉を開き、中に入ると、畑仕事を終えたであろう男たちが数人集まって飲んでいた。
騒がしかった酒場は、見慣れない旅人の姿を目にして一瞬静まり返ったが、またすぐに騒がしさが戻ってきた。
三人はとりあえず、カウンターまで歩いていく。ラーニャは周りの人々を眺めてつまらなさそうにため息をついていた。
「果実水を二つ。リアはどうする?」
訝しげな顔で三人を見る店主に、カトリンは座りながら指を二本出してみせた。リアも席に座る。
「私は……そうですね、では同じものを私にも」
店主は「はいよ」と返しながら、屈んでオレンジ色の果物を取り出す。この辺りで採れたものなのだろう。
「ねえなんで私には聞かないの?」
ラーニャがぴょんと飛び跳ねて椅子に座ると、頬を膨らませながらカトリンを軽く睨んだ。
「だって、あなたお酒飲めないでしょ?」
「そうだけど! 聞いてほしい〜!」
「ごめんごめん、次からは聞くからさ」
体を前後に揺らしながら文句を垂れるラーニャに、適当に返事をする。リアはくすくすと笑っていた。
「まだ私たちにはやることがありますから、酔うわけにはいきませんしね」
「なんだ、嬢ちゃんたち。旅人はさして珍しくないが、何かこの村に用事でもあるのかい?」
疑うようなぶっきらぼうな言葉には、何か思うところがありそうだった。
「私たち、勇者アレンさんに会いに来たの。場所とか知らない?」
カトリンが単刀直入に聞くと、店主は面白くなさそうに眉を片方釣り上げた。
「狭い村だぜ? なんでわざわざ聞くんだ」
店主は手際よく果物を搾っていく。
「だってカトリンが『村の人に聞いたほうがいい』って言うから!」
「ラーニャ、ごめんね。ちょっと黙ってて」
果物を搾っただけの果実水が、拗ねるラーニャの目の前に置かれる。順番に、カトリンとリアの前にも置かれていく。
「大方、外の連中に聞いても誰も答えてくれなかったんだろう? そんで、探しても見当たらねぇってとこか? 小せぇ村だが、土地だけは無駄に広いからな。ヘルメリアってのはそういう国だ。土地ばっかり豊かで、だから帝国の連中に狙われる」
「……ご明察」
店主の声には嫌悪が混じっていた。まさか、帝国の宮廷魔導師だというのがもうバレてしまったのだろうか。
ちらりと横目で見ると、リアは平然と果実水を飲んで顔を綻ばせていた。ラーニャも同じだった。
「――アレンには客が多くてよ。昔はクソガキだったのに、今じゃ世界の英雄だぜ。笑っちまうよな。……だが、そんなんだから国から軍に入るように使いが来るんだ。おまけに、世界中から腕試しのボンクラどもがやって来る。疫病神だぜ、あいつは」
「……じゃあ、アレンさんは嫌われ者ってこと?」
店主はニヤリと笑った。
「そんなわけねぇだろ。あいつは俺らの誇るべき疫病神だ。よく分からねぇ虫が付かねぇように、村のみんなで守ってやんのさ。……俺らはアレンの居場所は言わねぇ。あいつが望まない限りはな」
「『望まない限りは』ってことは……アレン様は人と会いたがらないということでしょうか?」
リアが口を挟んできた。カトリンも同じことを聞こうと思っていたから、先を越された感じだった。
「さあな。あいつはニコニコするばっかりで、本当のことはちっとも言いやがらねぇ。大人になっちまいやがって」
「ですが、アレン様は世界で最も強い人間と言われるお方です。なにせ『光の勇者』様ですよ。村の皆さんが守って差し上げる必要はないのでは?」
リアは間髪入れずに言った。その言葉にはほんの少しの棘が含まれているような気がした。
「ちょっとリア……どうしたの、そんな風に言って……」
「……俺たちにゃ、俺たちしか知らねぇこともあるってんだ。なんにせよ、アレンに会うのは諦めな」
「それは困るの。私たち、お使いでアレンさんに会いに来てるから」
「はぁ? お使い?」
「ええ。アレンさんの仲間からのお手紙」
「……仲間……?」
店主の纏う空気が、世間知らずの小娘をあしらう軽薄なものから、真剣に考えるようなものへと変わる。
「……そりゃ、誰のだ?」
カトリンはリュックの中をゴソゴソと探ると、一枚の手紙を取り出してカウンターに置いた。
「サラ・アスピヴァーラから。ほらここ。本人の印章」
「……俺じゃあ見ても分からねぇ。サラ・アスピヴァーラの話は聞いたことあるが、流石に印章まではな」
店主は腕を組んで目を瞑った。
その時、ラーニャが勢いよくグラスを店主の方へ差し出した。
「おかわり!」
店主はその勢いに、ぽかんと口を開けた。しばらくしてから、ぷっと吹き出す。
「ふっ……エルフの嬢ちゃん。さっきと同じのでいいか?」
「うん!」
「分かった。ちょっと待っとけ。それにしても珍しいな、エルフなんて」
「そう?」
「ああ。帝国じゃ、エルフは酷い扱いされるって聞いてるぜ。そもそも滅多に森から出てこない種族なんだろ? ひどい話だよな」
「……! おじさん! おじさんは味方にしてあげる!」
「お、おお……味方にしてくれんのか……? そりゃ、ありがてぇな……」
体を乗り出したラーニャに戸惑いながらも、店主は追加の果物を取り出した。いくつか吟味して、一番艶の良い果物を選んだように見えた。
「嬢ちゃんたち、しょうがねぇからアレンの居場所を教えてやるよ」
「あ……ありがとう。でも、なんで突然……?」
トン、とラーニャの前に果実水を置きながら、軽く店主は微笑んだ。
「あんた、サラ・アスピヴァーラの手紙を持ってるってことは、帝国の人間なんだろ? 大方、秘密の手紙でも運ばされてる冒険者ってとこか? だが帝国の人間が、エルフをこんなに自由にさせてんだ。少なくとも乱暴狼藉を働くような輩じゃねぇだろ」
店主はラーニャとリアの胸についた冒険者バッジをちらりと見た。
ラーニャは美味しそうに喉を鳴らして果実水を飲んでいた。
・・・・・
店主に教えてもらった家は、案外近くにあった。村の中にある、ごく平凡な茅葺きの家。
まさか世界の誰もが知る英雄の住む場所とは、誰も思うまい。
「こんなところに……」
囁くような声が聞こえた。リアは目を丸くしてその家を眺めていた。
「今なら家にいるはずだって言ってたから、とりあえず――」
そう言いかけていたが、ラーニャは扉の目の前まであっという間に歩いていってしまった。
「ラーニャさん、ノックくらいしてください……!」
リアの声も間に合わず、ラーニャはいきなり扉を開く。
「アレン! いる〜?」
家の中には僅かな生活感があった。扉から入る光に照らされて、部屋の奥の壁に立て掛けられたロングソードが光る。
「あ〜……? 誰だよ……」
奥の方から眠たげな声が聞こえてくる。
「私だよ、ラーニャだよ!」
「ラーニャ……?」
初めて聞く名前を問い返すような声色をさせて顔を覗かせたのは、英雄という前評判とは似ても似つかない男だった。
焼けた肌に無精髭を生やし、何年も着古しているであろう薄汚れたシャツの襟元は波打っている。ボサボサの髪には、辛うじて『光の勇者』と呼べるような金色が残っていた。しかし、ぱさついて寝癖が酷い。疲れ切った顔に生気は薄い。
アレンの見た目は、言うなれば、おじさんだ。細く引き締まった筋肉だけが、彼をただ者ではないと主張する唯一のものだった。
「あなたが……アレンさん……?」
「……? 知り合いだったっけ? 悪いな、君みたいな若い女子のことは知らないぞ」
目を擦ってカトリンとリアを順番に見ていき、最後にラーニャへともう一度視線を戻した。
「……覚えてないの? 私のこと……」
ラーニャは悲しげな顔をしていた。
アレンは腰をぐっと屈め、ラーニャの顔を覗き込む。
「ん〜……? その耳、エルフか。……ん〜……ん? あ、え? 君、もしかしてあん時のエルフ? 二十年くらい前に、ガルヴィレーズとサラとセヴァンと俺で戦ったよな?」
徐々に蘇る記憶に、アレンの顔は段々と生気を取り戻していった。言葉の最後の方には、昔を懐かしむような笑顔を浮かべていた。
「そう! それ! 私! あのとき、もう一回戦おうって約束したでしょ! 戦いに来たよ!」
「おーおー、血気盛んだねぇ。まあ一旦落ち着けよ。今日はもう仕事で疲れてんだ。また明日な」
「え〜……!」
「そんな顔すんなよ。明日ちゃんと相手してやる。君との戦いは割と楽しかったからな。ルールは前と同じでいいだろ? 覚えてるか?」
「うん! 『殺しは無し』!」
「よしよし。……そんで、後ろの君たちは?」
まるで姪と遊んでやる叔父のような顔をしたまま、アレンはカトリンとリアに視線を投げる。
「あ、私たちはその子の付き添いと……お使いに」
「お使い?」
「はい。サラさんからのお手紙を預かってます」
アレンは口角を更に上げる。
「そうかそうか。あいつ、ついに人を寄越してきやがったか。いつもは魔法で送ってきてたもんな」
「魔法で……?」
「そうだぞ。動物に手紙を運ばせる魔法、だってよ。あいつ、返信しないと怒りの手紙を送ってくるんだぜ。毎回返信分のスクロールまで付けてくるんだ。お節介だよな。世間話しか書いてねぇってのに」
「そんな魔法……」
そんな魔法、知らない。そんな魔法があるなら、帝国の目を掻い潜って手紙のやりとりをすることさえ簡単なはずだ。まさか、騙されたか。
「……ったく、あの人は……!」
「お、どうした?」
「……何でもありません。自己紹介がまだでしたね。私はカトリン・アーベラインです。こっちがリア。冒険者です。そっちのエルフの子がラーニャです」
「――リアです。以後、どうぞよろしく」
リアは優雅なカーテシーを披露した。もはやその身分の差を隠す気も無さそうだが、実際のところリアがどこの誰かは知ることはこれまで無かった。
「ラーニャに、リアに、カトリンね……。カトリンって子が、今はサラの下で宮廷魔導師やってるって聞いてるが、君か?」
「……! たぶん、私です」
「そうかそうか……君が……」
アレンの目が細められる。
「聞いてるぜ。君の本当の師匠のこと」
カトリンは数秒間その言葉の意味を理解できなかった。理解した瞬間、呼吸を忘れてしまった。
「まあ積もる話もあるだろ。中、入れよ。なんも無いけど」
アレンがラーニャを中へ導く。リアもそれに続いた。
カトリンだけは、中々一歩を踏み出せなかった。
今回の更新でカクヨム連載に追いつきましたので、明日からは一日一話のペースになります。




