幕間 エルフィレンの森
「姉さま、お知らせがあります」
エルヴィラが自室に籠もって編み物をしているところに、ノックも無しに突然入ってきた者がいた。
ゆっくり振り返ると、そこにはフィオネが息を荒くして立っていた。普段は運動なんてしていないのだから、少し走っただけで息を切らしてしまったのだろう。
「どうしたの、フィオネ。そんなに慌てて」
フィオネは一度深呼吸をすると、スルスルとエルヴィラへ寄っていく。エルヴィラは察してフィオネへ耳を傾けた。
フィオネがエルヴィラの長く尖った耳に手を当て、こそこそと喋り出す。
「……ミルエが、帰ってきました」
「……いま、なんて言ったの?」
フィオネは同じ調子で繰り返す。
「ミルエが帰ってきました」
バッと立ち上がり、フィオネを睨む。
「なんで早く言わないの……!?」
「お、落ち着いて、姉さま……まだ続きが……」
「続き!?」
「と、とりあえず座って……?」
苛立ちを隠しもせずにドカリと座る。他のエルフにこんなことはできないが、長い付き合いのフィオネだから萎縮せずに話してくれると分かっている。
「……で、続きってなに?」
早くミルエに会いに行ってやりたい。壊れ切ってしまう前に、抱きしめてあげたい。
――ラーニャのようになってしまう前に、救ってあげなければいけない。
「……姉さまは、サラという人間を覚えていますか?」
「サラ……? ああ、確か、三十年くらい前に辺境の里で修行してたっていう……?」
「ええ、そのサラです。そのサラが、ミルエを連れ帰ってきました」
「そう……なの……」
人間に助けられるとは、何たる恥か。本来はエルフが救わなければいけないのに。帝国と戦うほどの力を持っていないことがこれほど悔しいことはない。
「……特にレシェルを筆頭に、危うい意見が目立ちます。人間を里に入れれば、戦いになるかも……。彼女は、ミルエを救ってくれた恩人です。できれば安全は保証したいですし……何よりサラは、恐らくいま里にいる全エルフで立ち向かって、何とか相討ちできるかどうかというほどの魔力です」
「それは、私も含めて?」
エルヴィラの鋭い目が、フィオネを射抜く。フィオネは悲しげな顔をしているが、エルヴィラの視線には怯んだりはしなかった。
「いえ……姉さまがいれば、問題なく勝てるでしょうが……それでも少なくない数のエルフが犠牲になります。ミルエだけ受け取って、サラは里に入れずに返すべきだと思うのですが、姉さまはどうですか?」
「向こうはそれでも良いの?」
「はい。早駆けの者によれば、サラは『そちらの里長に任せる』と言っているらしく……」
「それで私のところに来たってわけね?」
「はい。そういうことです」
エルヴィラは床に視線を落とした。縫いかけの布が、ぐちゃぐちゃになって落ちている。
せめて綺麗に畳んでやろうと、布地を伸ばしてやった。
「……ミルエが心配」
ぼそりと呟く。
「ええ……もう、昔のような光景は見たくありません」
「……二百年くらい前だったかしら? ラーニャが血塗れで帰ってきたのは」
「そうですね。あの時は驚きました。帰ってきてくれて嬉しかったし……あんなことになって悲しかった」
「あの頃のあの子は本当に幼かったから里中大騒ぎになったわね……。今はどこにいるのやら……」
「次に帰ってくるのは、またあと十年ほど後でしょうね。いつもそんな感じですから、あの子は。『フィー姉、フィー姉』と、未だに子供みたいに可愛くて……ふふ……。……だからこそ、私はあの子が怖いです。いつか帰ってこなくなるんじゃないかって」
「……」
エルヴィラは目を閉じた。瞼の裏に、ラーニャが浮かぶ。すっかり壊れてしまったラーニャが。
エルヴィラは一度ゆっくりと頭を振ってから立ち上がった。フィオネもそれに続く。
「……レシェルたち若いエルフには秘密で、穏健派のエルフだけでミルエを迎えに行くわ。フィオネ、準備をお願い」
「分かりました、姉さま。では、ごく少数を動かしますね。先に行ってます」
「ええ、そうして」
フィオネが出ていくのを見守ってから、縫いかけの布を手に取って、簡素な棚へ置いた。
その布には、『ラーニャ』と名前が書かれていた。
名残惜しそうに視線を外してから、エルヴィラは外へ出ていく。
エルフたちが多く暮らすエルフィレンの森、その中央部にあるプルマの里で、里長のエルヴィラはこそこそとサラに会いに向かった。




