信仰
ヴィートとの戦闘で壊れた道は、あっという間に直されていた。大陸道はいくら壊れても自然に修復される。その原理を分析した魔法理論学者が、扱いやすい道路修繕の魔法を作り出したのは、数十年前だっただろうか。
カトリンはぼんやりと道を歩きながらそんなことを考えていた。
そんなカトリンの視界に、見覚えのある影が映り込む。
「あ、いたいた」
カトリンが疲れたような笑顔を向けた先には、リアが立っていた。自分の爪を手持ち無沙汰に眺めていたリアは、カトリンに気付くと頬を綻ばせた。
だが、すぐ側にいるラーニャに気付くと、怪訝な顔をする。
「カトリンさん、おはようございます。……ラーニャさんも連れてきたんですね」
「ん? なに?」
ラーニャはリアが何故か自分にいつもと違う目線を向けていることに疑問を持ったらしかった。
「ああ、いえ……ラーニャさんはお留守番かと思っていましたので」
「あっ……!」
カトリンはハッとして思わず口に手を当てた。
合流のついでに、元聖女候補の修道女に治療の礼をする約束もしてあった。だから集合場所を教会にしたのに。
ラーニャが修道女に何か言われでもしたら、暴発してしまうかもしれないと危惧していたのに、そんなことすらすっかり忘れていた。
「しまった……」
「まあ、そのときは私たちで止めましょう。ラーニャさんは止められないので、修道女さんを」
「うん……ごめんね」
「いえいえ。お疲れのようでしたし、仕方ありませんよ」
「ね〜! 何の話?」
自分だけ話に参加できていないことを不安に思ったらしく、ラーニャは悲しげな顔で二人に訴えかける。
「大丈夫。何ともないよ。これから修道女さんにお礼に行くから、ちょっと静かにしといてね」
「わかった……」
ラーニャは不貞腐れたように頬を膨らませていた。
「じゃあ中に入りましょうか」
リアが率先して教会の扉を開く。帝都から離れたアルゼイユの教会の扉は質素な木製で、少しの軋みを伴って開いた。
カトリンは教会に入るのは、別に初めてではない。故郷の村でも、アルディオスに通っていたときも、宮廷魔導師になってからも、定期的に教会で祈っていた。
だがラーニャはトラス教の教会には初めて入るらしく、きょろきょろと装飾を見ている。
教会の奥には、トラス教の始祖がロングソードを掲げている像と、正トラス教会のシンボルである輪を貫く矢の紋章がでかでかと飾られていた。
だが、後から作られたものであるとすぐに分かるほど、周りの古さとの差が際立っている。元はダブージ教の神殿だったというのは、本当なのだろう。
「あ、リア様! ようこそおいで下さいました」
奥で手を組んで祈っていた女がパタパタとスリッパを鳴らしながら走ってくる。トラス教式の修道服の裾が黒くたなびいていた。
「おはようございます、フィリーネさん!」
リアが柔らかな笑顔で挨拶すると、フィリーネも顔をパッと綻ばせる。
「はい、おはようございます! そちらの方は、カトリン様と、ラーニャ様ですね? 数日ぶりです。お元気でよかった」
真っ白な手で二人を順番に示す。
カトリンの記憶にはぼんやりとしか、フィリーネから治療を受けた記憶は残っていない。
「先日はどうもありがとうございました」
カトリンはさっと頭を下げた。横目でラーニャを伺うと、フィリーネには微塵も興味なさそうに周りを見るばかりだった。
ラーニャならそうするだろう、とカトリンは思う。だって、フィリーネはあまりにも弱そうだ。
僅かに見え隠れする黒い髪の毛は、戦いの場に出たことのない者の艶をしていた。
カトリンも戦いを専門にする人間ではないが、それでも野に出る仕事をしている。ここまでの艶は出ない。
少し、羨ましい。
「いえいえ、当然のことをしたまでです。教会を守ってくださったのですから」
そうだ。ダブージ教徒か奪ったこの場所を、結果的にカトリンは守った。トラス教徒としては感謝してもしきれないはずだ。
だがカトリンはその扱いにむず痒さを感じていた。
「いや……成り行きで……リアが言ってくれなければ守れませんでした」
フィリーネの感謝の矛先をリアに向けるため、カトリンは少しリアの名前を強調して言った。
「まあ、そうなのですか? 嬉しゅうございます。いつもありがとうございます、リア様」
「こちらこそ!」
不意にラーニャがリアへ視線を向けたのを、カトリンは横目で見ていた。
「ふたりは知り合いなの?」
一瞬ぽかんと口を開けたフィリーネが、まるで赤子が初めて「ママ」と言ったときの母親のような顔をして、胸の前で手を組んだ。
「まあ! そうなんです! リア様とは以前から色々と。害獣退治もリア様がしてくださったんですよ」
「まあ……ギルドで誰も見向きしないような依頼を受けただけですけどね……」
「ふーん……」
謙遜しながらも、リアは照れて頭を掻く。ラーニャはまた興味を失ったらしかった。
「そんなこと……ああいけない。世間話が楽しくて……。すみません、カトリン様」
途中で思い出したかのようにカトリンへ視線を向けたフィリーネがふわりと笑った。
「ああ、いえ。気にしないでください」
無理して作った笑顔を返す。フィリーネは何も疑問を感じていないようだった。
「そうそう、一番聞かなければいけないことがございましたね。お怪我の具合は如何ですか?」
「傷跡は残っていますが、もう完全に治癒しています。すごいですね、治癒の奇跡というのは」
「うふふ。そうでしょう? 聖女になるための修練をしていた頃に、ずーっと仲間たちと高め合っていましたから。正式な聖女に選ばれたマディーネ様は、もっとすごいのですよ?」
治癒の奇跡は、魔法では誰も再現できていない。ある意味で、魔法使いならば誰でも一度は目指すところであるともいえる。
だが、治癒の奇跡は魔法ではないというのは、全ての魔法理論学者が頷くところだ。カトリンも学生時代には散々聞かされた。『あれは魔法も含めたあらゆる科学の外にある』と。
曰く、神の力を借りているらしいが、真相は誰も知らない。
「へぇ、そうなんですか」
生返事を返した。
聖女マディーネ・ケルゼアン。その噂は、帝都にいれば誰でも聞く。優しく、美しく、そして歴代でも最も治癒の奇跡を使いこなす聖女。戦場にさえ構わず現れ、敵味方関わらず治癒して回る。ついた二つ名は『魂の聖女』。
カトリンのような科学の徒には全く関わりのないタイプの人間だ。噂程度しか把握していない。
「ええ、あの方が聖女ならば納得だと、仲間内で頷きあったものでございます」
「へぇ……」
「あら、いけない。また世間話を……申し訳ありません、こういうことは滅多にございませんから。次はヘルメリア王国へ行くと聞きましたが、そのご様子なら問題なさそうですね」
「ええ、どうもありがとう」
余所行きの笑顔を返すと、カトリンはリアとラーニャに顔を向ける。
フィリーネはおしゃべりだ。いつラーニャへ余計なことを言うか知れたものでは無い。早く出発したい。
「そろそろ――」カトリンが話し始める。
「そういえば――」フィリーネの言葉が重なる。
カトリンはどうぞ、と手で譲った。相手にまだ話したいことがあるのに帰りを切り出せるほど、カトリンは強くはなれなかった。
「すみません、カトリン様。……そういえばなのですが、ラーニャ様はエルフでいらっしゃいますよね?」
ああ、来た。
反射的にそう思った。いつでもラーニャの耳を防げる用意をしておかないと。
リアに目配せすると、リアは自然にフィリーネの側に寄った。
「そうだよ?」
「まあ珍しい。私、エルフの方は初めて見ましたわ。エルフの方々はどんな神を信じておられるのですか?」
ああ、マズイ。
「んーとね、森の女神様だよ。森の女神様がいて、その子供に精霊様たちがいて、その子孫が私たちなんだって。里長が言ってた」
「あら、そうなんですか。初めて聞きましたわ。一体どのようなことをされるのですか?」
「どのようなことってどゆこと?」
「例えば私たちであれば、日に一度は神に祈ります。リア様もそうですし、カトリン様もそうですよね?」
唐突に話題を振られたカトリンが答えに窮していると、リアはごく自然に「はい」と答えた。だが、カトリンはその決まりを守っていない。祈ることもあれば祈らないこともある。その程度。
「あ、も、もちろん……」
「カトリンが祈ってるとこ、見たことないよ?」
余計なことを言うな、と思った。まさかラーニャの方にそう思うとは。
「あ〜……ラーニャが見てないところでやってるんだよ」
「ふーん、そうなんだ」
フィリーネはカトリンの途切れがちな答えを聞いて苦笑していた。きっとフィリーネは分かっている。
「……そういうお方もいらっしゃいます。祈ることは大切ですが、最も大切なことは、神を信じ、善行をすることです。カトリン様はその点、きっと問題ないかと思います。祈る暇も惜しいほどお忙しい方や、他にも様々な事情で祈れない方々のために、私たちのような神に仕える者が祈るのです。カトリン様の分も、私が祈っておりますわ」
「ふーん、優しいんだね」
「ええ、だって私は、神を信じていますから」
ラーニャの言葉に、フィリーネは柔らかく微笑んだ。
カトリンの脳裏にヴィートの顔が、またよぎる。ヴィートも神を信じていた。フィリーネとは違う神を。
もしフィリーネが信仰を禁じられたら、何を思うのだろう。聞いてみたかったが、口は頑なに動かなかった。
「……もうそろそろ行こう、リア、ラーニャ」
「あら、もう行ってしまわれるのですね。では皆様の旅のご無事を、神に祈っておりますわ」
「……はは、ありがとうございます」
乾いた笑いで礼を述べたカトリンは、逃げるように出口へと向かった。リアとラーニャがカトリンの後についてくる足音が聞こえてくる。
フィリーネはまだ、頭を下げているのだろうか。それとも、神に祈っているのだろうか。




