変化と成長
目を覚ますと、隣のベッドにあどけない顔が転がっていた。
もう一度目を閉じるが、昼の高い陽の光が瞼を通り抜けて目の奥までやって来る。無理やり脳を覚醒させられていく感覚が、酔いそうなほどに気持ち悪かった。
ため息を一つついて、カトリンはベッドから転がり落ちるように起き上がる。腕が重い。頭が重い。筋肉が働きを放棄している。
ラーニャは、泥のように寝ていた。白い服には、血の汚れがいくつもついている。
「……後で洗ってあげないと……」
寝起きの声は掠れていた。
ラーニャが血を浴びた時には、いつもカトリンが洗ってあげていた。
思えば、三叉路の街ファチスで人を殺したラーニャも、今となっては人殺しなんて一切していない。少なくともカトリンが見ている間は。
「……ラーニャは変われた」
ヴィートの顔がちらつく。『死んだほうがマシ』。
そんな状況あってたまるか。
汚い罵倒が頭の中を行き交う。
人は死んだらもう何も残せないのだ。どんな悪人も変われるはずなのだ。その可能性を摘むなど、あってはいけない。
どんな歴史書でも悪逆非道に描かれるリリットですら、最高の師匠になってくれた。
「んん……」
ラーニャが寝返りを打つ。気持ち良さそうに寝ている。まるで幼い子供のような、いつもの無邪気な寝顔だった。
カトリンはベッドからゆっくりと立ち上がると、ラーニャに近付いていく。身体が重かった。
ラーニャのベッドに腰を下ろし、羽毛で撫でるほどの力で、ラーニャの頭を撫でた。むにゃむにゃと口を動かして、気持ち良さそうにしていた。
カトリンは思わず微笑んでいた。
「あなたはいつも変わらないね……」
囁くように言った。
変わらない。ラーニャは、変わっていない。
カトリンの表情が途端に固まる。
ラーニャは、本当に変わったのだろうか。悪から善へと、変わってくれたのだろうか。
慌てて頭を振った。
変わるには時間がかかるのだ。まだ変わりきっていないだけだ。ラーニャは年齢以上に精神が幼い。これから成長していく。少しずつ成長しているのだ。
そのはずだと、カトリンは自分を納得させる。
その時、扉がノックされた。間髪入れずに扉が開かれる。
リアがいた。
「あれ……起きてましたか、カトリンさん」
「……リア」
二人の視線がぼんやりと交差した。
・・・・・
「肩の傷はどうですか?」
ぼんやりと覚えている。あのあと、ほとんど放心状態でその後の処置を終えた。
魔導服は脱がされ、動きやすい清潔なリネンのワンピースを着せられている。肩には包帯が見えていた。
「簡単な治療はトラス教の方々が申し出てくださいました。元聖女候補だったお方がいらっしゃったので、良かったです」
聖女。確か、トラス教で特別な地位を与えられる修道女だったはずだ。先代聖女の引退に伴って新たな聖女が選ばれたのは、ここ五年以内だったはず。
能力と性格などを考慮して、正トラス教会の最高意思決定機関――承言会議による投票で選ばれるのだったか。
「今回はお布施無しで治癒の奇跡を行使してくださいましたよ。教会を守ってくれたお礼だと仰っていました」
「そっか……後で、お礼に行かないとね……」
「ええ。ラーニャさんが起きたら……ああいえ、ラーニャさんはお留守番の方が良さそうですね……」
「……たしかに」
トラス教は、人にもよるが布教活動に熱心だ。この街の修道女が熱心なら、エルフの信仰を否定しかねない。そうなれば、ラーニャが暴走してもおかしくない。
こんなことを考えてしまう。やはり、心の何処かでラーニャは変わっていないと思っているのだ。
胸の奥に石でも詰め込まれたような感覚があった。カトリンは、目を瞑って深く息を吐く。
「……やはり、体調が良くなさそうですね。しばらぬはこの街で休養を取っていきますか?」
「ううん……疲れてるけど、すぐに出るよ」
この街に長居はしたくなかった。
だって、きっと『英雄』にされてしまうから。
カトリンは、もう見せかけの英雄になるのが嫌だった。
師匠のせいだ、と責任転嫁してしまって、自分が嫌になった。
「そうですか。次は、どこに行かれるんですか?」
「……リアには話さなかったっけ?」
「ええと……聞いた覚えはないですが……すみません、忘れているだけかも……」
「ああ、いや……謝らないで。次はヘルメリア王国に行く予定だよ」
「……! ……ヘルメリアに……? なぜですか? 帝国の宮廷魔導師なら、入国は難しいと思いますが……」
リアの声が少しだけ低くなる。表情は変わらなかったが、少し硬くなっている気がする。
「少しお使いでね。アレンさんに会いに行くんだ」
「アレンって、まさか勇者アレンですか……?」
「そうだよ。サラさんから手紙を預かってるし……」
「サラ……!? 『血路のサラ』ですか……!? ……たしかに今は宮廷魔導師と聞いたことがありますが……カトリンさん、あなたは……?」
「あはは……一応、サラさんの弟子ってことになってるかな……」
「弟子……!?」
リアが頭を抱え、ふらりとベッドに座り込んだ。まだカトリンの熱が残っているであろうベッドは、リアも構わず受け入れる。
カトリンは辛うじて苦笑してみせた。
「でもそっちはついでなんだよね。本当は、遺跡の調査に行きたいんだ」
「い、遺跡ですか……? ヘルメリア王国にそんな重要な遺跡があるとは聞いたことがありませんが……」
「イゼンベルって言う町の、まあ跡地かな。不死の魔女の調査をしたいんだ。知ってる?」
「不死の魔女……イゼンベル……詳しくは知りませんが聞いたことくらいは……」
「え、そうなの。どこで聞いたの?」
眉間にシワを寄せながら目を鋭くさせたリアは、カトリンを探るように見ていた。カトリンは真正面から受け止めるほど元気が無くて、目を逸らす。
「さあ……どこだったか……聞いたのは幼い頃だと思うので詳しくは分からないです」
「……そっか。残念」
「――私も行っていいですか?」
「え?」
突然、リアがカトリンの座る前に立つ。真っすぐに見下ろしてきていた。
「私も行きたいです」
「え……いいけど……あなた、ここで冒険者をやってるんじゃないの?」
「出身はヘルメリア王国ですから。里帰りをするだけです。それに、あなたはあのサラ・アスピヴァーラの弟子で、帝国の宮廷魔導師。……見聞を広めるため、ついていきたいです」
「……そう、なんだ……」
カトリンは初めてリアの目を見つめ返した。リアの目には探るような色があって居心地が悪かった。
・・・・・
翌日、カトリンとラーニャは一緒に宿を出た。ラーニャはまだ眠そうだった。
「ふわぁ〜……」
ラーニャが人目も憚らずに大きなあくびをする。
「……今日から歩くの?」
むにゃむにゃと唇を動かしながら、億劫そうに聞いてくる。
「そうだよ。ここから南に真っすぐ。一ヶ月くらいかな」
「うへぇ〜……」
「ラーニャは長生きなんだから、一ヶ月なんて一瞬でしょ?」
「そんなことないよぉ……ヒマなのはツラいんだから!」
「あはは……ん……?」
カトリンはラーニャを見ながら目を細くした。見つめられ、ラーニャは怪訝な視線を返す。
「どしたの?」
「ラーニャ……」
カトリンは自然にラーニャの頭に手を伸ばした。ラーニャは一瞬ビクリと肩を震わせたが、大人しく受け入れる。
「あなたってこんなに髪の毛長かったっけ……?」
「ん〜……? あ、ちょっと伸びたかも」
自分の前髪を見上げ、少し引っ張るラーニャは何でも無さそうにそう言った。
「こんなに短期間で……? 一昨日までもっと短かったよね?」
「うん、そうだよ。戦った後は髪の毛伸びるんだよね」
戦った後に髪の毛が伸びるなど、そんなことがあり得るのだろうか。
カトリンは即座に思考を切り替える。
戦うことと髪の毛が伸びることに因果関係は無いはずだ。もしあるとしても、その可能性は後で考えればいい。
可能性は高い順に検証していくべきだというのは、アルディオスでの学生生活や、宮廷魔導師としての実験で得た知見だった。
「ラーニャの魔法って……」
ラーニャの魔法は、自己の時間を加速するもの。あくまで仮説だが、そう考えると最も整合性が取れる。
もしかすると、体の成長さえ加速させているのだろうか。それにしても伸びすぎだ。
「ラーニャ、ちょっとじっとしててね」
「んん……」
気恥ずかしそうにじっとしているラーニャの髪の毛を、カトリンは指で梳かす。
大体、指の関節一つ分。これほど伸びるには、恐らく二ヶ月以上はかかるだろう。エルフと人間の成長速度が違う可能性もあるが、もし違っていたとしても人間の方が寿命が短いのだ。人間の方が髪の毛の伸びるスピードも早いと考えるのが自然。
自己の時間を加速しているとしても、あの一夜の加速だけでこれほど伸びるなどあり得ない。
「……」
カトリンは黙ってラーニャの金髪を見つめていた。
不意にヴィートの顔が脳裏に浮かぶ。彼は呪術を使っていた。呪術は、血肉を代償に超常を起こす技術。
もし、代償が血肉に限らないのだとしたら。もし、寿命そのものを消費することが代償になるのだとしたら。
突拍子もない仮説だとは分かっている。だが、可能性は十分にある。
「……だとすると……これは……魔法と呪術の混合……?」
アルディオスでは呪術と魔法は交わらないと習った。それぞれは干渉しないが、その原理は分からない、と。
だが何らかの方法で、ラーニャの魔法はそれを可能にしている。
それも、寿命を代償にすることで。
途端に背筋が冷えた。寿命を代償にしている。それも、あの短い時間の使用で二ヶ月分だ。
長命のエルフだから何の不利益も無く使えているのだろうか。もしこれを人間が使えば?
「いやそんなことよりも……」
ラーニャは、本当は何歳だ?
見た目と年齢が一致しないエルフだから、ラーニャの年齢は本人から聞くしかない。ただし、きっとラーニャは本当のことを言っている。この子は嘘をつくタイプじゃない。
だが、実際にラーニャの身体が経験している時間は――ラーニャの寿命は、それよりも消費されている。
ラーニャは戦えば戦うほど、命を削っている。
知らず知らずのうちに、カトリンは息を呑んでいた。
「――ラーニャ」
「なに?」
「あなた、あんまり加速の魔法使わないほうがいい」
「……? なんで?」
「なんでって……」
説明したとして、ラーニャは納得してくれるだろうか。そもそも、理解する頭を持っているのだろうか。いや魔法を使えるのならば最低限の賢さはあるはずだ。きっと分かってくれる。
だが理解と納得は別問題だ。
「……とにかく、加速魔法を使わない戦い方を覚えたほうがいいよ。分かった?」
「え〜……やだ!」
真正面から拒否されてしまった。ラーニャの目には頑固な意志が透けて見えていた。
「な、なんで……?」
「これは私ががんばって使えるようになったから」
「でも……!」
「……やだ!」
カトリンは言葉に詰まってしまう。ラーニャはその様子を確認してから、ゆっくりと言葉を続けた。
「私は、この魔法が無いとダメなの……」
なぜか、いつもは子供じみたラーニャの姿が大人びて見えた。たった一つ縋るものを、必死に守ろうとする姿が見えた気がした。
「……そっか」
もう何も言えなかった。
正しさは、常に正しいとは限らない。ヴィートの一件で、カトリンは痛いほど突きつけられていた。
納得はしていない。だが、今は無理を突き通すほどの元気はない。
「じゃあ、もう何も言わないよ」
「うん」
コクリと頷くラーニャは、また子供っぽかった。それが何となく可笑しかった。何も可笑しくは無いはずなのに。
カトリンは、自分が少しおかしくなってしまったのだと思っていた。
「ふふ……」
「なに? どしたの?」
「ううん、何でもない。……さ、これからリアと合流するよ。教会で合流する約束だから、行こうか」
「うん、分かった!」
ラーニャは、ずんずんと歩いていく。カトリンはその背中を見ながら、あとをついて行った。




