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クムルサレアの果てた後  作者: 北里有李
第三章 艶髪光背

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私たちには重すぎる

 おかしい。


 カトリンは直感的にそう思っていた。


 見た目からしてもヴィートは戦闘の素人だ。魔力も大したことがない。一般人並み。


 それなのに、ラーニャの速度を見切り、一番適切なタイミングで適切な攻撃を仕掛けている。


「……何かある」


 ラーニャの着地を狩るために、着地点に毒霧が展開されていた。カトリンが霧を生成して押し流す。ラーニャはカトリンを信頼してか、気負わずに着地した。


「あははははっ! 当たらないねぇ! ほらここだよ、私、ここにいるよ〜!」


「そうだな。楽しいか?」


「うん! 楽しいねぇ?」


「……」


 跳ね回りながら両手を挙げて挑発するラーニャに、ヴィートは表情一つ動かさなかった。カトリンはヴィートの顔を観察する。


 あと少しで、何かが分かりそうな気がする。


 不意に魔狼の一匹がカトリンに向けて炎の球を放つ。途端に目の前が明るくなる、


 マズイ。集中しすぎた。回避も防御も間に合わない。


「あ……」


 だが、青く輝く足が炎を踏みつける。遅れて、パァンと言う雷のような音が鳴り響く。


「あちち……カトリン、危ないよ?」


 気付けば目の前でラーニャが首を傾げていた。ヴィートの舌打ちが聞こえる。


「あ、ありがとう……」


 魔狼の群れが二手に別れて二人を囲む。ヴィートとホワイトホーンが、その様子を見下ろしている。


「……なんか変なの! あいつ、自分で戦えばいいのに、ずっと見てるだけ! つまんなくないのかな?」


 見てるだけ。


 しかも、一人と一匹で。


 見ているだけなら、ヴィートだけで良いはずだ。


「……ラーニャ、少し時間稼ぎできる?」


「ん? 何すればい〜い?」


「私を守って。敵は殺さなくていいから。何か分かりそうなの」


「殺さないでカトリンを守るの? むずかしそう……」


「殺してもいいんだよ。とにかく、敵の攻撃が私に――っ!」


 また炎の球だ。反射的に『水貫』で貫く。炎の球は勢いを失って落ちる。


 だが魔狼たちは次々に魔法を発動しようとする。

 まるで誰かが指揮しているように、次々と。


「――頼むよ、ラーニャ!」


「よくわかんないけどわかった!」


 ラーニャが残像を残して駆け出すのを見送り、カトリンも反対方向へ駆け出す。


 ラーニャのように、超スピードというわけにはいかないが、ラーニャが守ってくれるはずだ。


 目指すは、ホワイトホーン。


 道中に魔狼たちが立ちふさがる。


「ラーニャ!」


「おっけー!」


 魔狼の姿が掻き消え、一瞬だけラーニャが楽しげに蹴りを放つ像が見えたが、同じように消えた。骨が折れる音と内臓が潰れるような音が同時に聞こえる。


「あれ? なんか弱くなった!」


 軽やかな声が後ろから響く。


 ヴィートは必死にラーニャを目で追おうとしていた。だがホワイトホーンは近付いてくるカトリンを睨みつけている。


 今、魔狼たちはラーニャに対応できていない。


「やっぱり……!」


 また駆け出す。狙いはホワイトホーンだけ。


「……っ! 来るな……!」


 ヴィートが叫んだ。視線はラーニャとカトリンを行ったり来たりしているが、ラーニャの姿は追えていないようだった。


「『水塊を点に為せ』……」


 右手を晒し、そこへ魔力を集中させる。ホワイトホーンが身構える。


「やめろ……っ!」


 ヴィートの悲痛な声が響く。返事している暇は、ない。


 カトリンは右手を大きく後ろへ振りかぶり、左手を前へ出した。ホワイトホーンの視線は、右手に集中している。


 その時、左手の人さし指がホワイトホーンを指し、そして水の線が伸びた。


 無詠唱の『水貫』は、白い角に命中する。


「キャウンっ……!」


 高い声を上げたホワイトホーンが、目を瞑ったその時、カトリンは振りかぶった右手に溜めたそれを思い切り投げつける。


 叫びながら。夜に、その声はよく響いた。


「――『縮水爆』!!」


 放物線を描く水の球が、目を瞑ったホワイトホーンに命中するところが、スローに見えた。


 盾になろうとする魔狼がラーニャに蹴り飛ばされ、ヴィートは必死に両手を出して身を守ろうとしていた。


 ホワイトホーンだけが無防備にそれを見ていた。


 ドカン。


 爆発と同時に石畳が割れ、石礫となる。カトリンは身を縮こまらせていた。


 だがカトリンは、ホワイトホーンの死ぬ瞬間を確かに見ていた。身体が粉々になる瞬間を。


「ぅ……ぐ……っ!」


 衝撃波に身体が吹き飛ばされ、地面に背中を強く打つ。


 痛みに閉じた目を辛うじて開けた時、爆発は柔らかな霧雨となって振り注いでいた。ホワイトホーンが立っていたところから少し離れた場所には、頭の吹き飛んだ死体が落ちていた。


「ぐ、う……ラーニャ……! ……あとは……掃討するだけ……!」


「……カトリン、大丈夫?」


 無傷のラーニャがカトリンを見下ろしていた。


 思わず笑ってしまう。


「なんであなたは無傷なの……」


「わかってたら避けれるもん」


「そうなんだ……」


「あとはお掃除するだけでしょ?」


 ラーニャが唇を舐めながら辺りを見回した。吹き飛ばされた魔狼たちが震えながらゆっくりと立ち上がり始め、巻き込まれなかった魔狼たちも後退りを始めている。


「……あれ? 来ないよ?」


「……ああ、やっぱり……」


「なにが?」


「……魔物と言っても、野生動物。命を賭けて戦うなんておかしいと思ったの。――群れのボス、ホワイトホーンが命令してたんだ。しかも、ホワイトホーンを操ってたのは……あなたでしょ、ヴィート?」


 カトリンが視線を向けた先には、爆発に吹き飛ばされ、民家の壁に激突していたヴィートだった。肺の空気が全て抜けてしまったらしく、荒い息で犬のように必死に酸素を求めている。


 カトリンは膝に手を当ててゆっくりと立ち上がる。


「変だと思ってたの。なんであなたがあんなにラーニャを翻弄できたのか。……原理は分からないけど、ホワイトホーンの視覚を借りていたんじゃないかな。だから、私にホワイトホーンの視線を私に集めた。四つの目があってやっとラーニャを追いかけられたあなたは、それでもうラーニャを追えなくなった……合ってるかな?」


 いつの間にか魔狼たちが、ゆっくりと一箇所に集まり始めていた。ヴィートのすぐ近くへと。


「もしかしたら、周りの魔狼たちの視覚もかな……?」


 ヴィートが痛ましげに顔を歪めながら、深く息を吐く。呼吸が戻ってきたようだ。だがまだ荒い。


「……ふぅ〜……そんなこと……できない……。……はぁ……俺が目を借りてたのは……はぁ……ホワイトホーンだけだ……」


「……そうなんだ。それって呪術なんだよね?」


 ラーニャは動く必要がないと判断したらしく、カトリンの隣で立ち尽くしていた。


 魔狼たちがジリジリと距離を詰める。


「……ああ。……最初にお前らを襲った魔狼の群れも……俺が操ってた。俺が操作できてたホワイトホーンは、二匹いた。……兄弟の魔狼だった」


「……初見じゃなかったってこと? だからすぐにラーニャに適応できたんだ」


「まあ……そういうことだ……」


 ヴィートは諦めたように周りの魔狼たちに目配せする。


「なあ、あんた」


「……なに?」


「あんたは、俺に『変われないのか』って聞いたよな。……俺だって、人なんて殺したくなかった。でも、やらなきゃいけないことだって、あるんだ。みんなみんな、帝国とトラス教に、全てを奪われたんだ。……親父も、そうだった」


「……」


 尻もちでもつくかのように、ヴィートは地面に座り込む。


「俺は変わったんだよ。復讐者に」


「……戻れなかったの?」


「戻る? はは……親父たちを裏切れってのかよ?」


「そういうわけじゃなくて……あなたのお父さんだって、あなたに死んでほしくなかったはず――」


「それはない」


 断言された。断言されるはずのない文句が、断言された。


「親父たちは、己の矜持を守れないくらいなら……信じる神を否定されるくらいなら、死んだほうがマシだって言ってた。そうやって、代償として自殺した。ホワイトホーン二匹を操るための呪術の代償は、五人の命らしいぞ」


「そんな……」


「でも、それでも足りなかった。だから俺はコイツらに襲われながら、必死になって腕を一本切り落とした。それでやっと、二匹だ。でも、アイツらはボスだったから、群れもついてきたんだ」


「……」


「つまりどういうことか分かるか?」


「……?」


 ヴィートは力を失った身体を投げ出した。その口には、虚ろな笑みが浮かんでいた。


 ラーニャがカトリン袖口を触る。


「カトリン、あの魔物、お腹空かせてるよ?」


「え……?」


 堪えるような笑い声が、わずかに聞こえる。ヴィートだった。


「……俺は、トラス教に殺されたりなんかしない。この首を縛るのは、お前らの神の細腕には重労働だろうからな……!」


 ヴィートを囲んでいた魔狼たちが、一斉にヴィートに喰らいついた。


 せり上がってくる苦悶の叫びを飲み込み、ヴィートは高笑いしていた。


「なっ……! ラーニャ、止めて!」


「え〜、なんで……?」


「いいから!」


「……は~い」


 カトリンが駆け出す。ラーニャはカトリンの後ろについてくる。ラーニャなら、やろうと思えば、一瞬で魔狼たちを片付けられるのに。


 カトリンは知らず知らずのうちに歯軋りしていた。


「――うぅっ!」


 唸りながら『水貫』で一匹を貫く。他の魔狼たちが一斉に退いてカトリンを睨む。狙いが雑になっていたらしく、仕留めきれていなかった。


 魔物は魔力を嗅ぎ取る能力があると聞いたことがある。


 ならば、魔狼よりも魔力を多く溜め込んでいるカトリンには抵抗してこないはずだ。


「退いて! 邪魔!」


 ほとんど金切り声だった。


 カトリンの声に身体をビクリと震わせた魔狼たちが一歩、また一歩と退く。


「……ラーニャ」


 低い声が出ていた。


 ラーニャは少し震える声で返事をした。


「な、なに……?」


「あの魔狼、全部仕留めて。……このままじゃ、街の人が危ない」


 ちらりと見ると、窓から人々がこちらを伺っていた。もう家族丸ごと逃げてしまった後の家もあるらしく、もぬけの殻の家もいくつかある。


「……わ、わかった!」


 ラーニャはすぐに駆け出した。魔狼たちが逃げ始めるが、もう遅かった。ラーニャは笑っていなかった。


 カトリンはゆっくりと歩く。ヴィートの身体が転がる場所まで。


 ヴィートは虚ろな目で空を見上げながら、ぴーぴーと喉を鳴らしていた。


「……あの……星……俺たちの……氏神……なんだ……」


 ヴィートの目からは、血か、涙か、分からないものが流れていた。


 夜で良かった。彼の涙を見ずに済むから。


 相変わらず、ヴィートの喉はぴーぴーと鳴っている。


 カトリンは、ヴィートの側にしゃがむと、膝を抱えた。


 ヴィートの呼吸音が聞こえなくなるまで、ずっとそうしていた。



・・・・・



「……カトリンさん! カトリンさん!」


 ハッとして顔を上げると、リアがカトリンの肩を叩いていた。


 横には、ヴィートが横たわっていた。胸は上下していない。


「……どうなったんですか?」


 リアがちらりとヴィートを見る。背後には、兵士らしき人々の影。


「私たちが悪者やっつけたんだよ!」


 カトリンの隣にいつの間にかちょこんと座っていたラーニャが、偉そうに胸を張った。


「そうですか……」


 リアが一度目を閉じ、二本の指をピンと立てて胸に当てた。まるで祈るような……だが、トラス教式ではない。カトリンの知識にはない。あれは、ダブージ教式なのかもしれない。


 リアはくるりと振り返り、兵士たちを見た。周りには、静かになったことを確認したのか、住民たちも出てきていた。みな一様に、魔狼たちの死体と戦闘痕を見て、不安げな顔をしている。


「……我らが神への反逆者は、無事倒されました。みなさん、ご安心ください。衛兵の皆さまは、私と共にここの清掃をしましょう」


「は、はい……もしや、そこの方が……? その服、もしかして宮廷魔導師様ですか……?」


 カトリンはピクリと肩を震わせた。


 視線が刺さる。同じ神を信じている者たちの視線が、これほど痛かったことはない。


「あ、ああ……」


 言葉を紡ごうとしても、正しく言葉にはならなかった。


 ラーニャが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「カトリン、大丈夫?」


「あ……うん……」


 ふらりと立ち上がる。転びそうになるが、ラーニャが片腕を支えてくれた。雑な掴み方だから痛かった。でも、今はそれで良かった。


「……宮廷魔導師殿は、非常に疲れています。今はこちらのラーニャさんにお任せして、我々で片付けを行いましょう。……それでいいですか、カトリンさん?」


 リアの口調は、人を使うことに慣れた者の言葉だった。そんな関係のないことが、カトリンの思考に蓋をしている。頭が上手く回らない。


 こんなことは、リリットの死を聞かされたとき以来だ。


 カトリンは辛うじて頷いた。


 夜はもう明けようとしていた。

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