貫く
ヴィートの顔が歪んだ。
皺の一つ一つが深く怨恨を刻み込み、決して忘れようとしない。
「……行け! できるだけ散れ! 相手は魔法使いだ!」
誰も返事はしない。だが、魔狼たちはホワイトホーンの視線を受け取った瞬間に動き出した。
てんでんばらばらに散ろうとする。狙いは周囲の民家だろうか。
しかし、夜に青い雷槌が光り輝く。空気を切り裂く音が、まるで本物の雷だった。
瞬く間に首を折られた魔狼が倒れ、その上にラーニャが足をかける。
「逃げられないね?」
ラーニャの口角が歪む。
カトリンは、ラーニャに手を伸ばそうとして、止めた。
まだ変われる。このままだとヴィートが殺されてしまう。
「カトリンさん……」
後ろに隠れていたリアが、恐る恐るカトリンに声をかけた。ピクリと肩を震わせて、カトリンは振り向く。
「……やりましょう。もうここまで来たら、止められない」
ヴィートは憎々しげにラーニャを睨んでいた。だが憎しみのなかに思案が混ざっているのをカトリンは明確に感じていた。
もう怒鳴っていないから。ホワイトホーンの動きを止め、自分を守らせるようにしてじっとラーニャの動きを見ている。けしかけられた魔狼たちが次々に殺されていても、ヴィートは動かない。
ヴィートはラーニャを突破しようとしている。
そう思わざるを得ない。
どうやって? それは分からない。
「それに、教会に手を出そうとしたのです。ここで彼を止めずとも近いうちに縛り首になる。どちらにしても彼は死にます。なら、死者が少ない今のうちに」
なぜリアはこうも冷静に、人の生死を語れるのだろう。カトリンは、震える瞳でリアを見つめた。
他人が人を殺すところは何度も見た。アルディオスで事故が起きたときも、人は死んだ。ラーニャが殺してきた人を、痛ましくは思ってもそれ以上は思わなかった。
なのに、自分が関わるとなると、途端に手が震える。
いつかサラが言っていた。『魔法使いになれば人を殺すこともあるかもしれない』。今になって、重くのしかかる。
「まだ変われるかもしれない……」
無意識のうちに呟いていた。
遠くでラーニャの笑い声が聞こえる。魔狼の断末魔が聞こえる。
「……もう、手遅れです。それに、ラーニャの戦闘音で周りの人々も起き始めています」
リアが僅かに視線を送った先には、窓を開けて目を擦りながら外を見る住民たちがいた。
カトリンは、何も言い返せなかった。
「……り、理屈では分かってる……でも……」
突然、リアがレイピアを抜いた。
唖然としたカトリンの肩口から、さらに後ろへ剣先を伸ばす。キャイン、と悲鳴が上がる。
慌てて振り返れば、リアのレイピアが魔狼の内の一匹の目を掠っていた。魔狼は、息を荒くして、後ろへ下がりながら残った片目で二人を睨んでいる。
横目に写るリアの手は震えていた。
「何やってるんですか……! 死にますよ……!」
死ぬ? それはダメだ。
リリットが繋いでくれた、カトリンの全て。それが失われてしまうのは、絶対にダメだ。
「それは……だめ……」
腰を落とす。リリットから教わった構え方。利き手で魔法を使えるように、右手を体のすぐ側に。左手は防御と攻撃を兼ねるため、前に。
魔狼の唸り声が大きくなる。
「『水塊を点に為せ』……」
途端、カトリンの右手に生成された水が集まり始める。
「カトリンさん早く!」
リアが叫ぶと同時に、カトリンはそれを投げていた。殺傷力を、特に高めて。
飛びかかろうと後ろ足に力を入れた魔狼の鼻先に一滴の水が触れた瞬間、それは爆発する。
魔狼の頭蓋骨を砕き、周囲に散弾となって散らばった水滴が、周りの魔狼に深く食い込んでいく。石畳が弾け、凄まじい衝撃がリアとカトリンを襲った。
「……すごい……」
リアが目を丸くしていた。
「これが……帝国の宮廷魔導師……」
リアの呟きを背に、カトリンは前へ歩いていく。
「リア。そこにいて。……人を呼んできて」
「は、はい……!」
未だにラーニャは、魔狼たちを嬲りながら笑っていた。ヴィートはホワイトホーンと共に、それをじっと見ている。
「ヴィート」
「……なんだよ?」
視線を僅かたりとも傾けることなく、ヴィートは返事をした。
「――もう止める気はないんだよね?」
縋るような声が出てしまった。
「はじめから無い」
分かりきったことを聞かれたかのような即答だった。
「あなたは……変われないの……?」
「……は?」
何を聞かれたのか分からなかったのだろうか。それとも、あまりに突飛すぎたのだろうか。
「……変われないか、だって? 違うな。もう変わっちまったんだよ」
変わってしまった。カトリンにはその意味をすぐに飲み込むことが出来なかった。
もっと考える時間が欲しい。突き詰めて、何もかもを俎上に上げて検討したい。
だが、誰も待ってはくれない。
「もう終わり〜?」
最後の魔狼の首を蹴り折ったラーニャが、爪先で死体をつつきながらヴィートの方につまらなそうな声を向けていた。
「いや?」
ヴィートは、やっと動き出す。
「今から始まるんだ。お前という強敵を倒してからが、華々しい復讐の始まりだ」
ヴィートの手が、ホワイトホーンの頭をポンと触る。
その瞬間に、ホワイトホーンが高く高く遠吠えした。
「また……?」
カトリンは一歩引く。ラーニャの隣へ並ぶ。
「カトリン、また楽しくなりそう!」
ラーニャが声を弾ませる。
カトリンの目には、魔力の波が見えていた。先ほどよりも大きな波だった。
「……来る!」
カトリンの声を合図にするかのように、草むらから虫が一斉に飛び立つように、建物の影から魔狼の群れが飛び出す。
その黒い角から、二人に向けて一斉に小さな火の玉を放った。
カトリンは魔力強化で身体を守り、ラーニャはダンスでも踊るかのように躱していく。
火はカトリンの水に受け流され、鎮火されながら地面に弱々しく落ちた。
「おんなじ事、もう一回やるの?」
魔狼たちは、ヴィートの後ろに群れとなって固まっている。
「いや、もう繰り返さない」
ヴィートはいやに冷静だった。
カトリンはハッとして周りを見る。魔力の濃度が上がっている。
「これは……! ラーニャ、避けて!」
「へ?」
ラーニャが呆けた声をあげた瞬間だった。
夜が、明けた。
「……うっ……!」
「わぎゃあ……!」
違う。夜が明けたんじゃない。
強烈な光がホワイトホーンの角から放たれたのだ。
カトリンは即座に計算した。天候を変えるような芸当は、サラのような天才にしかできない高度な魔法だ。魔物ができるようなことじゃない。一度の魔法で多くの超常を起こすのは、魔力の消費が激しすぎる。何より、魔法の構造上不可能なはず。
つまり、これは光だけを発する虚仮威し。
だがその虚仮威しが、二人の視界を奪っていた。目を開けても緑色のぼやぼやとしたものばかりが見える。
「こんなもの……!」
体勢を整えようとしたその瞬間、肩が熱くなる。何かに押し倒されようとしている。
これは、魔狼?
「いった……!」
肩を触ろうとすれば、そこに魔狼のゴワゴワとした毛並みがあった。耳には荒い息づかいが聞こえる。
「私は……食べ物じゃない……!」
指先から無詠唱で高圧の水をめちゃくちゃに噴射する。魔狼の力が緩んだ。
「離して……!」
身体を捻るたびに、肩が痛む。裂けるような痛みの後、一気に身体が自由になった。
気付けば、やっと目が自由になっていた。
「ラーニャ……!」
隣に立っているはずのラーニャを見れば、そこにいない。どこにいるのかと視線を巡らせると、ラーニャはすでに駆け回っていた。だが、次は魔狼を薙ぎ倒せていない。それどころか、ヴィートに近付けさえしていなかった。
「も〜!」
焦れたような声が響く。
カトリンは肩を抑えながら、足元に転がる魔狼を見た。水によってめちゃくちゃに切り裂かれた魔狼が倒れている。
「私がこいつにしか襲われなかったのは……ラーニャのお陰……?」
ラーニャはカトリンよりも回復が早かった。なぜだ。
カトリンの頭が学者の思考に支配されそうになって、すぐに頭を振る。
今は生き残らなければ。
ラーニャは攻撃を仕掛けようとしていた。辛うじて目で追えるほどの素早さでヴィートたちを翻弄している。
それなのに、ラーニャはヴィートに近付けない。ヴィートは、無言でラーニャを見つめていた。だが、まるでヴィートが指揮をしているかのように、魔狼たちは隙を潰すような攻撃を繰り返している。
光で目を瞑ったラーニャに、炎による攻撃。ラーニャの回復は異常に早く、避けてしまう。だが、避けた先には霧。
あの霧は、毒だ。アルディオスで習ったことがある。高度な魔法を扱う魔物は、毒の霧で狩りをすると。
ラーニャは辛うじて息を止め、目を閉じ、霧から脱出する。
だが、ジリ貧だ。
カトリンは駆け出す。
「ラーニャ! こっち!」
ラーニャのリアクションを確認せず、カトリンは目の前に腕を二本突きだした。
「『水の壁を立てよ』……『魚鱗』!」
三角形の水壁が、地面からせり上がる。
ラーニャがその壁の後ろに転がり込んでくる。
「……はぁ……はぁ……カトリン、あいつ弱いのに強いよ……」
ラーニャは後ろに手をつきながら肩で息をしている。壁には魔狼たちが魔法を放ち続けていたが、全て受け流されていると気付くと攻撃を止めた。
「温存でもしてるの……?」
「なぁに……?」
「……いや、何でもないよ」
ラーニャは強い。だが、ラーニャの頭に戦術は無い。何も考えずに突っ走って、避けて、攻撃しているだけだ。
もしかしたら搦手には弱いのかもしれない。
「ラーニャ、いい? 私たちは協力して、ヴィートを倒すよ」
「協力……?」
呼吸がだいぶ落ち着いてきたラーニャが、カトリンの顔を見上げた。
「うん。協力。ラーニャが前衛で、私が後衛。意味、分かる?」
「ちょっとわかんない……」
「私がサポートするから好きに動いてってこと。いいね?」
「それならわかる!」
跳ねるように起き上がったラーニャは、にっこりと笑っていた。
壁越しにヴィートと魔狼たちを見る。虎視眈々と、カトリンたちが壁の後ろから出てくるのを待っている。
ヴィートとはもう、目が合わなかった。
「……行くよ、ラーニャ。準備はいい?」
「いつでも!」
カトリンは弱々しくラーニャへ笑顔を返した。ラーニャは笑ったまま首を傾げていた。
「じゃあ……やるよ。『解除』」
水の壁が、地面の中に溶けて消えていく。
「やっと出てきたか、引きこもり」
ヴィートの声が夜に響く。月明かりに照らされて彼らは丸ごと不気味な影となっていた。
「第二ラウン――」
「隙あり!」
ラーニャが目にも止まらぬ速さで駆け出す。しかし、ラーニャの進行方向の魔力が高まる。
ラーニャの目の前で爆発の光が輝き始めたとき、ラーニャは顔を手で守るようにして目を瞑った。だが、爆発は起こらなかった。
「仕留めた! ラーニャ、怯まないで!」
カトリンの指が、魔狼を指していた。指された魔狼の頭に穴が空き、崩れ落ちる。
――魔法『水貫』。カトリンの得意魔法にして、最も魔力効率の良い魔法。高圧の水を噴射して敵を仕留める。
「なっ……!?」
ヴィートが絶句する。
ラーニャは笑っていた。
「さっすがカトリン! そうなったら後は……」
また駆け出す。
「楽しく殺すだけだよね!」




