渇き
村の中央ではフロリアンが落ち着かなさそうに唇の皮を噛みながら、ウロウロと当てもなく行っては戻っていた。サラはフロリアンを見つけると、嬉しそうに手を挙げた。
「フロリアンさ〜ん」
「……!! アスピヴァーラ様……良かった……無事に帰られたのですね……」
フロリアンは心から安堵したようにサラを見て、力なく笑った。
「無事無事〜。私はいつでも元気だよぉ」
腕を振り回してみせる。真っ白の魔導服には、泥汚れと植物から出た緑色の汁がついているが、赤色がそこにないことを確認すると、フロリアンは完全に肩の力を脱いて深く息を吐いた。
「……それで、それが野盗の……?」
サラの後ろで浮かんでいる男をフロリアンは指差した。サラは得意げに微笑んだ。
「そうだよぉ。こいつが野盗のボス。下品なやつだったなぁ。まだ生きてると思うから、近くの憲兵にでも引き渡しておいてよぉ」
「しょ、承知しました。それで……他の野盗たちは……?」
「あ〜……」
サラは顎に手を当てて空を見上げた。雪を降らせていた厚い雲はすでに去り、深い青に瞬く小さな星たちが夜の訪れを知らせていた。
「こいつだけ少し強かったから、手間取ったんだよねぇ。その間に逃げられちゃったぁ。まあ他の奴らは大したことなかったから、あの用心棒さんなら簡単に捻り上げられるよぉ。だから大丈夫ぅ」
サラはそう言って笑った。
そして魔法を解除すると、まるでゴミ袋かのように男が地面に落ちた。サラは男に見向きもせず、フロリアンに向き直る。
「この後は任せても良さそぉ?」
「あ、はい……構いませんが……」
「この後はカトリンちゃんのお家に泊めてもらう約束してるんだよねぇ。やたら熱く勧誘されたんだぁ」
「カトリンに……?」
フロリアンは眉を寄せて黙りこくった。
「……? どうしたのぉ?」
「……いえ……カトリンは少し……魔法の才能があるようでして。……村の子どもたちからイジメられていたのです。『気味の悪いやつだ』と」
「おやぁ……そうなんだぁ。何百年も前の魔女狩りみたいなこと言うんだねぇ」
「やめるようには言っていたのですが、私の目の届かないところで続いていたようで……」
「ふぅん……まぁ、お話聞いてみるよぉ。私のほうが魔法には詳しいだろうしねぇ」
「……感謝いたします」
フロリアンは頭を下げた。サラはひらひらと手を振りながら軽やかに歩いてカトリンの家を目指した。
・・・・・
カトリンは家の外で静かに座って待っていた。すぐ近くには母親らしき女が壁に寄りかかりながらカトリンを見守っていた。
「あっ! サラさん!」
カトリンが弾んだ声を挙げる。母親はサラに向けて深く頭を下げた。
「帰ってきたよぉ。泊まってもい〜い?」
「……サラ・アスピヴァーラ様ですよね? まさかこんな光栄な……。ぜひ泊まっていってください」
「お母さんもお父さんもいいって!」
「そっかぁ。それは良かったなぁ。お腹空いたんだよねぇ」
サラは柔和に微笑んでカトリンの近くにしゃがみ、頭を撫でてあげた。カトリンは恥ずかしそうに少し撫でられた後、避けるように扉を開けて中に入っていってしまった。
「アスピヴァーラ様……あの子は……」
「フロリアンさんから聞いてるよぉ。大丈夫〜」
サラは何でも無いかのようにカトリンの後を付いていった。
「ところで、お名前聞いても?」
「あ、ああ……私はディアナと申します。カトリンの母です」
「今夜はよろしくねぇ、ディアナさん」
「え、ええ……」
ディアナは面食らったようにサラの後を付いて自宅に入っていった。
「さあ、サラさん! こっちどうぞ!」
カトリンが食卓の椅子を引いて待っていた。
「すぐに夕飯を用意しますからお待ちくださいね」
ディアナはそう言ってキッチンの方へと消えていった。
「ちょっと待ってねぇ。私、汚れちゃったから服脱ぐからねぇ」
サラは魔導服をいそいそと脱ぎはじめた。その下には薄手のシャツを着ていた。
「なぁに?」
サラは自分に見惚れたかのように見つめるカトリンを不思議そうに見る。自分の頬を手で包むと、まるで純情な乙女であるかのように首を傾げた。
「そんなに見られると照れちゃうなぁ」
「そ、そんなんじゃなくて……!」
カトリンは慌てて手を振った。サラは笑いながら服をパンパンと伸ばす。
「分かってるよぉ。からかってごめんねぇ。『清浄を齎せ』」
温かな空気が服を通り抜けると、魔導服から泥や植物の汚れは徐々に薄れていった。陽に当てたような香りが漂う。
「あ、それって……!」
「そうだよぉ。魔法。便利でしょお? 私が開発したんだよぉ。生活魔法の専門家なんだぁ」
「魔法……」
カトリンは目をまん丸にして魅入っていた。サラはくすりと笑ってから、もう一度服を着た。
「座ってい〜い?」
「あ、う、うん……」
サラが座ると、カトリンは汚れがあったはずの部分をチラチラと見ながらもじもじし始めた。サラはあえて何も言わずに待っていた。
その時、玄関扉が開いた。
「……ただいま〜っと。おや、もしかして……?」
「……あ、お父さん! おかえり」
サラはにこやかに微笑む。
「お世話になりますぅ。サラ・アスピヴァーラですぅ」
「おぉ、おぉ。これはどうもご丁寧に。私はブルーノと申します。こちらこそよろしくお願いします」
ブルーノとサラは社交辞令的に挨拶を交わした。ブルーノはサラの向かい側に座る。
「あの野盗どもの頭領を捕まえてくれたと聞きましたよ」
「あ〜、余裕だったよぉ」
サラの硬い態度は一瞬にして崩された。ブルーノは一瞬驚いて目を見開いたが、すぐに笑みを取り戻した。
「それはそれは。流石ですな」
そこにディアナが湯気を立たせた料理を持ってきた。野菜の炒め物らしい。鶏肉が入っている。
「わぁ〜美味しそうだぁ」
「はいどうぞ。たんまり食べてくださいね。村を代表してのお礼です。みんなからもらった野菜を使っているんですよ」
サラはもう食事に目を奪われていた。まるで聞いていないサラの態度にディアナは苦笑するしかなかった。
「いただきまぁす」
サラは遠慮することなく食べ始めた。カトリンやブルーノ、ディアナもゆっくりと食べ始める。
カトリンはずっともじもじしていた。そしてやっと口を開いた。
「……サラさん」
「なぁに?」
もぐもぐと頬を膨らませながらカトリンに目を向けた。
「あの……その……私に……ま、魔法を教えてください!」
「……へぇ」
その声はなぜか先ほどまで低かった。サラの目は、カトリンの目の奥を見透かすように見つめていた。
ふっとサラの眼差しがもとに戻る。
「なんでか聞いてもい〜い?」
「え……? あ……あ……は、はい。えっと……ま、魔法を使えたら……もう……いじめられないから……」
「それだけ?」
サラは畳み掛けるように聞いた。カトリンは困惑している。
「えっと……」
カトリンが言い淀んだのを察知したサラは静かに続ける。
「カトリンちゃん。魔法っていうのはね、危険な技術なんだよ。練習してる間に死んじゃう人もいるし、逆に魔法で人を殺さないといけなくなることもある」
「え……?」
「カトリンちゃんはイジメられないためだけに、そこまでできる?」
カトリンは青ざめて下を向いてしまった。空気が一瞬にして冷えるような感覚だった。
だが、カトリンは青ざめたままサラをもう一度見た。サラはその目を見ただけでニコリと笑った。
「わ、私は……もっと良い暮らしがしたい! お母さんとお父さんにもっと楽させてあげたい!」
「それはなんで?」
「えっと……理由は……無い! 無くても、私はお父さんとお母さんが大事なの!」
「カトリン……」
ディアナとブルーノは愛しそうにカトリンを見つめていた。サラは優しくカトリンの手を握った。
「じゃあ基礎の基礎だけ教えてあげるぅ。い〜い? 今からあなたに魔力を流してあげるぅ。今から流れてくるものを感じ取ってねぇ」
「あ……は、はい!」
サラはカトリンの手に温かな魔力をゆっくりと流した。じんわりと痺れるような感覚が、カトリンの手に広がっていく。
「これが……?」
「お、もう分かるぅ? やっぱり才能あるねぇ」
サラは手を離す。
「じゃあ、手にその力を溜めるんだよぉ。いま流れた力が水みたいに流れるところをイメージしてねぇ。あなたの身体は川、手のひらは池。い〜い?」
「……うん!」
カトリンは真面目な顔をして手を見つめ始めた。
「じゃあ、その池から何かが飛び出してくるよぉ。何でも大丈夫ぅ。何かが飛び出してくるようなイメージをしてぇ。そしてこう言うのぉ。『出でよ』って。まあ詠唱は何でもいいんだけどねぇ。やりたいっていう気持ちが大事だよぉ」
「……う、うん……えっと……『出でよ』!」
すると、まるで手汗かのように水がカトリンの手のひらを満たし始める。手汗では説明がつかないほどの量が溜まり、指の隙間から溢れ始めたとき、初めてカトリンはそこに水が溜まっていることに気付いた。それほど集中していた。
「あ……え……!」
「うん、できたねぇ。偶発的に暴発することはあっても、意識的にやったのは初めてなんじゃない? まあホントは魔法じゃなくて魔力を出力しただけなんだけど、難しいことはそのうちお勉強しようねぇ」
「あ、あ……で、できた! できたできた!」
手のひらの水をこぼしながら、ディアナとブルーノの顔を交互に見て弾けるように笑った。
「うんうん。じゃあそれを毎日続けるんだよぉ。それが三年続けられたら、アルディオスに推薦状を書いてあげるねぇ」
「あ、アルディオス……って?」
「レオン王国にある魔法学校だよぉ。私の母校」
その言葉にディアナが真っ先に反応した。
「え……それは……本当に……? で、ですがそんなお金は……」
「大丈夫だよぉ。これから三年この修行を続けられたら、奨学金をもらえるレベルになるからねぇ、たぶん。それに私のお墨付きだから、間違いないよぉ」
「そんな……カトリンのためにそこまで……?」
「まあ、将来への投資って感じかなぁ。良い魔法使いが増えてくれるのはありがたいことだしねぇ」
「わ、私がんばります!」
カトリンは鼻息荒く宣言した。サラはカトリンの頭を撫でながら笑いかけた。
「そうだねぇ、頑張ってねぇ」
・・・・・
カトリンが寝た後、ブルーノも眠ってしまっていた。ディアナはサラと葡萄酒をちびちびと飲み続けている。
「本当によろしかったんですか……?」
「いいんだよぉ」
「……カトリンが魔法を教えてほしいと言ったとき、なぜ色々と聞いたんですか……?」
「え?」
「あの、魔法で死ぬかもしれないし、人を殺すこともあるかもしれないという話です。覚悟を確認していたのですか?」
「あ〜……」
葡萄酒をちびりと飲んで、口のなかで転がす。
「ん、美味しいなぁ」
「あの……アスピヴァーラ様……」
サラはコトン、とコップを置いてにこやかに微笑んだ。なぜかディアナは鳥肌が立つのを感じていた。
「あれはそんな大層なもんじゃないよぉ。まあ、あそこで完璧な答えをしてくれたら、宮廷まで連れ帰って専属で教えてあげても良かったけどねぇ。あそこで納得させてくれてたら、私の部下にしたかったなぁ」
「そ、それは……良いことなんでしょうか……?」
「どうかなぁ。魔法使いなら、私のところにいるのが一番だとは思うけどねぇ……。少なくとも、才能の無駄遣いはさせないよぉ」
サラは遠い目をしながら、冗談めかして笑った。その笑いはどこか乾いているように、ディアナには聞こえた。




