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クムルサレアの果てた後  作者: 北里有李
第三章 艶髪光背

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冒険者

 からりと乾ききった空気が顔を撫でた。薄目を開けると、日の光が目を刺す。


 カトリンは煩わしそうに目をきつく閉じ、ベッドから起き上がる。隣にはラーニャが寝ていた。


 立ち上がってから大きく伸びをすると、いつものように枕元に置いてある布に無詠唱で冷たい水を染み込ませてから、顔をトントンと軽く叩くように拭く。


「……ふぅ」


 小さく息をついてから布を置き、寝間着を脱いで下着を替えると、いつもの白い魔導服を着ていく。リリットから受け継いだ黒い包帯をスカーフのように首に巻き、鏡を見ながら形を整えた。


 最後に、甘い香水を空中に撒くと、その匂いの中を歩いて通り抜ける。


「……よし」


 カトリンが小さく声を出して頷くと、ラーニャが呻きながら寝返りを打った。


 カトリンは呆れた顔でラーニャのベッドまで近付き、ラーニャの肩を叩く。


「ラーニャ、起きて。今日はヘルメリア王国に出発する日だよ」


 薄く目を開いたラーニャは、乾ききった空気にやられて渋い顔をしていた。



・・・・・



「馬車じゃないの?」


 ラーニャは着替えも終え、手持ち無沙汰でベッドに座りながらカトリンを見下ろしていた。


「途中までは馬車だよ。ヘルメリア王国とは敵対してるからね。流石に国境近くは馬車じゃ無理。あの馬車って宮廷魔導師の印付いてるし」


「敵? 戦う?」


「戦わないために歩いていくんだよ」


「え〜……」


 肩を落としたラーニャが唇を尖らせる。


 カトリンは床に置いた大きなリュックに必要なものを詰めていく。着替え、路銀、研究ノート。よく使うものは、腰につけたホルダーに入れた。


「よし……そろそろ出発しよっか」


「分かった!」


 リュックを背負い、部屋の扉へ向かおうとしたと同時にノックの音が響いた。


「だれ?」


「さあ……? 約束とかはしてないけど……。どうぞ〜」


 リュックを背負い直しながら扉を見ていると、扉が開く。そこにはユリアンが数枚の紙束を持ってたっていた。


「アスピヴァーラ様、出発前に失礼します」


「ユリアン? 何しに来たの?」


 ユリアンは呆れたように目を閉じると、部屋の中へと入ってきた。


「……情報収集の結果報告ですよ。クムルサレアから帰ってきた日の夜に、『もう少し時間をいただきたい』と言ったのをお忘れですか?」


「あ〜……言ってた」


 とぼけた顔で言う。

 あの日から二日、休養と準備、そして追加の調査で忙しかった。そんなことを覚えているほどの隙はなかった。


 ユリアンはため息をつきながら、紙束をカトリンに差し出す。


「これを」


「これが情報収集の結果?」


「はい。……いま説明しても?」


 カトリンはちらりとラーニャを見る。ラーニャはうずうずとした様子でカトリンを見ていた。


「要点だけ説明してくれる?」


「では……ヘルメリア王国のことだけお話します。我が帝国との国境の関所は厳重に警備されています。まず宮廷魔導師が通ることはできないでしょうね」


「……えぇ……どうしよ」


「密入国になるかもしれませんが……まあ、格好を改めれば問題ないかと。それと、荷物に帝国の関係者だと分かるようなものは持たないほうが良いかと思います」


「そっか……ありがと。他には?」


 ラーニャがつまらなさそうにベッドに座り直していた。足をぶらぶらとさせる度に、ベッドの軋む音が聞こえる。


「……ヘルメリア王国に関してはその程度です。ですが、アスピヴァーラ様からアレン様宛の手紙を預かっています。これです」


 ユリアンは懐から手紙を取り出すと、カトリンに差し出した。手紙には蝋で封がされている。


 カトリンが手に取ると、封筒の中は数枚の紙が入っている程度の厚みがあった。カトリンはそれを無くさないようにリュックのポケットに入れる。


「分かった。じゃあ、そろそろ行くね」


 ラーニャが飛び跳ねる音が聞こえた。


「話、終わった?」


「終わったよ。行こっか」


「うん!」


 カトリンは冷めた目で二人を見るユリアンに気付くと、苦笑してみせる。


「完全に……いえ、何でもありません」


「正解。余計なことは言わなくていいの」


 カトリンはユリアンが鼻で笑うのを聞いた。



・・・・・



 大陸道は、へドゥーナ大陸を縦横に貫く、広く舗装された道だ。歴史は古く、大陸道を専門とする歴史学者すらいるほどである。少なくとも、人類史以前からあるものらしい。


 カトリンとラーニャは、馬車の揺れを尻に感じながら静かに外を眺めていた。御者は雇った人夫だ。

 しばらくは大人しくしていたラーニャだったが、飽きたように欠伸をしてからカトリンの方を向く。


「カトリン。これあとどれくらい?」


 カトリンは顎を人差し指と親指で摘むと、目だけ上を向いた。


「えーっと、ここからアルゼイユっていう都市まで馬車で二週間くらい。で、そこから歩いて一カ月くらいかかるよ」


「なが……」


 ラーニャの心の折れる音が聞こえた気がした。カトリンはクスクスと笑う。


「じゃあ何か退屈しのぎのお話でもする?」


「……なんのお話?」


「色々できるけど、どんな話がいい? 私の専門……っていうか、やりたい分野は歴史なんだけど、他には魔法の話もできるし、多少は物語も知ってるよ」


「なんか全部つまんなそう……」


 ラーニャは唇を尖らせる。カトリンは苦笑するしかなかった。言い方が難しかったのかもしれない。

「じゃあ、強い人の話とか聞く?」


「……! 聞く!」


 ラーニャは途端に背筋をピンと伸ばした。


「せっかくならこれから会いに行くアレンさんのお話とかにしよっか」


「カトリンは会ったことあるの?」


「ないよ。でもサラさんからよくお話は聞いてた。あの人って結構筆まめなんだよ」


「なにそれ?」


「よく手紙書くってこと」


「ふーん。アレンっていま何してるの?」


「今は農家なんだって。故郷の村に隠居してるらしいよ」


 ラーニャはそれを聞いた途端目を見開いた。


「え〜!? あんなに強かったのに?」


「そうなんだって。魔王を倒した後は、お姫様との結婚も断って一人で暮らしてるんだってさ」


「なんで〜? っていうか、アレンたちが魔王倒したんだ?」


「あ、そこから……? そうだよ。アレンさんは勇者って呼ばれてるからね。『光の勇者』って二つ名で呼ばれてるんだよ」


「そうそう。ピカピカ光ってた。あれも魔法なの?」


 納得したようにうんうんと頷くラーニャを見て、カトリンは優しく微笑んだ。


「そうだね。アレンさんは光の魔法を使うんだって。でも魔法使いじゃないから、身体の魔力強化に使うだけらしいけど。それに、勇者一行の話は英雄譚になってるんだよ。光の魔法に加えて、聖剣を持ってるって読んだことある」


「……聖剣?」


「知らない? 神に祝福された剣なんだって」


「聖剣……?」


 首を傾げて考え込むラーニャに、カトリンは不思議そうな視線を送った。だがラーニャはすぐに考えるのを止めてしまったらしかった。


「……分かんないや」


「何が?」


「ううん。なんでもない!」


「……? ……そっか。じゃあ、次は勇者一行の英雄譚とか聞く?」


「聞く!」


 カトリンは一度首を傾げてから、何度か聞き齧った程度の英雄譚を話していく。だが、喉に魚の骨が刺さったような微かな違和感だけが残っていた。



・・・・・



「うーん……」


 出発してから二週間と弱。カトリンは馬車に揺られながら研究ノートを膝の上に広げて唸っていた。ペンはしばらく前から一切動いていない。


「なぁに?」


 ラーニャが不思議そうに聞くと、カトリンはペンの尻で額にコツンと叩きながら、頭を背もたれに預けた。


「……ラーニャの魔法を分析したんだけどね、分かんないことが多くて」


「あんなにいっぱいやったのに……?」


 不満そうに上半身を乗り出したラーニャがカトリンの研究ノートを覗く。だが、すぐに目を逸らしてしまった。


「……読めない」


「あれ、ラーニャって文字読めないんだっけ?」


「読めない!」


 ラーニャは不貞腐れて乱暴に言い放った。そしてぼそりとつけ足す。


「……だって習ってないもん」


「……そっか。じゃあ教えてあげる……って言っても、分かることのほうが少ないんだよねぇ……」


「……そうなの?」


「うん。ラーニャの魔力適性は電気系で間違いないんだよ。普通は適性に合った魔法を使ったほうが効率が良いんだ。威力は大して変わらないんだけどね。例えば私の適性は水だよ」


 カトリンは手のひらを上に向けると、その上に小さな水の球を生み出した。すぐに優しく握り潰してしまう。すると、水蒸気となって霧散してしまった。


 ラーニャはじっとその蒸気を目で追っていた。


「それで、なにがわかんないの?」


「……ラーニャの使ってた――仮に『自己時間加速魔法』って呼ぼうかな――その自己時間加速魔法が何の適性に当てはまるか分からないんだよね。未知の適性だとすると魔法理論学的には大発見なんだけど……違和感が……。それに魔法式の特定も全然進まない。カルネの推定理論を使っても進まないなんてそんなことありえるのかな……? うーん……何か変なんだよね……」


 カトリンははじめはラーニャに向けて喋っていたが、次第に独り言のようにぶつぶつと呟くようになっていた。ラーニャはぽかんと聞いていたが、やがて窓の外に視線を向ける。段々と建物の数が増えてきていた。


 カトリンはまだ独り言を呟いている。


「理論の当てはめ方が間違ってる……? いやでもそれは何回も見直ししたし……既存の理論体系に当てはまらない魔法……? そんなの聞いたことない……やっぱり式が――」


「カトリン」


「……一旦いま分かっていることを整理して……この式が陣を構成していて……陣は成り立ってるけど……」


「カトリン!」


 一度目は無視されたラーニャが大声で呼びかけると、カトリンはハッとしてラーニャへ視線を向けた。


「あ……ラーニャ? どうかした?」


 眉間にシワを寄せながら、ラーニャは窓の外を指さした。


「街だよ。ここ、アルゼイユ?」


「……あ。もう着いたんだ、早いね」


「ぜんぜん早くない……」


 ラーニャはまた唇を尖らせてしまった。


 フラストレーションを溜めてしまっただろうかとカトリンは少し不安になる。この辺りで少し発散させておくべきだろうか。


「……ラーニャ。ほんの少しだけ、ここで遊んでいく?」


「……あそぶの?」


「そう。冒険者の仕事して、魔物退治でもしに行かない?」


「……戦う?」


「うん。戦う」


 途端にラーニャの顔は明るくなった。


「じゃあ行く!」


 ラーニャの溌剌とした声が馬車の中に響いた。


 まだ日は高く昇っていた。



・・・・・



 宿に荷物を置くと、街に繰り出した。ファチスは大陸道が三つ交わる大都市だったが、ここはアルゼイユ。ファチスほど賑わってはいなかった。


「だいぶ歩きやすいね。老後はこういうところに住みたいかも」


「老後っていつ?」


「え? うーん……三、四十年後くらい……かな?」


「すぐじゃん」


 カトリンは目を見開いて驚いた顔をするが、ラーニャはごく当然という顔で視線を返してくる。カトリンは思わず呟いていた。


「エルフの時間感覚……」


「……?」


「人間は六十歳まで生きたら長生きなんだよ?」


「え〜? ほんとに? まだ赤ちゃんじゃない?」


「……あ、赤ちゃん……」


 今度は呆れたような顔になる。エルフの感覚は、人間であるカトリンには全く理解できなかった。


「……ま、まあいいや。とりあえず冒険者ギルドに行こっか」


「うん!」


 二人はとりあえず大通りを歩く。カトリンも冒険者ギルドの場所など把握していない。その辺りを歩いている冒険者がいれば、その人に場所を聞けば良いと思っていた。


 すれ違う人々はエルフのラーニャを珍しそうに見ていたが、帝都から遠いここではエルフ奴隷文化の影響も少ないのだろうか。奇異な目で見てくる人は少なかった。


「どこにあるの? その……冒険者ビルドって」


「ギルドね。ギルドっていうのは同業者の組合のこと。……なんだけど、冒険者ギルドっていうのは名ばかりで――」


 そのとき、冒険者のような格好をした女が目の前から歩いてきていたのをカトリンは目敏く見つけていた。


 腰にレイピアのような細い剣を佩き、革鎧に地味な色のマントを羽織っている。如何にも冒険者と言った風貌だったが、後ろで一つに纏めた長い金髪の艷やかさやその歩き方には、どこか気品がある気がした。


「あの……」


 カトリンが話しかけようとしたとき、その女はパッと顔を上げてカトリンを見てから、隣にいるラーニャへと視線を移した。みるみるうちに女の顔は明るくなっていくと同時に、鼻の穴を膨らませてズンズンと近付いてくる。


「えっ……?」


 ラーニャは思わず一歩引いていた。


 だが、女は構わずラーニャの肩に手をポンと置くと、目をキラキラさせながら口を開いた。


「あなた、本物のエルフ!? すごい! 初めて見た!」


 ラーニャはもちろん、カトリンも固まっていた。ラーニャが動けないのは、敵意を感じないからだろうか。どこまでも純粋な好奇心ばかりが先行しているようだった。


「あっ……! ごめんなさい、自己紹介もしてないのに……!」


 女は慌ててラーニャの肩に置いていた手を退けると、美しいカーテシーを披露してニコリと笑う。


「私はせ……ゔゔん……」


 女は何かを言いかけて、慌てて咳払いで誤魔化した。


「……リア。リアです! 冒険者をやっているんです!」


 その笑顔は花が咲くようだった。カトリンは辛うじて錆びた機械のようなギクシャクとした笑顔を返せていた。

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