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クムルサレアの果てた後  作者: 北里有李
第二章 暗雲青雷

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次の目的地

 カトリンは目を見開いていた。

 背中にサラが張り付き、盾にするようにラーニャの前へ押し出されたから。


「な……何してるんですか……?」


「ちょ、ちょっとカトリン……! なんでこんな奴連れてきてんの……!?」


 見たことがないほど普段の調子を失ったサラは、カトリンの後ろからラーニャの方へ少しだけ顔を覗かせる。ラーニャは怪訝な顔をしてサラを見ていた。


「あ、あの……何が……」


「先に言っとくけど! 私はあなたとは戦わないから! 一人じゃ絶対に勝てない! 絶対に! 絶対だから!」


 カトリンの肩から手を伸ばすと、ラーニャを指さして喚く。ラーニャは怪訝とも呆れともとれる顔で固まっている。


「私まだ何も言ってない……」


 ぼそりとラーニャは呟く。ミルエは変わらずじっとラーニャの後ろに立っていた。


 カトリンは片耳を手で塞ぐと、ため息をつく。呆れではない。途方に暮れてしまった。


「あの……はぁ……」


 カトリンがため息をついた時、廊下の方から足音が聞こえてきた。足音はソロリソロリと、音を殺すようにして近付いてくるが、硬い床のせいで全く消しきれていなかった。


 やがて部屋の前で足音が止まると、恐る恐る部屋を覗いたのはランドルフの顔だった。


「……アスピヴァーラ様……? え、今の声、本当にアスピヴァーラ様……?」


 カトリンには光明が差したように思えた。


「ちょうど良かった! ラーニャとミルエを連れてちょっと散歩に行ってきてくれない? 今サラさんは疲れてるみたいだから」


 サラはカトリンの後ろで荒い息を落ち着かせようとしていた。ランドルフは怯えたような顔で頷く。


「わ、分かりました……ラーニャ、ミルエ、行こう……」


「なんだよ〜……」


 ランドルフが手招きすると、ラーニャは名残惜しそうにサラを見ながら自然にミルエの手をとった。ミルエは肩を震わせたが、素直についていく。


 二人が出ていくと、ランドルフはぺこりと一礼してから扉を閉めた。残されたサラとカトリンは、しばらく無言で扉を見つめていた。


 だが、先に口火を切ったのはカトリンだった。


「……で、何があったんですか? 十七年前に戦ったとは聞きましたけど……」


「聞いたのぉ……?」


 疲れたような調子が混ざっていたが、大方いつもの口調に戻っていたサラは、ふかふかの椅子に倒れ込むようにして座った。カトリンは応対用の椅子に座ると、太ももに肘を置いて頬杖をつく。


 サラはため息をついてから、背もたれに首を預け、ゆっくりと語りだした。



・・・・・



 十七年前のことだったかなぁ。大陸道が魔国の軍勢に封鎖されちゃってたから、私たち一行は道なき道を行くことになったんだよねぇ。


 そのとき、あのラーニャとすれ違ったのぉ。そしたらねぇ、突然「お前ら、強そうだな! 戦おう!」って言ってきたんだぁ。アレンは困惑してたけど、ガルヴィレーズは面白そうに笑ってたっけねぇ……。


 セヴァンが「どうするんですか」ってアレンに聞いてたから、私が「良いんじゃなぁい?」って言っちゃったんだぁ。


 これが大失敗でねぇ……。


 セヴァンが機転を利かして「殺しは禁止の模擬戦」って言ってくれたから何とか助かったけど、私はあの日が人生で一番後悔した日だなぁ。


 何とか勝ったんだけど、みんなボロボロでさぁ。あれ、絶対に一対一じゃ誰も勝てなかったよぉ……。ガルヴィレーズは翌日まで目覚めないくらいボコボコに殴られたし、私はそのとき初めて「死ぬかも」って思ったんだよねぇ。


 セヴァンが忙しそうにガルヴィレーズの治療をしてる間、アレンだけ妙にラーニャと打ち解けてさぁ。勝手に再戦の約束してたのぉ。ふざけんなって話だよねぇ?


 でも、断る前にラーニャはどっか言っちゃってさぁ。……まさか、再会するなんて思ってなかったなぁ。最悪だよぉ……。



・・・・・



 カトリンは静かに聞いていた。サラが過去を語るなど滅多にないことだ。


「サラさんも後悔とかするんですね……」


「当たり前じゃ〜ん……何だと思ってるのぉ……?」


「……天才?」


「それは……そうかもぉ」


 サラは少し得意げに笑った。


 小さなため息をつきつつ、カトリンは姿勢を正す。


「じゃあラーニャには何とか上手いこと言って誤魔化します。それで、今回の報告なんですけど」


「おっ、何か見つかったぁ?」


「ええ。リリットさんの書いた軍務記録が見つかりましたが……こっちは大した情報はありませんでした」


 サラは柔らかく微笑んだ。


「……懐かしいねぇ」


「……そうですね」


「去年お墓行ってきたんでしょぉ?」


「……今は、その話はやめときましょう。続き、いいですか?」


「素直じゃないんだからぁ。いいよ、話してぇ」


 カトリンはむくれたような顔をしながら、声をほんの僅かに低くして続きを喋る。サラは楽しそうに微笑みを深くした。


「……魔国の歴史書が見つかりました。魔国……正式には『クムルサレア王国』の王家にのみ受け継がれた歴史書だと思います」


「へぇ、そんなの残ってたんだぁ」


「隠されてましたからね。焚書を免れたんだと思います」


「それでぇ?」


「……色々と、これまでの知識とは齟齬がありました。病で死んだとされていた魔王が、実際には討死していたり。それで、気になるところがあったんです」


 前のめりになりながら、バッグから本を取り出して机に置くと、該当のページを探してぺらぺらとめくる。サラは黙ってその様子を見ていた。


「……えーっと……あ、ここです、ここ。見てください。『デリュオリクス王、人間の女に殺害される。世間には病と公表。その女を、人間たちは不死の魔女と呼ぶ』って」


「へ〜……デリュオリクスって、先々代だっけ? 『不死の魔女』ねぇ……。魔女には私も詳しくないなぁ」


 サラは天井を見上げると、顎を摘んで考え出した。そして、パッと顔を明るくすると、隣の本棚を見る。


「そういえば、魔女に詳しい人から献本してもらってたんだったぁ。確か……この辺に……」


「えっ……? 魔女に詳しい人なんているんですか……?」


「教会の力が弱い国だってあるからねぇ。アルディオスにいたとき、教会の人たちってあんまり見なかったでしょぉ? アルディオスがあるレオン王国は教会の権力が弱いんだぁ。だから……」


 サラは本棚から一冊の本を取り出すと、得意げに見せびらかす。


「じゃーん! これこれ。カイルの書いた『魔女と呪術の歴史』だよぉ」


「カイルって……無詠唱魔法の使用可能数の最高記録持ってる……カイル・バンスですか……?」


「そーそー。今は教授なんだっけぇ? 生意気だよねぇ。私の後輩なんだぁ」


 サラはぺらぺらとめくっていく。

 カトリンはおずおずと口を開く。


「……あの、呪術って、魔法の前身でしたっけ……? あんまり詳しくないんですけど……」


「そうそう。魔法は魔力を代償にするけど、呪術は血肉を代償にするって、習ったでしょぉ?」


「ええ。生贄もするし、自分にも危険が及ぶから廃れたって聞きました。それくらいです。講義で習ったのは」


「廃れた技術だからねぇ。習う必要もないしぃ。私もあんまり詳しくないよぉ。……あ、あった。『不死の魔女』」


「え……そんなにあっさり見つかるものですか……?」


「えーっと、何々ぃ? 『不死の魔女は、捕らえられ処刑される予定だったその日、イゼンベルの町民を皆殺しにして姿を消した。以降の足取りは不明』……だってさぁ」


「イゼンベルってどこですか?」


「ヘルメリア王国だねぇ。勇者パーティを送り出した国だよぉ」


「ヘルメリアって……帝国と戦争直前の状態じゃないですか。行けないですね」


「そんなことないよぉ。帝国は東では反乱、西も不穏。今はヘルメリア王国に構ってる暇がないからねぇ。向こうも油断してるよぉ」


 サラは本から目を離さずに言った。


「案外詳しいんですね。政治には興味ないと思ってました。私みたいに」


 サラはそれを聞くと、少しだけ視線を上げてカトリンを見据えた。真面目な顔をしている。カトリンは思わず背筋を正した。


「……みんなが研究ばかりやってられるのは、私が興味ない政治を頑張ってるから。たまには労ってほしいなぁ」


「え……そうなんですか?」


「そりゃそうだよぉ。宮廷魔導師なんて、戦争に使うために設立されたんだからぁ。未だに動員されたことないのは、私が上手いことやってるからだよぉ。大変なんだよぉ? 利害の調整もあるし、皇帝を上手いこと騙さないといけないし」


「……不敬ですよ。捕まっても知りませんから」


「あはは、カトリンが通報しなかったらバレないよぉ」


「……もう。しませんけど」


「でしょ?」



 穏やかに微笑むサラを見て、カトリンはふと思い出し、手をポンと打つ。


「そうだ! 私、トリデンティ卿から脅されたんですよ!」


「あ〜……あのタヌキねぇ……」


「研究成果を融通しないと云々カンヌンって……」


「ほっといていいよぉ。どうせ落ち目の貴族だし。……そろそろあのタヌキと帝国も、切れるんじゃないかなぁ」


「……切れる?」


「ん〜、まだ気にしなくていいよぉ。確定したら教えてあげるぅ。それより、カトリンは次どうするのぉ? 流石に新しい魔法の一つも見つけてないのに、遺跡探索ばっかりはさせてあげられないよぉ?」


「う……」


 言葉を詰まらせる。もともと魔法の発見は二次的な目標に過ぎなかった。あまり自分を優先することはできなさそうだ。


「サラさんも……お仕事してくれてるし……私もやらなきゃいけないことやります……」


「……」


 肩を落とすカトリンを、サラは静かに見つめていた。そして顔を明るくさせると、サラはいつもの調子で言った。


「そうだぁ! アレンに届けてほしい手紙があるんだよねぇ。ヘルメリア王国に調査に行くついでに届けてきてくれな〜い?」


「え……い、いいんですか……?」


「いいよぉ。アレンってば、クソ田舎に住んでるせいで手紙は届けづらいし、帝国の敵国に住んでるせいで手紙を出そうと思っても検閲されちゃうし。たまには肩の力抜いた手紙だって書きたいよねぇ」


「……分かりました」


「よろしくねぇ」


「……ありがとうございます、サラさん」


「気にしないでぇ……」


 サラは本を本棚に戻しながら、背中を見せた。その顔は伺えない。


「できるだけ長くここを出ていて」


 サラの声は、ふわふわとしたいつもの口調ではなく、どこか冷たさを帯びていた。カトリンは思わず一瞬だけ目を見開いた。


「……どうしたんですか?」


「いや〜? こっちの話。そのうち話すから、気にしなくていいよぉ」


「……そ、そうですか……。あ、あと、もう一人エルフがいたのは覚えてますか……?」


 サラはピタッと硬直して考えていた。だが、やがて息が漏れるような声を出す。


「え〜……? いたかなぁ……」


「いたんですよ。奴隷市で自腹で買って助けたんです。ラーニャが暴走して本当に危ない橋を渡ったんですよ……」


「お人好しだねぇ」


「……全然、そんなことないですよ」


 カトリンの瞼の裏には、恨めしそうに檻の中からこちらを見てくる奴隷の視線が焼き付いていた。


「で、それがどうしたのぉ?」


「……流石にいつまでも連れ回すわけにはいかないので、どうしようかと思っていて」


「……私に助けてほしいってことぉ?」


「そういうことです。できれば、危険から遠ざけてあげたいし……それに、奴隷教育が抜けないみたいで……。変なところに置いておいても、貴族に見つかったら面倒くさいし……」


 チラチラとサラを伺いながら言った。サラは億劫そうにカトリンに視線を返す。


「……人使いが荒いよぉ」


「すみません」


 カトリンは全く悪びれずに言った。


「私に甘えるのも慣れっこってことだねぇ……全く良い成長の仕方をしたもんだねぇ……。分かった、私が預かるよぉ。エルフィレンの森には知り合いがいるんだぁ」


「え、そうなんですか?」


「うん。もう随分長いこと会ってないけどねぇ。息抜きに、その子連れて会いに行こうかなぁ。名前は何て言うの?」


「ミルエです」


「ミルエちゃんねぇ。りょうか〜い。……もう他に用事はない?」


「そうですね……無いです」


「よ〜し。あ、そうだぁ。今回の収穫で、『アレ』できそう?」


「『アレ』ですか……?」


 何のことを聞かれているのか分からなかった。心当たりが多くて特定できないとも言える。


「そうそう。本書きたいんでしょ?」


「あ……」


 そうだ。サラにだけは言ったことがあった。


「いつか、リリットさんについての本を書きたいっていう……」


「それそれぇ。書けそう?」


 書けそうか、と聞かれれば何時でも書けると言うべきだ。カトリンの中には、リリットと過ごした三年間が、未だに色濃く残っている。


 だが、それじゃダメなのだ。


「……まだ書けないです。今のままじゃ、ただの感想になっちゃいます。もっとちゃんと世間の人に、リリットさんの本当の姿を知ってもらうためには……まだ資料が足りません」


「真面目だねぇ」


「そうじゃないと、アルディオス首席卒業なんかできてませんよ」


「首席卒業なんか私でも出来たんだから、真面目じゃなくたって首席にはなれるよぉ。ま、カトリンは真面目だから出来たんだろうけどぉ」


「サラさんは不真面目過ぎです……はぁ、私もそろそろ行くので、サラさんもちゃんとお仕事してくださいよ?」


「……じゃあ、つまらない仕事に戻ろうかなぁ」


 サラは泣きそうな顔を作ってカトリンを見た。カトリンは目を逸らす。


「じゃあ、そろそろ行きますね?」


「意地悪だなぁ……はぁ……よろしくぅ。……あ、そうだ。不死の魔女に殺されたイゼンベルの町民って、みんな同じ傷で同じ死に方をしてたらしいよ。不死って言うくらいだから、まだ生きてるかもねぇ?」


「お、同じ死に方?」


「そ。全員全く同じ傷の跡があったんだって」


 サラは首を掻き切る真似をしてから、ふざけたように舌を出す。


「みんなこんな感じで、全く同じ傷が首にあったらしいよぉ。まるで版画みたいに全部が同じだって。まあ三百年前の話だから、尾ひれはついてそうだけどねぇ。カイルも『真偽は疑わしい』って書いてたしぃ」


「……分かりました。気をつけます。じゃあ、準備ができたら出発しますね」


 立ち上がると、扉の方に向かって歩く。ドアノブに手をかけ、捻ろうとした瞬間、サラの声が鋭く響いた。


「あ! 待って!」


「え……!? まだ何かありましたか……?」


 慌てて振り向くと、サラは懇願するような顔でカトリンを見ていた。


「……ラーニャも連れてってね……? アレンがいるって分かれば行くと思うから……お願いね……?」


 カトリンはため息をついて頷いた。


「分かりました……。あ、そうだ。調査チームは前回と同じで良いですか?」


 まるで救われたかのような顔をしてから、サラは答える。


「……あ〜……ユリアンとランドルフ、借りてもいい?」


「え……でも不死の魔女って危ないんじゃ……」


「確定はしてないよぉ。それに、アレンに会えばきっと協力してくれるからさぁ。ね?」


「……分かりました」


 不貞腐れたように返事をする。初めての部下を奪われた気分だ。貸すだけなので、まだ奪われてはいないが。


「じゃあ、行ってきます」


「は~い」


 サラはひらひらと手を振ってカトリンの背中を見送った。


 カトリンは扉を閉めると、出口の方へ向かう。資料や研究道具を跨ぎながら外に出ると、庭でラーニャがしゃがんで何かを見ていた。横にはミルエが付き添い、ランドルフも後ろに腕を組んで立っている。


 近付くカトリンに、真っ先にランドルフが気付いた。


「あ、アーベライン様。終わり――」


「カトリン! 暇だった! サラは!?」


 ランドルフを遮ってラーニャが楽しそうに大声を出す。ランドルフは眉間にシワを寄せてラーニャを見下ろしていた。


「ランドルフ。あなたはユリアンと一緒に、サラさんのところでお留守番だって」


「留守番……ですか……」


 ランドルフが不服そうに言う。ラーニャはぴょんぴょんと飛び跳ねながら自分を指さしていた。


「ねぇ! 私は!? 私は!?」


「ラーニャは私と一緒。ミルエはサラさんが里に送り届けてくれるんだって」


「……サラが?」


 ラーニャは楽しげな表情を一転させ、不安そうにミルエを見た。ミルエは無表情で俯いていた。


「……サラなら、大丈夫かな……?」


「私の知る限り、大丈夫だと思うよ」


「……カトリンが言うなら、いっか」


 ラーニャはそう呟いた。ミルエの反応は、やはり無かった。


 カトリンは和やかな声でラーニャに話しかける。


「ラーニャ、次はヘルメリア王国だよ。元勇者のアレンさんがいる国なんだ」


「……アレン……。アレン……! あのときの!?」


「どの時かあんまり分かんないけど、多分そう! アレンさんなら戦ってくれるかもよ?」


「行く! 私も行く!」


 ラーニャが元気に飛び跳ねているのを、カトリンは微笑ましく見守っていた。

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