うげぇ
窓から朝日が差し込み、通りを歩く人々の爽やかな話し声が雑音の一部になっている。
カトリンはベッドに突っ伏したまま起き上がる気にならなかった。死んだような目で枕を抱きしめる。
宿のベッドは泥の底に沈むような心地よさがある。部屋の中は静かで、ひたすらにラーニャの寝息が聞こえていた。
「……眠いのに目が冴えてる……」
カトリンは羨ましそうに隣のベッドで眠るラーニャを見た。四肢を投げ出し、警戒心の欠片もなく寝こけているラーニャの口からは涎が垂れている。
「も〜……あの衛兵……朝まで聴取とかホントありえない……宮廷魔導師だぞ〜私は……」
隈ができた目で朝日を見ると、目の奥が痛む。カトリンは思わず目を背けると、煩わしそうに顔を反対へ向ける。
昨日の奴隷市の事件は、一瞬にして上級街へ広まっていた。カトリンへの疑いの目が強かったことは言うまでもない。
カトリンは朝日に差し込む窓から顔を背けたまま仰向けになった。
「……危なかった……何してんの私……」
眩しい朝日の光線を、目を細めながら見た。その向こうにラーニャが眠っていた。ラーニャも長い聴取を受けていたが、カトリンのアドバイス通りに何も知らないと言い続けたのだろう。
「……この子を見捨ててたら、こんな危ない目に遭わなかったのに……」
そのとき、ベッドの下に座り込むミルエと目が合った。ミルエはその瞳に何も映していなかった。ただカトリンを見つめるだけだった。
ミルエはずっとこの調子だった。言われたことはやるが、言わないと反応すらしない。反応しても震えながら従う。まるで壊れた自動人形だった。
「……何言ってんの、私……」
自分の頭をポンと叩くと、そのまま目を閉じた。
眠れる気はしなかったのに、いつの間にか眠っていた。
・・・・・
馬車の揺れが痛む頭を刺激する。カトリンは思わず頭を押さえていた。
「かんっぜんに寝すぎた……」
「……アーベライン様は普段から睡眠不足なのですから、たまにはそのような日があっても良いと思います」
「そーそー! 私より長く寝てたんだから!」
隣に座るユリアンが淡々と言うのに同調したラーニャがからかうように笑っていた。カトリンの対面に座るラーニャの隣には、ミルエが無言で座っている。
ランドルフはある程度回復したらしく、当初の通り御者の役割を負っていた。
「それよりアーベライン様。このエルフはどうするおつもりですか?」
「……ミルエって呼んであげて」
カトリンはズキンズキンと脈動するような頭を抱えながら、ミルエをちらりと見た。ミルエは肩を震わせてから頭を下げる。
「そんなことしなくても、もう奴隷じゃないんだから……」
カトリンは困ったように眉を八の字に寄せて笑ってみせた。だがミルエは変わりなく無言で頭を下げていた。
ラーニャは何を考えているのか分からないが、横目でミルエをちらりと見たあとに窓の外へ視線を移す。遠くには川が流れていた。
「まあ……着いたら考えよう。予想以上に時間食っちゃったけど……もうすぐ帝都だから」
「アーベライン様、それだけではありませんよ。トリデンティ卿から言われていた二週間の期限はどうするのですか」
「あ〜……それもあった〜……」
掠れた声を出しながらきつく目を閉じる。やるべきことが、やりたいことを圧迫していく。
カトリンの頭にサラのひょうひょうとした笑みが浮かんだ。
「……困ったときは、サラさんに頼ろっか」
「あの方も暇ではないのですよ……?」
「暇だよ、昼寝してるんだもん」
カトリンは間髪入れずに断言した。ユリアンは一瞬口を開けてから呆れたように俯き、小さく呟く。
「……それは確かに」
「たまには仕事してもらわないと。私ばっかりやりたくないことやらされるなんて不公平だもん」
「……そこまでして、やりたいことと言うのは?」
「え? う〜ん……」
カトリンは顎に手を当てる。
「……とりあえずは、インシエンデ城で手に入れた史料の精査かな。どっちも公には出せないけど……」
「魔国関連の話はタブーですからね。表に出せば貴族だけでなく民衆からも叩き潰されるでしょう」
「そうそう。史料ごと燃やされちゃうよ。ホントに馬鹿馬鹿しい……そもそもさ――」
ユリアンの困ったような顔を見たカトリンは、出かけた愚痴を胸の奥に仕舞ってから咳払いをする。
「ごほん……えっと、何の話だっけ?」
「史料の精査の話です」
「ああ、そうそう。注目すべき点はいくつかあるよね。ユリアンも見たでしょ? まずはラーニャが倒したっていう魔国幹部の話が本当なら大発見だよ。それに、軍務記録も当時の記録としては貴重だし、何より私が気になるのは『不死の魔女』っていう存在だよね。当時の魔王を殺害してるんだもん。もしかするとラーニャよりも強いかも」
若干早口で興奮したように言い切った。するとラーニャはバッと振り向いてカトリンを輝く目で見据える。ミルエがラーニャの動きに肩を震わせていた。
「強い!? その人、敵!?」
「……まだ分かんないよ。これから調べるの」
「え〜……」
「とりあえずあなたはサラさんに会いたいんでしょ?」
「あっ! そうだった! 私、サラと戦うんだよ!」
楽しげに近い未来の予想図を語るラーニャを、冷めた目でユリアンが見ていた。そのままぼそりと呟く。
「……アスピヴァーラ様も、随分仕事が増えたみたいですね。きっと泣いて喜んでくれますよ」
「あはは、サラさんが泣くところは想像できないかも。嘘泣きは想像つくけど」
「ぷぷ……サラがウソ泣き……?」
カトリンが笑っていると、ラーニャはつられて笑う。ミルエが若干居心地悪そうにしているのがカトリンの視界に入ると、カトリンは笑い声を少し小さくした。
・・・・・
「あ〜久しぶりの帝都だ……」
カトリンの声には疲労が見え隠れしていた。向かい側に座るラーニャは、背筋を伸ばしたまま硬直したミルエに寄りかかって眠っている。
華美な装飾の施された門を通ると、そこはファチスよりも活気に満ち溢れていた。商人が好き勝手に商いをし、兵はあちこちを巡回していた。
「……ちょっと兵士の数増えた?」
カトリンが隣のユリアンに聞く。ユリアンは熱心にノートへ何かを書き込みながら、片手間に返事をする。
「トリデンティ卿が言っていたことから考えると、東では反乱だけでなく、西もきな臭い状況ですから」
「やだね、戦争は」
「そうですか? 私は戦争は構いません」
「へ〜、意外」
「……戦争は構いませんが、私が死ぬのは御免です」
「さすが貴族出身だね」
「まあ、戦争は勝てば領地が豊かになりますから。領地が豊かになれば、領主も豊かになり、領主が豊かになれば民も豊かになるのです」
「でも民は死ぬよ?」
「大局を見るのですよ。今の民が死んでも、未来の民が豊かになるのです」
「へ〜……貴族はそうやって教わるんだ」
「ええ、叩き込まれました。『だから末子のお前は喜んで死ね』と」
「……ユリアンも大変なんだね」
「そうでもありません。宮廷魔導師にまでなったのですから、もう簡単には死地に送られません」
「……そうだね」
それきり、会話は無かった。
帝城の隣、広い敷地の中には、いくつかの塔が生える大きな建物が見える。ランドルフの操作する馬車はその敷地へと入っていった。
やがて停まると、カトリンはラーニャの肩を叩いた。
「ラーニャ、ラーニャ! 起きて!」
「……ん、ん〜……? 着いた……?」
「着いたよ。サラさんに会いに行こう。それに、そのままだとミルエが重そうだよ」
「んぁ……? うん……」
ラーニャはチラリとミルエの表情を確認してから曖昧に頷く。カトリンはそれを見届けてから、さっさと場所を降りてしまった。ミルエが「あ」と微かに言ったが、敢えて無視した。
ユリアンがカトリンに続いて降りてくると、その後にラーニャがジャンプして降りてくる。最後にミルエが申し訳なさそうに俯きながら降りてきた。
ユリアンは静かな目でミルエを見下ろすと、ミルエに囁く。
「……扉を開ける役などいなくても、我らは自分で扉を開けられる」
それだけ言うと、ユリアンは先に中へと歩いていってしまった。ミルエは硬直したままユリアンの背中を目で追っていた。
「ユリアン、どこ行くの?」
「アーベライン様の補助です」
「わ、私の……?」
「ええ。アーベライン様は政に疎いようですから、私が同僚たちから情報収集して来ます。後で会いましょう」
「わ、分かった……」
何故か負けたような気がしたが、ユリアンの言っていることは間違っていないので黙るしか無かった。
馬車から降りると、ランドルフが御者台から声をかけてくる。
「アーベライン様! 俺は馬車停めてくるんで、また後で!」
「……分かった!」
ランドルフが手綱を引き、馬が走り出す。
「私たちも行こっか、ラーニャ、ミルエ」
「うん!」
「……はい」
カトリンが先導して建物の中へ入る。入り口の真上には大きく『宮廷魔法研究所』と書かれていた。
中には人がまばらだった。白い魔導服を着た研究者たちがぽつぽつと自分の手元に向かい合っている。熱心に紙に何かを書き付けている者が多い。
「……カトリン、あの人たち何してるの?」
「ん? ああ、新しい魔法の研究開発だよ。魔法には魔法陣が必須だから新しい魔法を作るなら魔法陣の開発からなんだよね。でも初めから魔法陣を作る人は少なくて、というか普通はそんなことできないから、まずは魔法式の発見からなんだけどこれがまた――」
「カトリン。でも私、魔法陣とか知らないよ?」
熱弁し始めていたカトリンの言葉に被せるようにラーニャが言った。カトリンはさらに楽しそうに笑いながら、人差し指を上に立てて得意げに解説し始める。
「そう! そこなんだよね。中級者は魔法陣を省略して詠唱のみで魔法を発動できるんだよ。これは脳内に魔力を流すことで脳に魔法陣を作る工程を毎回挟んでるっていう学説が主流なんだけど詠唱っていうのはそれをパターン化する作業で――」
「……カトリン、カトリン……!」
熱中していたカトリンが呼びかけでハッとすると、ラーニャが困り眉でカトリンを見ていた。
「あ、ああ……ごめんね……難しかったよね……。ちょっと楽しくなっちゃった……」
苦笑いする。ラーニャは下唇を突きだしていたが、ミルエはたまに瞬きをする以外に動きが無かった。
「……えっと、なんだったっかな……。あ、そうか、サラさんだ。たぶん筆頭執務室にいると思うけど……行ってみよっか」
「サラと会ったらここで戦うのかな?」
「いやぁ……ここは大切なものとか危ないものとか、沢山あるからね」
「じゃあ外に行くんだ!」
「それは……どうだろ。サラさんに聞いてみないと」
話しているうちに筆頭執務室の前に到着していた。
カトリンはいつものようにノックしてから中に呼びかける。
「サラさ〜ん、入りますよ〜?」
返事を聞かずにドアノブに手をかけた瞬間、中から声が返ってきた。
「いいよぉ」
カトリンは思わず手を止めた。いつもなら声なんて返ってこないからだ。
一度振り返ると、目が合ったラーニャが首を傾げた。
「なんで開けないの?」
「いや……開けるよ……」
カトリンはそっとドアノブを捻り、中を覗き込んだ。サラは机に向かってペンを走らせていたが、顔をあげてカトリンを見ていた。
「おかえりぃ」
「め、珍しいですね……」
「私だってたまにはお仕事するんだよぉ? ……ん?」
サラはカトリンの後ろに立つ二つの人影に気付いて首を傾げる。
「お客さん? カトリンが連れてくるなんて珍しいねぇ」
サラはふわりと笑顔を浮かべる。
その時、じれったそうにカトリンの背中を押してラーニャが部屋の中に入った。腰に手を置いて笑いながらサラを指さす。
「久しぶり、サラ! 戦おう!」
カトリンは、その時のサラの顔を見て目を見開いていた。サラはいつもふわふわとしていた顔をピシリと硬直させ、ペンを取り落としていた。
そして椅子から転げ落ちる勢いで立ち上がると、サラはカトリンがこれまで聞いたことのないほど大きな声をあげた。
「う、うげぇっ!?」




