交渉
「なんだアイツ……エルフ……?」
目の前で警備の男が腰の剣に手をかけながら言った。ラーニャはざわつく民衆に軽い足取りで歩いて近付いていく。
「どこまであなたの敵……?」
カトリンはぼそりと呟いた。ラーニャには届かない。
カトリンはすぐに警備の男へ振り向くと、まくし立てる。
「客を避難させて! 全員!」
「は……? だが……」
「いいから! 私が……責任取るから!」
責任なんて取れない。貯金も多少はあるが、オークションの損失を補填できるほどはない。
だが、このままでは大勢死ぬかもしれない。ラーニャの調査もまだ済んでいないのに。
「早く! 私は宮廷魔導師だよ!?」
「……ちっ……分かったよ……!」
警備の男は舞台裏に駆けていく。仲間を呼びに行ったのだろう。
カトリンはそれを見届けると、慌ててラーニャの方へ駆け出していく。
「観客が邪魔……!」
ラーニャとカトリンの間にはざわめく観衆たちが立ちふさがっていた。カトリンは大きく一歩、二歩と踏み出し、三歩目で高く跳び上がる。
「『水の橋の架けよ』!」
怒鳴りながら詠唱した。カトリンの掌から人一人分の太い水の筒が生成され、虹のように観衆を跨いだ。カトリンは勢いそのままに水に飛び込み、筒の中を滑っていく。
ラーニャは右手に雷の魔力強化を施し、今にも駆け出そうとしていた。そのまま楽しそうに独りごちる。
「あそこにエルフ捕まってるってことは、みんな敵だよね? 里長が言ってたもん――」
誰にも向けられていない質問が、観衆のざわめきへ消えていく。
ラーニャは立ち止まると、手をグーパーさせながら誰を狙おうかと目をギョロギョロ動かした。そして一点に視線が集中すると、口角が吊り上がる。
「――『エルフを捕らえる輩を許すな』って」
ラーニャは駆け出した。青い雷光を残し、物理を超越した速度で踏み込む。狙いは、一番近くにいた太った男。貫手が刺さろうとしていた。
カトリンが男のすぐ側まで伸びていた水の筒から出てくる。
「ラーニャ!」
カトリンの叫び声と同時に、太った男は突き飛ばされた。ラーニャの貫手が空を貫くが、その目は男が倒れていくのを追っていた。殺ろうと思えばいくらでも殺れる。
だがラーニャは、男を突き飛ばしたのがカトリンだと気付いてそのまま動きを止めていた。
「……カトリン?」
「はぁ……はぁ……」
カトリンはずぶ濡れのまま、ラーニャを鋭い目で見つめる。
「おい! 逃げろ! 宮廷魔導師サマが逃げろってよ! さっさと行け!」
舞台の上でさっきの男が怒鳴った。ラーニャの常識外れの速度と、男を突き飛ばしたカトリンを見ていた観衆は、只事ではないと察していたらしかった。
彼らは歩いてバラバラにその場を離れていくだけだった。まだ明確な危険は起きていないのだから。中には舞台上にいた警備の男に怒鳴っている客もいる。
「おい君……! 突然押すなど、何のつもりだね!?」
カトリンが突き飛ばしていた男が立ち上がり、顔を真っ赤にしてカトリンを睨んでいた。だが、すぐそばに立つラーニャの気配を感じ取ると、息を呑んでそそくさと離れていく。
「……ラーニャ、ここにいる人たちは敵じゃないよ。殺したらダメ。約束したでしょ?」
「ちゃんと襲われるまで待ったよ? アイツらがここの人たちに売ってたんでしょ? じゃあ、みんな敵だよ?」
アイツらとは、恐らく路地で殺されていた二人だろう。カトリンは苦虫を噛み潰したような顔をしてから、ゆっくり諭すように話す。
「……そうだね。でも、あの人たちとこの人たちは仲間じゃない」
「奴隷を買ってるのに?」
「それとこれとは別だよ。買う人は悪くない。売る人は……少し悪い。捕まえる人が一番悪い。もう捕まえる人は殺したでしょ? だからもうやめよう?」
カトリンは目を泳がせながら言った。ラーニャの顔から段々と表情が無くなっていく。
「……なんで、敵を守るの?」
周りから人はほとんどいなくなっていた。代わりに警備の男たちが「囲め!」と怒鳴って周りを取り囲み始める。
ラーニャは、感情が抜け落ちたようにカトリンを見つめていた。カトリンは真っすぐに見つめ返すことができなかった。
「悪い人でも……良いことをすることはあるの……」
カトリンは首元の黒いスカーフを触っていた。
苦しい言い訳だったとしても、カトリンの中でそれは真実だった。
「……カトリンも、敵?」
ラーニャは平坦な声でそう呟いた。
「……え?」
そう零した瞬間、視界からラーニャが消えた。カトリンは慌てて目を凝らす。
ラーニャの拳が突然目の前に出現したように見えた。上半身を反射的に逸らす。カトリンの目前を拳が通り抜けていくと同時に、空気を割るような衝撃波がカトリンを襲う。
「ぅ……ぐ……っ!」
耳が痛かった。ソニックブームを何とか耐えきったカトリンは、上半身を反らした勢いを利用して後ろの地面に右手をつく。そのまま左足を浮き上がらせ下から回し蹴りを放った。
だが、カトリンはその間中ずっとラーニャと目が合っていた。
避けられる。意味がない。反撃を食らう。不味い。
そう思いながらカトリンはもはや蹴りを引っ込められない。
「……ふっ!」
カトリンの渾身の蹴りは、予想通り空を切っていた。
「遅いね、カトリン」
ラーニャは寸での距離感でカトリンの蹴りを避けると、嘲笑うように口を歪めてカトリンの足を掴んだ。
次。次の一撃を。
カトリンは必死に体を捻る。
だが、その前に視界が突然変わった。視界に写っていたのは青い空と、感情を無くした顔で見下ろすラーニャだった。
ラーニャがカトリンを押し倒し、その上にのしかかっていたのだ。拳を振り上げ、そのままカトリンを見下ろしている。
「う……っ!」
カトリンは背中を激しく打ち付けられ、肺から空気が全て抜けた。酸素を求めて口をパクパクさせるが、ラーニャが上に乗っているせいで上手く吸い込めない。
「……カトリンはさ、どうしたい?」
「……ぅ……あ……な、なにを……?」
周りを取り囲む男たちは、カトリンの上に乗るラーニャに剣を突きつけながらジリジリと近付いてくる。
しかしラーニャは一切気にすることなく、カトリンだけを見ていた。
「私と戦いたい?」
「……戦いたいわけ……ないでしょ……」
「じゃあ、どうしたいの……?」
ラーニャの下瞼がピクピクと痙攣していた。眉を八の字にさせているが、拳はまだ振り上げたままだった。
「どうしたいって……言われても……」
ラーニャはじっとカトリンの目を見ていた。カトリンは視線に捕らえられ、目を離すことができなかった。
ラーニャはカトリンから目を離さなかった。
「……ねえ……どうしたいの?」
ラーニャの声は悲しげだった。拳を握り切れていない。何が彼女をそうさせているのか、カトリンには分からなかった。
「私は……」
何をしたいのか。改めて考えたことはなかった。改めて考えるまでも無いと思っていたのに、いざ言葉にしようと思うと上手く出てこない。
「私は……知りたい……」
「……なにを?」
何を知りたいのか。何が足りていないのか。
何故、カトリンの胸に空いた穴がいつまでも埋まらないのか。
「……私が……どうして、私になったのか。……私をここまで連れてきてくれた……私の、師匠のことを知りたいの……」
「……どういうこと?」
カトリンは自分が急に馬鹿らしくなった。いつまでも過去に囚われ、出てこれていない。思わず鼻で笑ってしまう。
「いや、違うかも」
「何を言ってるの……?」
「……私は、あの人のことを知って、私の見た姿も本物だったって……証明したい……」
「……」
「――あの人を、未来に連れていきたい」
焦れたようにラーニャはカトリンの胸ぐらを掴む。その手に力は入っていない。
「……なんなの?」
「私は、あなたの敵じゃない」
カトリンの目は再び力を取り戻していた。
「……私は私の目的のために、あなたの協力が欲しい。だから、私はあなたの味方」
「……」
ラーニャは振り上げた拳を震わせると、力を抜いてそのまま体の横に落とす。
そして立ち上がると、カトリンの手を握って立ち上がらせる。
「ふぅ……」
「……ありがとう、ラーニャ」
「……うん……でも、よく分かんない」
ラーニャの肩が小さく震えた。
「……なにが?」
「……分かんない……でも、カトリンとは戦いたくなかった……」
ラーニャは恥ずかしそうに視線を落とした。カトリンはその様子に苦笑する。
「じゃあなんで……離してくれたの?」
「だって……顔……拭いてくれたもん……」
「……そっか」
周りを取り囲む男たちは困惑したように、お互いに顔を見合わせていた。そのとき、二人を取り囲む男たちの後ろから、一人の男が近付いてくる音が聞こえる。
男たちの輪が割れると、そこに現れたのは奴隷商のクルトだった。クルトは軽蔑の視線をラーニャに向けていた。
「宮廷魔導師殿がエルフを捕らえてくれているぞ。さっさと捕まえろ。これはエルフ狩りではない。だからおおっぴらにお前たちに報酬をやる。喜べ」
奴隷商クルトの声が響く。二人を囲む男たちの、武器を持つ手に力が入るのが分かった。
「……カトリン、あれは敵?」
「敵だけど、殺しちゃダメ。私が何とかするから、お願い」
「……でも、敵は殺さないと……」
「ラーニャ、いい?」
カトリンはラーニャの肩に手を乗せる。そして微笑んでみせた。
「敵はいつか、敵じゃなくなるの」
「……?」
「とにかく、今は殺さないで。分かった?」
「でも……」
「私が何とかする。だからお願い」
「……うん……分かった」
ラーニャは納得いかないように頷く。カトリンはそれを見て微笑みを深くすると、クルトの方へ振り返って睨む。クルトはカトリンの目を見て心底おかしいという風に笑った。
「おやおや、宮廷魔導師殿。どうかしましたかな? そのままそのエルフを捕らえておいてください。このオークションを台無しにした責任を取ってくださるのでしょう? そのエルフを差し出せば帳消しにして差し上げますよ」
軽蔑の視線がカトリンからズレると、ラーニャに絡みつく。ラーニャは不愉快そうに拳を握った。
「ラーニャ……。殺しちゃダメ。殺さなかったらいいよ。でもあの人だけは残して。いい?」
「ほんとにいい?」
カトリンはラーニャに笑いかける。そして短く言った。
「いいよ」
その言葉を聞いて、ラーニャは再び口角を吊り上げる。血塗れの服はもう乾き始めていた。
クルトは笑みを深めていた。
「おい、お前ら。もう不審者を制圧する時間は終わりだ。いまからは生捕りの時間。殺すなよ。剣は使うな。商品に傷をつけたら、売れなくなるからな。……その宮廷魔導師は、邪魔してくるなら殴れ。殺したら面倒だ」
男たちはクルトの声に、剣をしまって細い棍棒を取り出す。奴隷を折檻するための、傷をつけずに痛みを与えるための棒だ。
「教育してやれ」
クルトの声が冷たく響いた。男たちは一斉に棒を振り上げ、ラーニャへと殺到していく。
カトリンは目の前までやってきた男の顔に無詠唱で水を生成して浴びせかける。男が目を閉じた瞬間に膝を蹴る。
「うわ……!」
そのまま転んだ男の顔を思い切り蹴り上げる。
「やぁっ!」
「……ぁぐ……」
カトリンの細い足が男の頭を大きく震わせ、男は動かなくなった。カトリンは男の体を飛び越え、包囲を抜け出す。
だがラーニャは、動いていなかった。男たちが一斉に棒を振り上げ、ラーニャに振り下ろそうとする。
カトリンは慌てずにクルトに向けて走り出していた。背中の方から鈍い打撃音。
「ああっ……!」
「ぎゃ……!」
「あははは!」
男たちの悲鳴とラーニャの笑い声が聞こえる。カトリンは走りながら思わず苦笑していた。目だけで振り返ると、ラーニャは敵の急所を外しつつ遊んでいた。
「あの子の敵にならなくて良かった……!」
カトリンはほとんど息でそう言った。そのままクルトを睨む。クルトは目を見開き、手のひらを向けて後退りしていた。
「ま……待て……!」
だが、待たない。拳を握る。拳の表面を水の魔力で覆う。
「恨みは無いけど! やらなきゃいけないことだってあるんだよね!」
「は……!? ちょ、ま……!」
思い切り殴った。勢いの乗った拳はクルトの体を少しだけ浮かせる。そのまま尻もちをついて、信じられないとでもいうようにカトリンを見上げていた。
口内が切れたのか、口の端から血を流していた。
「……な、何しやがる……!?」
「ごめん。でも、あんまり痛くないでしょ。水の魔力は防御向きなの。攻撃にはあんまり向いてない。衝撃を殺しちゃうから」
カトリンはクルトを見下ろしながら、拳を解いて手首を振っていた。
クルトは言葉を失って目を丸くするだけだった。
「あ〜あ。なんかフカンゼンネンショウってかんじ。カトリン、そいつどうするの?」
ラーニャが後ろから声をかけてくる。
「は……あいつらは……!」
クルトがラーニャの更に後ろ、全員が気絶して倒れているのを見つけると、顔を青褪めさせてラーニャを見た。
カトリンはまた苦笑した。
「強すぎるよね。いくらエルフだからって」
「えっへん!」
ラーニャが胸を張った。血まみれの服を困ったように見たカトリンは、無詠唱で水をラーニャに浴びせかける。
「ぶはっ……! な、なに……!?」
「血で汚いから。洗ってあげる」
「……いきなりやんないでよ〜」
血が流れ、服は元の色を取り戻していった。
クルトはそれを無言で口を開いたまま見つめていた。
「……さて」
カトリンは腰に手を当ててクルトを見下ろす。
「あなたにやってほしいことがあるんだけど」
「……な、なん……だよ……」
「あのエルフの子」
カトリンは舞台上に放置されていた檻車の中で、呆然としてこちらを見ているエルフ奴隷を指さした。
「あの子、格安で私に売って」
「は……?」
「え……?」
クルトとラーニャは、同時に絶句した。




