奴隷市
宿の廊下を走る。
従業員が怪訝な顔をしてカトリンとユリアンを見ていたが、白い魔導服を着た二人には何も言おうとしなかった。カトリンは従業員に目を向けると、従業員はまさか自分に視線が向けられるとは思っていなかったというように、自分を指さして首をかしげる。
「……エルフと大きい男が出ていかなかった……!?」
「お、俺……? ええと……確か一緒に出ていったと思いますが……奴隷に逃げられたんですか……?」
「どっちに行った!?」
「そこまでは……」
「……っ! ……ありがと! ユリアン、行くよ!」
「了解です!」
従業員に踵を返し、玄関扉を荒く開くと、上級街を歩く人々が迷惑そうに二人に視線を向けたが、すぐに目は逸らされた。
「ユリアンはこの辺りの上級街を探して! 私は下級街に行く!」
「承知しました!」
カトリンはユリアンの返事を背中で聞くと、そのまま下級街を目指して走った。
・・・・・
下級街の通りはやはり人でごった返していた。日も落ち始めて薄暗くなっているにも関わらず、この街に来たときと人通りはさして変わりなかった。
「こんなのどうやって……!」
カトリンは肩で息をしながら、途方に暮れて大通りをキョロキョロと見渡す。早くラーニャを確保しないと、という思いばかりが先行する。
「エルフがこんな街にいたら……」
ラーニャが言っていた『敵』という言葉。エルフには『敵』が多い。トリデンティ伯爵の邸宅にいたエルフ奴隷は、そういう『敵』に捕まったのだろう。
ラーニャなら捕まりはしないだろうが、その代わりに簡単に人を殺してしまうであろう危うさも、カトリンは知っている。カトリン本人も一度は襲われているのだから。
カトリンはとりあえず下級街を街の外縁に向けて走っていく。人々は何事かという視線を向けてくるが、反応している暇はなかった。
「いや……大通りにいるなら……騒ぎがまだ起きてないなら……ランドルフが何とか止めてくれてる……はず……!」
ランドルフがラーニャと一緒にいる保証もない。だが、一緒にいなくなったことと、二人が一緒に出ていくところを従業員が見ていること。ここから考えても少なくともランドルフはラーニャを監督するために出ていったはずだ。ランドルフはそういう男のはず。
「なら……裏通り!」
カトリンは迷わず細い路地に入っていった。悪臭が漂うが、顔を顰める余裕もなかった。
裏通りに出ると、地元民らしき人々が歩いている。その奥、建物と建物の間の細い路地の付近に人が溜まっている。中には衛兵らしき武装集団の姿も見える。
「……はぁ……はぁ……まさか……」
カトリンはそこへ走り寄っていく。衛兵が数人気付いて一瞬手に持つ槍を握る力を強めたが、カトリンの服を見て警戒を緩めた。
「……宮廷魔導師……?」
「……私は、カトリン・アーベライン……宮廷魔導……! ……何かあったの?」
ねばつく唾を何とか飲み込みながら、荒い息のなかで上手く出てこない言葉を何とか纏めた。
衛兵は肩で息をするカトリンに怪訝な顔を向けてはいたが、細い路地のほうへ一瞬視線をやってから話し始める。
「……二人殺されているのが見つかりました。少し野蛮な男たちのようでしたので、何らかの抗争に巻き込まれたのだとは思いますが……」
衛兵は一度息を吸ってから続ける。眉間には深いシワが刻まれている。
「……死体が妙なのです」
「妙……?」
「ええ。まるで魔物に殺されたような……一人は胸を貫かれ、一人は首が強い力で吹き飛ばされているような……端的に言って恐ろしい状況です」
「……っ!」
遅かった。間違いなくラーニャだ。そんな芸当ができる手練れはラーニャくらいしかいない。
ランドルフはラーニャを止められなかったということだろうか。
「魔物が侵入した線も考えてはいますが、食べられたような跡もなく……」
「……わ、分かった。私も調べてみる」
「おお。宮廷魔導師様が手を貸してくれるなど、望外のことです。頼りにしていますよ。……それで、なぜここに?」
「あ、ああ、えっと……偶然だよ……」
「偶然……そうですか。……まあ、宮廷魔導師様なら……」
衛兵はカトリンの服をじろりと見た。血の跡一つもない白い服は、まるで無実を訴えているようだ。
カトリンは頭を必死で回転させる。衛兵の口ぶりからして、ラーニャはここを離れている。ならば、『敵』を求めて移動したと考えるべきだろうか。
ラーニャの敵がいる場所。カトリンには一つ心当たりがある。奴隷商クルトの顔がちらつく。
「……奴隷市って、どっちに?」
「奴隷市ですか? なぜ?」
「いいから。教えて」
「……あっちです。西の方に……」
「そう。私はそっちに行ってみる!」
「はあ……」
衛兵の曖昧な返事を聞いてから、視線を背中に感じつつ、奴隷市に向かって走る。
裏通りを衛兵の指さした方向にまっすぐ進むと、途中で大通りと合流した。先ほどとは違う通りだ。
三叉路の街ファチスは、三つの大通りが交差する場所。大通りも三つあるのだ。
「最初の読みを外した……!」
カトリンは走りながら憎々しげに呟いていた。人込みの中を掻き分けながら進む。
段々と人々の数が減り始め、道行く人の身なりが良くなっていく。上級街のほうに近付いているのだろう。
遠くに広場が見えた。夜が街を覆い始めた広場には、火が焚かれてちらちらと照らされている。
上級街の街並みの中、ポッカリと空いた空き地。そこには数多くの檻車が止められ、身なりの良い人々がその中を観察していた。
「あそこ……?」
カトリンは息を整えながら奴隷市に足を踏み入れる。まだ騒ぎは起きていない。歓談しながら紳士や婦人たちがゆっくりと過ごしていた。
「間に合ったの……?」
檻車の中には人間もいる。虎のような獣人の魔族や、翼の生えた亜人種もいた。檻の中から自分の価値を営業している者さえもいる。
カトリンは、異様な雰囲気の中を歩いて進んでいった。
「虎人族も……天人族も……。……長居はしたくないな……」
カトリンがぼやきながら先を急いでいると、口ひげを生やした二人の紳士が、人間の男の奴隷を見ながら話しているのが聞こえた。奴隷は一瞬カトリンを見たが、すぐに紳士たちへその肉体をアピールし始める。自ら身売りした、労働と見返りを求める奴隷なのだろう。
だが紳士たちは男に見向きもしていなかった。
「聞いたかね? 新しくエルフが入荷したらしいぞ」
「ああ、聞いた聞いた。トリデンティ卿が断ったんだって? あの方はもう持っていたんだったな」
「オークション行くかね?」
「流石にエルフを買えるほど持ってないさ。君もだろう?」
「そうだな。あれは高すぎる」
カトリンは足を緩めずにその会話に耳を澄ませていた。エルフ奴隷が入荷した、ということは、その影にはエルフ狩りがいるはずだ。
「……殺された男たちはエルフ狩りだった……? なら、次の敵は……」
奴隷商。やはり、エルフを入荷した奴隷商だろう。そうなると、伯爵の屋敷ですれ違ったクルトか。
「オークション……」
カトリンは足を止めると、紳士たちのほうへ足早に歩き出す。紳士たちはまだ談笑を続けていた。
「すみません」
「……? 何かね、ご婦人? おや、宮廷魔導師か。これはこれは……」
紳士の一人が社交辞令を言おうとしていたが、カトリンはそれを遮る。
「エルフ奴隷のオークションってどちらでやっていますか?」
「……む? オークションなら、一番の奥の舞台でやっているが……君もエルフが欲し――」
「ありがとうございます」
最後まで聞かずに背を向けて奥を目指す。紳士たちが呆然としているのが一瞬見えたが、そんなことはどうでも良かった。
檻車と人々の群れを抜け、広場の奥を目指す。
やがて檻車が無くなったかと思うと、一際騒がしく人々が集まっている場所があった。
「百二十二リナイ、百二十二リナイ! 他にはいませんか!? 金貨ですよ! どうですか!?」
オークショニアが大声を上げている。舞台の上の檻車には狼のような獣人の魔族が座っていた。集まった参加者たちはそれぞれ会話している。
カンカンカン、と木製のハンマーを叩く軽快な音が響くと、オークショニアは興奮したように唾を飛ばした。
「百二十二リナイで落札です! 入札した方は後ほど出品者と詳細をお話ください! ……では」
一度言葉を切ると、オークショニアは熱気のこもった目で参加者たちを見回す。参加者たちが段々と静かになっていく。
静かになった観衆を見て満足そうに笑ったオークショニアが声を張り上げる。
「では、次が最後の品です!」
カトリンは、オークションの舞台袖を見た。そこにチラリと覗いた顔を見つける。それは伯爵の屋敷ですれ違った奴隷商クルトの顔だった。
「いた……! ラーニャは……どこ……?」
オークショニアの興奮が参加者たちに伝染していき、辺りが色めき立ち始める。カトリンはその中を、舞台裏に向けて歩く。
「人形のように美しく! 魔法の適性が高く! 驚くほどに長寿! こんな人種は他にありません! まだ汚れていないコレは滅多に手に入りませんよ!」
片耳で聞きながら、舞台裏の警備をしている男と目を合わせる。男はカトリンの服装を見て、いぶかしげに視線を返してくる。
口笛や囃し立てる声がオークショニアに振りかかる。オークショニアはその日一番の声を張り上げた。
「エルフィレンの森からやってきた、エルフの女です! 最低価格は晶貨で二十リナイから!」
観衆の拍手の中で、舞台へと檻車が押されてくる。その中ではエルフが膝を抱えてボーッとしていた。
カトリンは始まった入札の声を聞き流しながら、警備の男に話しかける。
「私は宮廷魔導師のカトリン・アーベライン。ここにエルフを連れた大男が来なかった?」
「……来てない」
「……奴隷商のクルトって人、いる?」
「ああ」
「会わせてくれない?」
「会いたいならアレを入札しろ」
警備の男が指を差した先には、興奮してほとんど叫んでいるオークショニアがいた。
「三十リナイ! 三十リナイが出ましたよ! まだまだ行けます!」
カトリンは警備の男を軽く睨んだ。睨むつもりはなかったが、思わず睨んでしまった。
「悪いけど、奴隷はいらないの。その話がしたいわけじゃない。クルトの命が危ない」
ラーニャがクルトを殺せば、しかもこの大衆の前で殺せば、確実にラーニャはお尋ね者になってしまう。
男は眉間のシワを深くしてカトリンを見下ろして鋭く睨んでくるが、カトリンは一歩引く様子も見せなかった。
「……俺だけじゃ判断できん。帰れ」
「だから……!」
カトリンが苛立ちながら言い返そうとした時だった。
「六十四リナイ! 六十よ……あ……?」
オークショニアが突然言葉を止める。興奮した参加者たちも、オークショニアの様子を見て徐々に静かになっていく。
オークショニアは参加者の後ろ、広場の端から柵を乗り越えて入ってくる小さな影を見ていた。カトリンと警備の男は、オークショニアの目線を追う。
カトリンは息を呑んだ。観衆がざわめきを少しずつ取り戻していくが、それは興奮のざわめきではなくなっていた。
「……ラーニャ……!」
そこにいたラーニャは、血に濡れながら楽しそうに笑っていた。ランドルフは見当たらない。
「敵、たくさんみーっけ!」
ラーニャの声はなぜかよく響いて聞こえた。




