ラーニャ
ラーニャは宿のベッドに寝転がり、ゴロゴロと動き回ってばかりいた。こんなに柔らかいベッドに寝たのは、カトリンに同行してからが初めてだった。いつもはザワザワとうるさい草の中で寝ていたのだから。
昨夜の宿では溶けるように眠っていたが、今日はなぜか落ち着かなかった。草が風になびく音が恋しい。
「ん〜……」
カトリンがラーニャを置いて出ていってから一時間も経っていないだろうが、ラーニャはそろそろ耐えられそうになかった。
「……ひま!」
誰もいない部屋に、ラーニャの声が響いた。
ラーニャはベッドから立ち上がって足早に扉に向かうと、そっとドアノブをひねって押した。隙間から外を伺うと、誰もいない。
音もなく扉の外に出て、そのまま廊下を歩いていく。
「……おい」
突然背後から声が聞こえて、ラーニャは肩を震わせた。振り向くと誰もいない。
「ドアくらい閉めてけよ」
扉がゆっくり閉まり始めると、その裏でランドルフが壁にもたれていた。ランドルフは扉を閉めると、腕を組んでラーニャを見下ろした。
ラーニャがランドルフを不思議そうに見上げる。ランドルフはラーニャと目が合った瞬間、目を逸らした。
「……ど、どうせお前はアーベライン様がいなくなった途端に勝手なことしだすと思って……廊下に立ってたんだよ。……どこ行く気だ?」
「ひまだから、遊びに行こうかなって思って」
ランドルフは厳しい顔をしていたが、目はずっと泳いでいた。こめかみに冷や汗が流れると、ランドルフは髪を直すフリをしながら拭った。
「ア、アーベライン様が何でお前を置いていったか考えてみろ……」
「うーん……なんで?」
「少しは自分で……いや……お前が外を出歩くと危ないからだ」
「なんで? 私、約束守れるよ?」
ラーニャは首を傾げた。
ランドルフはもう一度汗を拭いながらため息をつく。
「いきなり人を殴るようなやつに『約束守れる』とか言われて、信用できると思うか……?」
「うーん……できそう!」
「……ああ、そうかい……」
ラーニャはニカッと歯を見せながら笑い、踵を返して廊下を出口の方へ歩き出す。ランドルフは慌てて後ろをついて行った。
「おい待てよ……!」
「待たな〜い」
「……おいってば!」
ランドルフがラーニャの肩を震える手で掴む。手の甲には、瘡蓋になった擦り傷がまだ残っている。
ラーニャは無理やり振り向かされると、思い切り眉を顰めてランドルフを見上げた。ランドルフの手が当たっている場所からゾワゾワした感覚が登ってくる。
「なに? 戦う? 敵なの?」
「敵じゃねぇし戦わねぇよ……もうごめんだ」
「じゃあ触んないでよ」
ラーニャはランドルフの手を振りほどいて出口へと向かっていった。
「なんでそんなに俺のこと嫌いなんだよ……!」
ランドルフがため息をつくのが聞こえ、ラーニャの背中を追うドタバタとした足音が響く。まだ身体は完全には治っていないらしかった。
・・・・・
ラーニャは上級街を興奮したようにキョロキョロ見渡しながらどんどん進んでいく。
身なりの良い紳士や婦人が奇異の目でラーニャを見ていたが、ラーニャは気にすることなくむしろ目を合わせにいった。ラーニャに目を合わせられた人々は気まずそうに目を逸らす。
「おい、あんまり睨むなよ……向こうはお偉いさんだぞ……」
「知らな〜い」
ランドルフが声を抑えて耳元に囁いてくると、ラーニャは一度眉を顰めてから少し離れ、呑気そうに言い放つ。
「せめて下級街の方に行くぞ……! 変に反感買ってアーベライン様の迷惑になったら……」
ランドルフが冷や汗を流しながらラーニャの前に出る。
「下級街って面白い?」
「……! あ、ああ面白いぞ……! そうだ、もっと美味いもん売ってる屋台とかあるはずだ……!」
ランドルフは蜘蛛の糸が垂れてきたのを見つけたかのような顔をしてから、必死に頷いた。ラーニャは考えているふうに右上を見つめると、「う〜ん」と唸ってからパッと顔を明るくする。
「じゃあ下級街行く! 案内しろ!」
「お、おお……分かった……! 任せとけ……! こっちだ……こっちのはず……!」
ランドルフは背中を向けて歩き出す。ラーニャはその背中を追った。ランドルフの背中には汗で服が張り付いていた。
・・・・・
坂を一つ下ると、突然人通りが増える。人々の身なりも地味で機能的なものへと変わった。ラーニャは思わず声を上げていた。
「わぁ〜……人多い……」
「ふぅ……適当に歩いても着いたな……」
「適当だったの?」
「デカい道はデカい道に繋がってるもんだ」
ランドルフは少し自慢げだった。ラーニャは逆に、不満げにランドルフを見上げた。
「……ふ〜ん」
ランドルフはラーニャの視線に気づいてたじろぐ。
「な、なんだよ?」
「別に?」
ラーニャはそのまま通りを歩き出した。舗装された道の中央を馬車が行き交い、端には人々が肩をぶつけそうになりながらすれ違っていく。
ラーニャは小さな身体で人々の間を抜けていくが、ランドルフは苦戦しているようだった。
「……おい! 待てよ……! 一人で行くな……!」
ラーニャは素知らぬ顔で進んでいく。だがランドルフの足音はたまに遠くなっても、食らいついてくる。
行き交う人の中から、ラーニャは自分を刺すように見つめる視線を感じた。ふとそちらを見ると、武装した男たちだった。
武装していること自体は大して珍しくもない。だが、ラーニャはそのねばつく視線に覚えがあった。
立ち止まったラーニャにランドルフが追いついてくると、男たちは視線を外して踵を返した。
「……おい? どうした?」
「……」
ラーニャは無言で追いかけていく。
「おい……! いい加減にしてくれよ……!」
ランドルフが後ろでぼやく声が聞こえたが、ラーニャは返事する気にもならなかった。
「あの目……『敵』の目だった……!」
人々の間をすり抜けるラーニャは、少し口角を上げながらそう呟いていた。
男たちは大通りから一本横の道に入っていく。湿気が多く汚物の臭いがする路地を通り抜けると、そこはある程度清潔感のある裏通りだった。地元民が使っているのだろう店が並んでおり、人通りも先ほどよりは少ないがまだ多い。
「おい……なんでこんなところに来るんだよ……! 面白いところに行くんじゃないのかよ……!」
ランドルフが声をかけてくる。ラーニャは振り向かずに男たちの背中を目で追うと、再び追いかけ始めた。
「面白いとこ、見つけたの」
「はあ……?」
ランドルフは人通りが減ったからか、もう必死になってラーニャの背中を追ってくることはなかった。早足でラーニャについてくる。
男たちはまた路地に入り込んでいく。
ラーニャが覗き込むと、そこは人が一人やっと通れるほど細かった。ラーニャは躊躇うことなく路地に入っていく。
ランドルフが苦しそうに肩をすぼめてラーニャを追ってくる音が聞こえた。
その路地を抜けると、薄暗い小さな広場に出た。空は赤くなり、傾いた陽光は建物に囲まれたこの広場には入ってきていない。
広場には誰もいなかった。木製の粗末な小屋が一つあるだけだった。
「おい……おい……!」
同じく路地を抜けてきたランドルフがラーニャを呼ぶが、ラーニャは振り返って人差し指を立てると、それを自分の唇に当てて「シー」と言った。ランドルフは息だけで「は?」と答える。
「多分あそこ」
「何がだよ?」
声を抑えたラーニャはそろそろと小屋に近付くと、窓からこっそり中を覗き込んだ。そこには三人の男たちがたむろしている。
ラーニャは壁に耳をつけると、男たちの話を盗み聞きし始める。ランドルフはラーニャの後ろで眉を顰めながら不思議そうに見ていた。
「……あのエルフ、どうする? 野良エルフが街を歩いてるなんて、とんでもねぇチャンスだぞ」
「どうするもこうするも、捕まえたらいいだろ。どうせクルトが欲しがる。売り先は伯爵だけじゃねぇ」
「でもアイツに最近新しいエルフ売ったばっかじゃねぇか。そんなに貯えてると思うか?」
「貯えが無いならツケとくんだよ。どうせクルトは俺達からエルフを仕入れるしかねぇんだ」
「それに、最悪クルトの嫁と子供を拉致っちまえばいい」
「ふっ、それもそうだな」
「よし決まりだ。そうとなりゃ……」
男のうち一人が腰に佩いた剣を抜いた音が聞こえた。ラーニャはその音を聞いて、また窓から中を覗き込んだ。
だが、その瞬間に男と目が合った。
「おらぁっ! バレバレなんだよっ!」
男が強く踏み込むと、男が矢のような蹴りを放つ。蹴りは窓を割り、まっすぐにランドルフの頭に向かっていく。
「……!」
ラーニャはその瞬間に、無詠唱で魔法を発動した。
途端、世界がスローになる。男の蹴りはゆっくりとランドルフの頭を狙い、ランドルフの顔はゆっくりと驚愕に染まって手で顔を守ろうとする。
ラーニャは全てがスローになった世界で、普段通りに手を振り上げると、手刀を作り上げて魔力強化した。手刀はバチバチと音を立て始める。
「襲われたら戦ってもいい、だよね?」
ラーニャの口角は途端に吊り上がった。
渾身の力を込めて男の脚に手刀を振り下ろす。当たった瞬間に、凄まじい反動がラーニャの手を襲う。だが、ラーニャは魔力強化を一点に集中させていた。腕に衝撃が走るだけで、痛みは無かった。
その瞬間に、ラーニャは自己加速の魔法を解除する。
「……! ……? ……ぅぐ……! ぁぐあ……っ!」
男の脚は、曲がってはいけない方向に折れていた。雷の魔力強化で服が破れ、皮膚がほんの少し焦げているのが見えた。
「あはは、折れちゃったね?」
「え、は……え? あ……」
ランドルフは何が起きたか、全く把握できていない様子だった。
「……!? おい、大丈夫か! てめぇ何しやがった!」
男は手に持っていた剣を床に落としながら倒れ込む。それを見て、男の仲間二人は剣を抜いた。
「ねえおじさん。こいつら、敵だよね? 私たち、襲われたよね? 戦っても約束破ってないよね?」
ラーニャはにこにこしながら矢継ぎ早に聞いた。ランドルフは目を見開きながら、倒れ込んで藻掻く男とラーニャを交互に見る。言葉が出ないらしかった。
「……どう? だめかな?」
「……あ、ああ……い、いいんじゃ……ないか……?」
ランドルフ自身も何を言っているのか分かっていなそうだったが、ラーニャからすればそんなことはどうでもいい。ランドルフが同意したのだ。つまり、カトリンとの約束を破らずに戦える。
「やったぁ! じゃあ、殺すね!」
ラーニャはまだ立っている二人の男を見て、ニヤニヤと笑っていた。
「どうせ殺すなら、楽しく、ね?」
・・・・・
広場にはラーニャの笑い声ばかりが響いていた。
男たちは手も足も出なかった。やがて、一人は拳に胸を貫かれ、一人は廻し蹴りに頭を吹き飛ばされた。血みどろの死体が、広場に横たわっていた。
血と臓物を浴びたラーニャが、楽しそうに二人の死体を見下ろしていた。その姿は、カトリンと初めて出会ったあの時とよく似ていた。ランドルフの顎を打ち抜いた、あの時と。
「あ〜楽しかった! まんぞく!」
ラーニャが振り返ると、ランドルフが凍りついた瞳で男たちの死体を見ていた。腰を抜かして地面に倒れ込んでいる。
「ねえ、おじさん。立てる?」
「……!」
ランドルフは口をパクパクさせたが、声が出ない。
「おじさんもこんくらいの力で殴ったのに、おじさんって頑丈だね。この人たち柔らかすぎてすぐ死んじゃった」
ラーニャはランドルフに一歩近寄る。ランドルフはほとんど本能的に、手で顔を隠していた。無意識の、何の意味もない防御だった。
だがラーニャはそんなランドルフの横を素通りすると、最初に足を折ってあった男の前に立つ。
「……てめぇ……!」
男は何とか威嚇の声を絞り出したが、そこには弱々しさしかなかった。ラーニャは男を見下ろして、さらに楽しそうに笑みを浮かべる。
「里長がね、奴隷商は敵だって言ってたの。この街って、奴隷商いるんでしょ? 連れてって」
そういうと、ラーニャは細い腕を魔力強化しながら、男の胸ぐらを掴んで持ち上げた。僅かに電気が流れ、小さな痛みが男を断続的に襲う。
「ぐ……あ……!」
「教えてくれないと、今殺しちゃうよ?」
「わ、分かった……! 教える……! 教えるから……許してくれ……!」
男は涙を流していた。
「じゃあ、行こっか。……おじさん、一緒に行く?」
ラーニャはランドルフを振り返る。ランドルフは呆気に取られながらも、立てるようになったらしく、ふらふらと立ち上がった。
「ご、ご機嫌がなおったみたいで……よかった……」
ランドルフの瞳は、血まみれのラーニャを写しながら恐怖に塗れていた。
・・・・・
ラーニャは血まみれのまま通りに出ようとして、ランドルフに呼びとめられる。ラーニャの片手にはエルフ狩りの男が引き摺られている。
「ま、待ってくれ……! そんな血塗れで通りに出たら、ヤバい……!」
「ん?」
ラーニャは自分の服を見下ろした。ベージュだったはずのその服は、もはや元の色が分からないほど赤黒かった。
「どうしよう?」
「……行かないってのは、無しか……?」
「行く! だって、まだ戦えそうだもん!」
「そうか……じゃ、じゃあ、あんた……」
ランドルフはラーニャに引き摺られている男に視線を落とした。男は足の痛みに顔を歪めながら、ランドルフに救いを求めるような視線を送る。
ランドルフはその視線に息を呑んだが、一度深呼吸をして口を開いた。
「……人の目につかない道を、選んでくれ。悪い……俺にもコイツは止められないんだよ……」
ランドルフは申し訳なさそうに男を見下ろしていたが、ラーニャはそれを見て首を傾げていた。
「じゃあ出発しんこ〜う!」
ラーニャは元気そうに拳を振り上げた。
「行くところは、奴隷商のところ!」
ラーニャの元気そうな声に、二人の男たちは静かになるしかなかった。




