欺瞞と消失
上級街中央部、馬車に揺られてやってくると、そこには広い庭付きの屋敷が広がっていた。草木の手入れをしている庭師らしき男たちの姿も見える。
馬車が停まると、ライマーが真っ先に降りてカトリンたちを促す。
「ここが我が主の屋敷でございます」
「へぇ、綺麗な御屋敷ですね」
カトリンは平坦な口調で言うと、ゆっくりと降りた。後ろにユリアンも続く。ラーニャとランドルフは宿で留守番させている。
ライマーに導かれ、鉄柵の門をくぐり、使用人が開く屋敷の扉を通ると、鮮やかな赤い絨毯が覆うエントランスだった。
「伯爵様は?」
ライマーが使用人の男へ視線を向けると、使用人は軽く会釈してから口を開く。
「すでに応接室でお待ちです」
「……我々の到着を心待ちにしていただき、ありがたいですね」
ユリアンが低い声で言うと、ライマーは鼻で笑ってから応接室へ向かい始めた。
「ええ。我が主は、あなた方がきっと来ることになると、分かっておいででしたよ」
「そうですか……」
ユリアンが返事を呟く。カトリンは小さくため息をつくと、ライマーの後ろをついて行った。
ライマーが黒く艶やかな両開きの扉の前に立ち、一瞬の躊躇もなくノックする。カトリンが慌てて自分の服を見下ろして服装のチェックをすると、ユリアンはぼそりと呟いた。
「……遅いですよ、アーベライン様。問題ありません。堂々としてください」
「……あ、そう……?」
ライマーが扉の奥へと呼びかける。
「トリデンティ伯。ライマーです。お客人をお連れしました」
「入れ」
部屋の中から嗄れた声が聞こえた。ライマーはそれを合図に扉をゆっくりと開き、カトリンとユリアンに中へ入るように手で示す。
カトリンは横目でそれを見た後、部屋の中に入った。調度品が並び、中には古代遺跡――一般的にダンジョンと呼ばれる――から発見されたであろう骨董品も置いてある。ネックレスのような魔物の骨から作られた祭具が棚に飾られ、金があしらわれた置き時計が部屋の隅でカチカチと音を立てていた。
「ようこそ、アーベライン殿。私がここの主、マートル・アーガスティア・トリデンティ伯爵だ」
ゆっくりと自己紹介をしたそのマートルは、恰幅のよい腹を机に押しつけながら座ったままだった。白が混じる長髪が頭の後ろで結ばれている。
最もカトリンの目を引いたのは、マートルの横に無表情で立ち尽くす二人のエルフの姿だった。身体は綺麗にされているが、その首には奴隷の証である細い革製の首輪がつけられていた。どちらも同じように長い髪の毛を垂らしているため分からないが、体格的には男女だろうか。どちらも、ラーニャと同じ金髪と碧眼だった。
「……身に余る歓迎、恐縮です」
カトリンが頭を下げると、ユリアンも続けて頭を下げる。だがカトリンは、頭頂部にマートルの視線が集中しているのを感じていた。
「なんのなんの。さあ、座ってくれたまえ。お前たち、茶を持ってきなさい」
マートルがそう言うと、エルフたちはそれぞれに分かれて機械のように動き始める。男のエルフは椅子を引いてカトリンたちを座らせ、女のエルフは部屋の隅で茶を入れ始めた。
カトリンは横目でエルフを見つめたが、彼はカトリンを見ることすらなかった。
「……良いご趣味なのですね」
「そうであろう? 魔国が倒れてから我が領はよく潤っていてな。帝国に下ったときはどうなるかと思ったものだが、さっさと頭を垂れて正解だった。早いうちに帝国の下に入っていたからか、皇帝陛下からの覚えがめでたくてな。はっはっは、お陰で良いエルフを買えた」
女のエルフがゆっくりとカトリンの前へ茶を出すと、ユリアンの前にも茶の入ったカップを置いた。茶菓子も配られる。
「あまり遠慮なされるなよ」
「ありがたいお言葉です。……それで、本日はどのようなご要件で?」
「まあ慌てるな。ゆっくり話そうではないか」
ライマーはいつの間にかマートルの椅子の後ろに立っていた。カトリンとユリアンを見下ろしている。それからライマーがマートルに何かを耳打ちすると、マートルは目を細めてユリアンを見た。
「……君、リーバー家の息子なのか?」
ユリアンは頬をピクリと引き攣らせてから、何事もなかったかのように受け答えする。
「仰る通りでございます」
「ほほう。それでは東部反乱のことも詳しいのではないかね?」
「……それは……私は末子ですから、詳しくは……」
「そうかそうか。それは残念だ。リューム伯爵が帝国本軍を率いていると聞いているが、君の家も確か支援をしているのではなかったかな?」
「……ええ、長期間反乱が続いておりますから、幼少の折に支援を求めるリューム卿ともお会いしたことがございます」
マートルの目が少し光った気がした。カトリンは軽く息を吸うと、マートルに向けて口を開く。
「トリデンティ卿、このお茶は美味しいですね」
マートルはそれを聞いて、垂れた頬を緩め、さらに垂れさせる。
「そうであろう。私のお気に入りなのだ」
「……そこのエルフの方の淹れ方が良いのでしょうか?」
「む? ああ、こ奴らか。まあしっかりと教え込んだのでな。良い奴隷商は奴隷の教育も良いものでな、御用達にしてやっているのだよ」
「……そうだったのですか」
「アーベライン殿は平民出身だったかな? アスピヴァーラ殿の弟子ならば社交界に出ることもあるだろう。箔をつけるためにエルフを買っておくと良いぞ。私が奴隷商を紹介してやってもよいが?」
「ありがたいお申し出ですが、研究に忙しく社交界には出ておりませんので……」
「ふむ……そうだったな。そういえば貴殿の姿はパーティで見たことがなかった」
わざとらしい言い方に、カトリンは無理やり上げていた口角をさらに吊り上げて耐える。
さっきからマートルが何を言いたいのか、カトリンにはいまいち掴めていなかった。だが何かを探ろうとしているのは分かる。あるいは、弱みでも握ろうとしているのだろうか。
「それで……そろそろ本題を……」
マートルは目を細めると、カトリンを目で射抜く。どうにもむず痒い感じだった。
「そうだな。……貴殿はカランビス王国のことは知っているだろう?」
「十年ほど前に滅びた国だったと存じています。我が帝国が攻め滅ぼした、と」
「そうだ。そこの王族がまだ一人だけ生き残っていてな。カランビス王国再興を叫んでいるのだよ。今はヘルメリア王国に亡命しているらしい」
「ヘルメリアに……ですか」
「その通りだ。貴殿も知っているだろう? あそこには勇者が隠遁している。我が帝国でも、流石に勇者のいる国に勝てるとは限らん」
「……それが……どうしたのですか……?」
話が見えてこない。隣でユリアンも首を傾げている。
「アスピヴァーラ殿は未だに勇者と文通を続けているのだろう? 大司祭殿もそうだと聞いている」
「……!」
カトリンは小さく息を呑んだ。やっと、マートルの意図が見え始めてきた。
だがカトリンはまだ分かっていない。マートルがどちら側なのか。
「貴殿は、アスピヴァーラ殿がどう考えているのか知っているかね?」
「……筆頭は、政にはあまり関わらないようにしていますが……」
「そうかね? 皇帝陛下が宮廷魔導師に与える研究費が年々上がっていてな。アスピヴァーラ殿のお力かと思っていたのだが」
「それは……存じ上げておりません」
「……ふむ」
マートルは自分の顎を撫でた。ヒゲは綺麗に剃られている。お陰で皺が丸見えだった。
「……貴族たちは不満を垂れているのだよ。アスピヴァーラ殿が平民であるにも関わらず、皇帝陛下から多大なる資金を提供されていることにな。近いうちに邪魔が入るやもしれん」
カトリンは膝の上で拳を握った。こういう時の『かもしれない』は、『言うことを聞かなければ実行するぞ』だ。
「……つまり?」
「なに、私が陛下の代わりに資金提供してやろうかと思ってな。まあもちろん、秘密裏にだ。貴族たちにバレてはかなわん。その代わり……」
マートルは老いて垂れている瞼を持ち上げ、鋭くカトリンを見つめた。
「少し、研究成果を融通してほしい。実は、アスピヴァーラ殿が研究成果を隠しているという話も聞いていてな。すべて陛下に報告する義務を負っているにも関わらず、だ。私ならそういう口出しも何とかできる」
「それは……」
カトリンは言い淀んでしまった。いま決めることはできない。それどころか、サラと会議をしたとしても簡単に決められることではない。
「いま決めろというのも酷な話だ。……最近西部にも反乱勢力が燻っていてな。私も西部へ出ようかと思っているのだよ。二週間後に。それまでに文をくれたまえ」
二週間。短すぎる。悩むことも根回しも満足にできない期間だ。
マートルはそれだけ言うと、茶を啜った。隅に立つエルフがするするとやってきて、マートルのカップに茶を注ぐ。
「ライマーは西部の出身でな。西部反乱が本当に始まれば、帝国とて無事では済むまい。今のうちに身の振り方を考えておかねばな。なあ、アーベライン殿?」
「そ、そうですね……」
カトリンは曖昧に返事をする以外なかった。
・・・・・
部屋を出ると、ライマーが先導して玄関扉へ向かう。カトリンとユリアンはずっと無言だった。
「宿まで馬車でお送りしましょう。歩いてもそう遠くはありませんが、せっかくここまで来るのに馬車を使ってきたのですから」
「……ありがとうございます」
玄関扉は軋むことなく滑らかに開いた。外はわずかに曇っていた。
その時ちょうどやってきていたのか、扉の外で驚いたように目を見開いている男が立っていた。
「おや、ライマー殿」
「クルト殿か。トリデンティ卿はちょうど応接室にいる。……新しい商品でも入ったのか?」
「ええ、ちょうど入荷しましてな。活きの良いエルフですよ。ですが卿はちょうど二匹お持ちでしょう? 要らないかもしれませんから、今は奴隷市の奥に置いてあります」
「そうか。卿と話してくれ」
「ええ、ではまた」
クルトと呼ばれた男はライマーに目で会釈すると、続けてカトリンとユリアンにも同じようにした。カトリンとユリアンは黙ってクルトを見送った。
「……奴隷商ですか?」
「ええ。トリデンティ卿の御用達です。資金援助もしているそうですよ」
「……卿は、エルフ狩りにも資金提供を?」
「まさか。それは皇帝陛下の決めた法に反するでしょう」
カトリンはジトッとライマーを見つめる。だが、ライマーは無言でまた歩き始めた。
『活きの良いエルフ』を扱うということは、必ずエルフ狩りに関与している。エルフ狩りは違法なのだから、流通しているエルフ奴隷は全て『中古』でなければおかしいのだ。大方、直接支援していないから良いという判断なのだろう。
カトリンは門を出たあと、一度屋敷を振り返ってから、ライマーが用意した馬車に乗り込んだ。
・・・・・
宿に着き、カトリンとユリアンが馬車を降りると、ライマーは頭を下げてまた馬車に乗り込んでいった。馬車が動き出すまでは無言でただ見つめていたが、ある程度離れるとカトリンは憎々しげに顔をゆがめた。
「やな奴やな奴やな奴……」
カトリンはぶつぶつとそう唱えながら、ライマーの馬車を見送る。ユリアンが隣でため息をついていた。
「……どっと疲れましたね」
「あの伯爵、初めから脅すつもりだった……!」
「だから言ったでしょう。『ロクな用事じゃない』と」
「……」
カトリンは下唇を突き出しながらユリアンを見上げた。
「あなたがフルネーム言わなかったら、行かずに済んだかもしれないよ……?」
「……それは……申し訳ありません。ですがライマーは他にもカードを伏せていたはずです。伯爵がすでに準備を済ませて待っていたのですから、私の家名を知らずとも何かしらやってきたでしょう」
「……はぁ」
カトリンは宿の入り口を開け、部屋に向かっていく。ユリアンも後ろに続く。
「あの伯爵、怪しいよね。反乱への関与まで匂わせて……」
「どこまでが真実か分かりません。安易に上に報告しても、しらを切られるどころか、逆にこちらに罪を着せてくるかもしれません。……何もできませんね」
「は〜あ……どうしろっていうんだよぉ……」
カトリンがガクッと肩を落とす。もう部屋の扉の前まで着いていた。
「……じゃあユリアン。また明日。今日はラーニャを調べて寝るから」
「分かりました。では、また明日」
ユリアンが会釈するのを見届けてからカトリンは振り返って扉を開ける。そのままもつれ込むように部屋の中へ入った。
「ラーニャ〜……! ただいま〜……。……ん、あれ……?」
部屋はもぬけの殻だった。ラーニャがつけたであろうベッドシーツの皺はそのまま残されている。
「ラーニャ……?」
カトリンは部屋の中をもう一度見渡した。だが、すでに人の気配は無かった。
「まさか……あの子、勝手に……!」
ラーニャが勝手に抜け出した。それは、制御できない爆弾が外に出たようなものだった。街で暴れられれば、帝都に連れて行って詳しく調べるどころではない。あるいは犯罪者としてラーニャはお尋ね者になるかもしれない。
「いや……まだ犯罪者じゃないのが奇跡みたいな子だけど……!」
カトリンは慌てて扉を蹴り開けると、廊下には険しい顔をしたユリアンが立っていた。
「……ユリアン……! ラーニャがいない……!」
「……! それは……」
ユリアンが顎をつまんで、さらに顔をしかめる。そのまま目線を自分たちの部屋の扉に向けた。
「……ランドルフもいません」
「は……? なんで……?」
ユリアンは答えてくれなかった。




