楽しく殺そうよ
口を大きく開け、よだれを垂らしているラーニャの寝息を背に、カトリンは部屋を出た。魔導服は脱ぎ、シュミーズにガウンを羽織る。
「宮廷魔導師サマサマだね」
温かく柔らかい服の感触に微笑みながらぼそりと呟いてから、カトリンは向かいの部屋をノックする。部屋の中から布が擦れる音がして、すぐに扉が開かれた。ユリアンが顔を覗かせる。
「……アーベライン様。あのエルフは?」
「寝てるよ。ラーニャの前では『あのエルフ』なんて呼ばないでね。地雷踏んだら暴れ出すかもしれないんだから」
「……あのような危険なエルフを、手元に置くなど。ましてや帝都に連れていけば必ずトラブルが起きますよ。もし貴族にでも見られれば……」
そこまで言って、ユリアンは口を淀ませる。カトリンは部屋に入りながら軽く眉を寄せていた。ランドルフがベッドの上からカトリンを不安げに見つめている。
「……まあ、貴族たちはラーニャを欲しがるだろうね。でも流石に、貴族たちもサラさんは怖いはず。下手に手出しはしてこないよ」
「……そういうことではありません」
床を擦りながら椅子を持ってくると、ユリアンはカトリンの横に置いた。ユリアンはカトリンをじっと見ていた。しばらく見つめ合ったあと、ため息をつきながらカトリンは椅子に座る。
「分かってるよ。ごめん、分かってないフリして」
「なぜそれほどあのエルフを連れていきたいのですか?」
「……ラーニャは貴重な情報源だから」
「それだけでは無いでしょう?」
「……ユリアンは賢いね」
カトリンは手に持っていた『王家の歴史真版』をサイドテーブルに優しく置いた。
「あの子は約八十年前に魔国軍と戦った可能性が高い。そして『予見のバイデュレン』の片目を奪い、『賢魔ザブネイア』を殺害してる。……あくまで、本人の証言を信じればだけど」
「ええっ!?」
ランドルフが声を上げる中、ユリアンはもう一脚の椅子を持ってきて座ると、カトリンの置いた本を手に取って中を読み始めた。
「そのような記録は人類にはありませんが……なるほど、確かにここには『不明のエルフ』によるものと書かれていますね」
「うん。信憑性は十分にあると思う。確かな証拠とは……言えないかもしれないけど、あの強さが証拠。私もラーニャには勝てなかったから。あとちょっと続いてたら殺されてたね。たまたま話の通じる子だったから良かったけど、危なかった」
「……! アーベライン様が?」
「私だってすごく強いわけじゃないから」
「……ご冗談を。アスピヴァーラ様を除いた宮廷魔導師全員のなかで一番強いではありませんか」
「あはは……まあ、生き残る力はみんなよりもあるかも。師匠の影響でね」
カトリンは目を細めながら笑うと、顔をほころばせたまま続ける。
「……とにかく、今はそれを事実と仮定して考えると、もう一つ面白いことが見えてくるんだよね。ユリアン、その本のトラス暦一七八九年のところを見てみて」
ユリアンはぺらぺらと紙をめくっていく。
「……ここですか?」
「……あの、俺にも見せてくれよ……」
ランドルフがベッドから顔を上げようとして、痛みに顔をしかめた。ラーニャにやられた傷は一日で治るはずもなかった。
ユリアンは軽くため息をつきながら、本をランドルフに向けてやりながら読み上げていく。
「……『デリュオリクス王、人間の女に殺害される。世間には病と公表』ですか。デリュオリクスといえば先々代の魔王ですね」
「魔王殺害って……勇者並の偉業じゃねえか……!?」
ランドルフが目を見開いて文字を再度辿るが、やはりユリアンが読み上げのと一言一句同じことが書かれていた。ユリアンは冷静さを保っているが、瞼がピクピクと痙攣していた。
ユリアンが続きを読み上げていく。
「『その女を、人間たちは不死の魔女と呼ぶ』……私には聞き覚えはありませんが……? 魔王の討伐にも関わらずその偉業が知られていない……しかも『魔女』、その上『不死』ですか……。穏やかではありませんね。アーベライン様は、何か心当たりがあるのですか?」
「私にもないよ」
カトリンはあっけらかんと言い放ったあと、ユリアンから本を奪い取ると、本に赤く印がつけてあるところを指さしながら二人に見せる。
「ほらここ。見て。歴代魔王の誰か……多分、最後の魔王アガルドリアが不死の魔女を警戒していた証拠。もしかしたら、まだ不死の魔女は生きているのかも。なんたって、『不死』だからね」
「……まさか。人間なのでしょう?」
「私にも分からないよ。でも何らかの方法で可能にしているかもしれない。だから調べる価値がある」
カトリンは段々と早口になってきていた。その目は輝き、両手で本を持って熱心に読み返しつつ、話を続けていく。
「『不死の魔女』が魔王を殺してから、ラーニャが魔国軍幹部を殺すまで、大体四十年の開きがある。エルフにとって四十年って、瞬きするくらいの間に感じられるんじゃないかな? もしかしたら、ラーニャは何か知ってるかもしれない。他にも色々知ってるかも。とにかく、今あの子はサラさんと会うために私たちについてきてくれている。その間にできるだけ情報収集しないとね」
「不死の魔女に、謎のエルフですか……。調査だけで終わればいいのですが……」
「それに、ラーニャは詳細不明の魔法を使う。宮廷魔導師としては、あの魔法を解き明かさないといけない」
カトリンは肘を腿に置き、身を乗り出してにやりと笑う。その目はユリアンにもランドルフにも向けられていなかった。肌身放さず着けている黒いスカーフが風もないのに少し揺れた。
「私、全部知りたいの。未知の魔法のことも、魔国のことも」
ユリアンとランドルフは、お互いに顔を見合わせて呆れたように眉を寄せていた。
・・・・・
翌朝、カトリンが鳥の鳴き声で目を覚ますと、ラーニャは隣のベッドでヘソを出したまま寝ていた。昨日の夜にカトリンがユリアンやランドルフと話し合いをする前からラーニャは寝ているのだ。その睡眠時間は十時間を軽く上回るだろう。
「本当に子供みたい……」
カトリンは小さく呟くと、魔力で作り上げた水を掌に貯め、傍にあったタオルに染み込ませてから顔を拭いた。擦ると肌が痛くなってしまうので、優しく拭っていく。
「……ふう」
少し目が覚めてきたカトリンはベッドから立ち上がると、ガウンを脱いでハンガーに掛けてあった白い魔導服を手を取り、裾に頭を突っ込んで着る。襟から顔を出すと、鏡の前で髪の毛を軽く整えた。
サイドテーブルから黒い包帯を手に取り、首に巻くと、次はスカーフに見えるように形を誤魔化す作業だ。包帯を首に巻いている女など不審人物以外の何物でもない。カトリンはいつもここに時間をかけていた。
「……よし」
鏡の前で体を反転させて前後からの見え方を確認すると、ベッドで寝ているラーニャの前に立つ。
「……本当に警戒心がないみたい。強いからそれでもいいのかな。……でも、奴隷って聞くと怒り出すんだよな。何かあったのかな」
ラーニャが寝たままお腹を掻いた。起きる気配は微塵もない。
「そりゃ何かあるか。変な魔法使えるエルフなんて……」
カトリンは無表情でラーニャを見下ろしていた。奴隷商が見れば、この素晴らしき油断も、金の山に見えるのだろうか。
カトリンには、それは幼い寝顔にしか見えなかった。
「……ラーニャ、起きて。朝だよ」
ラーニャの足を軽く叩くと、ラーニャは唸りながら逃げるように寝返りを打った。カトリンは呆れて小さなため息をついた後、ベッドの横に移動してラーニャの肩を叩いた。
「ラーニャ!」
「んん……眠い……」
「……もうすぐ出発するよ。準備して。サラさんに会いたいんでしょ?」
「ん〜……」
ラーニャは目を擦りながら上半身を起こすと、窓から入り込む朝日に目を細めながら大きくあくびをした。
「……ねむい」
「いっぱい寝たでしょ?」
「……うん。今日は……久しぶりに……」
「久しぶり?」
「なんか……よく寝た……」
「いつもはよく寝てないみたいに言って……。あなたのいつもなんて知らないけどさ……。ほら! 立って! 顔洗うよ!」
カトリンは新しいタオルに無詠唱で生成した水を染み込ませると、問答無用でラーニャの顔に押し当てた。
「……んぁぁ……」
ラーニャは嫌そうに唸ったが抵抗することはなかった。
「寝坊助には特別に冷たいお水をプレゼントだよ。目、覚めたでしょ」
「覚めたから意地悪しないでぇ……」
ラーニャの手にタオルを握らせると、カトリンは自分のバッグの中身を確認し始める。
「今日は大陸道を南進して、トリデンディ伯領まで行くからね。夕方になる前には着くはず。それまでずっと馬車だから、先に色々済ませておいて」
「……は~い」
カトリンは軽くため息をついた。子供もいないのに母親になった気分だ。
・・・・・
馬車が出発する頃には、ラーニャはすっかり目を覚ましていた。ラーニャはカトリンの対面でぼんやりと流れていく景色を眺めている。ユリアンが制御する馬車は、舗装された大陸道に入ったことで随分と快適になっていた。
カトリンの横でランドルフが体を縮こまらせながら静かにしている。四角い顔がいつもより老けて見えた。
「まだラーニャが怖いの?」
「……殺されかけたんですよ?」
「……たしかに」
「敵じゃないって分かったからもう殺さない!」
ラーニャは失礼なことを言われたとでもいうふうな顔をしてランドルフをジトっと見つめた。だが、ランドルフは息を呑んですぐに目を逸らしてしまう。
ラーニャはランドルフが言葉を返してこないからか、鼻息を冷たくしてから再び窓の外へ目線を向けた。
聞きたいことは山ほどあるが、どれもラーニャの地雷を踏みかねない。聞くのは今じゃない、と我慢しながら、カトリンはラーニャの横顔を眺めていた。
「ねえカトリン。次の……とらでんて……たりだんて……? うーんと……次の街ってどんなとこなの?」
「トリデンティ伯領ね。その中でも、三叉路の街ファチスに行くんだよ。西の大陸道と南の大陸道、それと私たちが今走ってる東の大陸道が交わる場所なんだ。一日そこで休んで、南の大陸道から帝都に行く感じになるかな」
「……?」
「あー……ごめん。えっと、大きい街だよ。人もたくさんいる」
「強いヤツいる?」
「それは……いるかもしれないし……いないかもしれないね。分かんないや」
「ふーん……暇……」
「寝ててもいいんだよ」
「もういっぱい寝たも〜ん」
ラーニャは背もたれに身を投げだすと、そのままズリズリと横へ倒れていった。横になってカトリンを見上げる。
カトリンは肩をすくめると、横で縮こまっているランドルフに話しかけ始める。
「……ランドルフ。何か面白い話とかないの?」
「ええっ!? いきなりですか……?」
「だってラーニャが暇そうだよ?」
「そりゃそうかもしれないですけど……」
ラーニャがランドルフをまじまじと見ているのに気付くと、ランドルフはしどろもどろになって話を始める。
「あ、あ〜……じゃあ、俺の故郷の話とか……?」
「ぜんぜんキョーミな〜い」
ラーニャが声をあげると、ランドルフは悲しそうに眉を寄せてしまった。
「……どうしようもないじゃないですか……」
カトリンは軽く微笑むと、ランドルフの肩に触った。
「ごめんごめん。じゃあラーニャの話を聞こっか。ラーニャ、あなたの故郷ってどこなの? 金髪だし、目も青いから、エルフィレンの森かな?」
「……そうだよ?」
「帝都のすぐ近くだね」
「でも私、たまにしか帰んない」
「エルフなのに?」
「里長が『たまに帰ってくるならそれでも良い』って。フィー姉も優しいし。……レシェルはすぐ怒ってくるけど」
「ちょっと、その人たちのことは知らないけど……」
「里長とレシェルがね、怒ってたんだ。エルフ狩りが最近酷いって」
「……エルフ狩り……」
カトリンには聞き覚えがあった。帝国法では違法の、エルフたちを狩って奴隷にする者たちの存在。
カトリンは宮廷で何度も、奴隷にされたエルフを見たことがある。貴族たちはエルフ奴隷をまるでトロフィーのように連れ歩き、見せびらかす。エルフという種族はみな美しく、魔法への適性も高く、長寿だ。親から受け継いだエルフ奴隷だと自慢してくる貴族にさえ会ったことがある。
エルフ狩りは違法でも、エルフ奴隷を保有していること自体は合法なのだ。だからエルフ狩りは止まらない。皇帝がエルフ奴隷の保有を禁じようとしたとき、貴族たちが総出で妨害したと聞いている。
「それでね、里長に聞いたの。『奴隷商は敵なの?』って。そしたらね、里長は言ってたの。『敵だ』って」
「……」
カトリンはラーニャの口角が楽しそうに歪んでいくのに気付いていた。
「敵なら殺さないと。せっかく殺すなら、楽しく。でしょ?」
小首をかしげながら同意を求めてくるラーニャに、カトリンもランドルフも上手く言葉を返せなかった。




