宿のふたりごと
「ちょっと待って」
カトリンは、頭を抱えながら、馬車に揺られていた。あまりの情報量に脳がショートしそうだ。
カトリンが視線だけを上げると、ラーニャは対面の座席にもたれながら窓の外を楽しそうに眺めている。
「……整理しよう。つまりあなたは、十七年前に勇者一行と模擬戦をして、負けたってことで合ってる……?」
「そうだよ! 惜しかったんだけどなぁ。ガルヴィレーズって奴が硬かった! やっつけたと思ったら、まだ立ち上がるんだもん。びっくりしちゃった」
「へ、へぇ……。そこで、サラさんと知り合いになったってこと……?」
「そうだよ! サラが模擬戦してもいいよって言ってくれたんだもん」
ラーニャは笑顔を崩さず、昔を思い出すかのように馬車の天井を見上げた。
「また模擬戦しようって約束して別れたんだ〜。だから、約束を果たしに行く!」
「そ、そうなんだ……」
ラーニャと対面した時のプレッシャーは、カトリンの人生のなかでも一度しか体験したことがない。あれは、リリットの最後の試練の時に感じたものと、よく似ていた。
サラは確かに天才だ。だが、一人でラーニャに勝てるとは到底思えない。
「……なんて報告すればいいんだ……」
カトリンはまた頭を抱えるしかなかった。
「ん、んん……」
そのとき、カトリンの足元に寝転されていたランドルフが唸りだすと、目を開いた。その目はカトリンを見て、ラーニャを見て、もう一度カトリンを見た。上半身を起こしてからもう一度ラーニャを見て、何も分かっていない目でカトリンに視線を戻した。
「……ランドルフ、おはよ。気分は?」
「……アーベライン様……? いてて……顎が……」
ランドルフは青く痣になっている顎を擦りながら顔を顰めていた。カトリンは太ももに肘を置くと、頬杖をついてランドルフを見下ろした。
「あまり触らないで。全身、打撲と擦り傷だらけだから動かないでね。ちょっとランドルフを寝かせるには座席じゃスペース足りなくて。床で我慢して」
「はあ……それは分かりましたけど……」
カトリンは安堵のため息をわずかにつくと、ラーニャの様子を伺った。ラーニャはもはやこちらに興味もなさそうだ。
ランドルフは怪訝そうにカトリンを見あげていた。カトリンはランドルフに視線を戻す。
「……あの時、とっさに魔力強化したんだろうね。じゃなきゃ多分、首が折れて死んでたよ。生きてて良かった」
「首が……折れて……? 何があったんですか?」
「どこまで覚えてる?」
「え? あ〜……確か……こいつがエルフで……」
ラーニャの方を見た。もはやラーニャはあの冷たい無表情を浮かべていたことすら覚えていなさそうだった。
ランドルフの顔は徐々に恐怖に染まっていく。
「……そ、そうだ……! こいつに殴られて……! そ、それで……? なんでこいつと同じ馬車に……!?」
「ランドルフ、落ち着いて。ラーニャは敵じゃない。私たちもラーニャの敵じゃない。話せば分かる子だよ、ラーニャは」
「そうそう! 私は話せば分かる子だよ!」
ラーニャはいつの間にかカトリンを見ていた。カトリンは苦笑いをラーニャに返す。
「話せば……分かる……? こいつが……?」
ランドルフは疑いを隠さず、恐る恐るラーニャに視線を向けた。ラーニャは愉快そうに外へ再び興味を移した。窓の外には、ぽつぽつと粗末な家々が並び、長閑な畑が広がっている。
「まあ……間違いなく面倒は多いけど、でも、貴重な歴史の生き証人でもあるよ。調査報告にはラーニャにも協力してもらう」
「危険なんじゃ……?」
「……うん。でも今は大人しくしてるし……」
「そんな無警戒な……」
「分かってるよ。まあ、でも、ね? 多分大丈夫」
「多分って……」
ランドルフは唖然とした顔を作ると、ため息をついて床に寝てしまった。床のほうが振動が強いだろうか。
だがランドルフは身体だけは頑強だからきっと大丈夫だろう、とカトリンは楽観的にランドルフを見下ろした。ランドルフは馬車が揺れる度に顔を顰めていた。
「……そういえば、ラーニャ」
「……? なに?」
ラーニャは首を傾げる。
「あなたの魔法、あれなに? 雷の魔法で素早い移動ができるようなものは、少なくとも私は知らない。できたら教えてほしいな」
カトリンは魔法学校アルディオスを首席で卒業している。そのときに既知の魔法は一通り学んだ。「未知の魔法」などこれまでほとんど見たことがない。混乱が落ち着いてから、脳内を整理しているうちに疑問が次々と湧く。
「あー、あれね」
ラーニャは人差し指を顎に当てながら目だけを上に向けた。ラーニャの青い目は澄んでいるように見えて、だが別の何かを含んでいるような気がした。
「あれ私にもよく分かんない」
「分からない?」
「そーなの。早く動けることは分かる!」
「そりゃ見れば分かるけど……」
「里長がね、『あなたは知らなくていいの』って言ってたんだよね〜」
「本当に何も知らないの?」
「知らないよ? 使えれば良くない?」
カトリンは大きく息を吸ってから、座席に深くもたれて天井を眺める。そしてぽそりと呟いた。
「……天才タイプかぁ……。一番厄介だなぁ……」
「え、天才!? 私天才!?」
下唇を突き出しながら、カトリンはじとりとした目でラーニャを見た。
「……そうそう。天才だよ、天才」
「やった〜!」
ラーニャは手を挙げて、座席の上で尻を跳ねさせる。馬車が縦に揺れる。
「アーベライン様! どうしました!? 問題ありませんか!?」
ダウンしたランドルフの代わりに御者をやっていたユリアンが、揺れを察知して大声で呼びかけてくる。床で寝ているランドルフは揺れる度に眉を寄せていたが、何も言おうとすらしなかった。カトリンはため息をついてから、大声で返す。
「大丈夫! ……きっと!」
・・・・・
日が地平線の向こうに落ちていく。東から夜がやってきて空を半分飲み込んでいた。
ユリアンが馬車を停めたのは小さな宿場町だった。カトリンがランドルフに肩を貸しながらステップを一段ずつ下って馬車を降りると、その後ろにラーニャが飛び降りる。
「着いた〜!」
ラーニャはキョロキョロと辺りを見回すと、弾んだ声でカトリンに尋ねる。
「サラはどこ?」
「まだ着いてないからいないよ。早くても帝都まであと一週間はかかるかな」
「え〜!」
肩を落としたラーニャを後目に、ユリアンが御者台に座ったまま話しかけてくる。
「アーベライン様、私は馬車を」
「分かった。先に宿取っておくから、また後でね」
「承知しました」
ユリアンが手綱を引き、ゆっくりと馬車が動き出すのを見届けてから、カトリンも目の前に見える宿の入り口へと進み始めた。
だが、ランドルフはゆっくりとカトリンの肩から腕を下ろすと、一人で立って笑ってみせる。
「すいません、アーベライン様。俺、一人で歩けるんで」
「別に気にしなくていいのに」
「いや……その……体格が違いすぎて、むしろ痛いと言いますか……」
ランドルフは肩を縮こまらせて申し訳なさそうに言った。カトリンは「あ」と口を開けてから、苦笑してみせた。
「ああ、確かに。ごめんね、気付かなくて。ランドルフって身体でっかいもんね」
「いえ、その、すいません……」
カトリンはランドルフの少し前をゆっくり歩きながら宿の玄関を開く。ラーニャはがっくりとしながらとぼとぼと後ろをついて歩いていた。
カトリンは受付の男と一瞬目が合ったが、すぐにラーニャをこっそりと盗み見てから、あえて明るい声で話しかける。貴重な情報源は逃すわけにいかない。
「ラーニャ。私って宮廷魔導師だから、帝国公人向けの良い宿に泊まれるんだ。あなたも一緒に泊めてあげる。素敵なお部屋だよ」
「え〜……? お部屋? どんなの?」
「ふかふかのベッドと、あとは美味しいご飯付きだよ」
「ふーん……コイツと一緒?」
ラーニャはランドルフを指差した。ランドルフは肩をビクッと震わせてから、震えたせいで痛む身体に身を捩りつつ、小さく「いて……」と呟く。
「男女別だよ〜。私って、筆頭様の弟子ってことになってるからね。結構特別扱いなんだよ? 宮廷魔導師の古魔法部門長なんだから」
「『弟子ってことになってる』じゃなくて、弟子そのものじゃないですか……」
ランドルフが呆れたように指摘するが、カトリンは一瞬寂しそうな顔を見せてからすぐにイタズラが成功した子供のような笑みを見せた。
「細かいことはいいの! ほら、ラーニャ。私と同じ部屋だよ? 話たくさん聞かせてもらうんだから!」
カトリンがラーニャから目を外して受付の方を見ると、待ちくたびれて苛立ちを隠そうとしない男が立っていた。
「……あ、やっとお話が終わったんですか? その魔導服、宮廷魔導師のアーベライン様ですね? 予定よりお早いようですがまあ良いでしょう。公人用の高くて良い部屋なんてどうせ滅多に使いませんし」
男は手元にあった人相書きをこれ見よがしに確認しながら、面倒くさそうに言った。
「一階奥の二部屋です。三人と聞いていましたがそのエルフは? 奴隷ですか? 宮廷魔導師様なら金は持ってそうですもんね」
男が淡々と言った。悪辣な皮肉だと分かっている。だがカトリンは心臓を跳ねさせた。ここでラーニャに暴れられては不味い。慌てて大声を出す。
「あーあー! えっと、お客さんだから気にしないで! 今は! ほ、ほらラーニャ行こう!」
表情が抜け落ち始めていたラーニャの背中を押し、奥へと導く。ラーニャは一言も喋らず、受付の男の顔を最後までじっと見ていた。
扉を開けようとして鍵を貰い忘れたことに気付いたとき、ランドルフが後ろから鍵を二つ持ってきていた。ちょうどユリアンもランドルフの後ろを歩いてきていた。
「アーベライン様、忘れもんですよ」
「あー、良かった。ありがとね」
カトリンは自分に呆れて笑いながら、その鍵を受け取ってラーニャを部屋の中に押し込んだ。
・・・・・
ラーニャは下唇を突き出しながらベッドの上に座って足をブラブラさせていた。
「敵なのになんで殺しちゃダメなの……」
ブツブツと聞こえてくる独り言は物騒だった。だが、カトリンに敵意を向けてくることはもう無かった。
「ラーニャ、大丈夫?」
「……うん」
ラーニャは小さくこくんと頷くと、そのままベッドに倒れ込む。
「ラーニャ、馬車に乗る前に洗ったけど、まだ所々血がついてるからまだ寝っ転がらないで」
「……はーい」
まるで子供だ。カトリンは鼻で息を軽く吹くと、ラーニャを見下ろした。
「ラーニャって二百歳なんでしょ? 私より大体百八十歳も上じゃん。大人なんだからしっかりしてよ」
「里じゃまだ子供だもーん」
「……ったく。サラさんの相手してるみたい……」
カトリンはぼすっとベッドに腰を下ろすと、バッグのなかに入っていた史料を取り出した。『東方戦線軍務記録六二五』と『王家の歴史真版』。カトリンは書籍になっている『王家の歴史真版』を机の上に置くと、『東方戦線軍務記録六二五』を再び読む。
リリットが生きていた記録。きっとこれを調査結果として提出しても、悪の象徴の記録として燃やされるだけだろう。サラなら適切に保存するだろうが、大々的に公表することは不可能に近い。
だから、今だけはカトリンしか知らない紙だ。とっくに乾ききったインクは、もう滲んだりしない。「ヴァスラディ将軍」と書かれた名前を、カトリンは優しく撫でた。
「……カトリン、それ何?」
ラーニャが寝転がりながらカトリンの様子を見ていた。興味は無さそうだが、暇なのだろう。
「……まあ、あなたならいっか。これはね、私の大事な師匠が書いた紙なんだよ」
「へ〜。どんな人だったの?」
「んー。人付き合いが下手な人だったかな」
カトリンは、口角が無意識に上がっていることに気付くと苦笑して、頬を揉んだ。
「怖かったし、無愛想だし……きっと、悪い人でもあった。でも優しい人だったな。あの人が全部教えてくれたから、今の私があるの」
「カトリンの師匠ってことは、強いの? カトリン、そこそこ強かったよね」
「そりゃあもう、強かったよ。私、最後まで勝てなかったんだ」
「へ〜!」
ラーニャは勢いよく上半身を起こして、輝いた目でカトリンを見ていた。
「私、その人と戦いたい!」
ラーニャの目は真っ直ぐカトリンを見つめている。カトリンは、ラーニャの目から目を離した。頬を掻きながら、静かに笑った。
「……ふふ。もう、無理かな」
カトリンの言葉は、ベッドに沈み込む尻より深く沈んでいった。




