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クムルサレアの果てた後  作者: 北里有李
第二章 暗雲青雷

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勇者の話

「あれは……女? エルフのように見えますが……」


 ユリアンが硬い声で分析する。


 確かに耳が長い。血に塗れた短い髪の毛は、金髪に見える。


「さあ、分からない……でも今は……」


「おい! 早く答えてよ!」


 そのエルフは炎恐鳥の頭から飛び降りると、身体から発する青い光をスッと失った。そのままズンズンとカトリンたちの方へ向かって歩いてくる。楽しそうに笑ったまま、服から血を滴らせるのも気にしていない様子だった。


「ちょっと、血が……!」


「ん? あ、これは返り血!」


 エルフは犬のようにプルプルと体を震わせると、周りに血を撒き散らした。だがまだ血に濡れたままだ。エルフは体を見下ろして少し顔を顰めるが、顔を上げてまた笑った。


「ねえ! どうなの!?」


 エルフはカトリンとユリアンの目の前まで来ると、自分の腰に手を当てて首を傾げた。


「おい近付くな」


 ユリアンがカトリンの前に出ると、エルフを睨んだ。エルフは不思議そうにユリアンを見上げる。

 カトリンは緊張から乾いてくっついていた唇を開く。


「……魔王を倒したのは私じゃないよ」


「え、そうなの? でもお前、強いでしょ?」


 エルフは一歩踏み出してカトリンの顔を覗き込もうとするが、ユリアンが間に入って防ぐ。エルフは眉を顰めてユリアンを見上げた。


「なに?」


「近付くな。汚れる」


「は? なに? ケンカする?」


「しない」


 ユリアンとそのエルフの間に険悪な空気が流れ始めると、カトリンはユリアンの肩を掴んで引っ張った。


「ユリアン、抑えて。……えっと、私はカトリン。あなたは?」


 エルフはパッと顔を明るくすると、やはり血に濡れた顔でカトリンに笑顔を向けた。


「私はラーニャ! ねえ、カトリン。カトリンって強いでしょ。戦おうよ!」


「いや、えーっと、戦いはしないんだけど……あなたはどうしてここに?」


「魔王が死んだって聞いたから! 魔王殺した奴がいるなら、きっと魔王城に住んでるでしょ! だから戦いに来たの!」


 カトリンは思わず頭を抱えた。横目で見上げると、ユリアンも同じように頭を抱えている。だがユリアンの方がずっと顔に皺を寄せていた。


「……魔王を倒した人たちは、ここにはいないよ」


「えー! 半年くらい待ってたのに!」


 ラーニャは肩を落としながら悲しげな顔をした。カトリンには何も理解できなかった。


「……あの魔物はなに?」


 炎恐鳥の死体を指差す。ラーニャは楽しそうに手を開いたり握ったりしながら、カトリンへ自慢げに胸を張った。


「暇だからこの辺の魔物殺してた!」


「ひ、暇だから……あれを……?」


「? ……そうだけど?」


「……あ、そう」


 言葉が出なくなってしまった。騎士団が出てくるような災害クラスの魔物を、暇つぶしで。まるで信じられないことだ。だが、あれにトドメを刺す瞬間はカトリンも見ている。


 その時、遠くからランドルフが走って戻ってきた。その額には大きな汗の粒が見て取れる。


「アーベライン様! 馬車の準備が……って、その血塗れのエルフは……?」


「ああ、この子はラーニャ……そこの炎恐鳥を殺したのはこの人だよ……」


「はっ!? 炎恐鳥を? このエルフが? 何の冗談ですか?」


 ラーニャが眉を顰めながらランドルフに向き直る。


「冗談じゃないし! ほんと!」


「あ? ……それにしてもエルフですかい。こういうのを欲しがるお貴族様はきっと多……」


「ランドルフ。下品なことは考えるな」


 ユリアンが突き刺すような視線をランドルフに送っていた。


「おい、お前。いま何て言った?」


 ラーニャから楽しげな表情が抜け落ち、白紙のような虚無が浮かんでいる。カトリンは嫌な予感がして、ラーニャによく見えるように、ランドルフから一歩離れた。


「……ランドルフ、よくないよ」


「いやでもアーベライン様、あるものはあるんですよ……」


 だが、ラーニャは止まらなかった。ランドルフの目の前まで歩いていくと、ランドルフを見上げた。体格の差は歴然。ランドルフの方がラーニャより頭一つ分ほど背が高く、肩幅は二倍ほど違うようにも見えた。


「もう一回言ってみなよ」


「……だからエルフを欲しがる貴族は多いって言……っ!」


 その瞬間、ランドルフは宙を飛んでいた。ラーニャの拳は、初めからそこにあったかのようにランドルフの顎を正確に撃ち抜いている。そして拳には、青白い電気が迸っていた。


 ランドルフはしばらく滞空しながら、崩れた城門にぶつかってずり落ちていった。動く様子はない。


「……! 見えなかった……! ユ、ユリアン! ランドルフを!」


「……しかしアーベライン様は……!?」


「私は大丈夫だから!」


「……くそ!」


 ユリアンはラーニャに敵対心を剥き出しにした視線を送ってから、吹き飛んでいったランドルフの方へ駆け出していく。


「カトリン。お前、奴隷商か?」


 再びカトリンを見たラーニャの全身には、雷の魔力強化が施されていた。バチバチと音を鳴らしながら威嚇するその魔力は、殺意を明瞭なまでに表していた。


「ち、違う……!」


「じゃあアイツは?」


「ラ、ランドルフも違う……!」


「……ふーん」


 ラーニャは目を細めると、カトリンを射抜いた。決して睨んでいるわけではないのに、その視線には震えるほどの圧力があった。カトリンは密かに全身の魔力強化を始め、薄い水の膜で体を覆う。


「嘘つきは嫌い」


 その瞬間、カトリンの目の前には青白く迸る拳が迫っていた。全く目で追えない。


「……うっ!」


 ラーニャの拳は水に滑り、カトリンの頬を撫でていった。だが、電気は肌を焼き、ぽつぽつと火傷と痛みを残していく。


「強いじゃん。じゃあ次は、本気でやる」


 ラーニャはにへらと笑うと、腰を低く構えた。刹那、カトリンの視界からラーニャが消えた。


「は……?」


 唖然として声を出した時、横から強烈な衝撃が体を走っていく。痺れる感覚が足の先まで走った。


 吹き飛ばされる中で見たのは、ラーニャが回し蹴りの体勢で笑っているところだった。


「あ……ぐ……!」


 壁に背中をぶつけ、肺の空気が全て抜けた。呼吸ができない。頭が回らない。不味い。


 カトリンは必死に立ち上がりラーニャを見上げる。ラーニャはニヤニヤ笑いながら足を下ろしていた。


「弱いね〜。でも、カトリンは『敵』だもんね」


「ちょ……待って……!」


「……? なに?」


 カトリンが苦しげに紡いだ言葉に、ラーニャは立ち止まった。カトリンは必死に空気を吸いながら、地面へと生成した水を流していく。バレないように、慎重に。カトリンの流した水が陣を描いていく。


「わ、私は……エルフ奴隷とは何の関係もなくて……!」


「でもアイツは関係あったじゃん。アイツの仲間ならカトリンも奴隷商。じゃあ『敵』。でしょ?」


 カトリンは立ち上がらず、手を地面に置いたままだ。


「ランドルフも関係ないの……。あの人は少し口が悪いだけで……!」


 時間稼ぎの会話だ。頭の容量は会話にほとんど使っていない。だからまともな会話になっていない自覚はあった。


「もー! ハッキリしなよ! そろそろ殺すから!」


 ラーニャはまた視界から消えた。いや、違う。少し目が慣れてきたカトリンには、ラーニャが驚くほどのスピードで動いているのがわずかに見えていた。


 ラーニャがカトリンに向かって走り出したその時、地面に仕込んでいた陣に魔力を流し、床で水が爆ぜた。


「うわぁっ!」


 ラーニャはその勢いのまま吹き飛んで、カトリンの真上の壁に打ち付けられる。ラーニャがずり落ちてくるのと同時に、爆発した水が雨のように降り始めた。


「……よしっ!」


 カトリンは転がるようにしてラーニャから距離を取る。


「『水塊を点に為せ』……!」


 再び構えて掌に水の玉を浮かび上がらせる。これは詠唱しないと出来ない攻撃的な魔法。小さな水の玉の中には、超高密度の質量が閉じ込められている。カトリンが編み出した、必殺の一撃。


 カトリンはそれを、立ち上がろうとするラーニャに投げつけた。小さな水の玉が放物線を描いて落ちると、同時に破裂した。


 水が散弾となって周囲には飛散していく。水蒸気の煙のなかでラーニャがどうなったかは見えなかった。


「やったの……?」


 カトリンは急いで瓦礫の陰に隠れながら、ラーニャがいた場所を見ていた。水蒸気がゆっくりと消えていくと、そこにはラーニャはいなかった。


「……!? どこに……!」


「あはは……!」


 ラーニャの笑い声が響く。それは、カトリンの頭上から。カトリンが慌てて見上げると、肩を抑えながら瓦礫の上に立つラーニャが見下ろしていた。その顔は楽しそうだった。


「な〜んだ! 強いじゃん!」


 後退りしたカトリンの前に、ラーニャが飛び降りてくる。魔力強化はしていないのか、バチバチとした魔力を纏ってはいない。


 カトリンは腰を落として構えた。近付かれている。ラーニャはあの速さだ。もう距離はとれないだろう。仕込みはない。ここからは、全て反射神経に頼るしかない。


 カトリンのこめかみを冷や汗が流れ落ちる。


 だが、ラーニャは気楽そうに首を傾げると、不思議そうな声を上げた。


「その構え、見たことあるな〜。どこだっけ?」


「……へぇ」


 ジリジリと距離をとる。時間稼ぎの会話を続けろ、と自分に言い聞かせる。


「どこで見たの?」


「ん〜。確か……えっと……」


 ラーニャは難しそうな顔をして顎を触っていた。そして指を一本ピンと立ててカトリンを見る。


「そうだ! 昔殺した悪魔族がやってた!」


「……悪魔族を殺したの?」


 カトリンは思わず立ち止まっていた。


「そうだよ! 確か、参謀とか言ってたかな!」


「参謀……? 大幹部じゃない……!」


「そうなの? あと、ちょっと未来見える悪魔族とも戦った!」


「は……!?」


 未来が見える悪魔族。それに当てはまりそうな存在は一人しかいない。『予見のバイデュレン』。かつて勇者パーティが倒した、五秒先の未来を見る魔国幹部であったはずだ。そして隻眼だったとも聞いている。


「た、戦ったって……何したの……?」


「ん? えーっと、目を片っぽ潰してやった! その後助けに来た参謀って奴を殺した!」


「は、え、え……! あ、あなたがバイデュレンの片目と……参謀を……? バイデュレンが片目になった時期の参謀と言えば……ザブネイア……? いや病死って……え、もしかして……そんなこと……」


 カトリンはもはや、戦うことも忘れてぶつぶつと呟いていた。ラーニャはそんなカトリンの顔を覗き込みながら、不思議そうにしていた。


「おい。なに? どうしたの? 戦わないの?」


「そんな場合じゃないでしょ! ねえ、もっと教えて! 私、あなたのこと知りたいの!」


 カトリンはラーニャの肩を掴んで前後に揺らしていた。ラーニャはガクガクと首を揺らされながら立ちすくんでいた。


「な、なに!? なんなの!?」


 ラーニャの困惑した声を聞いたカトリンは、ハッとしてラーニャの肩から手を離す。


「ご、ごめんなさい……えっと、とりあえず……戦うのは一旦やめにしない……?」


「え〜、でもカトリンは敵じゃん……!」


 カッと目を見開いてラーニャを真っすぐ見つめると、ラーニャは少しだけたじろぐ。


「敵じゃないよ、ラーニャ。私たちは戦わなくてもいいの。エルフだからって何とも思わない。私はあなたよりも、あなたの知ってることのほうが知りたいの」


「え〜? なに言ってるの……?」


「とにかく……! 私たちは戦わなくてもいいの! 分かった?」


 カトリンは鬼気迫る顔でラーニャに言った。ラーニャは一歩下がりながら眉を落としてカトリンから目をそらす。


「う、う〜……分かったよ……。……今だけだから! またいつか戦うから!」


「とりあえずそれでいいよ! あなたが知ってること、全部教えて!」


 カトリンはラーニャの肩にまた手を置いていた。

「怖いよ……」


「いつやったの? いやバイデュレンとザブネイアの時期だから……大体八十年くらい前……? あなた、今何歳なの?」


「だいたい二百歳くらい、だったかな……?」


「エルフにしては若いくらいか……」


 カトリンが次の質問に移ろうとしたとき、遠くから声が響く。


「アーベライン様! アーベライン様! 無事ですか!?」


「……あ、ユリアン。忘れてた」


 カトリンはユリアンの声がした方を見てから、またラーニャに視線を戻す。


「ラーニャ、とりあえず一緒に来てくれない? これからサラさんのところに帰るまでは、あなたの話を聞かせてほしい」


「サラ……?」


「どうかした?」


「サラって、サラ・アスピヴァーラ?」


「え……どうして……?」


 カトリンは眉をしかめた。ここに来てから分からないことばかりだ。


 サラは有名人だ。知っていてもおかしくない。だが、ラーニャは魔王が死んだことすら最近知ったのだ。それどころか、魔王を倒したのが勇者パーティであったことすら知らないのだろう。


 なのに、なぜサラの名前がラーニャの口から出てくるのだろうか。


「やっぱりサラ・アスピヴァーラ!? じゃあ私も一緒に行く! いいよね? いいでしょ?」


 今度はラーニャがカトリンに迫ってきた。だがラーニャはどこか楽しそうだった。


「いいけど……どこでサラさんのことを知ったの……?」


「昔、勇者って奴らと戦ったんだ! そのときサラもいた!」


「……は?」


 カトリンの声は、体の最奥から出てきているようだった。

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