襲撃者?
カトリンはその紙を静かに読んでいた。何の感情も入る余地すらない、ひたすらに淡々とした報告書。だがそれは、リリットの筆跡で書かれていた。
「東方戦線……侵攻は順調……敵軍の捕虜の扱い……兵站の追加要求……」
ぺらりと紙をめくる。同じようなことが平坦に書かれ続けていた。
カトリンは一度大きく息を吸ってから、長めに吐き出す。その紙を机に置くと一度目を閉じた。
「……よし。今はその時間じゃない……」
自分に言い聞かせるように呟くと、もう一つの発見『王家の歴史真版』を開く。分厚い装丁の本は、ほとんど開かれた痕跡は無かった。
「魔王の家系図と……政治体制……どうやって死んだか……が書かれてるのかな……。なんでこれを隠すんだろ……」
ページをめくる度に、知っている歴史が目に入ってくる。魔国の歴史は知ることすら不謹慎とされて学ぶことはできないが、宮廷魔導師ともなるとある程度魔国の歴史について、皇家所有の図書館から知ることもできた。そこで見た歴史と、この本の歴史には大きな差異はなかった。
だが、カトリンはいくつか違いも見つけていた。
「この魔王……妾の子だったんだ……」
それは5代前の魔王の出生について書かれていた。
「なるほどね。公にするには不都合な歴史もこうやって隠してたんだ……。突然滅びたからこれを処分する暇もなかったって感じかな……」
カトリンは次々にページをめくっていく。そして、とあるページには、デカデカと赤いインクで丸がされていた。
「なにこれ……? 『デリュオリクス王、人間の女に殺害される。世間には病気と公表』……!?」
魔王デリュオリクスといえば、先々代魔王のことだ。魔王アガルドリアは悪魔族の歴史で最も強い王と言われたが、デリュオリクスも魔王であるからには強かったはず。
カトリンは夢中で読み進める。
「『その女を、人間たちは不死の魔女と呼ぶ』……。この赤い字は、誰かが書いたもの……?」
『不死の魔女』を囲うような赤い丸のすぐ横には、『詳細不明、要調査』と書かれていた。
「魔王アガルドリアの字かな……? 不死の魔女……聞いたことない……」
カトリンはボソリと呟いた。
不死の魔女。魔女は魔法とは違う呪術を扱う存在だったはず。確か三百年ほど前の魔女狩りによって、壊滅したと言われていた。だがこの記録は百年前だ。
「魔女の生き残りだった……?」
その時だった。
空気を切るような音がして、カトリンは反射的に本を放り出すと、窓を睨んだ。
直後、すでに割れていた窓をさらに割って、巨大なトカゲのような生き物が飛び込んでくる。まるで太った人間が横たわっているような圧力をカトリンは感じた。
「……翼のあるトカゲ……! 魔物……! 火蜥蜴か!」
カトリンは腰を落として左手を前に構える。もう魔法戦の間合いではない。一歩踏み込めば直接攻撃が当たる、近接格闘の間合いだ。
だが火蜥蜴はカトリンを睨みながら、よろよろと立ち上がろうとして床に臥せってしまった。ぜいぜいと呼吸をしてはいるが、瞼は半分閉じられ、力なくカトリンを見上げるだけだ。よく見れば、翼は片方千切れかけ、尻尾は無残に引き千切られている。足も一本折れていた。血塗れだ。
カトリンは構えは解かず、ジリジリと近寄っていく。火蜥蜴は口を開いて威嚇するが、全く動けないようだった。
「人がいないから魔物は繁殖するだろうけど……これは……?」
カトリンがしゃがんで火蜥蜴に触れると、最後の力を振り絞ってか噛み付こうとしてきた。カトリンは素早く手を引いて、もう片方の手に魔力を集めると高圧の水を噴射して火蜥蜴の頭を貫く。
「あ……」
殺す気はなかった。だが、火蜥蜴はもう動かなかった。
カトリンは胸に手を当てて軽く祈りながら、火蜥蜴の体を調べていく。
「……何かにやられてる? 何に? この近くに何かいる……?」
カトリンが立ち上がると同時に、割れた窓の外から怒声が聞こえてきた。ユリアンとランドルフの声だ。
カトリンは慌てて発見した軍務記録と本をバッグに突っ込むと、二階の窓から飛び降りる。
「『水に受けろ』!」
詠唱しながらクッションのような水を地面に発生させ、自分の体を受け止めた。声の方へ走っていく。
・・・・・
崩れた城門の瓦礫を急いで駆け上がり、頂点で跳んだ。空中でカトリンは顔を引きつらせる。
「思ったより高……っ!」
カトリンは両足をついたあと足の裏に纏わせた水の魔力で地面を滑りながら体を支えると、痺れる足を何とか前に出し続けた。
「あっぶな……!」
顔を上げると、もうユリアンとランドルフの姿が見えていた。二人は魔物の群れに囲われている。そのどれもがすでに深い傷を負い、血塗れで息も絶え絶えに見えた。
魔物は火蜥蜴だけでなく、角の生えた狼や、青い鬣を揺らす人間ほどの大きさの猫までいた。
「ランドルフ! そっちに来るぞ!」
「分かってる!」
ランドルフは腰に佩いた直剣を大きく上段から振ると、一撃で魔物は切り裂かれて倒れた。ユリアンは詠唱しながら魔法の石礫を飛ばし、魔物を倒していく。
「二人とも! 怪我は!?」
カトリンは二人に気を取られている魔狼を蹴り飛ばす。ランドルフはパッと顔を明るくしながらカトリンを見た。
「アーベライン様! 今のところ俺もユリアンも無事です!」
ユリアンはその間にも石礫を飛ばしながら、魔物を殲滅している。
「こいつら、かなり弱っています。問題なく殲滅できるかと」
ユリアンは僅かに汗をかきながらそう言った。カトリンは微笑んでうなずきながら、腰を落として構える。
「じゃあやるよ! 良いお土産も見つけたから後で見せてあげる!」
「それは楽しみですね」
「俺にも見せてくださいよ!」
カトリンは手のひらを魔物に向けると、大質量の水を一気に噴射して魔猫を吹き飛ばす。ユリアンとランドルフも、それに続いて次々に攻撃を仕掛けていった。
・・・・・
半分ほど殺したところで、魔物たちは毛を逆立てながら後退りし、森の方へと逃げていった。
カトリンは構えを解くと、ため息をつく。
「ふぅ……終わったね……」
「ええ、ですが奴ら、傷を負っていました」
「随分鈍かったなぁ。お陰で俺たち、無傷で生き残ってますよ。うはは」
ランドルフは豪快に笑うと、血のついた剣を袖で拭いてから鞘にしまった。
ユリアンは魔物の死体の側にしゃがみ込むと、傷を調べ始める。
「……打撲と、それに伴う裂傷でしょうか……? それに力任せに引き千切られたような痕があります」
「森に何かいるかもね。人間も悪魔族も、ここを離れて長いから独自の生態系を形成してるのかも。とにかくあまり長居はしないほうがいいね」
「そうですね。離れましょう」
「そういえば、そっちは何か見つけた?」
「いえ、残念ですがハズレです。全て燃やされていました。アーベライン様の方は先ほど『お土産』と言っていましたが……?」
カトリンは少し誇らしげにバッグを叩いて見せた。ランドルフが「おお」と声をあげる。
「いいもの見つけたよ。残念ながら魔法的価値は皆無だけど、考古学的価値はある」
「頼もしい限りです」
ユリアンは笑顔を見せながらそう言った。
「ですが、魔法的価値がないなら、追加の予算申請は厳しいかもしれませんね」
「そこは何とかでっちあげるんだよ。サラさん直伝の詐術でさ」
「……良くないところばかり真似てどうするんですか……」
「はっはっは! いいじゃないか!」
ユリアンは呆れてため息をつき、ランドルフは笑い飛ばした。
だが、同時に地鳴りが響き渡る。森から黒い鳥の群れが飛び立ち、逃げていく。
何かの鳴き声が空を衝くと同時に木々が揺れた。
「……何か来るよ! ランドルフ! 逃げられるように馬車用意してきて! 私とユリアンで足止め!」
「了解! 気をつけて!」
ランドルフが走り去るのを見届け、カトリンはユリアンの前に立った。
ユリアンは近接格闘は苦手だ。カトリンも近接格闘は本業ではないが、「近付かれたらなすすべもない魔法使いはすぐに死ぬ」という言葉を胸に、近接格闘は宮廷魔導師の誰より磨いている。
「私が前衛やるから……ユリアンは後衛ね……!」
「お気をつけて」
拳を握ると同時に、森から影がいくつも飛び出してくる。それはそのまま地面に落ちると、ピクリとも動かなくなった。
「これってさっき逃げてった魔物たち……?」
何かに弾き飛ばされたような魔物たちは、みな無残に首を垂らしていた。
同時に森が割れた。木々を倒して巨大な魔物が現れる。
それは鳥だった。人間の背丈の五倍はあるであろう巨大さと、飛び立つには少し心許ないが鮮やかな翼。そして蹴られれば城門すらひとたまりもないであろう太く鋭い脚。嘴の下から垂れ下がった赤い肉髯からは、今にも発火しそうな火の粉が散っている。
だが、二人はそれを見て戦うどころか、呆然と立ち尽くしていた。
「あれは……」
ユリアンが呟く。カトリンは眉を寄せながら魔物を観察していた。
「あれって、炎恐鳥……だよね?」
「そのように見えますが……もう死にそうです……」
炎恐鳥は出現が確認されれば騎士団が動くほどの、人類の脅威の一つのはずだった。だが今、足をもつれさせて倒れてしまった。元は白かったであろう羽毛は血で赤く染まり、腹からは内臓の一部を零している。
「どういうこと……?」
カトリンがそう言った瞬間、森の中から青白く迸る小さな影が上空まで飛び上がり、炎恐鳥の頭に落ちた。その衝撃は地面を割り、炎恐鳥は骨が弾ける音とともに動かなくなってしまった。
小さな影が炎恐鳥の頭の上で立ち上がり、ふるふると顔を振る。血と臓物に塗れて真っ赤になったそれは、炎恐鳥の頭の上からカトリンを見つけると、カトリンを指差してニカッと笑った。
「おいお前! お前が魔王殺したのか!?」
カトリンは声を詰まらせた。




